Russell-Hanson's Patterns of Discovery(テキスト5.1。翻訳は「科学的発見のパターン」、村上陽一郎訳、講談社学術文庫。)
この本、観察の理論負荷性の議論の出所として有名であるが、本全体を読めばその主眼はもう少し別のところにあったことがわかる。クーンやファイヤーアーベントのようにセンセーショナルで読みやすい(口当たりのよい)本ではなく、かなりタフな内容も持った本である。とくに最後の二章、「古典質点物理学」と「素粒子物理学」は、科学哲学をやるためにはどの程度物理学の具体的知識に立ち入らなければならないかがわかるような議論が展開される。また、仮説や理論の検証ではなく、形成や発見の道筋に科学的探求の醍醐味があるのだ、というメッセージも一貫して流れている。
「観察の理論負荷性」 についての古典的テキストは、ラッセル−ハンスンのこの本(1958)の第一章だとされる。
There is a sense, then, in which seeing is a 'theory-laden' undertaking. Observation of x is shaped by prior knowledge of x. Another influence on observations rests in the language or notation used to express what we know, and without which there would be little we could recognize as knowledge. (p. 19)
しかし、彼も引用しているピエール・デュエムが、さらに40年以上も前によくにた趣旨の主張を行なっている。すでに有名になった図をいくつか掲載しておこう。
A young or old lady? (p. 11)
What is this? (p. 13)
Different Contexts provide different organizations,
Birds and Antelopes (pp. 13-14)
これらの図を援用した理論負荷性の議論は比喩にすぎない。そして、その比喩ないし議論によって何が証明されるのだろうか?それをしっかり批判的に検討しながら読まなければならない。
Let us consider Johannes Kepler: imagine him on a hill watching the dawn. With him is Tycho Brahe. Kepler regarded the sun as fixed: it was the earth that moved. But Tycho followed Ptolemy and Aristotle in this much at rest: the earth was fixed and all other celestial bodies moved around it. Do Kepler and Tycho see the same thing in the east at dawn? (p. 5)
しかし、この最後の問いは、問い自体が多義的でまだ分析を要するし、ケプラーやティコの天文学の観測の文脈ではあまり意味をなさない問いである。彼らが太陽、地球、火星などをどのようなものとして見ようが、天文観測のデータはこれら天体の間の相対的な位置関係について同じ情報を与えてくれる。太陽や星の位置(観測された位置)に関する観測データについて、彼らの間では不一致はない。ケプラーは、当代随一の観測家だったティコのデータに全面的に依存して火星軌道の問題に取り組んだのである。そのことは第三章で入念に取り上げられていて、わたしが最初にこの本を読んだときには、この章がもっとも感銘深いものであった。好意的に読めば、先の問いは、火星の軌道を決定するという、ケプラーの理論的問題の文脈で初めて意味を持ってくるにすぎない。先の図が提起するような「ゲシュタルト・スイッチ」の問題がアナロジカルに浮び上がってくるのも、理論転換の文脈においてである。したがって、ラッセル・ハンスンの観察の議論の尻馬にのって大量に費やされた紙とインクは、大部分無駄に費やされたというのがわたしの感想である。
もちろん、この本は科学における理論転換、あるいは概念的変革について啓発的な議論を行なったという大きな功績がある。しかし、その功績は、先のような図をネタにした「観察の理論負荷性の問題」からは切り放して考えたほうがいい。落体の運動に対するガリレオとデカルトの対応の違い(第2章)に続いて、本書のハイライトの一つはすでに触れた第3章、ケプラーの概念的変革のための苦闘である。与えられた観測データの説明、あるいはそれらの最善の統合のために、いかにしてケプラーが彼の3法則(とくに第一法則)に至ったか。こういったエピソ−ドが科学の哲学にどういった含意をもつか。そういった問いに気を配りながら読むべき本であろう。
... he slowly came to suspect that perhaps his predecessors of the previous 2000 years were hasty in thinking the planetary orbits circular. Hindsight makes us underestimate the strength of this ancient maxim; ... But no bolder exercise of imagination was ever required: Kepler dared to 'pull the patters' away from all the astronomical thinking there had ever been. Not even the conceptual upsets of our century of natural science required such a break with the past. (p. 74)
Kepler's 3 candidates for Mars's orbit (p. 77)
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