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東北地方の磨崖仏の多くは福島県に集中している。その代表的なものとして泉沢磨崖仏・舘ヶ岡磨崖仏などがある。(詳細は福島県の磨崖仏参照)
東北の他の県には全く磨崖仏はないかといったら、そうではなく、数は少ないが、宮城県の富沢磨崖仏・岩切磨崖仏(多賀城市東光寺境内)、山形県の大森山磨崖仏(東根市大森山)、岩手県の達谷窟(たっこくのいわや)大日如来磨崖仏など、福島県の磨崖仏に劣らない中世の磨崖仏がある。 |
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| 達谷窟大日如来磨崖仏(たっこくのいわや) | ||||||
| 岩手県西磐井郡平泉町達谷(西光寺境内) 鎌倉時代? | ||||||
| 平泉の西南約6キロ、美しい渓谷美を誇る厳美渓(名勝天然記念物)に至る道路の途中に、達谷窟毘沙門堂(西光寺)がある。
達谷窟毘沙門堂は坂上田村麻呂が蝦夷平定の際、京の鞍馬寺を模して毘沙門堂を建立し、108体の多門天(毘沙門天)を安置したのが始まりとされてい.る。現在、毘沙門堂は崩れて浅くなった窟の壁面に半ば食い込む形で建てられている。昔は深い大きな窟で、蝦夷の王、悪路王(アテルイ?)や赤頭らがたてこもったともいわれる。 毘沙門堂の横、高さ40mほどの大岸壁にこの大日如来磨崖仏がある。現在は顔面と肩の線を残すのみであるが、その大きさは十分うかがえる。九州の熊野磨崖仏や普光寺磨崖仏に匹敵する巨像で、日本最北の磨崖仏といわれている。 顔は下ぶくれの角顔で三角形の大きな鼻と厚い唇の大きな口が特徴である。大まかで上作とは言いがたいが、切り立った岩壁の迫力と無骨な東北人を思わせる顔が印象に残る磨崖仏である。髪は螺髪のようなので、阿弥陀如来であるという説もある。 永承6(1051)年、源頼義が、安倍貞任を成敗したときの戦死者の供養のため、弓弭で図像を岩面に描いたのを、彫り出したのがこの大日如来であると言い伝えられている。 |
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| 富沢阿弥陀磨崖仏と六地蔵 | ||||||
| 宮城県柴田郡柴田町富沢岩崎山 嘉元4(1306)年・徳治2(1307)年 | ||||||
| 東北本線槻木駅の北約3qの柴田町富沢の小さな丘、岩崎山の西面する山裾に通称「富沢大仏」と呼ばれる阿弥陀磨崖仏がある。丘陵端の凝灰岩の岩層を利用して作られた磨崖仏で、堂内に保存されていたため保存状態はよい。 岩面を1mばかり彫りくぼめ、像高240pの定印の阿弥陀如来座像を厚肉彫りする。ほとんど丸彫りに近く彫られた角張った大きな顔と大粒の螺髪が、「富沢大仏」という通称にふさわしく雄大である。大きな鼻と厚ぼったい唇など達谷窟大日如来磨崖仏と共通する表現で、いかにも東北らしい鈍重であるが素朴な力強さを感じる磨崖仏である。 像に向かって右壁面に「嘉元4(1306)年」の年とともに恵一坊藤五良なるものが父の供養のために刻んだ旨がかかれた銘文があり、東北地方唯一の在銘磨崖仏として資料的価値も高い。 阿弥陀磨崖仏の堂の向かって左側の岩肌に彫り込んだ石龕があり、その中に丸彫りの六地蔵が安置されている。二つに身体が割れたり、持ち物が折れたりしている像がみられ、痛みの少ないものも摩滅も激しく表情がわからないのか惜しい。しかし、フォルムはよく、鎌倉期の古仏らしい気品がある。「徳治2(1307)」の年紀銘がある。 また、岩崎山の南面にも「 虚空蔵窟」とよばれる石龕があり、ここにも丸彫りの比丘像が安置されているという。写真で見ると六地蔵よりも摩滅が少なく、秀作に見えるが、訪れたときは見過ごしてしまい写真を撮ることができなかった。 |
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