FINE KYOTO 3

道徳起源論から進化倫理学へ、内井惣七

12月18日講演の要旨

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4 生物学的基盤から規範倫理への道筋

わたしの論文タイトルの真意がわかりにくいというコメントも予想できます。道徳起源論から規範倫理学までどうつながるのか(コメンテイター奥田君)?それは、次の図で概略を説明できます。

図1

 

ダーウィンが考えたようなシナリオで、自然淘汰により基本的な道徳能力が獲得されたとします。これは図1の上の部分です。 進化生物学では行動戦略あるいは行動パターンの進化の説明と、そのような行動パターンを生み出すためにどういう形質や心的特性が必要かという考察とを区別し、分けて考えます。この区別が図2の究極因と至近因の区別です。

図2

 

言葉はあまり適切でないかもしれませんが、自然淘汰の過程を持ち出す説明は「究極因による説明」といわれ、一群の形質や特性がそろえばある行動が可能になるという説明は「至近因による説明」と呼ばれます。二つは、位置するレベルが違うことに注意してください。先の大きな図1では水平な矢印が至近因のレベルを示しています。母親が子をかわいいと思うから面倒みている、という至近因のレベルの話をしているときに、「彼女は自分の生物学的適応度を上げようと思って子の世話をしているのだ」というたぐいの、レベルを混同したバカな話を持ち込まないでください。ところが、後に倫理の話で同じようなレベルの区別がでてくると、この手のバカな混同が頻繁に行なわれるのです。

さて、図1に戻ると、道徳能力を使った過程が社会の中で進行し、個人個人の社会環境への(半ば意識的、半ば無意識的な)適応行動が行われるはずです。この部分が山岸さんの社会心理学的な研究が対象とした分野で、わたしにとってこれが一つの「ミッシング・リンク」となっていたわけです。山岸説は、ここでも進化ゲームの手法が有効であることを示しました。それが、彼の「信頼の解き放ち理論」です(後述)。この過程は純粋に生物学的過程だとは言えませんが、行動戦略の生物学的進化と同じ原理、同じ数学的手法を使って記述し説明できそうなのです。 最後に、規範倫理に移るところでは、わたしは生物学的過程と社会的過程とによって獲得された能力を使った、個人の合理的選択に基づいて、倫理的規範の正当化が行なわれると見なします。したがって、「合理性」の概念がきわめて重要になってくるわけです。還元主義の精神にのっとって、わたしは人間の能力に見合った「限定合理性」(サイモン)の枠の中で正当化の問題を考えようとします。


→ 5 最大化と満足化

Last modified December 23. (c) Soshichi Uchii