向山型国語に挑戦38 『あどけない話』

200761日 TOSS金魚

斑鳩町立斑鳩東小学校 松本隆行

 

《参考資料》

『高村光太郎詩集』伊藤信吉編(新潮文庫,初版1950年)

『高村光太郎詩集』高村光太郎(岩波文庫,初版1955年)

『智恵子抄』高村光太郎(新潮文庫,初版1956年)

『小説智恵子抄』佐藤春夫(角川文庫)[初版本は1957年刊]

『さかさま文学史 黒髪篇』寺山修司(角川文庫)[初版本は1978年刊]

『智恵子紙絵』高村智恵子(ちくま文庫)[初版本は1979年刊]

『智恵子飛ぶ』津村節子(講談社文庫)[初版本は1997年刊]

 

100発問】

1.        題名は何ですか。(あどけない話)

2.        題名が「空」ではなくて「あどけない話」になっているのはなぜですか。(?)

3.        「あどけない」のは「空」ですか,「話」ですか。(話)

4.        『あどけない話』は何という詩集に収録されていますか。(『智惠子抄』)

5.        詩集『智惠子抄』が最初に出版されたのはいつですか。(昭和16年)

6.        作者は誰ですか。(高村光太郎)

7.        話者は誰ですか。(高村光太郎自身だと考えてかまわないだろう。)

8.        高村光太郎について調べなさい。

9.        「高村光太郎」は本名ですか。(本名である。ただし,本名の読みは「みつたろう」。)

10.   高村光太郎の父親は誰ですか。(高村光雲)

11.   何連の詩ですか。(1連)

12.   口語詩ですか,文語詩ですか。(口語詩)

13.   定型詩ですか,自由詩ですか。(自由詩)

14.   抒情詩ですか,叙事詩ですか。(抒情詩)

15.   歴史的仮名遣いですか,現代仮名遣いですか。(歴史的仮名遣い)

16.   旧字体ですか,新字体ですか。(旧字体)

17.   常体ですか,敬体ですか。(常体)

18.   韻を踏んでいますか。(踏んでいない。)

19.   体言止めはありますか。(ない。)

20.   比喩はありますか。(ない。)

21.   本文は何行ですか。(13行)

22.   この詩を起承転結に分けなさい。(本文1〜2行目が起,39行目が承,1012行目が転,13行目が結。)

23.   起の部分を短くまとめなさい。(空が無い)

24.   承の部分を短くまとめなさい。(きれいな空)

25.   転の部分を短くまとめなさい。(ほんとの空)

26.   結の部分を短くまとめなさい。(あどけない空の話)

27.   話者は何を見ていますか。(空)

28.   智惠子は何を見ていますか。(空)

29.   2人の見ている空は同じものですか。(ちがう?)

30.   繰り返されている言葉は何ですか。(いふ[言ふ],空,ほんとの空)

31.   この詩が書かれたのはいつですか。(昭和3年5月)

32.   この詩が書かれた当時,智恵子は何歳でしたか。(43歳)

33.   句点はいくつありますか。(7つ)

34.   読点はいくつありますか。(2つ)

35.   なぜ本文1行目の最後には句点ではなく読点が付いているのですか。(?)

36.   「 」はありますか。(ない。)

37.   「 」を使わずに会話文を書く方法を何といいますか。(間接話法)

38.   なぜ間接話法が用いられているのですか。(実際の智恵子のせりふは冗長だから?)

