流水の予感







  例えば。


 君に向かい、銃が咆哮を上げる。

 そして、君がその放たれた弾丸に貫かれても

 俺は君の生を疑わないだろう。

 傷口から、いくら深紅が流れ出ようと

 どれだけ命の水が、溢れてしまおうと

 俺は、もう一度、君の笑顔を見ることを望むだろう


  例えば。


 君の心臓が、小さな音も立てなくなって、

 君の体が冷たくなって

 何も感じなくなって

 瞳に、何も映らなくなっても

 確たる証拠があったとしても

 俺は君の死を受け入れる事は出来ない。

 俺は、この卑小な命をかけて、きっと否定し続けるだろう。





 ――笑って、ください。














 考えたくないことを、時々考える。その度に、何も見えなくなりそうになる。


「なぁ、死にたいって思った事あるか?」


 目の前で自分にしては甘いコーヒーを飲む自称・恋人に聞いてみた。

 彼は見ていた雑誌から目を放し、


「何って?新一」


と聞き返してくる。どうやら聞えていなかったらしい。どんなものを見ていても、大抵は自分を意識している快斗にしては、珍しい。


「いいや。・・・なんか面白い事でも載ってるのか?」


 雑誌を指して言うと、ニヤリと楽しそうに笑って「ちょぉっとね〜」と答える。

 怪しい。またなにか企んでいるのか、それともKIDの仕事の楽しい仕掛けのネタでもあったのか。


「新一〜〜v」


とじゃれついてくるには、多分何事かの思惑があるのだろう。快斗の好きにさせておいて、どこからか来る嫌な予感に考えを巡らせる。

 それは、以前から頻繁に訪れる予感だ。背筋を走る悪寒にも似ている。それそのもの、なのかもしれないが。


「・・・新一〜?」


 訝しんで顔を覗き込んでくる快斗に、なんでもない、と言って微笑んだ。一瞬目を見開いて、コツンと快斗は額に額をくっつけて、


「「なんでもない」って言うような顔じゃないよ?」


と見つめてきた。


「・・・・・・何を言おうとしたの?」


 優しく、優しく語り掛けられる、声。それは何かの暗示にも似ていて、不思議と安心できる。―もう一度言えば、きっと答えてくれるだろう。

 その前に、驚いて、心配するかもしれない。

 不安なのか。恐怖なのか。それとも、浅ましくそれを期待しているのか。どろどろした感情が溢れるのを、止めようにも止められない。でも、きっとその時は・・・






「・・・死にたいって、思った事あるか?」



 ほんの少しの逡巡のあと、するりと滑り出た先程と同じ質問。隣に座る快斗を正面から見据えて、厭な感情に蓋をするために、薄く微笑んで、すぐに目を逸らした。


「・・・・・・恐い事でも、あった?」


 快斗はやはり驚いた顔をして、包み込むように、優しく抱き締めてくれる。その背に手を回して、何度も何度も、首を振った。

 恐い事。恐怖はいつでも自分の身を襲う。

 自分の安否、ではない。そんなことより、傍に居る者を失う「予感」への恐怖の方が耐え難かった。




 恐いといえば、これ程恐い事はないだろう。嫌な夢に何度も目を覚まして、そこに佇む闇は、眠りを守るのではなく、寧ろ毎晩の夢を無意識に追う切っ掛けとなった。

 見るのはたったワンシーンだ。自分の目の前で、深紅に浸る白い鳥。自分は、それに手を伸ばす前に、その夢から追い出されてしまう。

 縋って泣こうなどという女々しい事は思わない。ただ、ほんの少しでいいから―触れたいだけで。

 一緒にいてくれる。隣で、自分に笑いかけてくれる。その彼が死んでしまう夢。

 そして、それは現実に有り得る事なのだ。


「・・・・・・・新一」

「・・・・・・・・・・・」


 快斗の肩に頬を乗せて、彼の声に耳を傾ける。囁かれる自分の名前に、沸き上がるのは俄かの後悔だけだ。

 自分の不安を、快斗に持たせても意味はないのに。

 自分の荷物は自分で持ちたい。

 重荷になりたくない。

 どうせ一緒なら、どこまでも一緒に居たい。


「新一、大丈夫だよ」

「え・・・・・・・・」


 響いたのは、自分を落ち着かせるための言葉。


「俺は、新一を裏切らない」

「・・・・・・・・・」

「嫌って言われたって離れたくない。先の事なんか分からないけど、でも新一に辛い想いはさせたくないんだ」


 体を離して、贈られる啄ばむようなキス。彼の唇は、快斗用に甘く煎れられたコーヒーの、やっぱり甘い味がした。

 少しだけ、落ち着きを取り戻す。どろどろした醜い感情が引いて、止まない熱が奥に灯った。


「・・・新一は?俺といたくない?」

 また覗き込まれる。よく似ていると言われるけれど、全く似ていない顔がすぐ目の前にある。いつも惹き込まれるのは、その、沢山の謎を湛えた黒石の目だ。


「・・・・・・一緒に、いて欲しいんだ」


 じっと見つめて小声で言った。

 聞えて欲しい気持ちが半分、聞き逃して欲しい気持ちが半分。

 でも、この至近距離では後者はありえない。


 ・・・自分が今、どんな顔をしているかなんて、考えたくもない。


「新一〜〜〜〜v」


 案の定、目を輝かせた快斗が思い切り抱き着いてきて、慌てる暇もなく、息もつけないような口付けをされた。その後にも顔中に軽いキスを降らせてくる。


「っ〜〜〜こらっ!やめろって!」

「え〜なんで〜〜?」


 途中で体を引き剥がすと、快斗は不満そうに上目遣いでこちらを見てきた。

 だって、まだお礼を言っていない。

 溶かされて、軽くなった心。恐ろしい、いつくるか知れない幻想を、はっきりと自分に見せた恐ろしい夢。そんな日はこないで欲しいと願っていても、不安は尽きない。

 そして、悶々と考えて、打ち明けて・・・また、救ってもらったのだ。



「・・・ありがとな」



 泣き笑いになったかもしれない。ちゃんと笑えていたのか自信がないが、それでも言いたくて。どこまでも優しい視線を送る彼に、触れるだけのキスを贈った。





 夢はただの夢。自分の前には、確固とした現実が、人の歪んだ想いと混沌としたカオスの中に立っているのだ。


 夢は、また見るだろうけど。もう、今みたいに沈んでしまうことは、きっとない。


 支えてくれる人がいるから。







 その数瞬後、新一が感激した快斗にソファに押し倒されたかは・・・神のみぞ知ることだ。

end



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