与作

                奈良、当麻町から大阪、太子町までの

「竹内街道」 を歩く

竹内街道は奈良、当麻町の長尾神社から二上山の南、竹内峠を越えて河内平野を西に向い
堺市の大小路に至る約26キロの街道です。

その行程の内、当麻寺から富田林市太子町までの14`を歩く


    
近鉄「磐城駅」の南から歩き始め長尾神社を過ぎる頃から古い民家が並ぶ街道に入る。

この竹内街道は「日本書紀」の推古天皇(613)に「難波より京に至る大道を置く」
と記録された我が国最古の国道。

飛鳥時代、中国や朝鮮半島からすぐれた大陸文化は、この街道を通って飛鳥の京にもたらされ、
飛鳥文化を開花させたと云われている。
我が国からは大陸への使者として遣隋使や遣唐使もこの街道を利用した道


     
 竹内峠より大和平野を振り返る              



峠を越えると旧道が終わりダンプの走る国道を西に30分ほど下ると太子町の町に入る。


街道に沿った古い民家の屋根群

           
古墳から出土した土器(撮影許可済)


飛鳥時代、竹内街道に沿って栄えた太子町には当時の推古天皇や大化の改新の時の孝徳天皇、
聖徳太子、遣隋使の小野妹子、ほか古墳群が30基ほどあり、王陵の谷とも呼ばれている。
竹内街道は飛鳥の都で政治をした人々の墓に通じる葬送の道でも有ったようだ。

         
  小野の妹子の墓                    聖徳太子の墓(叡福寺)


      
二子塚古墳                  推古天皇磯長陵


竹内街道に沿って巨大古墳が集中しているのは外国からの使節に対し、倭国王権の力を誇示するためか?