このコーナーでは,私の住む生駒市の氏神様で,宮司とのご縁もあり,現在,会計顧問をさせていただいている往馬大社に ついて紹介します。
往馬大社の由来
西に生駒山,東に矢田丘陵,その間南北に開かれた小谷が旧来「生駒谷」と呼ばれていて,その生駒谷の中央に位置し,本来生駒山を御神体としてお祀りされた古社が「往馬大社」です。
史実として明確なルーツは,貞観元年(西暦859年),『延喜式神名帳』に,往馬坐伊古麻都比古神,として名を連ねる神社になったと紹介さ れています。御祭神は,伊古麻都比古神(産土の男神),伊古麻都比賣神(産土の女神) ほか五柱で,その他境内には摂末社20社が合祀されているとのこと です。
また,広さ3fにおよぶ鎮守の森は,ツブラジイを中心とする貴重な照葉樹林帯で,奈良県の天然記念物として指定されているほか,神社の宝物で現在奈良国立博物館に保管されている「生駒曼荼羅図」は県の絵画としてさらに伝統行事の火祭りは県の無形民俗文化財として指定されています。
往馬大社の火祭り
往馬大社は古くから火の神として尊ばれ,歴代天皇の大嘗祭に用いられる火きり木を献上していたと聞きます。因みに昭和天皇の大嘗祭や,平成2年に執り行われた平成の大嘗祭の「斎田點定の儀」にも往馬大社の
火きり木が使用されたとのことです。さて,毎年10月11日に行われる火祭りは,神社の氏子区域の村々が,上座と下座の二つに分かれて,競争するというダイナ ミックで男らしいお祭りです。江戸年間,生駒谷には,俵口・小明・辻・谷田・山崎・菜畑・壱分・有里・鬼取・大門・西畑・藤尾・萩原・小瀬・小平尾・乙田 の17ケ村があり,とりわけ俵口と乙田を除く15ケ村から,祭祀組織(宮座)が構成されており,一部世襲制の名誉な役柄だったようです。
それでは,平成10年度の火祭りの様子を追って画像で紹介したいと思います。
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10月10日の宵宮の様子です。
暗かったので,はっきりしませんが,明日の神事に備えて,御輿を担ぐ若者が,褌一丁で禊ぎを受けて気勢を上げているところでした。
2 境内下手には,秋祭りの献灯が数多く
飾られ,白熱球を灯された付近は眩いくらいの明るさでした。
310月11日本祭り当日の参道風景です。
昔,この道が地道だった頃,馬上から
的に向かって弓を射るという,流鏑馬も行われていたと聞きました。今は舗装され,それも困難な状況にあるようです。
4 境内の南側に隣接する社務所にて衣装を身につけて出番を待つ子ども達です。
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衣装を身に付け準備が整った一同は,水で心身を清めて石段をのぼり拝殿へと向かう。
6 座の皆さんの最終に「人形」と呼ばれる男児の一団が続く。小学生の時分にこの様な体験が出来るのは,本当に貴重だと思います。
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午後4時からのクライマックスを一目見ようと昼過ぎから,多くの見物客が今や遅しと境内で待っている。
右方,正面が「お旅所」で,向かって左側が南になり下座、右側が北になり上座と言う。8
観衆が下の直会殿の周辺で待機している間,拝殿では神事に参加する一同がお祓いを受けていました。
9さて,お祓いを受け終わった「ベンズリ」 (ベンズリ舞を踊る舞人で上下計8名)「火取り」 「脇火取り」「マッタシ」(御串を持つ青年で上下各4名)「人形」さらに駕輿丁の青年,高張り提灯を持つ人などが,お旅所へ下りて来られた。
10 4基の御神輿が駕輿丁の青年の方に担がれてお旅所へ向かう「御輿渡御」です。後ろの観衆からは「なかなか立派な御神輿があるんやなぁ」と言う声がもれていました。
11 これが火祭りのメインを飾る御串で上座・下座に各4本ずつ用意される。この御串を持つ役をマッタシと言うのだそうです。今年は,気候不順で良質のススキが少なくて,頭が痛かったと聞きました。
12巫女さん達によるお神楽の奉納です。普段,雅楽を習われている中学生の女の子達で,白塗りに紅をさしてもらっての晴れ舞台に多少の緊張は隠せない様子でしたが初々しくて
さぞかし神様もお歓びだと思いました。
13ベンズリ舞の最後のシーンです。滑稽で,千鳥足の可笑しい舞に,果たしてあれは振り付けだったのか,それとも正味の動きだったのか,未だに
謎の部分です。しかし先ほどのお神楽と言い,神様もさぞかしお歓びになるに違いないと確信しました。
14いよいよ,クライマックスの「火取り神事」の瞬間です。
お旅所の奥で小さい炎が見えたかと思った直後,正に聖火リレーよろしく「マッタシ」の御串に火が移り,アッという間に前を駆け抜けていきました。
15 早くからカメラを構えていたにもかかわらず,あまりの迫力に目の前の御串を撮るのが精一杯で,アングルも何も考えられませんでした。
16正に,「祭りの後」という感じです。上座の「マッタシ」の御串が4本消火され奇祭の無事の終了を物語っていました。