障害者の大会に参加して(1994年10月号)

      教養部井澤さん支援プロジェクトコーディネーター  伊藤義之

 思えば大学に初めて全盲の学生が入ることになり、教育支援のためのコーディネーターに私が選ばれたのは今年の3月、つい半年前のことでした。私はそれまで、街角や駅などで盲人を見かけても、日常的につきあい話しあうことはありませんでした。友人の中にも盲人やその他の障害を持つ人々はほとんどいませんでした。その頃、障害者に関する知識はありましたが、実感として捉えていなかったと思います。正直なところ、今年まで障害者の生活や社会福祉にもそれほど関心を持っていませんでしたし、全障連(全国障害者解放運動連絡会議)という組織の存在すら知りませんでした。しかし、盲人学生の教育環境の整備に私なりに関わっていくうちに、障害者に対する関心が私の中で広がっていき、全障連の大会にまで行ってみようと思うようになったのです。
 大会には健常者と障害者の触れ合いがあり、つねに隔離され、私たちの目の前にはなかなか現われない障害者という存在がごく身近にありました。その結果、障害者との共生を私自身ごく当然のことと受け取れるようになりましたし、その気持ちをみんなに広げていくべきだという気持ちにもなり、今回の記事はそういう気持ちが書かせたものです。

 昨年天理で行なわれた全障連の全国大会が今年は9月17日、18日の二日間、岐阜で開催されました。大会は10近い分科会に分かれそれぞれ討議が行なわれましたが、私が参加したのは教育分科会です。今年の分科会のテーマは「共生教育の課題と展望を考える」。障害者だけを隔離していたこれまでの教育のあり方を見直し、統合教育を求めていく各種の実践を報告する形で会は進んでいきました。分科会の会場にあてられた岐阜市商工会議所の会議室には盲導犬に導かれた盲人学生、脳性マヒで高校を受験し続けている青年、それに人工呼吸器をつけた寝たきりの小学生も3人来ていました。彼らは隔離教育、特殊教育を拒んで普通学校の普通学級に通う、あるいは通おうとしている人たちです。

 障害者自身やその家族、また現場の教師、彼らの権利裁判を支援する弁護士の報告を聞いているうちに、統合教育とその基盤となっている共生社会(障害者が自立して生きていける社会)の確立は世界的傾向だけれども日本では様々な面で立ち遅れが目立つ、ということが私には分かって来ました。学校や行政の対応は必ずしも共生社会を目指すものではないようです。そしてその背景には障害者に限らず、被差別部落民や在日外国人、帰国子女など、少数者を切り捨てていく「単一民族、同質社会の日本」という幻想がありそうに私には思えてきました。出る杭は打ち、引っ込み過ぎた杭は引っ張りだして、みな同じに揃えよう、どうしても揃えられないものは排除するしかないという、悪平等、横並び思想です。
 例えば、障害者の受け入れを拒否する学校や行政側の言い分は「設備が整っていない」「カリキュラムが障害者向けに出来ていない」などです。これらは一見もっともに聞こえますが、実際は「みんな同じ」という美名の下にある「逸脱者排除」です。彼らは本来、逸脱者ではなく、多様な人々で構成する社会の構成員の一人でその意味で私たち「健常者」と同じ存在のはずですが、同質性を指向する社会こそが彼らを逸脱者に仕立て上げ、私たちもそれが当たり前のように思いこんできたところがあるように思います。これは無知である私たちにも責任があるでしょう。無知が差別を生む大きな要素であることは昨年起きた在日学生集団暴行事件にも見られます。

 こうした気持ちを改めるには、やはり彼らと身近に接していくことが第一ではないかと思います。従来我が国では障害者が分離され、隔離されて健常者の目から遠ざけられてきました。そのため、相互の理解が進まず、共生することへの心構えや環境的整備が遅れました。全障連の大会の討論の中で、一般の大学に通うある全盲の学生がこんな発言をしました。

「私は、障害者が普通の学校に行くことによって、周囲の人たちに考える機会を与え、触発することが出来ると思っています。普通の学校に行くことによって周囲は変わります。設備も整っていくし、規則も変わっていくものです。」

 私自身、天理大学での経験からまさにその通りだと思って聞くことができました。天理大学にも何人かの障害者と呼ばれる人たちが学んでいます。まだまだ数が少ないため、多くの目に触れることはないかも知れません。大学の構成員全員を触発するということはまだできないかも知れません。しかし、少なくともその周囲の人は確実に変わっていっています。その中の一人として、私は全盲の学生と関わるチャンスができ、自分の世界を広げてくれた幸運に感謝しています。

 障害者だけでなく、隔離された状況で生きているかぎり、「異文化」は理解することが困難ですし、個人的に親しくなることは不可能に近いことです。しかし、身近に接していくと、自分と異なるものに対する受容や寛容の気持ちが生まれてきます。日本の社会や教育の現状を見ていると、あまりにも狭量な、異なるものに対する非寛容さが目立ちます。障害者の困難も、各種被差別者の苦労も同じ根から出ていますが、逆に言えばそこを断ち切れば「逸脱者」の生きやすい社会になる可能性も出て来るということも言えるかも知れません。あらゆる人が尊厳をもって共生できる社会をつくることに、今後とも何かの形で関わっていきたい、という決意を新たにしています。