『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』:2022、アメリカ
コインランドリーを経営する中国系アメリカ人のエヴリン・ワンは、朝から激しく苛立っていた。夫のウェイモンドが「大事な話がある」と声を掛けても、彼女は「父さんが起きる前に済ませないと」と忙しそうに作業を続けた。エヴリンが何でも完璧にこなそうとするので、ウェイモンドは「頑張ってるのを見せれば褒めてくれるよ」と言う。しかしエヴリンは、「父さんはそんな所を見ない」と受け入れない。父であるゴンゴンが起床したので、彼女は食事の準備をするよう夫に指示した。ウェイモンドは離婚申請書を見せるつもりだったが、そのタイミングを逸した。
[パート1 Everything]
エヴリンは家事と店の仕事だけでなく、夜は父のために春節のパーティーを開くため、その準備もあった。娘のジョイが恋人のベッキーを連れて来ると、エヴリンは「もう1人分、食事を作らなきゃ」と面倒そうに漏らす。ウェイモンドは彼女に「忘れたのか」と言い、ジョイが監査官に通訳するのでゴンゴンの世話役をベッキーに頼んだことを説明した。エヴリンは「私の英語は問題ない。通訳は要らない」と言い出し、ジョイに「貴方は残って彼女を帰して」と告げた。
ジョイが「ベッキーは手伝いたいの」と話すと、エヴリンは「他の時なら歓迎するけど、今日は忙しい」と言う。彼女が「貴方は幸せよ。女の子と付き合うことに理解ある母親を持って。でもゴンゴンは無理。中国から来て早々、心臓が止まるわ」と告げると、ジョイは「彼女とは3年よ。ゴンゴンにも教えた」と反論した。エヴリンは常連客のリックと楽しそうにしているウェイモンドを見て苛立ち、「私は毎日、家族のために戦ってる。なのに、あの人は全く気にしてない。私は普通に暮らしたいだけ」と吐露した。ゴンゴンが来たので、エヴリンは狼狽した。ジョイがベッキーの紹介に躊躇していると、エヴリンは「ジョイの友達よ」と告げた。するとジョイは悲しそうな表情になり、ベッキーと車で去った。
エヴリンとウェイモンドはゴンゴンを車椅子に乗せ、国税庁へ赴いた。「商売を広げるから、免許を貰うのよ」とエヴリンが説明すると、ゴンゴンは「どうせ、くだらない店だ」と吐き捨てた。エレベーターに乗るとウェイモンドは眼鏡を外し、表情が一変した。彼はエヴリンに「君の身が危ない。時間が無いから良く聞け」と言い、両耳にイヤホンを装着させた。ウェイモンドがスマホを渡すとアプリが起動し、画面には「ライフパスを変更」と表示された。するとエヴリンの脳裏には、幼少期からウェイモンドとの出会い、結婚と駆け落ち、店を初めて娘が誕生したことなど、今までの人生の映像が一瞬で飛び込んで来た。
ウェイモンドはメモを書き、「聴取が始まったら、この指示に従え」とエヴリンに告げた。彼は「誰にも話すな。僕も覚えていない」と言い、スマホからは「メンタルスキャン完了」の音声が聞こえた。エレベーターが10階に着くと、ウェイモンドは元の状態に戻った。3人は監察官のディアドラと対面し、不正を疑う厳しい質問を浴びた。エヴリンがメモの指示に従って奇妙な行動を取ると、その意識が用具室に瞬間移動した。
用具室にはウェイモンドが待ち受けており、「僕は君の夫じゃない。別の宇宙で別の人生を歩んでる。君に助けを求めに来た」とエヴリンに語った。エヴリンが「忙しくて、そんな時間は無い」と言うと、彼は「僕の世界の強大な悪が、全宇宙に混沌をもたらす。僕はずっと、この悪を倒し、均衡を取り戻す者を捜して来た。君がやるしかない」と述べた。エヴリンの意識は、用具室とディアドラの前で行き来した。用具室のウェイモンドは、「集中しろ。この会話は、無限のマルチバースの全ての運命を左右する」と説いた。
用具室のウェイモンドが「君は人生を変えるチャンスを失うことを恐れてる。全ての拒絶と全ての失望が、この瞬間に君を導いた」と語ると、その直後にドアが激しく叩かれた。彼は「時間切れだ。奴らが来る。また来るから、誰も信じるな」と言い残し、奇妙な装置を付けたディアドラに首を折られて死んだ。エヴリンが絶叫すると、用具室の意識は消滅した。元の場所に戻った彼女は、ディアドラから書類の再提出を求められた。
