私の「電子講義室」構想
      −大学時報(日本私立大学連盟発行)第42巻229号収録を一部改変してTulipsに掲載−

教養部  伊藤義之

■ビデオやOHPの利用は珍しいですか
 私は大学で異文化間コミュニケーションや文化人類学などの科目を担当しています。とりわけ異文化間コミュニケーションの講義では、階段教室にあふれる数百人の学生が相手です。出来るだけ多くの者が興味を持ち、理解ができるようにと、私はビデオやOHPなどを多用し、学生に配付するプリントなどにもグラフや表を多用し、講義のビジュアル化を心掛けています。
 そのような教授法は珍しいということで、ここに執筆する機会をいただいたわけですが、どこの大学にもAVの設備が整えられた今日、自分としてはそれほど珍しい教授法とは思いません。むしろ、現在のやり方には不満が多く、自分の望む形の講義を行なうためには、設備や制度の面でまだまだ不十分だと感じることの方が多いのが実情です。が、幸いこのような機会を得たので、ここでは、これからやりたい(やらなければならないと思っている)講義の方法を中心に話を進めていこうと思います。

■ビジュアル世代の学生と講義の変容の必然性
 いまやテレビ、ビデオなど視聴覚機器がパーソナル化し、情報源が新聞や雑誌、書籍など主に活字であった時代とは学生の情報の得方が異なってきています。学生による授業の評価をみると、教員がただ話しそれを聞くだけの授業は好まれていないことがよく分かり、印象に残ったものは講義の中で見たビデオだ、という意見が多く見られます。ビデオの効果は我々「活字世代」よりもずいぶん大きなものがあるようです。
 現代社会は情報伝達の手段が明らかに変化しています。活字メディアの衰微、ビジュアルメディアの興隆、メディアのパーソナル化、単方向的コミュニケーションから双方向的(リアルタイム)コミュニケーションへの移り変わりなどが情報化社会の大きな特徴です。
 そうした時代に育ってきた、彼ら「ビジュアル世代」の学生のことを考えると視聴覚機器を使うのはごく当たり前のことではないでしょうか。学生におもねる必要はありませんが、現代の学生と教員の間にコミュニケーションギャップがあるなら、それを埋めることが必要です。教員が黒板に板書して、それをノートに書き取らせる授業は、メディアが発達した現代社会のコミュニケーションの方法としては時代おくれな面があるのではないでしょうか。

■教員にとって講義はプレゼンテーション
 私の、講義に対する基本的な考え方は「講義はプレゼンテーションである」ということです。講義には色々なスタイルがあってしかるべきですが、とくに大きな講義室で多人数の学生を相手にするときは、こちらの意図がよく伝わるようにする必要があります。講義は教員と学生のコミュニケーションであり、その目的は双方の意図が互いによく理解されることですから、教員側から見るとそれはプレゼンテーションの場だということが出来ると思います。
 企業の会議の場面など、ビジネスコミュニケーションにおけるプレゼンテーションでは、自分の立てた企画を理解させ実現させるために、表やグラフなど短時間で内容が把握できる視覚的効果を駆使して説得を図ります。講義のスタイルも基本的には同じでしょう。
 私の講義も原則的には話すことを中心としたものですが、数百人を相手に直感的に理解させるため、見せる工夫をし、ビデオやOHP、そしてプリントを多用します。プリントには絵、表、グラフを入れます。加えて、自分自身のからだを使ったパフォーマンス(実演)もビジュアルコミュニケーションの大事な手段だと考えています。とくに私の講義の重点がノンバーバルコミュニケーション(言葉以外の、例えばジェスチャーや表情など)にあるため、実際にジェスチャーをする、表情を示す、においの話であれば講義室で香を炊く、テープを聞かせる、あるいは持ってこれるものは実物を持ってきて示す、など講義の内容を学生に身近なものにし、心理的距離を小さくしています。また学生との距離は心理的距離だけでなく、物理的にも小さくします。大教室の場合は学生の講義への関心度と物理的距離が正比例するので、とにかく学生の間を歩き回って、学生と教員の距離の遠さによるコミュニケーション不足をカバーするようにしています。

