思い出探し 故郷の旅
50年数年ぶりの故郷を訪ねようと大阪から高速バスに乗る。
2時間ばかりでK市に着いた。
この町には戦後、幼年時代から中学を卒業するまで住んだ思い出の一杯詰まった町。
学校、神社,お寺、古い家々、そこに住む人々。
心に想いつづけてきた情景が今どのように変わっているのか確認する旅であった。
羅漢さんから中学校の運動場を抜けて住吉神社の裏杜に入る。「この林だけが昔のままや・・・」
住吉さんの本殿に参る。 お参りする人なく、境内を囲んでいた木々は伐採され殺風景な風情に驚く。
心に想い続けて来た情景全てが崩れ去った。 淋しさつのる。「 50年以上も年月が過ぎたのだからなー」
亀の池、石の太鼓橋を渡り隣の酒見寺に入る。
この境内では穴ゼミを取ったり、布で巻いたボールと竹のバットで野球をしていた。
思い出詰まった参道すら暖かかった風情は消えていた。
北条の石仏 「五百羅漢寺」
子供の頃、トリモチ竿を持って蝉を取りに走り回った寺。
ススキが生い茂った中に石仏が立っていた。
崩れた土塀に差し込む夕日の情景が思い出された。
50数年前に写した北条の節句祭り・住吉神社の宮入り風景。
子供の頃に見た山車は豪華絢爛山の如しだった。
お寺の仁王門を出て無人のような宮前通りを歩くと、 1952年まで住んでいた家が残っていた。 懐かしさいっぱいで眺める。
格子戸があった家々は消え昔の面影は残っていない。
住んでいた向かい、大家さんの家を訪ねた。 中学まで一緒だったマー坊(子供の頃の呼び名)が暖かく迎えてくれた。
お茶を頂戴し昔の話に花が咲く。
失礼して表に出ると「大黒屋」のご夫妻や「豆腐屋」だった神戸さんご夫妻が表通りで見送ってくれた。
「姫路まで送るから・・・」と、マー坊の言葉が50数年前の二人に戻っていた。
御幸町、御旅町、南町と門前町として栄えていた頃の名残りの町名も懐かしい。
「コンニャク屋」「仏壇屋」「一銭屋」「散髪屋」垣内の「お菓子屋」味噌屋の「大黒屋」 店の呼び名が蘇えってくる。
50数年の栄枯盛衰、町の変わり様が見える。
昔のままの思い出をそっと心に残しておいた方が良かったのかな? とも。
変わらないのは、懐かしくお会いした人々の心だった。