昼も夜も朝も無く

笑い泣き怒り、時に悲しみ

四種の感傷以上のものを共有する

常ならず、されど狂ならず

常ならず、されど奇ならず




賀宴:壱:



良い月夜であった。

時は戌の刻。油も値が張るこの時世に、夜中まで明かりを灯すのは勉学に励むお医者か色町の花達か己の富を狙う策略家くらいなもので、大概の人々は日が暮れて灯りが必要になる刻限になると眠りにつき、夜明け近くの鐘の音と共に起き出すのである。

この武州の辺りでは農家の百姓が多く、灯りのための油代が馬鹿にならないからというのもあるが。

そんな眠りに沈む夜の村の事情も、他所様の睡眠も知ったことではないとばかりに、道場の母屋の襖をぶち抜いて即席の大広間を作り、普段はうるさ型の近藤の義母や師範を言いくるめ離れに移して、という周到ぶりで歓迎の宴は催された。

やんややんやの声が満ち、酔った男共の踊る影が明るい障子に映し出る。折角だから乾杯の音頭でも、などと言い出す洒落者など、無頼者たちの集まりの中にはいやしない。発起人の原田などは、既に着物の上半身を脱いで昔の切腹の傷跡に腹芸の仕込を始めている。

結局は皆、旨い酒が飲める機会が欲しかっただけなのだ。
そしてそれを今更咎める者も居ないし、歓迎される側の新参者も、開け放した障子の縁に凭れて座り、のんびりとこの状況を面白そうに眺めて楽しんでいた。


「すいません、早さん。いつもこんな調子で・・・」
「謝ることなんかないわよぅ、総ちゃん。どこもこんなもんでしょ」


どこも、ということは、色々な道場を渡り歩いてきたのだろうか。

大き目の急須と大き目の湯飲みを持参して斎早の向かい側に座った総司は、湧き上がった疑問を噛んで砕いてそのまま飲み下した。最初に啖呵を切った時、彼女は確かに「入門希望」だと言ったのだ。風のように現れたのと同様に風に乗って去ってしまう事は無いはずである。

会ってまだ間もないのに、もう別れを惜しむ程気を許している自分に、一つ小さく笑ってしまう。それ程、彼女は強烈な個性を持った魅力的な女性だった。


「ぉおい睦木さんよぉ、飲み比べしようぜ!イケる口だろ?」
「いいわよぉ〜?あんたの胃袋が桶程度じゃないならね★楽しむまでも無く潰れるようなら××を×××で×××した後上半身だけ裸に剥いてこぉーく磨った墨で楽しく落書きしてア・ゲ・ルv」


発する言葉の端々に多分の毒が含まれているが。
それも、自分に向けられず眺めているだけのものなら素敵な毒である。

徳利とお猪口を確保してちびちび飲んでいた斎早に挑んだ男は、男の間では頻出する単語が女の口から極自然に発されたのに面食らい、繰り出される“楽しめなかった時の罰”に紅くなった顔を青くして、また紅くなって怒鳴りだした。曰く、


「ありったけの酒持って来いッ!意地でも潰して××してやる!!」
「可愛らしい意地が豆腐より柔らかくなかったらいいわねぇ・・・そういえば噂によると、飲みすぎた体だったら勃たないらしいわよ。勃ってもイけないとか」


マジでか。

既に一刻近く呑み続けている男達は、ガキッと岩の如く硬直し、彼女の言葉を反芻して自分の下半身を恐る恐る見下ろした。もしかすると今既に××(言葉にしたくない)になっているのかもしれない。
が、興に乗って酒を取りに行き、幸運にも彼女の言葉を聴かなかった者達が、大き目の湯飲みと一升瓶を一組ずつ二人の前へ容赦なく並べていく。
猪口なんて可愛らしい物で済ますつもりは誰にも無いのである。


「〜〜〜〜ッしゃぁ!こうなったらトコトン飲むぞ!」


後に退けない状況で顔を出すのは、大概やけくその根性である。若干引け腰になった男を横目に、斎早は早速自分の湯呑みに酒を注ぎ始めている。勝負を持ちかけられた時は男相手に揶揄いすらしていたのに、いざその時となるとまるで眼中に無い様子だ。

彼女はただの飲み比べの割には悲愴な決意を固めた男に見向きもせずに、並々と注いだ酒の臭いをくん、と軽く嗅いで柳眉を顰めた。


「・・・結構、安物?」
「文句があるなら飲むなッ」


かなり不服そうな斎早の呟きに、くわっと牙を剥いたのは土方である。彼は近藤の横で飲み比べの様子を眺めていたが、今にも潰れそうな近藤を他所に、その手に持っているのは総司と同じくお茶が入った湯呑みであった。

こういう事が毎度起る宴会で、一々高価い上物の酒など出していられない。美味い酒は味わって飲むものなのに、宴の序盤で出してしまうと野郎共は馬並みに飲むのである。家計に着いた火を煽るのは目に見えている。

