教養部の終わりにあたって

 

 榎本吉雄(教養部外国語系列)

 

 20023月末をもって本学の教養部という名称で呼ばれている組織はなくなる。この機会に教養部の来歴について何か書くようにと編集委員会の依頼があったので以下思い出すままに記してみる。これと同時に将来への希望も述べておきたい。

 今、手許にある「英語年鑑」の90年版と2000年版をくらべてみたところ90年版では多くの大学には教養部という組織が残っていた。これが2000年版では20数大学にしか残っていない。これはどういうことなのだろうか。

 第二次大戦が終了して日本の教育制度は大きく変化した(変えられた)。いわゆる6-3-3-4制による学制改革である。大学は旧制大学から新制大学へと変わり、旧制高校や旧制専門学校、師範学校などが合併して、あるいは単独で新制大学として出発した。そしてカリキュラムは大雑把に言って一般教育課程と専門課程から成り、一般教育科目課程は人文・社会・自然の3分野、外国語(第一、第二)、保健体育から成立していた。これはどの大学でも殆ど同じであった。ただ当時本学の教養部には外国語及び保健体育系列の研究室が設置されてなく、それぞれ外国語学部、体育学部がこの2部門を担当していた。それが文部省の強い指導により854月からこの2系列の研究室が発足し現在の姿になった。一方教職、司書、および学芸員資格課程の教員が教養部に所属し、他大学とは一味違った構成であった。さまざまな分野の教員がいたゆえ会議も談論風発、お互い刺激し合った。92年度からの学部改組によって学芸員関係の教員は現在の歴史文化学科に移り、だんだん寂しくなっていった。

二度の転機

さてこのような教育課程は全国的に今日までに二度の転機があった。一つは68年に発した大学紛争が全国的にひろがり、大学にたいする学生の不満が溢れ出した。教育課程にたいする不満には、一般教育課程への批判も含まれていた。批判は講義内容とマスプロ授業にむけられた。紛争の結果は専門科目を若干1年次へおろしたり、基礎ゼミを設ける、外国語については語学教育センターを設立するとというような手直しをした大学もあった。しかし、今考えてみると抜本的な改革に結びつかなかったというのが私の印象である。

 91年に当時の文部省は、大綱化の名の下に教養・専門の垣根をはずし、教育課程を各大学で自由に編成する方針を決定した。新設置基準第192項は、「教育課程の編成に当たっては、大学は、学部等の専攻に係わる専門の学芸を教授するとともに、幅広く深い教養及び総合的な判断力を培い、豊かな人間性を涵養するよう適切に配慮しなければならない」としている。これは新制大学発足当時の学校教育法22条とほとんど変わらない。ところが多くの大学では教養部という組織を廃止して、教養部所属の教員を専門学部に所属する方向にすすんだ。どうしてなのか。納得できる理由が示されたとは到底思えない。一種の流行みたいであった。各大学が自由に独自の教育課程を編成することは本来当然のことでなければならなかったが、1949年新制大学発足以来旧文部省の強い指導の下にあった日本の大学は、大学と教養教育(一般教育課程のことだけではない)の関係について、真剣に考える努力を持続してきたであろうか。過去から学ぶ意味で、昭和28年(1953)に上原専祿氏が示した一般教育の順調な実行のため留意すべき四点を掲げてみる。(1)一般教育には、人間精神の多面的発展を思考する心的訓練の意味がある、(2)一般教育は専門教育の準備操作ではない、(3)一般教育は個性に応じ、学生毎に異なることが理想であるから、徹底した選択制度で実施する、(4)教授法に関する真摯な考究が理論的にも実験的にもなされなければ、大学における一般教育の成果は挙らぬ、と。誠に優れた指針であるが、これを実施してきたと自信をもって言える大学はどれほどあっただろうか。一般教育を専門教育の下にみる風潮や、お荷物と考える風潮もあったのである。本学では92年度の学部改組の際、教養部は現代のさまざまな問題にたいして目を開く意味でいくつかの「教養講義」を開設したが、これは新しい試みとして評価しておきたい。

