水簾垂れ




 目が覚めて、薄暗い部屋に射し込む、重いカーテンの隙間からの光に気づいて窓を開けると、そこには抜けるような青い空があった。

 刺すような暑い日差しは弱まり、憂鬱な湿気はカラリと乾いた空気に変わって、程よい暖かさが気持ち良かった。

 のんびりと、呼吸する毎に軽い空気が肺に溶けていくような感じを満喫し、パジャマからTシャツとズボンに手早く着替えて、隣でまだ眠っていた快斗をおいて部屋を出た。

 一階に下りて、サンダルを履いて庭に出て、すっかり桃色から緑に彩りを変えた桜の葉に触れた。

 青々とした葉は、長い間晴れでも雨でもなかった所為か、少し乾いていて。


「・・・水が欲しいか?」


と彼が樹に問い掛けるように言うと、それを肯定するように、小さな風が吹いて、葉がかさかさと擦れた。彼はゆったりと微笑んで、一時その場を離れた。








 サァァァ・・・と外から水音が聞える。雨でも降っているのだろうか。その割には、体にかかる空気が軽い。それに、昨日の天気予報によると、立派なお日様のマークしかついていなかったはずだ。

 そんな事をつらつら考えて、隣にあるはずの温もりがないに気づいて、快斗は目を覚ました。

 内に新一の気配はない。カーテンが引かれているのを見る限り、寝坊助の彼にしては珍しく、先に起きたようだ。

 起こしてくれればいいのに・・・と思ったが、窓の向こうの目に沁みるほど蒼い空を見て、そんな気分も吹き飛んだ。

 清々しい青空に目を細め、とりあえずシャワーを浴びようと、ベットから下り、手早く着替えを用意して部屋を出た。







 一階に下りると、やはり先程疑問に思った水音がした。それは、庭の方から聞えてくる。

 一度リビングに出て庭の方を見ると、愛しい恋人が、これまた珍しく樹々や花々に水やりをしていた。青いホースの口を握り、高い角度で水を出していて、細い糸のようになっているから、雨だと勘違いしたのだろう。

 新一に水をあげられている緑は生き返ったように青々と鮮やかになっている。そういえば、少しの間、水をやるのを忘れていたのだった。

 鼻歌でも唄い出しそうな程楽しそうに、新一は庭中を移動しながら、日差しに反射してキラキラ光る水を撒いていく。

 ふと、彼の目が水にいったかと思いきや、新一は軽く、ホースの口を握ったまま上に向けた。今まで樹々に降っていた水が、新一に降り注ぐ。

 細かい水の粒が、薄い簾垂れになって、彼に降りた。

 サァァァ・・・と降りる水を、新一は気持ち良さそうに微笑んで、顔を上向かせて受け止める。水撒きは水浴びに変更ですか、工藤さん。と言いたかったのだが、その光景を見て、快斗の思考は一時停止した。

 ドクン、と身体の奥が疼いた。

 しっとりと濡れた黒髪の毛先からは水が滴って肩に落ち、白い項を滑る。上を向いた目は閉じられていて、長い睫毛も透明の水に濡れている。

 微笑みを細くてしなやかな肢体の線がくっきりとしているて、その上、胸の突起は薄いシャツに微かに浮かび上がっていて―


 ・・・・・・・・・・・・


 ビシッとただでさえ危うい理性に、亀裂が走った。








 ホースを上に向けたのは、なんとなくだった。ハッキリとした理由はこれといってなく、見る見るうちに潤いを取り戻した緑に、気持ち良さそうだな、と思ったのだ。

 ぎゅっと強く握ったホースの口の狭間からは、細雨のような小さな水の粒が宙を舞い、ゆっくりと空に散って、新一の体に降りてくる。新一は、始めは目を開けていたが、太陽の輝きに乱反射する光が眩しくて、つい目を閉じた。

