『映画ドラえもん のび太と空の理想郷』:2023、日本

22世紀、北極海。予定海域にワープアウトしたタイムパトロールの艦隊は、三日月型の目標を発見した。しかし直後に目標は消失し、艦隊の面々は困惑した。のび太は出木杉から、誰もが幸せに暮らせる理想郷のユートピアについて聞かされた。のび太は興奮するが、出木杉は小説に書かれた創作だと話す。落胆したのび太だが、大昔から世界中に理想郷の伝説があると知って「見つかっていないだけで、どこかにユートピアがあってもおかしくないない」と考えた。
テストで10点や0点を取ったのび太は、ママから「テストが返って来るんじゃなかった?」と訊かれて「返ってきてないよ」と嘘をついた。ドラえもんは秘密道具を整理し、使えなくなった物を四次元ゴミ袋に入れてリサイクルに出していた。のび太は「自分がやっておく」と申し出て、テスト用紙をゴミ袋に入れた。気付いたドラえもんから責められたのび太は、「僕をしっかりさせるのがドラえもんの役目じゃないか」と反発した。
裏山へ出掛けたのび太は、空に浮かぶ三日月型の島を目撃した。すぐに島は消えるが、のび太はユートピアだと確信する。帰宅したのび太はドラえもんに話し、ユートピアを飛行船で探しに行こうと持ち掛けた。ドラえもんがタイム新聞を調べると、三日月型の島の目撃情報は何度も記事になっていた。のび太はママに「スネ夫の家で勉強合宿をする」と嘘をつき、裏山にしずか、ジャイアン、スネ夫を集めた。のび太が家を出た直後、お天気雨が降り出した。
ドラえもんはタイムワープ機能付き飛行船のタイムツェッペリンを購入し、ロボット配達員は在庫の中古品が売れたのを喜んでオマケにインスタントひこうきセットを付けた。まずドラえもんたちは1972年のアフリカにタイムワープし、サバンナを捜索する。しかし三日月のマークが付いた気球が浮かんでいたので、次の場所へ向かう。1854年の日本近海で見つけたのは三日月型の雲で、その後も様々な時代の様々な場所を巡るがユートピアは無かった。
1632年のヨーロッパで休息を取っていたドラえもんたちは、空に浮かぶ三日月型の島を発見した。一行はタイムツェッペリンで接近するが、雨雲に飲み込まれた。タイムツェッペリンはソーニャが率いる部隊の雷攻撃を受けて炎上し、ドラえもんたちは意識を失った。一行が意識を取り戻すと、パラダピアと呼ばれる三日月型の島の施設にいた。ソーニャはパラダピアを悪者から守るのが自分たちの役目だと釈明し、記憶スキャナーを使ってドラえもんたちが悪者ではないことが分かったと告げた。
ソーニャはパーフェクトネコ型ロボットで、クリオネラという小型ロボットがパラダピア住民の生活をサポートしていた。のび太が「ここはテストも無いし、住んでる人がみんな優等生なんだよね」と尋ねると、ソーニャは「ここは争いも犯罪も無い、誰もが幸せに暮らせる世界」と答えて案内役を買って出た。パラダピアにはシンボルである人工太陽のパラダピアンライトがあり、日焼けや日射病を防ぐために本物の太陽はバリアーでコントロールしていた。
パラダピアの人口は約400人で、皆が穏やかにルールを守って生活している。大人は良く働き、子供は良く勉強している。そんなソーニャの説明を聞いたのび太は、「僕もここに生まれたかったなあ」と羨ましがった。ソーニャは「今からでも、ここに住めば誰でも彼らのようになりますよ」と言い、パラダピアには不思議な力があって勉強もスポーツも出来るパーフェクト小学生になれると語る。そらにソーニャはジャイアン、スネ夫、しずかに対しても、乱暴な性格や意地悪な性格、強情な性格が直ると告げた。「ここに住みたい。パーフェクト小学生になりたい」とのび太が希望すると、ソーニャはパラダピアを作ったご主人様に会わせると述べた。
損傷したタイムツェッペリンはパラダピアに収容されており、ソーニャはクリオネラに修理させていることをドラえもんたちに教えた。ソーニャは科学を司るサイ、政治を司るポーリー、文化芸術を司るカルチという三賢人の元へ行き、ドラえもんたちを紹介した。サイたちは「この世から争いを無くし、理想の世界を作るための研究をしているが、理解せずにパラダピアを破壊しようとする悪者がいる」と話し、のび太がパラダピアで暮らすことを歓迎した。しずかたちは家に帰りたがるが、「タイムツェッペリンで元の時間に戻ればいいよ」とのび太が言うので一緒に残ることにした。
