≪5≫
虎視眈々と二人にちょっかいをかけようと狙っていた面子を、見た目爽やかな笑顔で――内心滝汗をかきながら――かわしきった佐久間は、もう遅いからと泊まっていくことになった。
その際寝る場所や風呂の順番で一悶着あったのだが、なんやかんやと一夜がたち。
「んじゃ、お世話になりました〜」
健二をよろしくお願いします。
「それは勿論だけど、もっとゆっくりしていったら良いのに」
「いえいえ、連絡無しで来ちゃったのに泊めてもらえただけで十分ですよ。俺は単に健二充しに来ただけなんで」
「けんじじゅう・・・」
背後の一部の男性陣の物騒な空気をまるで無視した、万里子の惜しむような言葉に、しれっと恥ずかしいセリフを言い放った佐久間は、
「また機会があればお世話になると思うんで、その時はよろしくお願いします」
と一見爽やか青年を思わせる笑顔で礼儀正しく告げた。
礼儀正しいように見せて、その実遠慮なく再訪を予告しているようなものなのだが、当然それに気づいているはずの陣内家の新当主は、「是非また健二さんといらっしゃいね」などと機嫌良く笑っている。
昨夜の一晩だけでも、やたらと仲のいい二人の姿に苦虫を数100匹噛み潰してじっくり味わうようなダメージを受けたというのに、健二がこちらに来る度見せつけられるなんてなんの冗談だ。
思わず口元が歪むのを自覚する。この人も陣内家の恩人の一人だと理性では解っているのに、感情の方がどうしようもなく反発するのだ。しかも、
「佐久間なら、僕がいなくてもひょいひょいお邪魔してそうですけど」
意中の人がそんな強敵の隣に照れくさそうに立っているのだから、余計に。
たった一晩で余程佐久間を気に入ったらしい万里子を筆頭とした女性陣に、野菜やお菓子を抱えきれないほど持たされているのを見ながら、玄関に集まる人をかき分けて、ポロシャツにチノパンとごく軽装で佇む健二の前へ出た。
「健二さん」
「あれ、佳主馬くん、どうしたの?佐久間になにか話しあったら生で聞けるのは今の内だよ〜」
「僕、健二さんの名前呼んだんだけど・・・」
「あれ?あ、ごめん・・・」
「謝らなくていいよ。で、健二さん」
「どうしたの?」
ことりと首を傾げる健二の視線を受け止めて、まったく無防備な可愛い姿にくらくらしながら、後ろ手に持っていた麦藁帽をその頭に乗せた。
よし、更にかわいい。
「暑いから、被ってって」
「わぁ、ありがとう」
「ちゃんとこの家に戻ってくるよね?」
「うん、もちろん。万里子さんからも、もう少しの間いていいって許可をもらってるしね」
ふにゃりと照れくさそうに笑う健二を焼き付けるように見つめながら、あくまでも確約を前提としたセリフにもどかしくなる。
そんなものなくても、ずっといればいいのに。
「それじゃ、そろそろバスの時間があるので」
「うん、行こうか。――それじゃ、ちょっとバス停まで送ってきますね。」
さっくりと別れ際の土産攻撃を打ち切った佐久間は、両手いっぱいに土産を持ったままもう一度「お世話になりました」と頭を下げ、健二を連れて玄関を出て行った。
それに当然のように健二も着いていくのを、見ているだけの自分に嫌気がさしそうだ。
仲睦まじい二人の背中を見送り、せめて健二が帰ってきた頃には平静に戻って――別のアプローチを考えるためにも納戸へ足を向けようとしたのだが、
「よし、行くぞ」
「健二君が心配だろう?」
見送りに来ていなかった二人の41歳男児にとっ捕まった。
「心配?なんのこと」
「とぼけんなって」
「佐久間君は相当、用意周到な人間みたいだからね」
「そうそう、自分が帰るついでに健二君も一緒に連れて行っちまうとかな」
「・・・・・・まさか」
大体、健二の荷物も夕べの部屋に置いたままなのだ、本人だって戻って来ると言っていたし。
そんなことを考えながら、しかし足は二人の誘導されるまま自然と縁側に向いて歩き出す。
年長組の二人が背後で嫌な感じに笑っているのが解るが、うっかり煽られた心情におっさん達を構っている余裕は存在しない。
外門に繋がる縁側から降りて、男三人でサンダルを突っかけ歩いていく。因みにそのルートは家の中から丸見えで、お昼の片付けをしていた女性陣から呆れた視線が容赦なく背中に刺さる。気にしたら負けだと歩調を早めたが、視線より更に無情な声が追ってきた。
「なんでわざわざ留め刺されに行くのかね〜?」
脈なんかないって解るでしょうに。
「諦めが悪いんじゃない?」
「いや〜、精神的マゾって線も捨てがたいわよ?」
「皆さん、健二ちゃんが大好きなんですね」
奈々さん以外の線は全部丸めて燃えるゴミと一緒に捨ててくれ!
