『栄光のランナー/1936ベルリン』:2016、アメリカ&ドイツ&カナダ

1933年秋、オハイオ州クリーブランド。ジェシー・オーエンスは大学に進学するため、家族と暮らす家を出た。オハイオ州立大学の陸上部は2年前から低迷が続き、その日の大会でも南カリフォルニア大に負けて3連敗となった。南カリフォルニア大のコーチを務めるディーン・クロムウェルは4人の金メダリストを育てて高い評価を受けていたが、オハイオ州立大学のラリー・スナイダーはクビが危うくなっていた。彼が助手のペギーから受け取った新人のファイルの中に、ジェシーの名前もあった。
ジェシーは仲間のデイヴ・アルブリットンと合流して大学へ行く前に、美容室で働く恋人のルース・ソロモンと幼い娘のグロリアを訪ねた。ジェシーはルースと結婚するつもりだが、今は金が足りていなかった。彼はルースに、仕送りは厳しくなると告げた。ジェシーとデイヴが大学のロッカールームでシャワーを浴びようとすると、フットボール部員の白人たちが侮蔑する態度を取った。デイヴが腹を立てると、ジェシーは「チャンスを棒に振る気か。笑って受け流せ」となだめた。
ジェシーはラリーに呼ばれ、「ライリー・コーチの推薦か」と確認された。ライリーからは「こんな天才は見たことが無い」という推薦のコメントが届いていたが、ラリーは「天才は努力しないから嫌いだ」と述べた。努力できるのかと問われたジェシーは幼少期の体験を語り、「苦労には慣れてる」と告げた。ラリーが「才能はあるが、問題点も多い。勝つためには頭を使え」と言うと、彼は「去年は100ヤードをワイコフと同じ世界記録で走った」と反論した。
ラリーが「記録など一瞬で奪われる。意味があるのはメダルだけだ。金メダルは死ぬまで自分の物になる」と話すと、ジェシーは飾ってある写真を見て1924年のパリ五輪代表だったことに気付いた。ジェシーが「パドックと一緒に出場したんですか」と興奮すると、ラリーは「いや」と返した。彼が「ベルリンでメダルが欲しいか」と尋ねると、ジェシーは消極的な態度を示した。彼が「ドイツでは有色人種は歓迎されないと聞いてます」と話すと、ラリーは「ここでも状況は同じだ」と述べた。
ラリーはジェシーに、「これからの2年4ヶ月は、常に教室かトラックで過ごせ」と要求した。「他の大学にも行けたのに、なぜウチを選んだ?」と彼が質問すると、ジェシーは「ライリー・コーチから、貴方は最高だと聞いた」と返答した。翌日の朝9時、ラリーは能力を見るため、ジェシーに100メートルのハードル走を指示した。タイムを計測するとワイコフの世界記録を超えており、ラリーは「スタートさえ直せば金メダルは確実だ」と感じた。
ドイツはユダヤ人選手を選考会から外し、黒人を参加させないという文書も配布していた。アメリカではベルリン五輪に反対する大規模なデモが起きており、全米五輪委員会の総会では委員長のジェレミア・マホーニーがボイコットの可能性にも言及した。会長のエイヴリー・ブランデッジ会長は「国内情勢も厳しい。国民が自信を取り戻すにはチャンピオンが必要だ」と参加を主張するが、マホーニーの考えは変わらなかった。理事たちは「実情を調べるためにドイツへ人を送り込むべきだ」という考えで一致し、指名を受けたブランデッジは渋々ながらも引き受けた。
ジェシーは給油所で働きながら大学に通い、陸上の練習にも励んだ。しかし練習に参加できないこともあり、ラリーはジェシーを咎めた。ジェシーの「もっと速くなりたいが、娘を養わないと」という言葉を聞いて、ラリーは初めて事情を知った。ベルリン・スポーツセンターを訪れたブランデッジはゲッベルス宣伝相と面会し、映画監督のレニ・リーフェンシュタールが通訳を務めた。ブランデッジは「ユダヤ人と黒人を出場させなければアメリカは参加しない」と通告し、ゲッベルスの承諾を取り付けた。
ラリーはジェシーのため、州議会の雑用係の仕事を用意した。ビッグテン選手権に向けて練習を積んでいたジェシーだが、仲間との遊びで調子に乗って足に怪我を負ってしまった。彼は怪我が治らないまま選手権に参加するが、100ヤード走で1位になった。さらに走り幅跳びと200ヤード走、225ヤード・ハードルでは世界記録を叩き出した。1935年6月21日、ジェシーはロサンゼルス記念コロシアムへ行き、大会で活躍した。仲間とナイトクラブへ繰り出した彼は、クインセラという女性と知り合って親密な関係になった。
