†††雨の音†††
目を覚ましたそこは、雨の匂いに包まれていた。
ひゅう、と風の音がする。空気がぴんと張り詰めるように冷たくて、彼の体の向こうの窓に目をむけると、カーテンが僅かに揺れている事に気づいた。
薄暗い室内。仄かに灯るベッドランプの下のデジタル時計が、夜更けの時を教えてくれる。
まだだるい体を起こして、隣で眠る彼を起こさないように、そっとベッドから抜け出し、床に放り出されたバスローブを身につけて、暗色のカーテンを開ける。
事故防止用に、ある程度までしか開けられない窓が、それでもギリギリまで開けられていた。そこから、外の冷気がどんどん部屋に入りこんでくる。
くん、と小さく匂いを嗅いでみる。室内の空気が澄んでいることに気づいて、未だに眠っている彼に目を向けて、微笑んだ。
汚れてしまったシーツだとか、汗と涙が染み付いた服なんかは変わらないけれど、自分が眠る前、室内に充満した、むせ返るような情交の匂いが消えて、雨の・・・外の匂いに姿を変えているのだ。
自分が、自分の息を使って力を操る者だから?
そんなことじゃないだろう。だって、彼はそんなことは馬鹿々々しいと思っているハズだから。
自分が、こんな行為を余り望んでいないことを、彼は知っている。
そして、彼が、それをしいている事に罪悪感を敢えて持とうしていない事を、自分は知っている。
だから、これは罪悪感なんかじゃない、単なる自分への気遣いなんだ、と思う。
確信、じゃないけれど。自分はそっちの方が嬉しいから、そう思う事にしている。
「・・・・・・・イブキ?」
呼ぶ声に振り向くと、さっきまでは自分に背を向けていたはずのカルノが、目を覚ましてこちらを見ていた。
「目、覚めちゃってさ。まだ時間あるし、カルノはもうちょっと寝たら?」
「いい。どうせ寝てなかったから」
そう言って、ベッドから出てくる彼は、上半身だけ裸だ。薄闇に慣れてきた目は、裸なんて何度も見てきたのに、やり場に困って室内をさ迷い、視線は外に向かった。
「・・・ウソ寝してたの?」
「寝転がって目ぇつぶってるだけで、何でウソ寝になんだよ」
肩を竦めて、こちらに歩み寄る。その姿は見ているこっちの方が寒い。しかし、向こうは自分の姿には全然無頓着で、逆にこちらに聞いてくる。
「・・・寒い?」
「―大丈夫。そのままでいいよ」
開いていた窓を閉めようとする彼を、微笑んで制した。しっとりとした、雨が降っている時特有の空気が、熱を持っていた体に気持ちいい。
―冷静になればなるほど、さっきまでの自分の痴態が脳裏を過ぎる。
「雨、か・・・」
「通り雨、だろ。多分」
微かな、囁くような声に、羞恥を振り払おうと小さく頭を振って答える。
小雨が降る雨雲があるのはこの辺りだけで、ここより背の低い家並みの向こうの空は、距離のあるここからでも、小さな星が確認出来るほど晴れ渡っている。
しとしと、しとしと、と聞こえるか聞えないかの大きさで、雨は細く糸をひいて整備された一部の街並に降り注いでいる。月は見えない。
田舎の町にはネオンもなく、町全体にも薄闇がかかっている。そこにあるのは、混沌ではなく、どこか懐かしく、温かい雰囲気だった。
しとしと、しとしと。その内通り過ぎると解っていても、それはすぐに、ではなく。
のんびりと流れる雲は、同時に、心地よい、ゆっくりとした時間の流れをつくった。
「・・・・・・イブキ」
名前を呼ばれる。背中から強く抱き締められた。
「・・・・・・カルノ?」
呼びかけて振り向くと、頬に手をかけられ、軽く合わせるだけの口付けをされた。じっと覗き込まれて、今度は前から抱き締められた。
「・・・・・・どうしたの?」
声を掛けても、カルノは変わらずに自分を抱き締めたままだ。
しとしと、しとしと。静寂を乱す無粋なバイクの音もなく、自分は息を殺した。
静かになって、薄く空を切る雨音だけが聞こえるようになって。カルノの自分を抱き締める腕の力は、更に強くなった。
そっと、自分も彼の背に腕を回す。誘う、とかいう問題じゃない。自分を抱き締める彼が、どこか脅えているようにも見えたから。
「・・・なんでもない」
そういって、カルノは少し体を放し、口付けてきた。額に、頬に、唇に。啄ばむようなそれから、しっとり濡れた、今のこの部屋の空気のようなものに変わる。
「――ふ、ぅ・・・・・・」
甘く洩れる自分の声に、内心赤面しながら、入ってくる彼に応える。カルノはびくりと体を強張らせたのがわかった。それはそうだ。自分がこうして口付けに応えるのは、何よりも珍しい事なのだから。
・・・いつも、全身で拒み続けていたのだから。
「・・・っ・・・・・・」
カルノが与えるそれが、息もつかせない、貪るようなモノに変わった。彼の首に腕を回す。体中に回る熱は、子供に与える甘いお菓子にも似ていて。
―これでは、もう拒む事もできない。
望むとか望まないとかいう、自分で作った枠には収まらない、それこそ甘いお菓子のような快楽を、自分はもう知ってしまった。
その味を知ってしまった体は、理性なんていう脆い砦をあっさり砕いて、彼を受け入れてしまう。・・・理屈はもうどうでもいい。
自分は、彼に抱き締められるのが、キスされるのが、嫌いじゃないんだと思う。
「――・・・・・・」
「・・・なぁ」
唇を放されて。体を解放されて。そこに見たのは、いつものニヤリとした笑み。
すい、と窓の向こうから風が忍び込んできた。こちらも微笑みかける。
「・・・・・・今日は、どこ行く?」
子供のような笑顔。毎日変わる街並。日夜姿を変える自分の気持ちと、自分達の関係。
「・・・・・・どこに行こうか?」
今日は。
明日は?明後日は?そう考えるときりがないから。まずは今日の事を考えよう。
未来のタイムテーブルはいつも真っ白だから。
―雨の音は小さく、その気配はどんどん霞んでいく。
この通り雨も、もうすぐ止むだろう。
end
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