 先程までは明るかった視界に、目が閉じた事でできるささやかな暗が生じる。それでも、瞼の裏に焼き付いた日光はやはりまだ明るく、しかし刺すほどの強さもなく、

 新一は心地良さに、小さく微笑んだ。

 髪が重い。服が張り付いて、後で着替えなければならない。水はさらさらと冷たい。出てくる自分自身に対する愚痴に、新一は内心苦笑した。

 ふと目を開けて、前髪を掻き揚げると・・・そこには、先程まで寝ているものと思っていた快斗が立っていた。


「おはよう、快斗」


 自分でも珍しいなと思いながら、新一は未だにパジャマ姿の快斗に微笑んで、先に挨拶をする。こんなこと、滅多にしないのだが。


「・・・・・・おはよ」


 対する快斗は、目を大きく開いて顔を真っ赤しに、ついでに言うと声は妙に掠れていた。そこで、どこか具合でも・・・と考えてしまうのは、新一が新一たる所以だろう。


「どうかしたか?風邪でも・・・・・・」


と言いつつ、ハッキリ言ってこの世にまたといない美人な羊が、既に狼化しているとも知らないで寝起きの快斗に一歩近づくと・・・


「――っ、しんいちっ!!」


 名前を呼ばれ、瞬時に移動してきた快斗に突然掻き抱かれた。慌てて逃れようと思っても、深く抱き込まれていて身動きが取れない。それ以前に、彼らの力の差は歴然としている。


「って、快斗!濡れる・・・っ!」


 怒鳴る新一の顎を捕まえて上を向かせ、快斗は半ば噛み付くように彼に口接けた。

 突然の快斗の行動に困惑しながら、新一は懸命に逃れようとするが、それは所詮無駄な事で、力が抜けていく体を支えるために、結局は快斗の腕に縋りついた。

 パシャン、と水音が立った。水が盛大に溢れているホースが落ちて、うねりながら冷たい水を吹き散らす。


「・・・んっ・・・ふ、ぅ・・・・・・


 朝の「おはよう」の挨拶にしては余りにも熱烈なキスに、新一の息も上がり、甘い声が漏れ出した。仕舞いには息が苦しくなってきて、何とか力が入りそうな右手で、縋り付いていた快斗の左腕を抓る。


「ぃいっ・・・・・・・!!?」


 驚きと突然の痛みに、快斗は思わず唇を離して涙目になり、抓られた腕を大袈裟に擦った。


「〜〜新ちゃんイタイ〜〜〜っ」

「自業自得だっ!そこでしばらくそうしてろ!!」


と新一は耳まで真っ赤にして怒鳴ってから、蛇口を閉じでドカドカと家に入って行った。

 当然、快斗がそれに従うはずもなく、少し間を取ってたら嬉々として新一の後を追い、濡れたシャツを洗濯機の中に放り込んでいる新一に後ろから抱き付いた。


「し〜〜んいちっ!!」

「うわっ!こら、快斗!離れろって!」


 当然の如く、驚いた新一は快斗を剥がそうと必死でもがくが、力で敵うわけがなく。


「い〜〜〜や〜〜〜〜〜〜〜!」


 すでに駄々を捏ねる子供の状態になってしまっている快斗は、離すまいと上半身を晒している新一の体に腕を巻き付けてぎゅうぎゅうと抱き締め、その上、抱き締める腕は緩めずに、手は素肌を妖しくさまよっている。


「っ・・・快斗!風呂入るんだから離せって!」


 腹から胸元に移動する快斗の手に、小さく反応しながら、べしべしと快斗の手を叩いて叫ぶ。


「どうせなら一緒に入ろう♪」


 ぎゅむっドカッ!


「っっ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!」

「調子に乗り過ぎだっ!バ快斗!」


 バンッ!ガチャッ。


 お馬鹿な一言に、足を踏みつけて快斗を脱衣所から蹴り出し、さらに怒鳴って勢い良くドアを閉め、更に鍵を掛け――溜め息を吐く。


「なんだってアイツは朝っぱらから・・・」


そう呟く自分が真っ赤になっていることを、新一は知らない。





 そして、ガッチリと鍵を掛けた浴室に快斗が侵入して、早朝の屋敷に近所まで聞えそうな怒声が轟くのは、数分後のことである。




END

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