39.   話者は東京にいますか,東京以外にいますか。(東京にいる。)

40.   「ほんとの空が見たい」とは,言い換えるとどういう意味ですか。(故郷に帰りたい。)

41.   話者にとって,東京の空は「ほんとの空」ですか。(はい。)

42.   「 」を付けるべき部分はどこですか。(「東京に空が無い」「ほんとの空が見たい」「「阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だ」」)

43.   直接話法にした場合,「阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が智恵子のほんとの空だ」ではおかしいですね。どのように書き換えればいいですか。(「阿多多羅山の山の上に毎日出てゐる青い空が私のほんとの空よ」)

44.   「あどけない」とはどういう意味ですか。辞書で調べなさい。(無邪気でかわいい。することが幼い。)

45.   智恵子とは誰ですか。(高村光太郎の妻。)

46.   「切っても切れない」とありますが,何が切れないのですか。(空)

47.   なぜ空が「切っても切れない」と書いてあるのですか。(桜若葉によって分断されているように見えるから。)

48.   「切っても切れない」ものは空のほかに何が考えられますか。(話者と智惠子,故郷と智惠子)

49.   「むかしなじみのきれいな空」は,東京の空ですか,阿多多羅山の上の空ですか。(東京の空)

50.   誰にとって「むかしなじみ」なのですか。(話者)

51.   東京の空は空気が汚れているからほんとの空ではない,という考えは正しいでしょうか。(正しくない。)

52.   なぜそういえますか。(「むかしなじみのきれいな空だ。」と書いてあるから。)

53.   話者は,智惠子の「東京に空が無い」という言葉を聞いてどうしましたか。(驚いて空を見た。)

54.   季節はいつですか。(春)

55.   季節がわかる言葉は何ですか。(櫻若葉,地平のぼかし)

56.   朝・昼・夕方・夜のうち,いつですか。(朝)

57.   なぜ朝だとわかりますか。(「朝のしめり」と書いてあるから。)

58.   話者が見ているのは東西南北のどちらですか。(東)

59.   なぜ東だとわかりますか。(「地平のぼかし」「うすもも色の朝のしめり」は朝焼けを表していると考えられるから。)

60.   「あどけない空の話」とは何をさしているのですか。(智恵子が話す空の話。)

61.   なぜ「私は驚い」たのですか。(智恵子が「東京に空が無い」と言ったから。)

62.   本文1行目・2行目・12行目では「いふ」と表記されているのに,本文9行目だけ漢字の「言ふ」になっているのはなぜですか。(わからない。随筆『智恵子の半生』の中では,すべて「いふ」になっている。)

63.   なぜ「本当」ではなく「ほんと」になっているのですか。(智恵子の語る言葉らしく書いているから?)

64.   阿多多羅山の現在の名前は何ですか。(安達太良山)

65.   安達太良山はどこにありますか。(福島県中部)

66.   安達太良山の高さを調べなさい。(1699m

67.   なぜ智恵子は「東京に空が無い」と言ったのでしょう。

68.   なぜ智恵子は「阿多多羅山の山の上に/毎日出てゐる青い空が/智恵子のほんとの空だ」と言ったのでしょう。(阿多多羅山がある所が智恵子の故郷だから。)

69.   なぜ「阿多多羅山の山の上に」と「山」が2回重ねられているのでしょう。

70.   1957年の映画『智恵子抄』の監督は誰ですか。(熊谷久虎)

71.   1957年の映画『智恵子抄』で高村光太郎を演じたのは誰ですか。(山村聰)

72.   1957年の映画『智恵子抄』で智恵子を演じたのは誰ですか。(原節子)

73.   1967年の映画『智恵子抄』の監督は誰ですか。(中村登)

74.   1967年の映画『智恵子抄』で高村光太郎を演じたのは誰ですか。(丹波哲郎)

75.   1967年の映画『智恵子抄』で智恵子を演じたのは誰ですか。(岩下志麻)

76.   1956年のテレビドラマ『智恵子抄』で高村光太郎を演じたのは誰ですか。(宮口精二)

77.   1956年のテレビドラマ『智恵子抄』で智恵子を演じたのは誰ですか。(新珠三千代)

78.   1970年のテレビドラマ『智恵子抄』で高村光太郎を演じたのは誰ですか。(木村功)

79.   1956年のテレビドラマ『智恵子抄』で智恵子を演じたのは誰ですか。(佐藤オリエ)