三賢人はのび太たちにパラダピア住人の証であるバッジを渡し、最初は三日月だが心が綺麗になれば満ちて太陽になると説明した。のび太たちは学園へ案内され、学級委員のハンナや生徒の面々と会った。のび太たちは数学体育の授業に参加し、生徒の応援を受けた。ソーニャのバトロールに同行したドラえもんは、バリアーに触れると一時的に体が凍ることを知らされた。その夜、マリンバという女がパラダピアで怪しげな行動を取るが、誰も気付かなかった。
翌朝、のび太は寝坊して学園に遅刻しそうになるが、しずかたちが呼びに来た。授業中ものび太は居眠りするが、ジャイアンとスネ夫は前向きな態度で勉強に取り組んだ。ジャイアンとスネ夫は学力が向上するだけでなく、性格も丸くなった。のび太だけは全く変化が無く、三賢人は強い興味を示す。そんな三賢人の様子を、潜入したマリンバが密かに観察していた。ソーニャはドラえもんとのび太に、かつてはダメなロボットで捨てられたこと、三賢人に拾われてパーフェクトネコ型ロボットに改造してもらったことを語った。
深夜、ハンナは周囲の様子を確認し、マリンバに「誰もいません」と知らせた。尿意を催して目を覚ましたのび太は、銃を持つマリンバを目撃した。マリンバはソーニャに化けて三賢人を呼び出し、正体を見せて銃撃する。しかし駆け付けたドラえもんに阻止され、銃を落とす。のび太が銃を拾って発砲し、銃撃を浴びたマリンバはてんとう虫に変身した。マリンバは逃亡し、三賢人は残された通信機を破壊した。三賢人は「女の仲間が迫っている」と言い、緊急避難としてパラダピアを時空移動させた。
ドラえもんとのび太は三賢人から称賛され、すっかり上機嫌になった。ハンナと遭遇したのび太は、悪者をてんとう虫に変えて三賢人を救ったことを自慢した。話を聞いたハンナは「あの方は悪者なんかじゃありません。悪者は三賢人の方なんです」と言い、パラダピア住民は三賢人に騙されているのだと主張した。のび太の服に隠れていたマリンバが姿を見せると、ハンナは元に戻してほしいとドラえもんに頼む。ドラえもんはへんしんライトを出すが、旧型なのでマリンバは中途半端な状態にしか戻らなかった。
マリンバは多くの悪者を捕まえて来た未来の賞金稼ぎだと自慢し、ハンナの家族から救出の依頼で雇われたと話す。ハンナは22世紀の世界で家族と暮らしていたが、三賢人から「理想の自分になれる」と誘われて学園に来ていた。マリンバはドラえもんとのび太に、バッジの月が満ちるにつれて三賢人の言いなりになると教える。三賢人が研究しているのは、人を操る力だった。パラダピアライトを浴び続けると誰でも3人の言いなりになるため、それを知ったタイムパトロールが捕まえようとしていた。
マリンバの話を聞いたドラえもんは、人間を支配する光を研究していたレイ博士に関する記事を見つけた。22世紀で指名手配されたレイは、行方不明になっていた。ハンナは22世紀の特製キャンディーを食べ続けることで光の効果を打ち消し、自分の心を取り戻していた。彼女はマリンバに、自分だけでなく皆を助けてほしいと要請していた。マリンバは集めたエネルギーを融合する装置を発見するが、警備が厳重で破壊できなかった。そこで三賢人を退治し、問題を解決しようとしたのだ。
ドラえもんはタイムパトロールと連絡を取るため、のび太、マリンバと共にタイムツェッペリンへ忍び込んだ。飛行船は全く修理されていなかったが、ドラえもんは展望室から主導でタイムワープ弾を発射しようとする。しかしのび太のミスによって三賢人が侵入に気付き、ソーニャは捕まえるよう命じられて急行した。ドラえもんはタイムワープ弾を発射し、のび太&マリンバと共に逃走を図った。ソーニャが追って来ると、ドラえもんとのび太は三賢人の悪事を伝えて説得を試みた。ソーニャは一時的に心を取り戻したが、結局は三賢人の命令を受けて攻撃を仕掛けた。
ドラえもんが意識を取り戻すと、マリンバと共に三賢人の前で拘束されていた。ソーニャは三賢人に指示され、完全に心を操られたしずか&ジャイアン&スネ夫を連れて来た。三賢人はネオパラダピアンライトを完成させ、のび太の心を操った。ドラえもんから目的を問われた三賢人は、全世界をパラダピアと同じく平和にするための世界パラダピア計画だと答えた。最初の場所として三賢人が選んだのは、のび太が生まれ育った町だった…。