ゲッベルスはアメリカのベルリン五輪参加を確実にするため、ブランデッジを味方に付けようと考えた。彼は建設業者であるブランデッジに、「ワシントンにドイツ大使館を新しく建てる」という計画を持ち掛けた。ジェシーはクインセラとの関係を新聞で報じられ、電報を受け取ってルースが訴訟を起こすつもりだと知った。彼はソロモン家に電話をするが、ルースとの対話は父親が「娘は嫌がってる」と拒否した。ネブラスカの記念スタジアムで開催された大会で、集中を欠いたジェシーはユーレス・ピーコックに敗れた。
ラリーはジェシーの女性関係を知り、「後悔するような選択はするな」と助言した。ジェシーはクインセラに別れを告げてオハイオに戻り、ルースが働く美容室へ赴いた。彼は謝罪してプロポーズするが、ルースに断られた。しかし店の前で待ち続けたジェシーが改めて求婚すると、ジェーンは彼を許して承諾した。1935年12月23日、全米オリンピック委員会(AOC)総会が開かれ、五輪参加を決める投票が実施された。ブランデッジとマホーニーが互いの立場から演説を行い、58対56でアメリカの五輪参加が決まった。マホーニーはブランデッジに、「この決定を尊重するが、良心が許さないので職を辞す」と告げた。
オハイオ州議会のハリー・E・デイヴィス議員が全米黒人地位向上委員会(NAACP)の代表としてジェシーの元を訪れ、五輪に行かないでほしいと要請した。「ドイツで迫害されている人々と結束するチャンスだ。不参加が強い抗議になる」とデイヴィスが訴えると、ジェシーの父は「それで少しでも変化が起きるか?息子が行かなくても彼らは気付かない」と不愉快そうに告げた。彼はジェシーに、「好きにしていい。どうせ何も変わらない」と述べた。ジェシーはラリーと会い、「ベルリンには行かないかもしれない」と伝えた。彼は「行けばナチを認めることになる」と語り、ラリーは「歴史の名を残すチャンスを無駄にするのか」と反発した。
ジェシーが「人は俺を手本にする」と言うと、ラリーは「人って誰だ?黒人か。そんな問題は、どうでもいい」と怒りを示す。ジェシーは「白人だからだ。分からないだろ」と声を荒らげ、その場を去った。翌日、ラリーはジェシーに対し、少なくとも選考会には出ろ。出場の資格は取れ」と促した。1936年7月、ジェシーは選考会に参加し、100メートル、200メートル、幅跳びの出場資格を取った。しかし会見で記者からベルリン五輪への参加について問われると、彼は返答を避けた。
ジェシーは怪我で選手生活を断念したピーコックから、「誰もが君に期待してる。ヒトラーの鼻を明かしてやれ」と告げられた。ルースはジェシーから相談を受け、「私は口を出さない。貴方の自由よ」と告げた。ジェシーが「君も両親も、ラリーも同行できない。たった1人で戦うことになる。もし負けたらナチスへの屈服になる」と語ると、ルースは「ただ走ればいい。自分の心の声だけに耳を傾けて」と言う。ジェシーは五輪に参加することを決め、荷物をまとめた。船に乗ったジェシーは、ラリーがいたので驚く。代表コーチではないラリーは、自腹でベルリンへ行くことを決めていた。
リーフェンシュタールはゲッベルスに、ヒトラーの期待に応えるために全面的な撮影許可を与えてほしいと訴えた。ゲッベルスが「総統に気に入られてるらしいが、これは私の大会だ」と不快感を示すと、彼女は「私の映画です。映画が無いと、すぐに忘れ去られるわ」と反発した。ベルリンに到着したジェシーは、黒人用宿舎が無くて白人と一緒だと知って驚いた。競技場に赴いた彼は、ドイツ代表であるルッツ・ロングの練習風景を目にした。
ジェシーやデイヴら黒人選手が音楽を掛けながら練習していると、代表コーチのディーンが「祭りじゃないんだぞ」とレコードを止めて叱責した。ジェシーは反発し、ラリーをコーチにして前と同じ練習をさせるよう代表ヘッドコーチのローソン・ロバートソンに要求した。ロバートソンは承諾し、ラリーに競技場の入場パスを出した。ジェシーはイギリスに新しい靴を注文したが、まだ届いていなかった。それを知ったラリーはドイツの靴工場へ行き、ジェシーのために競技用の靴を用意した。ベルリン五輪は開幕し、ジェシーは最初の出場種目である100メートルで金メダルを獲得した…。

