煙より舞いて





曲がりくねった道。この街では、かなり荒れている部類に入る区画の路地を進み、勇吹は殆ど崩れかけている石造りの建物の中に迷わず入っていった。

まだまだこれから寒くなろうかという季節、空には薄い雲が掛かり、夏の名残が急ぎ足で過ぎ去って行くのを肌で感じられる時期。

彼らは大きな街に来ていた。街、といっても日本国内ではなく、たった四ヶ月で詰め込んだにしては流暢な英語が充分に通じる国の圏内。「逃亡中」だった自分達を拾った大人二人が、「都会だから」という呑気な理由で選んだ街だ。

長袖のTシャツに薄めのジャケットという軽装で出て来た所為か、一体どこから賃貸料が・・・と思うような立地条件の良い、適温に空調がセットしてあるマンションから出て来た外は肌寒く、勇吹はもう少しで夕食というこの夕方に、どこかへ消えてしまった友人をちょっとだけ恨めしく思った。

「もうちょっとで夕食だぞ♪」と如何にも楽しそうにおたまを握って知らせてきたナギがカルノの不在に気づき――自室で本を読んでいて気づかなかったのだ――後で一人で食べるくらいなら・・・と探しに出たのだ。一応、自主的に。









探しにと言っても、カルノの居場所には大体見当が付いていた。彼は、暇があればちょくちょくそこへ行くのだ。そして、夕方になるとその頻度が高くなるのも、ここ数日間彼の行動を追っていて分かった。

夕方。昼間の曇り空とは打って変わって、紅く朱に染め上げられる空は燃え上がる炎のようで、美しかった。

なんとか性質の悪い連中にちょっかいをかけられずに辿りついたのは、奥まった路地の、他の土地よりも微妙に高いところにある建物。

彼はそこにいるのだ。今にも崩れそうな建物の三階。一階、二階は長い間放置されていたことが解る、積もりに積もった埃が床を白く埋めている。辛うじて残っている階段を途中まで上り、崩れかけた石に手を掛けてよじ登ったそこには――

案の上、小さく吹き込む風に微かに埃が払われた床の上に座り込み、ほぼ全部剥がれかかった壁代わりのベニヤ板の割れ目から見える、真っ赤な夕日を眺めている友人がいた。

見事な赤の髪を更に燃え上がるように輝かせ、太陽が沈む最期の一瞬の中に身を投じているカルノの端正な横顔に、勇吹は僅かの間息を呑んだ。彼が、自分とはまるで違う世界にいる人間に見えたから。

そんなハズはない、それは、普段の彼を見ていても充分に解ることなのに。

掻き消えてしまうかと思った。消えようとしている光に吸い込まれて、どこかへ行ってしまうかもしれない、なんて幼稚なことを考えて、自分の存在に気づいて欲しくて、わざと足音を高くして彼の背後に近寄った。


そして、あることに気づく。





「・・・・・・なんだ、来たのか」





そう言って振り返ったカルノは白い紙に包まれた棒状の物・・・煙草を銜えたままこちらを見た。

彼が息を吐き出す度に、紫煙が燻んだ壁と床を伝って空気に紛れていく。匂いは少し甘く感じられるもので、銘柄は知らないがいつかカルノ自身が「安物だぜ」と言っていたのを覚えている。





「・・・まぁた煙草吸って〜〜・・・」





些か不機嫌そうなその様子に苦笑して、つい、と近くに歩み寄ってさりげなく銜えていた煙草を取り上げると、彼は盛大に顔を顰めた。大方、自分だけの秘密の場所に現れる勇吹が気に食わないとかそういったことを考えているのだろう。





「前にもやめろって言わなかったっけ?」



「・・・んだよ」





所帯臭い台詞にカルノはあからさまに不機嫌な様子でこちらを見た。何か昔を思い出すような混同した紫の瞳に、目を見開きながらなんとなく静かな気持ちで見返すと、すぐに彼は目を逸らしてボソリと言った。




「・・・お前まで、『身が穢れる』とか言うのかよ」




明らかに何かを辿っているような口調。しかし、眉間の皺がどんどん深くなっていくのが見て取れたからその思考にストップを掛けさせる事にした。




「はあ?何の話だよ。俺はただ体に悪いっつってんの!」




そう言いながら煙草をつい銜えてしまう辺り、全然説得力が無いような気がしたけれど構わなかった。誰でも発作的に吸いたくなる事はあるのだし。


彼が以前、一体誰に「煙草を吸うな」と言われたのかは知らない。彼の事を全て知っている訳じゃないし、カルノの過去をすべて知ろうとは思わなかった。




「だからってお前が吸うのかよ」



「良いじゃないか。急に吸いたくなったんだし」



「・・・・・・ワガママ」



「君に言われたくないね」




半ば呆れたように言う彼に飄々と返して、勇吹は紫煙をゆっくりと吐き出した。煙草の煙が死にかけの陽光を紛らせながら天井に消えていく。

夕日はもう西に沈んで、空には炎のような赤の名残があるばかりだ。

ぶるっと小さく身震いして、かなり気温が下がってきた事を知った。結構間抜けなタイミングだが、帰りを勧めるには良い頃合いだと思う。

埃っぽい空気を吸い込んで、深呼吸してから勢いをつけて勇吹は立ち上がり、カルノを見下ろしていった。




「帰ろうか。作ってもらった夕飯が冷める前に」




もう冷めてるだろうけど。そんな呟きは内心だけに留めて。


















寂しがりな君がここに来る理由を少しだけ知っている。

本当は放っておいた方が良いんだろうけど、そんなことをしたら一人でふらっとどこかに飛んでいってしまいそうだから、放っておいてなんてやらない。


過去を見詰める余裕なんて無い。前を見ないと転んでしまうような速度で、自分達は走っているから


禍々しいとも思えた赤は、ゆっくりと青灰色の空に浸透して、夜の闇に侵食されていく。少年二人は、暗がりの中に外灯の灯る街路を、のんびりと他愛ない事を喋りながら帰った。



自分達の家へ。


時折、煙を舞わせながら。


END




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