これからの時代の教養

ではこれからの本学はどうすすむのがその設立の趣旨にそい、かつ社会的責務を果たすことができるのであろうか。目下改組案が示され、最終段階に入りつつある。これだけ社会が複雑化し、国際情勢も混沌をきわめている現在、将来ある学生たちにどのような教育を行なわねばならぬか。私にこれといった妙案があるわけではない。とくに911日のテロ以来、これまでの思考・行動の前提が大きく崩れて途方にくれているというのが正直なところである。だれにも安心できる処方箋はない。昨日までの「国際理解」、「世界平和」、「相互理解」などどれもこれも空疎な響きしか持たない。しかしこのまま手をこまねいているわけにもゆかぬ。やはり考え、行動するしかない。本学の場合、豊かな教養を身につけた学生を育てる以外に道はない。当たり前のことを言うなという声が聞こえてくる。「教養」とは、と問われて納得してもらえるような回答は私にはない。阿部謹也氏の「大学論」から引用させていただくことにする。「教養とはいかに生きるかということを考える姿勢から生まれるものだ」と。また「教養を身につける」というのは「他の人の生き方も認めていく」、「他の人の生き方も理解できるようにする」と氏は述べている。そこで私はない知恵を絞った挙句、「世界の人々が幸せに暮らせるようにするにはどうすべきか」ということを考えることが「教養」ではなかろうか、と考えるに至った。まことに稚拙な考え方であるが、専門的知識や知見を活かすも殺すも上の意味での教養次第でなかろうか。科学上の発明・発見は必ずしも善ばかり生むものでないことを20世紀は示してくれた。20世紀は殺戮の世紀でもあった。これら発明・発見をなし遂げた人たちは、専門的知識に優れていた筈である。ただ他者へのその及ぼす影響について、あまりにも配慮がなさすぎた。いかに学識があり知力に溢れていても、その人の行動にそれが反映されていなければそれは教養でもなんでもない。だれも読まない書物に等しい。我が国においても数々の環境破壊や公害、薬害、官僚や政治家の責任感の欠如による不祥事など、人間に対する思いやりがあれば防げたであろうにもかかわらず、ひたすら自己の名誉や保身に腐心するあまり重大な損害や苦痛を人々に与えてきた例に事欠かない。これらの問題に責任のあった人たちはみんな大学卒である。現状にたいする批判能力を涵養するという高等教育の本来の目的を私たちは忘れてはならない。21世紀の大学教育はこの反省の上に立って行なわれなければならない。イスラム世界と日本との関わりにしても、これまで二度にわたる「石油危機」(40歳半ば以上の人しか憶えていないでしょうが)とか、911の事態に出会わなければ、私も含めて日本人は真剣に考えたであろうか。

教養教育をどうするか

繰言はここまでにして、これからの本学は他大学に見られないような教養教育を模索したいものである。とりわけ世界史だけは必修としたい。近現代史に焦点を絞って、欧米列強の植民地支配(日本のそれも含む)からソ連邦の崩壊に至るまでの歴史を学ぶのである。過去から学ばないとまた同じことを繰り返すのが人間の業であるようだ。また1年次生から2年次生にかけて(3年次生、4年次生と続けてもよい)一貫性あるゼミ(10人〜15人程度)を開講し、教養・専門に関係なく多数の教員がこれにあたる。内容は各担当教員が得意とする分野を踏まえながら、人間としての生き方について、生きるに値する社会とはどういうものかについて討論し思索をめぐらす。そのようなゼミを是非とも実現したいものである。日本でこのようなゼミを続けてきた大学が少数ながらある。専任教員1人あたり学生数の割合が比較的低い本学ではこのゼミ方式は実現可能と思うが、如何であろうか。本学の発展を切に祈る次第である。(この拙文をまとめるにあたり、阿部謹也氏の著書:「大学論」(1999)、常木清氏の論考:「大学の自由と自主への道―設置基準の大綱化と教育理念の再考」(1992)のお世話になった。)

 

 

教養部発行キャンパス情報誌Tulips 

20011112月号(第8巻第4号、通巻61) 20011218日発行

発行人  池田士郎(教養部長)

編集長  伊藤義之(社会)

編集委員 

浅川千尋(社会)

小林正佳(人文)

曽山典子(自然)

千原雅代(教職)

山中秀夫(図書)

 

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