監督はスティーヴン・ホプキンス、脚本はジョー・シュラップネル&アナ・ウォーターハウス、製作はジーン=チャールズ・レヴィー&ルイ=フィリップ・ロション&リュック・ダヤン&ドミニク・セガン&スティーヴン・ホプキンス&ケイト・ガーウッド&ニコラス・マニュエル&カーステン・ブルニグ、製作総指揮はジョナサン・ブロンフマン&デヴィッド・ギャレット&スコット・ケネディー&ティエリー・ポトク&アル・マンティーヌ&マーク・スローン、製作協力はソリー・アザール&クリストフ・シャルリエ&ジャン・アイヘンラウプ&モーガン・エメリー&モーガン・メナヘム、撮影はピーター・レヴィー、追加撮影はピーター・モス、美術はデヴィッド・プリスビン、編集はジョン・スミス、衣装はマリオ・ダヴィニョン、特殊視覚効果監修はマーティン・リップマン、音楽はレイチェル・ポートマン、音楽製作総指揮はジョージ・アコグニー。
出演はステファン・ジェームス、ジェイソン・サダイキス、ジェレミー・アイアンズ、カリス・ファン・ハウテン、イーライ・ゴリー、トニー・カラン、ウィリアム・ハート、グリン・E・ターマン、デヴィッド・クロス、バーナビー・メッチェラート、シャニース・バントン、アマンダ・クルー、ジョナサン・アリス、ニコラス・ウッドソン、ティム・マッキナリー、ジェシー・ボスティック、ジョナサン・ヒギンズ、シャンテル・ライリー、ヴラスタ・ヴラナ、シャミア・アンダーソン、モー・ジューディー=ラムール、ガエタン・ノーマンディン、ジェイコブ・アンドリュー・ケール他。


1936年のベルリンオリンピックで史上初の4冠を達成したアメリカの黒人陸上選手、ジェシー・オーエンスの半生を描いた伝記映画。
監督は『アンダー・サスピション』『リーピング』のスティーヴン・ホプキンス。
脚本は『フランキー&アリス』のジョー・シュラップネルとアナ・ウォーターハウスによる共同。
ジェシーをステファン・ジェームス、ラリーをジェイソン・サダイキス、ブランデッジをジェレミー・アイアンズ、リーフェンシュタールをカリス・ファン・ハウテン、デイヴをイーライ・ゴリー、ローソンをトニー・カラン、マホーニーをウィリアム・ハート、デイヴィスをグリン・E・ターマンが演じている。

ざっくり言うならば、焦点がボケまくっている作品である。
どう考えても「ジェシー・オーエンスがベルリン五輪で複数の金メダルを獲得するまでのアスリート人生」にフォーカスすべきだろうに、前半の早い段階で「五輪への参加を巡る全米五輪委員会の動き」に目を向ける。
そしてブランデッジの行動を追い掛け、リーフェンシュタールやゲッベルスを登場させる。
この時点で既に怪しい匂いがプンプンしているのだが、残念ながら嫌な予感は的中してしまう。

もちろん、ベルリン五輪を巡っては激しい抗議運動が起きたり、ボイコットの可能性があったりしたことは紛れも無い事実だ。そして、ナチスの「五輪を利用したプロパカンダ」という目的や人種差別政策が、ジェシーの出場に関係していたことも、これまた事実である。
ただ、そういうのはジェシーの周辺を描く中で、その範囲で起きている出来事に限定しておいても良かったんじゃないかと。ジェシーが全く介在しない場所で起きている政治的な陰謀や駆け引きに関しては、目を向けなくても良かったんじゃないかと。
そこで何があろうと、ジェシーには直接の関係が無いんだから。ジェシーが知り得る情報だけで、ジェシーが関与できるレベルでの動きだけを追えば充分だ。
そこで満足せず、大きな範囲に手を広げたことが失敗なのだ。そのせいで完全にテーマがボヤけているのだ。

一応はアメリカでの黒人差別も描かれているが、かなりユルくてヌルい。ビッグテン選手権のシーンでは、ジェシーが100ヤード走に参加する時に観客席の白人たちがブーイングをする。しかし次の競技からはブーイングが消えており、最後は全員が喝采を送る。
そりゃあ世界記録は凄いけど、だからって全ての白人がジェシーを手放しで絶賛するのかと。そんなに一瞬で、黒人への差別意識が無くなるのかと。
そんなに簡単なモノなら、アメリカの黒人差別なんて、とっくに無くなってるだろ。実際、ベルリン五輪から帰国したジェシーが露骨な人種差別を受けるシーンも描かれているし。
そこを描くなら、ビッグテン選手権における描写は違うんじゃないの。