ウェイモンドは国税庁から去ろうとする際、エヴリンが離婚申請書を見たと誤解した。「だから様子が変だったのか」と彼が口にすると、エヴリンは指示のメモについて話しているのだと誤解した。彼女は用具室のウェイモンドが言った言葉に影響され、追って来たディアドラを殴り倒した。目の前にいるウェイモンドの発言で、エヴリンは離婚するつもりだと知った。エヴリンが怒っていると、またウェイモンドの意識が別人に変化した。彼が「簿が助けてやる」と言うと、そこへ守衛たちが駆け付けた。
ウェイモンドは守衛たちを倒し、その場から動こうとしないエヴリンを抱き上げて連れ出した。同じ頃、第4655シータバースでは事務所の面々が集められ、ディアドラが「お前たちは至高のリーダーの祝福を受ける」と告げてジョブ・トゥパキを呼び込んだ。現場ではエヴリンが瀕死の状態に陥っており、ジョブは「まだ殺さない」と冷淡に言い放った。最初のバースにいるエヴリンは、ウェイモンドから「僕はアルファバースのアルファ・ウェイモンド」と自己紹介を受けた。アルファ・ウェイモンドは彼女に、「ここでの君は、他の宇宙の存在を探求し、異次元の自分と意識をリンクさせる方法を発見した。それがバース・ジャンプだ」と説明した。
アルファ・ウェイモンドはエヴリンに、「ここから生きて出たいのなら、バース・ジャンプを覚えるんだ」と話す。エヴリンが「そっちのエヴリンにさせれば」と言うと、彼は「死んだ。様々な宇宙で見て来た。いつも君は殺され続けた」と告げる。「なぜ?」とエヴリンが驚くと、アルファ・ウェイモンドは「超越的な力を持つジョブの仕業だ。彼女は光と物質以上の物を飲み込む何かを作ってるらしい」と答えた。さらに彼は、「我々の秩序は崩壊寸前だ。あるべき姿に戻すのが、アルファバースの使命だ。それにはジョブに立ち向かえる者が必要だ。だから危険を承知で来た」と語った。
ジョブの手下であるディアドラがバース・ジャンプを使い、エヴリンとアルファ・ウェイモンドに襲い掛かった。アルファ・ウェイモンドはアルファバースにいる仲間たちと協力し、必死で対処する。彼はエヴリンに「最強に変な行動を取ればバース・ジャンプできる」と言い、ディアドラに愛を告白するよう指示した。しかしエヴリンは失敗し、分岐世界に飛ばされた。彼女が再び挑戦すると、ウェイモンドと結婚せずにカンフーを学び、映画スターとして華々しく活躍する自身のビジョンを見た。
エヴリンはカンフーでディアドラを倒し、アルファ・ウェイモンドに「私は輝いてた。貴方と一緒に行くべきじゃなかった」と話す。彼女が輝かしい世界に戻りたがると、アルファ・ウェイモンドは説教して「他の世界は特技を得るためだけに使う。誘惑に負けたら混沌を招く。死より悲惨な出来事が待ち受けているかもしれない」と警告した。エヴリンが詳しい説明を求めると、彼は「若者たちにジャンプの訓練を始めた時、群を抜く女性がいた。才能を伸ばすため、限界を超えて追い込んだ。彼女の精神は砕け散り、マルチバースの無限の知識と力を操れるようになったが、倫理観も客観的真実を信じる心も失った。彼女は君を捜してる」と述べた。
守衛たちが駆け付けてエヴリンは手錠を掛けられ、アルファ・ウェイモンドはスタンガンで気絶させられた。そこへ派手な格好のジョイが現れ、特殊な力で守衛を次々に倒す。エヴリンはジョブだと悟り、「アンタのせいで娘は電話して来なくなった。大学を中退してタトゥーを入れた。アンタのせいで自分がゲイだと」と怒りを向けた。ジョブは心を操り、エヴリンを巨大ベーグルの中に消し去ろうとする。そこへアルファ・ゴンゴンが駆け付けてジョブを弾き飛ばし、エヴリンとアルファ・ウェイモンドを連れて避難した。
