Spacetime Theories and
Measurements
時空の理論と測定──ニュートンの絶対説とライプニツの関係説
力 学では空間と時間の理論が大枠として前提されているのだが、空間や時間をどのようなものと見なすかという時空の理論においても、観察や測定の問題が一つの 焦点となる。これを、ニュートンの絶対時間と絶対空間の説と、それに反対したライプニッツの時空の関係説とを対比させて少し説明してみよう。
ニュー トン力学の古典、『自然哲学の数学的諸原理』(1687年)は、そのラテン語タイトルを省略して『プリンキピア』と呼ばれることが多い。その冒頭で、三つ の運動法則を述べるに先だって、ニュートンは、時間と空間について概略次のような説明を加えている(引用ではなく、要約)。
普通の 人々は、これらの概念を経験的な事物との関係でしか考えないので、誤りが生じやすい。それを避けるために、絶対的な時間空間と相対的な時間空間とを区別 し、力学は絶対的な時間と空間に関わることを銘記することが肝要である。絶対時間とは、外的な事物とは無関係に、それ自体で一様に流れる時間であり、人々 が物理的な手段で測定している時間は、それを不完全に計ったものにすぎない。力学は、本来、絶対時間を使って成り立つものである。他方、絶対空間とは、こ れまた外的事物とは無関係に存続する不動かつ不変の空間で、力学で扱う空間的距離は、この絶対空間に即した大きさでなければならない。かくして、場所や運 動など、力学で扱われるそのほかの概念も、絶対時間と絶対空間に基づいて理解されなければならない。
こ こで想定されている時空を、現代的な時空図(Neo-Newtonian spacetime)に再構成してみると、次図のようになる(このような時空図にしたほうが、特殊相対性理論や一般相対性理論との比較に便利である)。空 間の次元は一つ減らして2次元にしてあるが、3次元の空間の場合も事態はあまり変わらない。図の2次元平面の代わりに、同時性の条件を満たす3次元空間が 時点ごとに積み重なっていくわけである。
ニュー トンは、なぜこのような面倒な説明を加えたのだろうか?それは、彼が次に導入した運動の法則において、「静止」や「直線上の運動」という言葉に明確な意味 を与えておく必要があったからである。運動とは位置の変化であり、時間当たりの距離の変化が速度、速度の時間当たりの変化率が加速度にほかならない。ま た、力の大きさは、加速度と密接に関係づけられる。そういった諸概念は、すべて時間と空間の枠内で規定されていくのである。もちろん、力学の具体的問題を 解く際には、このような時空の定義の問題はあまり表面にはのぼってこないのだが、回転運動などの加速度から力が生じる場合に、どうしても「絶対空間に対す る回転」を前提せざるを得ないとニュートンは考えた。
それにしても、ニュートンのような絶対時間と絶対空間の考えに対しては、直ちに次のような疑問がわくであろう。「絶対時間と絶対空間をこのように定義するのは自由である。しかし、このように定義された時空と、時空の物理的な手段による測定との関係はどうなるのだろうか?その測定が定義を少なくとも近似的に満たすための判定基準を伏せたままで、このような定義は使い物になるのだろうか?」
こ の絶対時間と絶対空間に対しては、早い時期から反対があった。よく知られているのは、数学や力学においてニュートンのライバルだったライプニッツの反論で ある。時間や空間が、その中で運動する事物や物質と無関係に存続するのだとしたなら、例えば絶対空間内の異なる二点はどのように区別されるのだろうか?一 点に赤い物体があり、他方に黒い物体があるのなら、われわれはそれらを手がかりにして二点を区別できる。しかし、物体のない空の二点を見分けることは不可 能ではないか(「それら二点間の距離を測ればいい」という言い分は、「測る物差しという物体を入れたことで、二点が区別されたのだ」というライプニッツの 反対にさらされる)。このような難点を克服すべく、ライプニッツ自身は、時間と空間は事物の間の関係を言い表すための概念にすぎず、それら自体を独自の存 在物と見なすのはおかしいという「時空の関係説」を唱えた。ただし、ライプニッツはこの立場で運動の三法則に相当するものを再構成するまでには至らず、そ の点をクラークやオイラーなどに批判されていた。
同 じような考えから、19世紀の後半には、マッハによるニュートン力学批判がおこなわれており、アインシュタインもマッハから大きなインスピレーションを得 たことは、よく知られている。マッハは、相対運動(相対的距離の変化)のみに基づいて力学を組み直すべきだというプログラムを示していたが、その大きな動 機は、力学がよって立つべき基本的な測定データは、相対的な距離の測定や、相対的な時間の測定しかあり得ないと考えたからだった。もっとも、マッハも「慣 性の法則」(運動の第一法則)や回転運動による力の発生などについては、ヒントを提出したのみで、きちんと解決できたわけではなかった。
そ こで、観察の理論負荷性に関わる問題とは、この場合、ニュートンとライプニッツ、あるいはニュートンとマッハのように、互いに異なる時空説や力学説を唱え る人々の間で、距離や時間の測定について、解消できないような、観測の「理論負荷性」があり得るかということ。答えは否定的であろう。時間の測定は、天文 観測や時計などによっておこなわれ、絶対説であろうが関係説であろうが実質的に同じ手段、同じやり方でなされる。距離の測定についても事態は同じである。 彼らの間での争点は、測定の理論負荷性にはなく、彼らが共通に認める時間や距離の測定データと、彼らが理論的に一致できない時間や空間の定義(考え方)と をどうやって結ぶか、また体系的で、経験とも一致しうる力学理論をどのように構成すべきかというところにあった。時空の理論と観測との独立性は、彼らに あってはいわば共通の前提として認められていたのであり、アインシュタインの相対性理論に大きなインスピレーションを得たシュリックやライヘンバッハらの 論理実証主義が同じ前提から出発したのは、「新科学哲学」がやかましく言い立てたほど不合理なことではなかったのである。アインシュタインの一般向け解説 に目を通せば明らかなように、アインシュタインは、ニュートンとは違って、時空の理論(特殊相対性および一般相対性)を物理的測定ときちんとつないで展開 できるよう腐心していたのである。アインシュタインが到達したのは「一般相対性理論」である。しかし、これがマッハの路線を実現したのか、関係説の立場を 強化したのか、絶対時空とは本当に縁を切ったのか、ということについては疑問が多い。マッハの路線を粘り強く追究し、この観点から一般相対性理論を解釈し 直そうとしているのは、イギリスの物理学者・哲学者、ジュリアン・バーバーである。
Reference
アインシュタイン『特殊および一般相対性理論について』(金子務訳)白揚社、1991。[訳は必ずしも明晰でなく、注や解説も乏しいので、まだ入手できる英訳で読んだ方がわかりやすい。]
Barbour, J. The End of Time, Phoenix, 2000.
Last modified Jan. 26, 2018. (c) Soshichi Uchii