監督は堂山卓見、原作は藤子・F・不二雄、脚本は古沢良太、企画/監修は藤子プロ、チーフプロデューサーは吉田健司&中島進&八木征志、プロデューサーは小西佑平&勝山健晴&佐藤大真、絵コンテは堂山卓見、キャラクターデザイン/総作画監督は小林麻衣子、メカニックデザインは鈴木勤、プロップデザインは山下晃、演出は益山亮司&藤倉拓也&八木郁乃、色彩設計は木幡美雪、美術監督は竹田悠介&益城貴昌、3Dディレクターは奥川尚弥、撮影監督は末弘孝史、編集は小島俊彦、録音監督は田中章喜、音響効果は北田雅也、音楽は服部隆之、主題歌はNiziU『Paradaise』。
声の出演は水田わさび、大原めぐみ、かかずゆみ、木村昴、関智一、永瀬廉(King & Prince)、井上麻里奈、水瀬いのり、中尾隆聖、藤本美貴、山里亮太(南海キャンディーズ)、三石琴乃、松本保典、高木渉、萩野志保子、石井康嗣、園崎未恵、村瀬歩、松丸幸太郎、深田愛衣ら。


シリーズ第42作。監督は短編映画『げんばのじょう -玄蕃之丞-』の堂山卓見で、長編を手掛けるのは今回が初めて。
脚本は『寄生獣』シリーズや『コンフィデンスマンJP』シリーズの古沢良太。
ドラえもん役の水田わさび、のび太役の大原めぐみ、しずか役のかかずゆみ、ジャイアン役の木村昴、スネ夫役の関智一らは、TVシリーズのレギュラー声優陣。
ソーニャの声を永瀬廉(King & Prince)、マリンバを井上麻里奈、ハンナを水瀬いのり、レイを中尾隆聖、未来の配達ロボットを山里亮太(南海キャンディーズ)、パラダピアの先生を藤本美貴、ポーリーを石井康嗣、サイを園崎未恵、カルチを村瀬歩が担当している。

出木杉がのび太にユートピアのことを話す時には、「争いも競争も無く、飢えることも無い」と説明している。その後、のび太がソーニャに「ここはユートピアみたいな楽園なんだよね。ってことは、テストも無いし、住んでる人はみんな優等生なんだよね」と尋ねるシーンがある。
でも、そこで急に「テストも無いし」と言い出すのは変でしょ。
のび太は出木杉からユートピアの話を聞いた時、「だったらテストも無いし、行きたいなあ、そこで暮らしたいなあ」と妄想したわけではなかったんだから。
その後でテスト用紙を返されるシーンがあるが、ここでも「ユートピアならテストも無いのになあ」などと妄想することも無いし。