アルファ・ゴンゴンは命令に背いたアルファ・ウェイモンドを叱責し、「新たな精神を危険に晒した」と告げる。アルファ・ウェイモンドが「彼女ならジョブに勝てる」と反論すると、エヴリンは「私は平凡なエヴリン」と及び腰になった。「君の失敗が別のエヴリンの成功に枝分かれする。この世界の君は何でも出来る」とアルファ・ウェイモンドは説くが、エヴリンの気持ちは変わらなかった。そこへジョイが来ると、アルファ・ウェイモンドは「出来るだけ遠くへ。必ず戻る」と言い残して去った。
エヴリンはジョイを椅子に縛り付け、困惑するウェイモンドに「安全のためよ。乗っ取られてる」と言う。彼女は事情を説明するが、全く理解してもらえなかった。アルファ・ゴンゴンはエヴリンにカッターナイフを渡してジョイを殺すよう促し、「勝つために必要な犠牲だ」と述べた。エヴリンが出来ずにいると、彼は「心を支配されたな」と拳銃を構えた。アルファ・ゴンゴンはエヴリンに、「ワシの世界で、お前は娘の心が壊れるまで追い詰めた。お前がジョブを創った」と述べた。
エヴリンはバース・ジャンプを使って机の下に爆弾を仕掛け、アルファ・ゴンゴンを殴り倒す。彼女がウェイモンドとジョイを連れて逃げ出すと、アルファ・ゴンゴンはアルファバースの仲間に指示を出した。バース・ジャンプで移動した面々は、エヴリンの前に立ちはだかるエヴリンはダメージを受けながらも、敵を次々に蹴散らしていく。アルファ・ゴンゴンも倒したエヴリンの前に、ジョブが現れた。戦おうとしたエヴリンだが、力を使い果たして倒れ込んでしまった…。脚本&監督はダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート、製作はジョー・ルッソ&アンソニー・ルッソ&マイク・ラロッカ&ダニエル・クワン&ダニエル・シャイナート&ジョナサン・ワン、製作総指揮はティム・ヘディントン&テレサ・スティール・ペイジ&トッド・マクラス&ジョシュ・ラドニク&ミシェル・ヨー、共同製作はアリソン・ローズ・カーター&ジョン・リード&サラ・ハレー・フィン、撮影はラーキン・サイプル、美術はジェイソン・キスヴァーデイ、編集はポール・ロジャーズ、衣装はシャーリー・クラタ、視覚効果監修はザック・ストルツ、音楽はサン・ラックス、音楽監修はローレン・マリー・ミクス&ブルース・ギルバート。
出演はミシェル・ヨー、ステファニー・スー、キー・ホイ・クァン、ジェイミー・リー・カーティス、ジェームズ・ホン、ジェニー・スレイト、ハリー・シャムJr.、タリー・メデル、ビフ・ウィフ、アーロン・レイザー、ブライアン・リー、アンディー・リー、ナラヤーナ・カブラル、チェルシー・ゴールドスミス、クレイグ・ヘニングセン、アンソニー・モリナリ、ダン・ブラウン、アンソニー・ナナコルンパノム、カーラ・マリー・チュールジアン、ランドール・アーチャー、エフカ・クヴァラシージュス、ピーター・バニファス、オードリー・ワシリュースキー他。
『スイス・アーミー・マン』のダニエル・クワン&ダニエル・シャイナートが脚本&監督を務めた作品。
エヴリンをミシェル・ヨー、ジョイをステファニー・スー、ウェイモンドをキー・ホイ・クァン、ディアドラをジェイミー・リー・カーティス、ゴンゴンをジェームズ・ホン、ベッキーをタリー・メデルが演じている。
アカデミー賞で11部門にノミネートされ、作品賞&監督賞&主演女優賞&助演男優賞&助演女優賞&脚本賞&編集賞を受賞した。この映画が多くの観客に受け入れられた要因の1つとして、マーベル・シネマティック・ユニバースや『スパイダーマン:スパイダーバース』の存在があるんじゃないかと私は見ている。
それらの映画によってマルチバースの概念が広く浸透したことで、この映画のハードルが下がっているんじゃないかと。
詳細な説明を用意しなくても、多くの人がマルチバースについて何となくの知識は持ち合わせている。
なので、そこを使って色々なネタを持ち込んでも、かなり難しさが軽減されているんじゃないかと。ただし、ボンクラ脳の持ち主である私としては、SFとしての小難しいことを色々と考えるより前に、「冴えない移民の中年男性であるウェイモンドが、急に変貌してキレキレのカンフーで守衛たちを倒す」というアクションシーンで気持ちが大いに高まった。
