美しきかな美しきかな

なんと美しき夜の女神よ

闇の空に我が物顔で君臨す

冷たき地の国の傍観者よ





賀宴:弐:





遠くから永倉や藤堂の様子を見ていた斎早は、実に楽しそうに目を細めて、当然の如く隣に座る総司に声を掛けた。


「・・・ねえ、総ちゃん」
「何ですかー?」
「いつも、あんな?」


あ、そういやさっきのヤツって誰だろー?
誘われるまま、つい軽く脅して飲み比べしてみたが、そういえば名前も知らなかったのだ。後で総司に聞けばいいのだが。折角やると表明してみたのだから、きっちりと退屈させられたお仕置きを遂行しなければ、と非常に傍迷惑なことを考えながら、彼の二人を眺めて総司に向き直る。


「あんなですよー。藤堂さんは絡んで脱いで抱きついて、」
「最終形態は?」


飲むごとに進化するらしい藤堂の乱れっぷりに、きっと素敵なオチがあると期待して目を輝かせながら先を促す。彼女の視線の先では、気持ち良さそうに寝ている藤堂の姿があった。


「お触り魔になって、人の背後をとり・・・・・・エビ反り固めをかけるんです」
「・・ぶっ・・・あははははははははは!!」


途中までは半笑いだった彼女だが、珍妙な仕上げを聞いて畳をバシバシと叩きながら笑い転げた。


「な、なんでエビ反り固め・・・!?」


どうやら笑いのツボを突いたようである。実際に実行している姿を想像したのだろうか。


「昔姉君に掛けられたのを実施で習得して、父親に極意を伝授されたそうで、酔っていて体はフラフラの筈なのにエビ反り固めだけは凄い力でかけるので、やられた人は大概気絶するみたいで。相手が気絶すると、藤堂さんも何故かその体勢のままぱったり寝ちゃうんですよ」
「・・・っんで、痛いのは、嫌だし、さっさと潰そう・・・って?」


まだ笑いの余韻を引き摺って途切れ途切れに息継ぎしながら、半分確信の元に問うと、総司は実に爽やかな笑みで頷いた。恐らく、彼はその技を掛けられたことはないのだろう。全くの他人事扱いである。


「ええ。最終形態に入る前の段階で潰せば無害なので」


涼風だ。ここだけ迫力のある春風が吹いている。まだ今年は北風も吹いていないのに。
斎早は珍しい酒乱ぶりを発揮する前に、見事な手際で潰してしまった永倉を思い返し、そういった世話役は主に彼がしているのだろうと見当を付けた。それは多分間違っていない。
なんにしても、回避方法を修得しているのなら、自分がそれを見る機会は少ないように思えた。・・・非常に残念ながら。








ゴーン・・・と遠くに控えめな鐘の音が聞こえる。大体亥の刻の鐘だろう。
もう二刻以上も飲み続けている割にはまだ半分しか潰れている者もいなかったが、その酔いっぷりはふんどし一丁で踊りだす者までいるほどだった。


「・・・そろそろ、オイシイ酒が飲みたいのよねぇ・・・」


ちろり、愁いを帯びた視線で先程自分が七割方のみ干した酒瓶を見て溜息をつく。余程口に合わなかったらしい。

何となく斎早の次の行動が読めた総司は、若干離れた位置に居た土方や近藤達の居る方へ湯呑みと急須を持って行き、そっと宴の場を離れた。
鼻歌を歌いながら出て行く彼を見送った土方は、やけに楽しそうな姿につい眉を顰める。

こういう時総司が避難したら、碌なことが起らねぇ・・・
しかも、碌でも無い事を起こしそうな火の元(新参者)がさっきから妙に退屈そうなのが、嫌な予感を更に煽っている。総司には経験則が、斎早からは動物的本能が酒に侵されていない思考に警鐘を鳴らしている。土方は既に眠ってしまった近藤を置いて、総司と自分の分の湯呑みと急須を持ってじりじりと彼女から離れた。