■プレゼンテーションだけで終わらせてはならない
 しかし、現在の私のやり方ではコミュニケーション不足は否めません。プレゼンテーションは第一歩であって、そこから双方向的コミュニケーションへと進んでいかなければなりません。しかし、現在の方法だけでは次のような問題に行き当たっています。
・学生は理解したかどうか、反応してくれない。
・学生は意見や疑問を言ってくれない。
・学生はディスカッションに参加してくれない。
 学生の反応を気にせずに、講義を「一方向的な知識の伝達の場」と考えている教員は別として、学生に講義の内容に興味を持ってもらいたい、理解を深めてもらいたい、講義を学生とともに自分の学ぶ場にしたい、と考えている教員に共通する悩みが、学生とのコミュニケーションの少なさです。そのためには、もっと色々な方法を取らなければなりません。プレゼンテーションの仕方がいくらビジュアル化してもテクストを示すだけではただの一方通行です。双方通行にするにはどうすればよいでしょうか。学生の意見をどうやって引き出せばいいでしょう。

■パソコン通信の導入
 学生の意見を引き出す工夫の一つとして、私はパソコン通信を考えています。今、私たちの学部では教員のパソコン通信ネットワークが出来上がっており、公私に渡って有効に活用していますが、それを学生にも拡大していこうという発想です。
 講義の途中や終了時に私は必ず「意見や疑問のある人は手を挙げてください」と言うのですが、手を挙げて意見を発表する者はとても少数です。しかし、休憩時間などには割りと活発に研究室に質問をしに来る学生もおりますし、授業中でも紙に書かせると、結構意見が出て来ます。
 これは、日本の学生の多くに「みんなの前で言うことが恥ずかしい」「みんなの前で言うときは立派な意見を言わなければならない」などのプレッシャーがあるからです。また、「目上」の人に対して自分の意見を言うこと自体がタブーだからという説もありますが、これは最近、変化が見られます。学生は授業のような公の場では概しておとなしいのですが、プライベートな場では学生同士はもちろん、教員にもリラックスして話をする者がいます。むしろ最近の学生の方が教員との仕切りが低くなっているように思われます。ならば、それを利用しない手はないと思います。それがパソコン通信です。

【電子講義室構想】
 現在パソコン通信で最も普及している形態は二つです。(一)電子メール(個人間のメールのやり取り)
(二)電子掲示板(多人数のメッセージ交換)
 私が検討しているのは、(二)の電子掲示板を利用した「電子講義室構想」です。すなわち、大学が教職員、学生の参加ができるコンピュータネットワークシステムを構築します。そして、そのネットワークの中に教室のいらない電子版の講義室を設けるのです。
 具体的には、大学のパソコン通信ネットワークの中に、各科目ごとに「電子講義室」を作ります。例えば「異文化間コミュニケーション」という名前の電子講義室です。そして、そこに参加できるのはその科目の受講生と教員だけとします。学生は好きな場所から毎日二十四時間中好きな時間に、パソコンと電話線を通じて各自が受講している科目の「電子講義室」の中に入ることができます。そこでは各講義のテーマに沿って、ゆっくりと考えながら他の学生や教員と意見の交換ができます。教員の方も、物理的講義室(普段の講義)では期待しにくい学生の率直な声を聞くことが出来ます。また、(一)の電子メール機能を使えば、教員と学生が個人的なコミュニケーションをすることも可能です。電子講義室で自分の意見を公に発表するのが躊躇される学生は、直接教員にメールを送り、教員がその意見を優れていると認めて「電子講義室」に公開する、というやり方もあります。