ポーチを武器にして、見事な動きで守衛を軽々とKOするのは、見ていてホントに気持ちがいい。
それをやっているのがキー・ホイ・クァンってのも、興奮できるポイントだ。
ぶっちゃけ、マルチバースだとか他の色々な要素を全て削ぎ落して、「キー・ホイ・クァン演じる冴えない男がカンフーで敵を倒していく」という単純な話でも、充分すぎるぐらい満足できたんじゃないかと思うぐらいだ。エヴリンの「異なるバースではカンフーを学び、アクションスターとして華々しく活躍している」という設定は、明らかにミシェル・ヨーを意識した設定だ。
ミシェル・ヨーとキー・ホイ・クァンについて知っていた方が、より楽しめることは間違いない。
まあミシェル・ヨーは最近でも色んな映画でアクションをやっていたし、カンフーで戦うのも「ミシェル・ヨーだからね」という印象は否めない。
なので、あくまでも個人的な感覚ではあるけど、キー・ホイ・クァンのアクションシーンの方が遥かに気持ちが高まる。粗筋で書いたのは90分ぐらい続くパート1の内容で、エヴリンが気付くと忙しく作業をしていた朝に戻っている。ここからが[パート2 Everywhere]になっている。
もちろん同じ内容を繰り返すわけではなくて、ジョイがベッキーを伴って訪ねた時点でエヴリンはジョブだと見抜いている。
なので、そこから再び戦いに突入するのかと思いきや、さにあらず。
なぜなら、ジョブが戦いを望まず、エヴリンに落ち着くよう促しているからだ。そしてジョブはエヴリンに、ある事実を教える。それは、「どのバージョンのジョイもジョブと切り離せない」ってことだ。
つまり、どのバースにおけるジョイも、必ずジョブになるってことなのだ。
それまでのエヴリンは、「ジョブのせいでジョイが誤った道を歩むようになった」と思っていた。しかし、そうではなく、エヴリンのせいでジョイはジョブになってしまうのだ。
エヴリンは「娘のために正しいことをやって来た」と信じていたが、そこにジョイは息苦しさを感じていたのだ。エヴリンはジョブの話を聞いても、全てを素直に受け入れられたわけではない。彼女は「元の界に戻って家族と幸せに暮らす」と言い、ジョブは戻ることを認める。
そもそもジョブは最初から、エヴリンを殺す気など無かった。彼女は同じことを感じている人間を捜しており、欲しかったのは「自身への理解」だった。そして彼女は、自分を壊すために巨大ベーグルを作っていた。
一緒に行くことを求められたエヴリンは拒否し、ジョブを救おうとする。ようやく彼女は、ありのままの娘を受け入れる気持ちに目覚めるのだ。
エヴリンは娘に自分と違う人生を歩ませようと思っていたが、似た性格に育ったので同族嫌悪のような感情を抱いていた。しかしエヴリンは、ようやく「それでもいいじゃないか」と思えるようになったのだ。マルチバースを行き来しながら進行する物語は、台詞による解説も含めて、決してシンプルとは言えない。転換の多い映像表現もあって、お世辞にも分かりやすい話とは言えない。
そこの問題を解決する一番の方法は、「理屈を気にして真正面から捉えることを諦め、雰囲気を重視して何となく観賞する」ってことだろう。
しかし、そんな見方をしたら、作品の本質に迫ることは出来ない。
心底から味わいたいのであれば、頑張って頭を働かせるしかない。前述したように、映画の軸になっているのは「母娘の愛と確執のドラマ」である。そこを充分に味わってもらおうとするなら、あまりにもギミックが多すぎるのはデメリットが多い。
その一方、そういうギミックを全て排除した場合、「良くある家族愛の物語」になってしまう恐れもある。
風変わりなSFアクションとしての世界観を構築し、その中に普遍的な「親子の物語」を持ち込むのは、「鶏が先か、卵が先か」ってのは気になるが、やり方として悪くはないだろう。
だけどバランスとしては、ややギミックが強すぎるかな。(観賞日:2025年1月21日)