FINE KYOTO 3
道徳起源論から進化倫理学へ、内井惣七
12月18日講演の要旨
5 最大化と満足化
現実の個人や企業などの意志決定が、ゲーム理論や意志決定の数学的理論で使われるような最大化モデルとはかけ離れていることを指摘し、もっと現実的な「合理性」のモデルを提唱したのはハーバート・サイモンです。彼は「限定された合理性」を主張し、この見地から、合理性のエッセンスは「最大化」ではなく「満足化」の原理だと見なしました。
しかし、わたし自身は、人間の合理性が限定されていることは否定しませんが、「満足化」に加えて、合理性の改善も可能だと考えます。とくに、規範倫理を考える際には改善の可能性は不可欠だと思います。そこで、わたしの提案は、「限定されているが改善可能な合理性」という考えのもとで規範倫理を考えようということです。 ところが、このように「改善」の可能性を加えると、最大化原理の意義は改善のレベルで復活します。次の図を見てください。
わたしが理解する最大化原理の意義は、局所的最大化を通じて改善を目指せ」ということで、これは進化における(局所的)最適化の過程とまったく類比的です。 それだけでなく、この合理性の改善の可能性があることから、生物学的な道徳能力を基盤にして、倫理学者の言う規範的な道徳性に到達できる道が開かれると考えられます。
(1)倫理判断や原則の普遍化可能性は、事実、かなり広範に受け入れられている。この事実をどう説明するか?
(2)普遍化可能性をなぜ受け入れるべきだといえるのか?
これら二つの問いを区別し、どちらにも答える必要があります。わたしは、山岸説を援用した(1)の説明のシナリオを描き、改善された合理性の(適当な)見地から(2)に対する答えを与えたいと思います。