80.   1994年のテレビドラマ『智恵子抄』で高村光太郎を演じたのは誰ですか。(滝田栄)

81.   1994年のテレビドラマ『智恵子抄』で智恵子を演じたのは誰ですか。(南果歩)

82.   「むかしなじみ」を漢字にしなさい。(昔馴染)

83.   「きれい」を漢字にしなさい。(綺麗・奇麗)

84.   「どんより」とはどういう意味ですか。(副詞。空がくもって重苦しいさま。)

85.   「けむる」を漢字にしなさい。(煙る)

86.   「ぼかし」を漢字にしなさい。(暈し)

87.   「うすもも」を漢字にしなさい。(薄桃)

88.   「しめり」を漢字にしなさい。(湿り)

89.   話者と智惠子の位置関係を図にかきなさい。

90.   智惠子の話は「あどけない」でしょうか。(あどけないとは言えない。)

91.   「あどけない」という言葉には,話者のどんな気持ちがこめられていますか。(智惠子が幼い日々に帰りたがっているのだなあ…という気持ち?)

92.   対比されている色は何と何ですか。(うすもも色と青)

93.   対比されている地名は何と何ですか。(東京都と阿多多羅山)

94.   「無い」と対比されている言葉は何ですか。(在る)

95.   智惠子が見たいものは何ですか。(ほんとの空=阿多多羅山の上の青い空)

96.   「ほんとの空が見たい」とはどういう意味ですか。(故郷に帰りたいという意味。)

97.   話者と智惠子の対比を考えなさい。(東京⇔遠く,きれいな空⇔ほんとの空,桜若葉⇔阿多多羅山)

98.   この詩を1語の2字熟語で表すとしたら,何になりますか。(望郷,断絶,誤解,故郷,夫婦,…)

99.   智恵子をモデルにした津村節子の小説は?(『智恵子飛ぶ』)

100.             話者の見ている空を絵にしなさい。


『あどけない話』関連の切り抜き

 

 先生が詩作においてどんなに言葉にこころを配っているかは「詩を書くのに文語の中に逃げ込む事を決してしまいと思つた。どんなに傷だらけでも出央るだけ今日の言葉に近い表現で書かうと思つた。文語そのものから醸成される幽玄性と美文性とは危険である。その誘惑は恐ろしい。言葉は必ず洗はう。言葉の肌の附着物を浄め去らう。」(「文語」―昭和元年)といい、また別に「私が漢文調、和文調の文章語の美と魅力とを十分感じてゐながら、自分の詩には一番魅力の欠けてゐるとされてゐる現在の所謂口語を用ゐてゐるのは、その蕪雑とされてゐる口語の中に、何かの未発見の美を発見し、何かの力を探り出しまたそれを使つてゐる間に幾分でもその表現機能を整備し、あるいは表現密度を高くし得るかと思ふ心があつての事でもある。」(「言葉の事」―昭和十四年)と述べているのでもよくわかる。先生の平明な口語体の詩はこうした深い配慮から作られたものであり、「光太郎の詩の、美しいもの、真実なものに対する善意と愛は、こういう言葉に対する善意と愛に裏づけられて成立している。」(黒田三郎氏)という評言は当をえたものだと思う。先生はいつか私に「文語では胡麻化すことができるが、口語では胡麻化せない。」といわれたことがあるが、この胡麻化しえない口語を積極的に用い、未知の美と力とを掘り出そうとする制作態度に、またヒューマニスト詩人としての先生を窺うことができると思う。〈「道程」以後〉におさめられた多くの口語詩は、以上の先生の意欲と努力とによって結実したもので、高村詩の典型はここに完成を告げたと見ることができるのである。

『高村光太郎詩集』(岩波文庫,1955年)編者・奥平英雄による「あとがき」より

 