その彼女は、そんな姿を見図らったように、彼が一定の距離を取ると同時に先程の飲み比べをしたあたりにどっかりと胡坐をかいて座りなおし、十数人が残っている室内をぐるりと見渡して、言った。
今朝も薄ら寒く耳を打った、よく通る声で。


「ちょっとぉ。ここのヤツらは剣術だけじゃなく酒まで弱いわけ?楽しく酒で女を酔わせられない男なんてサイテーよぉ」


アンタが強すぎなんだよ・・・!
やや呆れ混じりの、しかし決して捨て置けぬ挑発の言葉であったが、それでも打って響くようには乗れない、ついさっきの飲み比べを見物していた男たちの心の声である。
酔わせて欲しいならもうちょっと酒に反応する体になってくれと切実に訴えたい。
だがしかし。でもしかし。見え透いていても、己を侮る言葉に乗らずにはいられない、喧嘩ッ早い男の性か。


「よっしゃ!そこまで言うなら潰してやるぜ!」
「ぶっ壊れるまで飲ませてやる!」
「後でヒイヒイ泣いても知らねぇからな!」


心持ち、言っている本人が泣きそうな者も中にはいたが、それでも気合は十分である。例え腰が引けていてもそれを見せてはならないのが侍だ。
まんまと男たちが乗ってきて、口汚く己を必死に鼓舞して集まってくるのを見やり、彼女はにやりと笑みを作って手近な者に並々と酒を注いだ湯呑みを押し付け、また一言。

「どうせ言うんだったらもっと独創的で面白いことを言いなさいよねー・・・汚れた脳味噌じゃ無理なのかな」

人間ではなく臓器扱いである。
そんなことをしていると、突然襖がガラッと開けられて、片手に大き目の湯呑みが数個乗った盆、もう片手に先程と同じ酒の一升瓶を三本持った総司が、実に爽やかな笑顔で入ってきた。
そしてのたまった。


「皆さん、一応武士の端くれですし、一対一が常識ですよねv」


つまり、全員同時に飲み始めて争え卑怯者共が、と暗に突きつけているのである。某道場との大喧嘩を多対三で生き延びた男の言うことではない。この場合、生き延びたのは少数精鋭の方だったのだが、突っ込みたくても反論は許されない笑顔だった。
なんとなく空気が冷たい。もうすぐ冬だからだろうか。

総司は一升瓶と盆をどんどんっと輪の真ん中に置いて湯呑みを全員に押し付け、有無を言わせぬままに酒を注ぎだす。そうして全員に嗾けておいて、彼自身はするっとその場を離れてしまった。
しかも、それだけじゃない。


「さぁ、皆さんの男気を存分に発揮するときです!ほら、一気一気♪


と手拍子まで打ち始めた。

何度も言うが、余程の酒豪でも七割が限界といわれる、度の強い酒である。そんなことは誰もが承知な筈なのに、一気の手拍子は声量と人員を増して、顔色を無くす飲み比べ参加者の背中をげしげしと蹴りつける。

鬼だ・・・鬼がいる・・・!

湯呑みを持ちながらそう思うも、試衛館一と思われる総司に対し、口に出して言えるわけが無い。
何より、明日の稽古が恐い。
場の展開とは大概無情なもので、彼らがぐずぐずと迷っている間に、囃し立てる男たちからオォ――!という感嘆の声が上がり、総司が箸で湯呑みの淵を叩きながら宣言した。


「早さん一着―!」


あれ飲み比べって早さを競うんでしたっけ。
そう問いかけたくなるのは酔いというより寧ろ現実逃避したい願いゆえである。


「あら、まだ飲んでないの?」


散々人罵って強気に発言していたくせに、たわ言だったわけだ?と明らかに馬鹿にした様子で、キュ――っと一気に飲んだらしい彼女は、ふふんと鼻で笑って次の酒を注ぎ始めている。

