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●なんで金魚って名前になったの?
金魚の学名Carassius auratus(カラッシウス アウラトゥス)は、「黄金の色をしたフナ」という意味なんだって。
英語ではGold Fish、中国語では金魚(チンユゥイ)で、やっぱり金色が強調されてるよ。
でも、金色の金魚って見たことなくない?
これは多分、金魚の体がただ赤いだけでなく、光を受けると黄金のようにきらめくことに注目したからだろうってどこぞのおっさんが言ってました(笑)
金魚に最初に学名をつけたのはスウェーデンの博物学者リンネで、金魚をコイの仲間と見なした彼は、Cyprinus aurantus(キプリナス アウラトウス)「黄金の色をしたコイ」と名付けました♪
っつうか、こういうの説明してる俺ってかっこよくねぇ?(笑)
●金魚の歴史&産地
日本は金魚の輸出国としても知られてるんだけど、もともと金魚は中国生まれ。
んじゃ、いつ日本に来たんだろ?
大昔から生きている長老様の話だと、室町時代末期の文亀(ぶんき)二年(1502年)に第1号が堺の港に上陸したそうじゃ…
舶来品のすべてがそうであったように、金魚も最初は上流階級だけに許される超贅沢品だったなぁ…と長老様は、遠い杉のこずえに明るく光る星一つ見つけながらいいました(笑)
元禄時代(1688〜1709年)になると江戸の町にも金魚屋ができ、裕福な武士や商人達が競って高価な金魚を買い求めるようになったんだって。
贅沢禁止令に触れて金魚を没収される人まで出たんだって!!
100年後の文化年間には露天や町を売り歩く金魚売り(「きんぎょ〜え(や)〜、きんぎょ〜」って言って天秤棒をかついで金魚を売りに来る人ね♪※俺はやってねぇっつうの!)が珍しくなくなって、一般庶民も広く金魚を楽しめるようになったんだって♪よかったよかった♪
浮世絵に登場したり、着物の絵に描かれたりするようになったのもこのころからだって。
こうした大衆化を可能にしたのは、明和年間(1764〜1771年)あたりから、大和郡山(さぁ出ました♪我らが大和郡山♪ひゅ〜ひゅ〜♪)などで盛んになった養殖のおかげ♪
大和郡山の場合、領主の柳沢吉里が金魚の熱心な飼育家だったため、家臣や町民の間だに飼育が広まったっていうことらしい。
やがて、大和こり山の金魚商人が販売基地(※秘密基地じゃない)としていた愛知県弥富(やとみ)町も大きな産地になっていきました。
江戸の町には江戸川流域に大産地が出来ました。
こうした産地では、新品種を導入しての品種改良にも熱心で、トサキン・ジキン・ナンキンなどはこの時代に作られたと言われているんだって。
品種改良は明治に入ってからますます盛んになり、大和郡山・愛知県弥富・東京江戸川は三大産地として世界に知られるようになったのさ♪
もっとも最近は江戸川は都市化のため、埼玉県に養殖場が移りつつあるんだって。
(大和郡山は田舎なので、今後も移らないだろうという噂…(/_;)シクシク)
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