私は彼女の前半生を殆ど全く知らないと言っていい。彼女について私が知っているのは紹介されて彼女と識ってから以後の事だけである。現在の事で一ぱいで、以前の事を知ろうとする気も起らなかったし、年齢さえ実は後年まで確実には知らなかったのである。私が知ってからの彼女は実に単純真撃な性格で、心に何か天上的なものをいつでも湛えて居り、愛と信頼とに全身を投げ出していたような女性であった。生来の勝気から自己の感情はかなり内に抑えていたようで、物腰はおだやかで軽桃な風は見られなかった。自己を乗り越えて進もうとする気力の強さには時々驚かされる事もあったが、又そこに随分無理な努力も人知れず重ねていたのである事を今日から考えると推察する事が出来る。

その時には分らなかったが、後から考えてみれば、結局彼女の半生は精神病にまで到達するように進んでいたようである。私との此の生活では外に往く道はなかったように見える。どうしてそうかと考える前に、もっと別な生活を想像してみると、例えば生活するのが東京でなくて郷里、或は何処かの田園であり、又配偶者が私のような美術家でなく、美術に理解ある他の職業の者、殊に農耕牧畜に従事しているような者であった場合にはどうであったろうと考えられる。或はもっと天然の寿を全うし得たかも知れない。そう思われるほど彼女にとっては肉体的に既に東京が不適当の地であった。東京の空気は彼女には常に無味乾燥でざらざらしていた。女子大で成瀬校長に奨励され、自転車に乗ったり、テニスに熱中したりして頗る元気溌剌たる娘時代を過したようであるが、卒業後は概してあまり頑健という方ではなく、様子もほっそりしていて、一年の半分近くは田舎や、山へ行っていたらしかった。私と同棲してからも一年に三四箇月は郷里の家に帰っていた。田舎の空気を吸って来なければ身体が保たないのであった。彼女はよく東京には空が無いといって歎いた。私の「あどけない話」という小詩がある。

 

智恵子は東京に空が無いといふ、

ほんとの空が見たいといふ。

私は驚いて空を見る。

桜若葉の間に在るのは、

切っても切れない

むかしなじみのきれいな空だ。

どんよりけむる地平のぼかしは

うすもも色の朝のしめりだ。

智恵子は遠くを見ながらいふ。

阿多多羅山の山の上に

毎日出てゐる青い空が

智恵子のほんとの空だといふ。

あどけない空の話である。

 

私自身は東京に生れて東京に育っているため彼女の痛切な訴を身を以て感ずる事が出来ず、彼女もいつかは此の都会の自然に馴染む事だろうと思っていたが、彼女の斯かる新鮮な透明な自然への要求は遂に身を終るまで変らなかった。彼女は東京に居て此の要求をいろいろな方法で満たしていた。家のまわりに生える雑草の飽くなき写生、その植物学的探究、張出窓での百合花やトマトの栽培、野菜類の生食、ベトオフエンの第六交響楽レコオドヘの惑溺というような事は皆この要求充足の変形であったに相違なく、此の一事だけでも半生に亙る彼女の表現し得ない不断のせつなさは想像以上のものであったであろう。その最後の日、死ぬ数時間前に私が持って行ったサンキストのレモンの一顆を手にした彼女の喜も亦この一筋につながるものであったろう。彼女はそのレモンに歯を立てて、すがしい香りと汁液とに身も心も洗われているように見えた。

(『智恵子抄』高村光太郎(新潮文庫,1956年)所収『智恵子の半生』より)

 

 

 湿度の高い東京の夏は、病弱な智恵子には堪え難かった。

 二階の仕事部屋の窓を開け放ち、風を入れながらカンバスに向うが、ねっとりとした空気が軀中の毛穴をみなふさぐような感じで、息苦しくなる。

 水中にもぐっている海女が、海面に浮上して深い呼吸をするように、智恵子は外気を求めて外へ出る。

 駒込林町は樹木が多く、閑静な地であった。だが、阿多多羅連峰と阿武隈の大河が流れる間にひらけた地味豊かな油井の里に生れ育った智恵子にとって、東京の町に残されている自然は箱庭のようにしか感じられず、樹々や建物の問からのぞく空は、まるで切り取ったくもりガラスのようにしか見えなかった。