あと、「住んでる人はみんな優等生なんだよね」という質問は、もっと変だよ。そんなことは、出木杉の説明から全く導き出せない考えだ。
「争いも競争も無い」ってのと「優等生ばかり」ってのは、イコールで結ばれる事柄じゃないでしょ。
さらに言うと、のび太は「優等生になりたい」「優等生の仲間に入りたい」ということでユートピアに憧れたわけでもないでしょ。
それに、ユートピアに来たからって、のび太が急に優等生になれるわけでもないんだからさ。
むしろ、「優等生じゃなくても幸せに暮らせる」という部分に憧れや羨ましさを感じた方が、よっぽどのび太らしいんじゃないかと。

そんなのび太に対してソーニャは「ここは争いも犯罪も無い、誰もが幸せに暮らせる世界」と言うけど、完全に質問と答えがズレている。
「テストも無いのか」「みんな優等生なのか」という2つの質問に対し、どちらにも真正面から返答していない。
「わざとソーニャが返答を誤魔化した」という設定があるわけではないので、シンプルに会話劇としておかしいだけだ。
ちなみに、のび太が改めて質問しないのは「バカだから」ってことじゃなくて、単純にシナリオの都合だ。

ソーニャの「皆が穏やかにルールを守って生活している。大人は良く働き、子供は良く勉強している」という説明を聞いたのび太が「僕もここに生まれたかったなあ」と羨ましがるのは、とても不可解だ。
のび太は「良く勉強する子供」になりたいわけでも、「良く働く大人」になりたいわけでもないはず。
のび太の性格を考えると、「勉強しなくても怒られない世界」「働かずに遊んでいても許される大人」の方が、「理想の世界」と言えるんじゃないかと。

だから、のび太が「ここに住みたい。パーフェクト小学生になりたい」と希望するのも不可解だ。
テストやスポーツも良い結果を出して褒められたりチヤホヤされたりする自分を妄想した上で「パーフェクト小学生になりたい」と言っているけど、彼は「良い結果を出すために真面目に努力する」ってことは望んでいないはずで。
出来る限り楽をして、結果だけを掴みたいはずで。勤勉になりたいわけじゃなくて、ノンビリと遊んで暮らしたいはずで。
なので、のび太の性格設定と言動に大きなズレを感じるのよ。

三賢人が「理想の世界を理解せず、パラダピアを破壊しようとする悪者がいる」と説明した時、のび太は「僕が住んでいた世界と大違いなのに、酷い」と憤る。そして彼は、「ママなんか、いつもガミガミ。それに引き換え、ここは僕が夢見た世界」と愚痴をこぼす。
でも、今回はママがガミガミと説教するシーンも無かったのよね。
「のび太が今の暮らしにウンザリし、他の世界へ行きたがる」という設定にしたいのなら、それに見合う描写をちゃんと用意しておかないとダメでしょ。
あと、この映画の描写だと「みんなが穏やか」という一点だけで「のび太が夢見た世界」ってことになっているので、それは弱すぎるでしょ。

のび太は裏山で空に浮かぶ三日月型の島を目撃し、ドラえもんに「ユートピアを探しに行こう」と持ち掛ける。
それなら自分が目撃した「裏山で見た島」の捜索に向かうべきだろうに、そこから「昔の時代を巡り、タイム新聞で記事になっていた島を見つけよう」という方向に物語が転がるのが「なんでそうなるの?」と言いたくなる。
だって、のび太は今の時代、自分が住む町で、その島を目撃したんでしょ。だったら色んな時代を巡るよりも、そっちを再び目撃する方向で考えた方が良くないか。
あと、「それを言っちゃあ、おしめえよ」という問題ではあるんだけど、わざわざタイムツェッペリンとか購入しなくても、タイムマシンを使えば色んな時代へ行けるんだよね。その時代で空飛ぶ島を探す時には、タケコプターとか使えば済むだろうし。

のび太はジャイアンとスネ夫の変化を見て、ドラえもんに「ジャイアンは優しくなったし、スネ夫は意地悪しなくなった。でも何だか」と漏らす。その様子からは、彼らの変化を喜んでいないことが見て取れる。
ってことは、この時点でパラダピアの理念に対する疑念が生じているはずだ。
ところが三賢人を助けた後、のび太は「世界中にある理想郷伝説の正体はパラダピアなんじゃないかな」と、嬉しそうに話す。それはパラダピアを理想郷として見ている反応であり、それはキャラの動かし方として引っ掛かる。
前述のシーンを描くのなら、その時点で「パラダピアは理想郷」という考え方自体に揺らぎや迷いを抱いている形にすべきじゃないかと。