ジェシーとルースの痴話喧嘩なんかは、どうでもいいエピソードにしか感じない。もちろん実際にあったことなんだろうけど、ジェシーの身に起きた出来事を全て追い掛ける必要は無いわけで。
そこに重要性があるのかと考えた時に、カットしても良かったんじゃないかと。
ルースとの関係悪化から修復までに長い時間や経緯を必要とするならともかく、すぐに仲直りして結婚するんだし。
これが「ジェシーとルースの夫婦愛」を軸にしたドラマならともかく、違うわけだし。

ベルリン五輪参加を巡って対立が生じるとか、ブランデッジがドイツに派遣されるとか、総会の決定を受けてマホーニーが辞任するとか、そういった全米オリンピック委員会での動きが前半で何度も挿入されている。しかし、そういう動きはジェシーのアスリート人生にとって、どうでもいいことだ。
そりゃあ総会で五輪参加が決定するとか、ブランデッジがゲッベルスと取引するとか、そういう動きが全く影響を及ぼしていないとは言わないよ。だけど、これを「ジェシー・オーエンスの物語」として捉えた時、ものすごく距離が遠い出来事ばかりだ。
ブランデッジはベルリン五輪が開幕してから登場させても充分だし、ゲッベルスにしてもチラッと姿を見せる程度で構わない。
レニ・リーフェンシュタールに関しては、全く登場させなくても問題無い。

投票前の総会におけるブランデッジは、「大事なのは参加することだ」「チャンスを奪うのか」なとど熱い言葉で演説している。
その内容は表面的な部分だけを取れば、「アスリートに寄り添った立派な主張」に聞こえなくもない。
しかし、実際のブランデッジはゲッベルスとズブズブの関係になっており、ナチスに都合のいいようにアメリカを導いているだけなのだ。
ところが、そんなブランデッジをどういう人物として描こうとしているのか、そこがフワッとしているんだよね。

ジェシーが金メダルを取ると、ブランデッジはヒトラーに会わせようとする。ヒトラーが先に帰ったと聞くと、彼は「全ての金メダリストを平等に扱うべきだ」と不快感を示す。ヒトラーに対して、真正面から批判しているように見える。
彼はゲッベルスからリレーのメンバーを変更する要求されて応じるが、これも「脅されて仕方なく」という形にしてある。
だけど、実際のブランデッジはヒトラーやナチスを称賛するような発言、人種主義的な発言を繰り返していたわけで。
そこを明確にせず、誤魔化しているんじゃないかと。

ジェシーはデイヴィスから五輪に参加しないでくれと要請されると、ラリーに「出ないかも」と言い出す。ラリーが「チャンスを無駄にするのか」と告げると、「白人だからだ。分からないだろ」などと怒りを示す。
この辺りで急に、「黒人としての苦悩や葛藤」という要素を強く押し出す。
だけど、そこまでの展開で「ジェシーは黒人社会から我らの誇りとして注目される存在になっている」とか、「ジェシーが人種差別を浴びている」とか、そういう「人種差別」を軸に据えたストーリーテリングなんて全くやって来なかったでしょ。人種差別を巡る描写が無かったわけじゃないけど、「たまに触れる」という程度だったでしょ。
それなのに、ベルリンに着いても「黒人用宿舎が無いと知って驚く」とか、そっち方面へ急に舵を切っているんだよね。

ジェシーとラリーの師弟関係を大きく扱っており、ジェシーが大事な決断を迫られる時には、必ずラリーとの対話シーンがある。五輪への参加で悩んだ時も、リレーのメンバー交代に反発して「出場しない」と言い出した時もだ。
しかし厄介なことに、師弟関係を大きく扱っていることが、話のピントをボヤけさせる一因になっている。
例えば、五輪参加の決め手となるのはルースの後押しだ。リレーへの参加は、外されたメンバーの後押しだ。
ようするに、ラリーが何を言おうと、それが「ジェシーの決断」には直結していないんだよね。
「差別問題との絡み」という観点から考えても、師弟関係は二の次にした方が良かったんじゃないかと。

「ジェシー・オーエンスがベルリン五輪で4冠を達成するまでの物語」を描こうとした時、色んな角度から捉えることが出来る。
ドラマを生み出せるフォーカス・ポイントも、幾つもあるだろう。
その中で持ち込む要素を取捨選択し、1つの角度を決めたら固定して描くべきだったんじゃないかと思うのだ。
だが「あれも描きたい、これも描きたい」「こっちの角度から見せたい、こっちから撮りたい」といった感じで欲張った結果、まるで整っていない仕上がりになってしまったんじゃないかと。

(観賞日:2024年9月16日)

 

*ポンコツ映画愛護協会