 少しでも自然に接したいと願って、智恵子は出窓に花鉢を置き並べ、庭の空地にトマトやきゅうり、菜っぱ類を栽培した。乏しい家計のやりくりに役立つし、朝もぎのトマトやきゅうり、青々とした菜は軀に活力を与えてくれた。仕事部屋に静物を置き、カンバスに向うよりも、家の周囲に生えている雑草を写生するほうが、気分が晴れやかになる。

 ふるさとの空が、たまらなく恋しくなる時は、精神的にも肉体的にも疲れてきた時であった。阿多多羅山のはるか向うまでひろがる空、どこまでも突きぬけるように澄み切った空が、本当の空だ、と智恵子は思う。ふるさとの空気は肺の隅々まで浄化してくれ、深呼吸すると、毛細血管の先端まで新鮮な酸素を含んだ血液が送り込まれるような気がする。

 智恵子の居ない暮しが、光太郎にとってどんな空虚なものかわかり切っているが、それでも油井へ帰りたいという思いは抑え難く、光太郎は智恵子の心身の健康を思って、帰郷を快く許してくれた。

 ふるさとに帰ると、智恵子は忽ち元気になった。今朝吉もセンも、上機嫌で智恵子を迎え、家の中は活気が漲る。

 毎日毎日食費の捻出に苦しみ、隈られた材料で如何に食卓に変化をつけるかに頭を悩ますことから解放され、寝ていたいだけ眠り、食卓に向えば智恵子の子供の頃からの好物が並んでいる。

 陽射しは強いが朝夕は涼しく、日中も空気が乾燥しているせいか凌ぎよい。二階の大通りに面した四畳半と、隣の九畳の智恵子の居室だった二室は、いつ帰って来てもよいように昔のままになっていて、四畳半の連子格子の窓からは人々や荷車の往来が見え、九畳の窓からは、階下の隠居部屋の前に作られた花壇や、池や稲荷社のある庭が見える。花壇にはみちのくには珍しいチューリップやダリアが、折々に咲き乱れていた。

 智恵子は毎日林を歩き、山に登り、数多くの風景画を描き、充分に休養して帰京する。光太郎は、少し陽焼けし、血色のいい智恵子を迎えて安堵した。智恵子は早速描いてきた絵を見せ、光太郎はそれについて感想をのべる。

(『智恵子飛ぶ』津村節子(講談社文庫,2000年[初版単行本は1997年刊])より

 

春も終りに近づいたころうららかなある朝、光太郎はいつものように自分で朝の食事を用意してしまって、ふだんのように軽く楽しげな智恵子の足音が、二階の階段から近づいてくるのを、今か今かと待ち受けているのに、智恵子は、八時半になっても九時になっても現われない。早起きで、今までは七時より遅れたこともなかった彼女だから不思議である。怪しみながら寝室へ行ってみると寝床はもぬけのからで智恵子は影も形もない。

 いよいよもって不思議だから、光太郎は、

 「智恵さん、智恵さん」

 と愛妻の名を連呼しながらその画室や、自分の工房や、あちらこちらと捜し歩いてみたが、ついぞ見当たらない。これ以上捜す場所もなくなったので、ぜひなく工房に入ってきのうの為事などを検してみていると、玄関にそれらしい足おとがしたので、

 「智恵さんか!

