副題に「アインシュタインと量子の世界」とあるこの本は、アメリカの科学哲学者ファインの代表作である。原著の出版は1986年と、もうかなり古いが、実在論・反実在論の論争を見るときには必読文献の一つ。ただし、この本の内容の大半は、アインシュタインが量子力学に反対した文脈での「アインシュタインの言う実在論とは?」というテーマに費やされているので、初学者には少々難しいかもしれない。しかし、ハードコア科学哲学で実在論が問題となるのはこういった文脈なので、これを敬遠したのでは科学哲学で言う実在論を論じる資格はない。
さて、この本の見所は、「実在論」という言葉にわれわれが勝手に読み込む意味に引きずられないで、「アインシュタインがどういう意味で物理学での実在論を主張しているか」ということの解明にある。もちろん、アインシュタイン自身の多数の論文や手紙などをきちんとふまえた上での議論であり、そこの考証も高く評価されているわけである。アインシュタインがいわゆる「科学的実在論」の擁護者だと思っている人、彼の権威を借りて実在論を擁護したいと思う人は、この本を読んでしっかり反省してもらいたい。わたし自身は、ファインによるアインシュタインの読み方にまったく異存はない。若いときにマッハに影響され、似たような立場から出発したアインシュタインが、壮年時代、晩年と、一般相対論以後に実在論に寝返ったわけではないのである。
この本に言及したのは、ファインの基本的な考えがファン・フラッセンと共通性が多く、素朴な「科学的実在論」をいさめる論調になっているからである。ファインは実在論を斬り、返す刀で反実在論も斬るのだが、わたしの印象では、実在論には致命傷、反実在論にはかすり傷といったところ。ま、ご自分で読んでみることが先決問題だね。
補足(June 6, 2005)
実在論よりの偏見を持つ人々のうちには、この本を読んで論点を十分理解できない方々がいるようなので、サワリを簡潔に解説。アインシュタインの考える「実在論」とは何か。まとまった議論は第6章にある。アインシュタインの認識論的思考には次の二つの大きな特徴がある。
(1) Entheorizing: when asked whether such-and-so is the case, one responds by shifting the question to asking instead whether a theory in which such-and-so is the case is a viable theory. (my italics, Fine 1986, 87)
(2) Holism: In the first instance, holism applies to the testing of hypotheses ... the idea is that the natural unit for experimental confrontation is an organic theory and not some separable hypothesis. ... then Einstein goes on ... to extend his holism from theory choice and simplicity to questions of meaning ... that the natural unit for issues relating to the meaning of individual concepts is also the whole theory. (my italics, Fine 1986, 89)
まず、(1) によって、アインシュタインの「実在論擁護」は、実は「実在論的理論の擁護」にすり変わることに注意。そして、なによりも、これら二つの特徴は、いわゆる標準的な実在論とは相容れないというのがファインの議論の骨子である。アインシュタインは「対応説」的な真理概念を採用しないし、幾何学についてもポアンカレの「規約説」(幾何学プラス物理理論の全体がテストにかかるので、時空の幾何学的構造についても規約説の余地が残る)を支持する。マッハ的な実証主義は捨てたにしても、だからといっておおかたの実在論者の陣営に与したわけではないのである。ファインの議論は綿密なテキストの読みに支えられているので、これを覆すにはそれ以上の周到なテキスト考証(まだ誰もおこなっていない)が要求される。
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