と本人たちに言えるわけもなく――なんせ、家督を悉く女性が継いでいるのでも明らかなように、陣内家では女性優位が基本なのだ―一方的に痛めつけられたオトコゴコロを抱えながら、前をいく二人の足取りを追った。
もうすっかり通い慣れた経路を、ターゲットを追い抜かず追いつくペースで辿り、そう行かない内に、遠くに二人分の細い背中を捕捉して歩調を緩めた。何故接触にいたらない位置で止まったのかというと――
「・・・あれは・・・どっちの発案なのかな?」
「どっちにしても面白くないのは同じだけどな」
万里子から渡された荷物の半分が健二の手に渡っており、双方の空いた片手ずつがしっかりと繋がっていたのだ。・・・所謂、恋人繋ぎで。
「・・・・・・・・・・・・・・・」
なんにしても、出会い頭の一撃で受けたダメージが大き過ぎて声も出ない。41歳のおじ共が自分を二人が追い抜かしていっても、佳主馬は暫く動くこともできなかった。
邪魔しに行きたいのは山々だったのだが、遠目に見える健二の横顔があまりにもリラックスしていて、幸せそうで。
多大な嫉妬と不本意な羨望、そして悔しさをすり込んだ"かなわない"という敗北感が心を埋める。馴染みのない感情。快不快で言えば限りなく不快な。
でも、
こんなにも欲しいと思えた気持ちを諦めたくない――
・・・今はまだ、かなわない
内心でそう唱えなおした佳主馬は、先を行くおじ達を追ってゆっくり足を踏み出した。
身を隠すところが殆どない一本道を、万が一にも前方の二人に気づかれないためにかなり距離を置いて進む。
視線の先の二人は相変わらず双方の手で繋がれており、遂にはバス停についても離れる様子はない。しかも二人を取り巻く空気は――なんというか、濃かった。
「あれで恋人同士じゃないって・・・」
「いや・・・・・・昨夜の健二君の様子からしても本気でそう思ってるだろうな」
単に無自覚なだけとも言えそうだが。
本人たち曰わく「大事だけど恋人じゃない」というにはあまりにも親密な二人の様子に、呆れ混じりで零す二人に内心で同意する。
陣内家一同で二人を迎えた夕食後、結局健二は休むことになったらしいバイトの話や、携帯電話以外の殆どの通信機器がお釈迦になってここ数日アクセスできていないOZの最新情報なんかの話をする内にすっかり二人の世界を作り上げ、風呂の後も佐久間の寝る場所でもめた挙句引き離してみても、結局朝になってみれば、健二にあてがわれた部屋で二人雑魚寝している始末だった。
朝方見に行ってぷっつりと何かが弾けそうになったのは忌々しくも記憶に新しい。
そんな昨晩といい、今といい、健二はともかく佐久間には思い切り見せつけられているようでイライラとモヤモヤが腹の中でとぐろを巻いて今も育っている。
あまり明確にしたくない感情にまかせて、つい衝動的に飛び出さないためには、健二の顔は見えるが二人の会話は聞こえない現在位置はなかなかどうして最適な距離だ。
しかし、しっかりと手をつないだまま話の尽きない様子で盛り上がっている様子の二人に、佳主馬は重苦しくなっている気がする腹の上でギリギリと拳を作った。
今更、おば達の呆れた声を思い出す。炎天下の中、近くもない距離をわざわざ歩いて何をしに来たのだろう、と自問する。そして、敢えて今の自分の情けない姿を見ないふりをして、佳主馬はバスが来るのをジリジリしながら待った。
「にしても・・・何話してんだろうな・・・?」
「さぁな・・・さすがにここからじゃ読めないな」
「佳主馬、お前ちょっと特攻かけてこいよ」
「なっ・・・!無理に決まってるだろ!」
なんであんな無駄にダメージを受ける空間に単身乗り込まなきゃいけないんだ、と適当なノリで促す侘助を腹立ち紛れに睨みつける。幸いにと言うべきか、面白がった風な大の大人が再度余計なことを言う前に、タイミング良く駅行きの直通バスがやってきた。
慌ててバス停に目を向けると、ちょうど健二が佐久間に荷物を渡しているところで。本当に、ちゃんと佐久間一人で帰るらしいことにほっとため息を吐いたのだが――吐いた先で呼吸が止まった。
「あ!」
「あ―・・・」
「――っ!!」
年長組が声を上げる中で、息もできずに見つめる先では、極々自然な仕草で佐久間が健二の額にキスを落としていた。
あれで恋人じゃないって・・・!
なんて悲鳴を上げる佳主馬の心情を知る由もなく、受けている側の健二も特に拒まずに、どころかほんのり頬を赤く染めて額を押さえている。
そしてその手を自分の唇に押し当てたかと思うと、さらりと佐久間の頬を撫でて――
「・・・・・・飛び出して行かなくていいのか?青少年」
「今出ていってどうするのさ。・・・・・・勝負は勝つためにするものだよ」
「なんだ、悔しくないのか、佳主馬?」
「当たり前だろ、悔しいよ」
それでも行かない。
自分達こそ決して笑まない目をしている41才の親戚が焚き付けようとするのをかわし、じっと遠くにいる二人を見つめた。ほんの少し、ずるい大人共の対応で目を離している内に、佐久間が乗り込んだらしいバスがゆっくりと遠ざかっていく。
――今はまだ、負けると解っている勝負に挑むほど・・・・・・あの場から無理矢理健二を引っ張って来るほどには取り乱していなかった。
短く切っているはずの爪が手のひらに食い込んでいようと、噛み締めた奥歯がギシリと嫌な音を立てていようと、今の自分は冷静であると断言できた。
そう、とっさにしたことといえば、ただ、心の中で力一杯叫ぶことくらいだ。
憧れの人と、初めて情を向けたあの人と、
手を繋いで、微笑を交し合い、尽きないほど喋って、あまつさえ、別れの挨拶に控えめながらも唇をもらうなんて。
う ら や ま し い ん だ よ !!
おわり
ひとこと>
なんて、実際には叫べない中学一年生でした。
誰にも届くことのない青少年の主張は、羨ましさ五割、恨めしさ三割、自分への不甲斐なさ1.5割、その他微量な佐久間や親戚たちへの暴言など。
しかしここおまで引っ張っておいてまさかの尻切れ・・・
書いた本人が一番びっくりしています。でも後悔してない←