 と呼んでみると、

 「はい」どはっきりした返事のあとで「なあに?」ととぼけたような返事に、

 「僕、さっきから捜しつづけていたんだぜ。なあにもないものだ。早くここへ来てパンをあがりなさい」

 「そう、それはすみません」

 静かにそう言いながら智恵子は元気よく、工房に入ってきた。

 「心配したが早く帰ってきてよかったね」

 「帰ってくるわよ。自分のうちなのですもの。わたしここより帰るところないでしょう」

 「うん。どこへ行ってきた」

 「あんまりいいお天気だから、わたし空を探しに行ってきましたのよ。空のないのはうちだけかと思ったら、東京にはこんないいお天気でもどこにも空はないのね」

 光太郎はきょとんとした表情で、智恵子のあどけない表情を見入っていたが、やっと口を開いた―

 「いくらうちが貧乏したって、うちの窓にだって空はありますよ」

 「それは、わたしだってそう思ったのですけれど、うちではどの窓からも空は一つも見えませんもの。冬中は雲があって見えないのだと思っていましたが、春になってもどこにも空がないのであまり不思議でならないから、きょうはいいお天気だからきっと東京でもどこかに空が見えるだろうと思いついてひとりで探しに行ってみましたの」

 「いったいどこへ空を探しに出かけたの?

 「団子坂の上から森さんの門の前を通ってもう少し先きの方の右側に樹のたくさん茂っているところがありましょう」

 「観潮楼の先きの太田ケ原ですか。太田子爵の裏の閑地ですが、池があったでしょう」

 「ええ浮き草のよく繁ったお池があってよ。とてもしずかないいところでしたわ。けれど、やっぱり空は見つかりませんでした。わたし東京には空がないのだとあきらめて帰ってきましたの。けれど太田ヶ原とかいうところを見つけたのはうれしかったわ。それで、あそこでしばらく散歩していましたわ」

 「そう。それはよかったね。しかし森先生の前のあたりは、あの二階からは海まで見晴らすというほど、展望が利いて、東京でも空のよく見えるところなのだがね」

 「だめでした。あそこからは不忍の池や上野の山の散り残った花もよく見え、遠くの町の屋根もずっとつづき重なってよく見えましたけれど、空はかけらも見えませんでした」

 「遠い町の上には空はありませんでしたか」

 「いいえ、まるでありませんでしたの。ただ赤っちゃけてもやもやしているだけでしたわ、霞に似た霞でないものが」

 「それが紅塵万丈って奴なのです」

 「大都会の?」

 と智恵子のほうはやっといくぶん納得がいきかかった様子であったが、東京に空のない話は、光太郎にはどうしても合点がいかなかった。現にこの工房の北の窓からだって、欅のすでに新芽を持った小枝の隙間から、すこしかすみ気味にどんよりと湿気を帯びた空の一部分がガラス越しにのぞき出している。

 光太郎は窓越しの欅の梢のあたりを指し示して、

 「あそこにだって、あんなに空があるではありませんか」

 と言ったが、智恵子は一眼ちらっと見ただけで強くかぶりを振って、

「いいえ!あれは空ではありません。ただの空間ではありませんか。空というのはあんなものではありませんの。犬吠の海よりももっと青くってきれいな底の知れないほど深いものなのです。そうね。上高地の梓川の水の深い淵になった所には、空にいくらか似たようなものがあったわ、でも空は東京にはどこにもありません。二本松の阿多多羅山の上にある澄みとおった青いものがわたしの言う空なのです」

 と、こう説明を詳しく聞いて、光太郎にもやっと東京には空のないことを、ただの空間を空と思い込んでいた東京育ちの自分を、苦笑しながら承認して、

 「そう聞いてみると、僕は世界じゅうの空間ばかり見て歩いて、まだほんとうの空は見たことがないようですね。海の上には少しはあったかしら。今度いつか、二本松へ行って智恵さん

といっしょに阿多多羅山のほんとうの空を見たいものだね」

(『小説智恵子抄』佐藤春夫(角川文庫)より 初版本は1957年。)

 