【電子講義室と物理的講義室】
 電子掲示板機能をもつパソコン通信のネットワークは今や全国に数千もあります。会員は普段はパソコンやワープロの画面上で意見や情報をやり取りしていますが、ときには直接会う機会を設けて、じかに顔を合わせ、画面だけでは足りない部分の情報の交換を行なったり、生身の人間としての交流を行なうことがあります。それを「オフラインミーティング」と呼んでいますが、電子講義室に対して大学の講義はまさにオフラインミーティングと位置づけることが出来ます。電子講義室の中で行なわれる学生達のディスカッションをまとめるためにもたれるのがオフラインミーティング、すなわち物理的講義です。
 パソコン通信で個人的に学生と付き合うことは、とくに多人数を相手にし、講義しか学生との接点がない教員にとってはメリットです。顔を突き合わせると、学生はなかなかしゃべってくれません。でも心の中には言いたいことがありそうです。紙に書かせると結構意見が出て来るように、パソコンの画面上だと割りとたやすく言いたいことが言えるようです。パソコン通信での意見発表がきっかけとなって、物理的な講義室でも意見の交換が進んでいくという可能性もあるでしょう。
 私の担当する異文化間コミュニケーションの科目には留学生の受講者がある程度おります。うまくすれば日本人学生との間に実際の異文化間コミュニケーションが見られるところですが、実態は日本語能力に自信のない彼らは、どうしても自分達で仲間を作りがちで、日本人学生との意見交換には気後れする部分があるようです。
 パソコン通信という、一人一人が対等な立場に立って発言し、言葉を作り出すのに発音を気にしなくていい、かかる時間も気にしなくていいメディアでは、留学生は日本人と対等にコミュニケーションすることが可能です。電子講義室では、このような形で国際交流が容易に行なわれ、それが物理的講義室にも反映していくことが期待できます。
 現在のところ、ビジュアル情報の授受の面で電子講義室は物理的講義室より劣ります。物理的講義室ではOHPや実物投影器、ビデオを使って絵や映像を簡単に見せられます。パソコン通信で絵や映像を送るのは現在も不可能ではありませんが、手間と時間がかかります。しかし、急速な技術的進歩は間もなくそれらを手軽に送れるようにするでしょう。そうなったとき、電子講義室は画像授受の面でも次のようなメリットを持つようになります。
 教室を暗くしてビデオを見せなくても(現在はそうしているが暗いと学生は眠くなる)、学生一人一人の手元に置かれたパソコンの画面に見せたい絵や映像が送れます。学生はそれを自分のメディアに保存しておき、何度でも繰り返し見ることが出来るようになります。

【電子講義室時代の試験や評価】
 私は現在、記憶力とは一切無関係のテストを行なっています。試験問題はあらかじめ発表し、学生はあらゆるものを参照し、それらを試験時に持ち込むことも許可されます。評価の基準は、資料の収集、活用、処理の適切さと、主張内容と表現の独自性、および主張の説得力です。
 このような試験の対策として学生は、日頃から積極的に言葉で自分の考えをまとめる訓練をし、情報の記憶ではなく収集、処理の仕方を学んでおかなければなりません。そのために、パソコン通信を日常的に利用し、学生が教員とコンタクトを取り、議論を重ねておくことは役に立ちこそすれ、無駄にはならないと思います。
 最近一部の大学でも取り入れられ始めた、試験やレポートをパソコン通信を通して提出するのも有効な手段ですが、電子講義室での議論それ自体を一つの評価の対象とみなすこともできるでしょう。単位を与える方法には試験やレポート以外に「平常点」というものがありますが、電子講義室への参加度(デジタル・ディスカッションへの貢献度)の評価は、まさに平常点の名にふさわしいものです。
 その結果、評価は知識の記憶力を判定するものから程遠くなり、蓄積した情報の処理の仕方や、独自の切り取り方、説得力を持った理論構築などを評価の対象としていくことが出来るようになります。

【電子講義室の実現の見通し】
 技術的には簡単に実現します。これらのことはソフトウェアとハードウェア、そしてユースウェアが揃えば今すぐにでもかなりの部分が実現し、将来的にはこの方式がかなり普及していくのではないかと思われます。最大の課題はユースウェア、すなわち学生達にパソコンをどのように習得させ、利用させるかでしょうが、これも大学全体が明確なビジョンを持って取り組めば大きな壁ではありません。
 学生と教員の両方が参加したパソコン通信ネットワークは私の周りにもすでに存在し、実際に私は普段無口な学生と画面上で活発な話し合いをしています。ただし残念ながら、現在使用中のものは大学主宰のオフィシャルなものではありませんし、会話の内容も講義についてではありません。しかし、学生の意見を引き出す手段としてのパソコン通信は、これらの体験からも将来有望なものと認識しており、私はこの構想を現実味を持って捉えています。
 「冬の時代」を迎え、大学に対する社会の要請は変化しています。大学が閉ざされた世界を脱し、「就学年齢にある日本人」のための大学から解放されて、現実に生涯教育や国際教育の場になったとき、従来のような一方的知識授受形式の講義の多くは姿を消し、代ってディスカッションを中心とした、教員と学生がともに高めあっていくような「講義」が増えていくでしょう。そのとき、電子講義室はその中心的部分をなすのではないかと考えます。