のび太はマリンバが落とした銃を拾った時、すぐに発砲している。だけど、その攻撃を受けた相手がどうなるのかがハッキリ分からない状態で、何の躊躇も無く撃てるのはどういう感覚なのか。
マリンバの銃撃を受けたクリオネラはトンボに変身しており、それをのび太が目にしていた可能性は状況からしても充分に考えられる。でも、人間も同じように昆虫に変身するかどうかは分からない。
「もしかしたら相手を殺してしまうかも」とは、微塵も想像しなかったのか。
それに、変身した人間が元に戻れるかどうかも分からない。ずっと昆虫のまま元には戻れないかもしれないし、のび太の行動には想像力の欠如と残酷さを感じてしまう。

のび太はマリンバとハンナから三賢人の真実を聞かされた時、「急に言われたって信じられるもんか。人を操る力なんてデタラメだ」とか「ここにいればパーフェクトになれるんじゃないの」と全く受け入れない。
そして「三賢人様は素晴らしいことをしてるんだ。ジャイアンだってスネ夫だって優しくなった。それでいいじゃないか」と反発する。
だけど前述した「でも何だか」と漏らす時点で、ジャイアンやスネ夫の変化を快く思っていなかったはずで。
それなのに、「三賢人様は素晴らしいことをしてるんだ」と熱心な信奉者としてのスタンスを見せるのは反応として変だぞ。

ソーニャはタイムツェッペリンからの逃走を図るドラえもんに「三賢人の考えは間違ってる」と言われると、「ご主人様は世界一頭のいい人たち。間違うことはありません」と反発する。
するとのび太は「間違えない人なんているもんか。三賢人は人の心を操ってるんだ」と強い口調で告げる。
それって、「どの口が言うのか」とツッコミを入れたくなるわ。
ついさっきまで三賢人を完全に信じ切っていて、マリンバとハンナに対して「三賢人様は素晴らしいことをしてるんだ」とか堂々と言っていたわけでね。

ドラえもんが穏やかな表情で「自分の心に聞いてくれ。あの時笑ったのは、君に心があるからだよ」と呼び掛けると、ソーニャは急に笑顔を浮かべて受け入れようとする。
感動させようとするシーンなんだろうけど、見事なぐらいの子供騙しとしか思えない。
ソーニャは人間じゃなくて改造された未来のネコ型ロボットだから、「完全に洗脳されているわけじゃない」ってことにしたいのかもしれない。
だけど、そんなに簡単に心を取り戻すのは、都合が良すぎるだろ。

三賢人は「世界を支配して人類を牛耳る」という邪悪な目的を打ち出しているわけではなく、あくまでも「世界平和」を掲げて行動している。心を操るのも、「それによって犯罪も争いも無い世界が訪れる」という目的だ。
それを「間違っている」と全面否定して批判する時、ドラえもんが三賢人に対して言うのは「パーフェクトになんかならなくてもいい。
これが僕だからだ」という言葉。
だけど、その程度の言葉では、あまりにも弱すぎるんだよなあ。
ディベートとして捉えた場合、完敗を喫している。

ただし、じゃあ三賢人の主張が賛同に値するのかというと、それも違うけどね。そもそも「心を操る」のと「心を無くす」のは、ちょっと違うからね。
しかも、のび太の洗脳が解けてドラえもんとの友情を熱く訴えると、「友達など要らない」とか言い出すし。
だけど学園のシーンで、生徒たちは仲良く勉強していたし、のび太を応援したりしていたでしょうに。
それは心を操られた表面的な行動だったとしても、「友達関係」じゃないのか。整合性が取れなくなってるんじゃないのか。