驚いて空を見る私というのは、光太郎のことである。

彼は、自分の彫刻のことで頭がいっぱいで、智恵子がどれほどさびしがっているかを考えてやるいとまがなかった。

だから、智恵子が、

「東京に空が無い」

と言っても、ただ「驚いて空を見」あげて、それから笑いだし、「あどけない空の話」だと言ってしまうのである。

こうした鈍感さが、智恵子には悲しかった。

なぜなら、智恵子は「空の話」などをしているのではなく「二人の愛の話」をしたつもりだったのだからである。

二人で東京に暮らし、「ここにはほんとの空が無い」と言われたとき、せめて「ほんとの空」というのが何を意味しているかを考えてくれるやさしさが智恵子にはほしかった。

しかし、光太郎は、それをくれなかった。「彫刻のための竈の泥を凍らせてはいけないよ。智恵子よ。夕方の台所がいかに淋しかろうとも、石炭は焚こうね」

と光太郎は口ぐせのように言っていた。

しかし、智恵子は、せめて一日でもいいから、夕方の台所にあたたかい汁の湯気を立ちのぼらせて、「彫刻のことを忘れた、二人だけのひととき」を持ちたかったのだ。

この頃すでに智恵子は、正気を失っていた。

そして、童女のようにあどけない顔をしながら、発狂していたのである。

(『さかさま文学史 黒髪篇』寺山修司(角川文庫)[初版本は1978年刊]より)


『あどけない話』授業記録

2007/5/15 6時間目 4年生27

奈良県・斑鳩町立斑鳩東小学校 松本隆行

「この詩の中では,智惠子と「私」が対比されています。ノートの半分のところに線を引いて,上に智惠子,下に「私」と書きます。」

 児童との問答によって,次のような対比が出てきた。

智惠子                          「私」

遠く                              東京

ほんとの空                  むかしなじみのきれいな空

阿多多羅山の山の上  櫻若葉の間

                                  うすもも色

東京に空が無い          あどけない空の話

「智惠子が見ている『遠く』とはどこですか。」

児童から「阿多多羅山です。」「智惠子のいなかです。」という意見が出た。

「そう,智惠子の故郷です。智惠子は生まれ故郷から離れて東京にいる。そして,東京に空が無いと言う。「私」の故郷はどこですか。東京ですね。」

「智惠子と「私」はどういう関係なのでしょうか。ア 親子 イ 夫婦 ウ 恋人 エ その他」

 ア4人,イ3人,ウ1人,エ19人であった。エその他19人のうち,5人は「友達」と答え,残り14人は「わからない。」と答えた。

「この詩を書いた人は高村光太郎といいます。高村光太郎は結婚していて,奥さんの名前は智惠子といいます。この詩の「私」は高村光太郎だと考えて差し支えないと考えられます。じつは夫婦なんです。(えーっという声が上がる。)智惠子と高村光太郎は東京に住んでいます。高村光太郎は東京生まれ東京育ち。智惠子は福島県出身です。智惠子は『東京に空が無い』と言います。それを聞いて,高村光太郎は『かわいそうに』とは言っていません。『あどけない』と言っています。智惠子の空と「私」の空は『切っても切れない』のですね。この詩について,お話を書いてごらんなさい。今,どんな状況なのか。智惠子と「私」は今何歳ぐらいで,何をしているか,想像して書くんですよ。」

 智惠子は30代。私は42歳。今は東京のホテルにとまっている。お金持ちでもなく,びんぼうでもない,ふつうの生活をしている。

 いつもはあたたら山に住んでいる。

 

 智惠子は43才で,高村光太郎は44才です。

 今は,外に出ていて,東京にいます。

 いつも,高村光太郎は,仕事をしていて,智惠子は,赤ちゃんのめんどうをしています。

 いつもたのしくしています。

 

 ちえこは,39さいくらいで,わたしは,40さいで,家は,ひろくて,こどもが2人いています。こどもは,女の子と男の子がいます。女の子は8さいで男の子は5さいです。ちえ子は元気でわたしも元気です。

幸せそうな夫婦像を描く児童が多かった。が,中には次のようなものもあった。

 いなかの事を智惠子がするとあどけないと高村さんがいうからいつももめている。生まれた所がちがうと,とかいといなかの空がちがう。