まさかあの杯に入れたら水に変わるんじゃないのか!?と馬鹿げた疑いまで掛けてみていると、彼女は殆ど間を空けずに湯呑みに口を付けた。酒瓶の中身が怒涛の勢いで減っていくのを受けて、周囲の野次が次第に口をつけない者共への罵倒に変わっていく。

「怖気づいてんじゃねぇよ××野郎!」だの「飲めないなら引っ込め×××!」
だのである。決定的なのは、


「飲まないわけ?自分たちが言い出したくせに腑抜けてんのねぇ。男の性別、返上したら?」


という三杯目に入った斎早の言葉だった。その手にはどこから出したのか分厚い肉切り包丁が握られている。

ヤバイ、ちょん切られる・・・!

文字通り貞操の危機。迫り来る死活問題に、意を決した男たちはごくりと喉を鳴らして唾を飲み込み、目で合図を交し合って一斉に湯呑みに口をつけた。液体が喉を通った途端、噎せ返るような熱さが喉を焼いたが、構っていられない。沸き立つ周囲を他所に、彼らは男の象徴を守るために必死であった。

漸く勝負酒を呷りだした彼らに、自然と観戦者たちの一気の掛け声も一層高く大きくなっていった――











半刻後。
高い鼾と苦しそうな呻り声の多重奏が、広間の中にけたたましく満ちていた。宴会場の中では、飲みすぎで屍と化した男たちが骨の関節を完全に無視した格好で折り重なり絡まりあって転がっている。その顔や体には数々の落書きが施されており、その墨の色は宣言通りえらく濃かった。
無論、そんな作品を作り上げたのは、男たちの自尊心を引っかいて煽り立てた張本人たちである。

冬が近い所為か空気が酷く冷たかったが、酒の臭気を飛ばすために障子はされており、じりじりと油が燃える音が、屍の奏でる多重奏の間を縫うように室内に細く漂った。

先程までの異様な盛り上がりの熱は夜気と共に鎮静化し、数少ない生き残りがのんびりと帳場から引っ張り出してきた酒を味わっている。
騒々しい飲み比べの勝者も、その中の一人として当然のように酒瓶を確保し、朱塗りの盃に手酌で飲んでいた。その酒の銘は『幻』。その名の通り、上方の方でしか滅多に手に入らない上等酒である。

あっという間に潰してしまった男たちに手酷く、傍から見れば面白おかしく罰を与えた後、彼女はいつの間にか持ち出した酒瓶を手に、障子の縁にもたれるようにして腰を下ろし、外を眺めながら飲み始めたのだ。

斎早が鼻歌交じりに施していく愉快な罰を傍で楽しく見ていた総司は、音も無く部屋を立ち去り、気配なく帰ってきた時の彼女の存在感の冷ややかさに驚いた。

賑やかな空気に溶け込んでいた、柔らかで暖かかった気配は一切無くなっており、どこか近づき難い雰囲気を取り巻いて彼女は現れたのだ。


「・・・得体の知れねぇ・・・」


飲み比べの騒ぎから何とか逃れていた土方は、そんな彼女を見やって低く本音を零した。人格からして違うのではないかと思える変わり様は、今朝から今までに見せていた面が偽りであったのかと疑わせる程のものであった。


「でも、もううちの食客ですよ」


彼女の纏う静寂を決して乱さぬように、土方の傍らに居た総司はそっと囁いた。
そうして斎早を見ていると、彼女の持つ静けさが自分をも包み込み、男たちの鳴らす騒音が耳元から首の後ろまで遠ざかって、代わりにじりじりと油の燃える音や外の虫の声が近づいてきた。

この世から少し離れて、生きている自分をもう一人の自分が客観的に眺めている錯覚。

彼女は口元に解けるような笑みを浮かべているが、遠くを見つめる目は鋭く細められている。
凍えた視線の先を辿ってみると、そこには夜の闇ではなく、煌々と輝く巨きな満月が、白い孔に似てぽっかりと宙に浮かんでいた。






前項

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