のび太だけでなくソーニャ、しずか&ジャイアン&スネ夫も洗脳が解けて反旗を翻すと、三賢人の黒幕であるレイが正体を現す。そして彼は自分の研究を認めなかった連中への怒りを爆発させ、「世界を支配してやる」という野心を口にする。
つまり、世界パラダピア計画は「歪んだ世界平和」を目指す計画ではなく、完全に私怨と復讐心から思い付いた世界征服計画なのだ。
そういう設定が明らかになることで、「真の世界平和とは何なのか」というテーマや対立軸は完全に崩壊する。
そして、「悪い奴が世界の支配を企んでいるから阻止しよう」という、単純なだけの話になってしまうのだ。

結局、「のび太のイメージする理想郷」がボンヤリしているってのが、最後まで響いている。
出木杉からユートピアの話を聞いた時には、彼は「争いも競争も無く、誰もが幸せになる」という説明で憧れを抱いている。しかしパラダピアでソーニャの案内を受けた時は、「大人は良く働き、子供は良く勉強している」という説明に「ここで生まれたかった」と羨ましがる。そこから、さらに「パーフェクトな人間になれる場所」としてのパラダピアに憧れる。
「パーフェクトな人間になれる」ってのは自身の変化に対する理想だが、「争いの無い平和な世界」ってのは周辺環境に対する理想だ。
この時点で、もうピントがボヤけている。
終盤の展開を見る限り、「心を犠牲にして平和な世界が訪れて、それで本当に人々は幸せなのか」という疑問を提示し、「それは違う」と否定する結末に至ろうとしているんだろう。だけど、そこへの道筋を上手く構築できていない。

ドラえもんは三賢人の指令を受けたソーニャの光線銃を浴びてテントウムシに変身し、パラダピアから捨てられる。
そこから「のび太の洗脳が解けて、しずかたちも元に戻って」という展開で感動的に盛り上げようとしているけど、「ドラえもんが大変なことになっている」という事実が気になってしまう。
その後、パラダピアが墜落してのび太たちは脱出するんだけど、ここでも「ドラえもんのことは完全にスルーされている」ってのが引っ掛かる。
もちろんパラダピアが墜落したら大変なことになるし、「ドラえもんを見つけて元に戻す」という目的が後回しになるのは仕方が無いんだけど、「自分たちのことで精一杯でドラえもんのことは二の次」という状態になっている構成自体が、いかがなものかと。

パラダピアから脱出して裏山に戻った後、のび太はあることに気付く。それは、自分がいるのは最初にパラダピアを目撃した日時ということだ。
そして最初にパラダピアを目撃した時、のび太はテントウムシを見ている。それが変身させられたドラえもんだと気付き、のび太は見つけ出して元の姿に戻す。
上手くやっているように見せ掛けているけど、タイム・パラドックスとか完全無視だよね。もしも最初にテントウムシを捕まえた時点で潰していたら、ドラえもんは死んでいたわけだし。
タイム・パラドックスを無視してもいいタイプの作品かどうかってのを考えた時、ちょっとマズいんじゃないかと。

パラダピアの墜落を阻止するため、ドラえもんたちはソーニャと協力する。彼らはスモールライトと四次元ゴミ袋を使うが、爆発の危機が訪れる。
そこでソーニャは自分だけが残り、四次元ゴミ袋を遠ざけて町を救おうとする。
ドラえもんたちは最後まで協力しようとするが、ソーニャはタケコプターを撃ち落として彼らを退避させ、ゴミ袋と共に爆発する。
だけど「誰かの自己犠牲で町が救われる」という結末は、この作品ではやらない方が良かったんじゃないかなあ。

最終的には「ソーニャのメインメモリーが残っていたので22世紀へ持って行き、新しい体で復元してもらう」ってことでドラえもんたちは喜び、それで「何もかもが丸く収まってハッピーエンド」という決着になっている。
だけど「新しい体で復元されるから」ってだけで、大団円にしちゃってホントにいいのかと。
例えばドラえもんがソーニャと同じように自己犠牲で爆死して、「メインメモリーが無事なので新しい体で復元してもらえる」という展開になったとして、それを素直に「めでたし、めでたし」と喜べるのだろうか。
それを考えると、ソーニャの件も素直に受け入れることは難しいんだよね。

(観賞日:2024年11月22日)

 

*ポンコツ映画愛護協会