本当の上物は、宴の最後の野獣共が潰れた後に饗されるのだ。

ほんのりとこの道場の財政面を感じ取った彼女は、取り敢えず始めの一杯を一息に干してから、ゆるりと臨時改造された広間を眺め、無言で機械的に酒を注いですいすいと飲み干していく。

要は、上物が出るように男共を潰してしまえばいいのである。

彼女にとっては極当たり前に弾き出された結論を実行しているだけだったのだが、その行動に青くなったのは逆に周囲の方で


「おいおい、あんた・・・水じゃねぇんだぞ?」
「だって味わうほどの味じゃないし。・・・飲み比べなんでしょ?」


あっという間に一升瓶の半分を飲み干してしまった彼女は、顔色を悪くしながら三分の一ほどを漸く飲んだ相手の瓶を見て、フンッと鼻で笑う。そしてまた一杯、喉を鳴らして流し込んだ。

勝負に使っているのは、味は良くないがやたらと強い酒で、どんな酒豪でも七割か八割飲めればいい方、という無駄に暴力的なものである。
その半分を飲んでも顔色も変わらない彼女の体がある意味異常と言えるのだが、笑われた方は黙っちゃいられない。
相手の男は既に顔を真っ赤にしていたが、それでも負けじと瓶の口を引っ掴み、そのままぐいっと煽り始めたのだ。焦ったのはやはり周囲の方である


「おいこらっ、一気は止めとけって!」
「死んじまうぞ!?」


とかなんとか制止の言葉を掛け、男から瓶を引き剥がそうとするが、強情に酒瓶を守りながら一気に半分まで煽ってしまった彼は、赤かった顔を青くして少し軽くなった瓶をどっかり置いた。えらく顔色の変化が激しい日である。

げっふーと吐いた息は思わず顔を背けたくなるほど酒臭く、こみ上げる胃袋の中身を何度も飲み込むような仕草が続き、周囲の人間は思わず身を引いたが、


「・・・ここで吐かれたら厄介だ。誰か厠に連れて行け」


鶴ならぬ、鬼の一声。

宴の鉄則として、飲酒後の粗相は厳禁なのである。

顔色すら変えずに七分目まで飲んでいる斎早の一升瓶を見止め、もう勝負はついたと土方が声を掛けた。吐く前の予防、というより、厠へ引き摺って行って吐かせてしまえということである。何せ明日も変わらず稽古があるのだ。酒が残って二日酔いになって稽古を休むなど彼にとっては言語道断なことであった。






「あら、もう終わり?」


カチッ。爪で湯呑みの縁を弾き、挑発した元凶が飲む手を止めて、対戦相手ではなく仲裁役に対してニヤリと笑う。酒の味に飽きたのか、それとも面倒になったのか。何にしても途中で止められることを彼女は予想していたようだ。

彼女はちらりと引き摺られていく男を見やり、思わず見ている者が逃げ出したくなるような、性質の悪い笑みを浮かべた。
自分たちも騒ぎながら成り行きを見守っていた連中は、その場の流れで見てしまったその顔に、思わず座ったまま後退る。

恐ッ!こわい!こーわーいッ!ナニかが背筋を這い上がるぅ!!

一同の心の中の雄叫びであった。それぞれ多少の誤差はあれど、心臓を逆手で撫でられるような恐怖心を感じて叫んでいた。心の中で。


「お仕置きは決定かァ・・・可哀想に」


原田の腹踊りを楽しみ囃し立てつつ、彼女らの飲み比べを遠くで見物していた永倉は、ホロリと出てもいない涙を拭う仕草をする。大抵の人の不幸は笑って見物できる彼であったが、つい同情してしまうほど、彼女の罰は後半は兎も角前半は凄く痛そうだったのだ。男として。

小さく溜息を吐いた永倉の背中に、酒臭い息と一緒にずっしりと誰かが重く圧し掛かってきた。


「おしおきィ?って誰のだよぉ」


大分飲みすぎていると解る藤堂である。かなりマズイ顔色なのだが、それでも彼は酒瓶を離さずに自分の杯を振り回している。


「平助・・・お前そんな強くねぇんだからあんま飲むなよ」
「らぁーいじょーぶらって」
「・・・呂律が回ってない時点で大丈夫じゃねぇって。・・・まぁいいか」


どうせ藤堂は次の日に酒も記憶も残らない方である。不思議なことにどれだけ飲んでも睡眠をとれば朝にはぴんぴんしているのだ。どうせならとっとと潰してしまった方が絡まれるより楽なのである。


「ほぉーら、飲め飲めー」


先程止めたばかりだというのに、今度は藤堂の杯にドプドプと酒を注ぎいれ、「美味そうだぜぇ〜」だの「イヨっ男前!」だの意味なく囃し立ててぐいぐい飲ませ始めた。
遂には先程の勝負に使われた湯呑みを取ってきて、それに並々注いでは「一気、一気!」と手拍子まで打ち出す。

周りはと言うと心得たもので、いつものことだと止めるどころか嬉々として酒を用意し何故か藤堂を囲んで踊りだすものだから、興に乗った藤堂は面白いくらいに引っかかって飲み続け飲み干し、


「まだ飲めるぞー!」


と叫んでぶっ倒れたのだった。



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