「生まれ変わり」と「臨死体験」
Sarah Brightmanとか「一万年の旅路」とか、何かニューエイジっぽい話題
が多いと思っていたらついに出たか、と思われた方もいるかもしれない。
ただ、私自身は決してオカルト趣味ではないし、新興宗教の類も大嫌いな人間だということをまず言っておきたい。 少なくとも最近までは、人間はDNAや酵素から成る精密な分子機械であるという考えに近い立場だったと思うし、今でも現代科学の成果を無視するつもりは全くない。
しかし一方で、仕事柄、癌や難治性の病気で亡くなる方を診ることが多く、時には、若い人をほとんど何もできずに見送らなければならないこともある。そのようなときには医学や科学の限界を痛切に感じさせられるのも事実である。 また、私たちのまわりを見回しても、イラクやアフガニスタンなどの紛争地で命を落とす子供たちや、北朝鮮の地獄のような強制収容所で苦しむ人たちなど、考えるだけでも胸がつぶれそうになることがあまりにも多すぎる。 若くして死ななければならない人たち、悲惨な死を強いられる人たちの生と死の意味は何なのだろう、というのが以前から心を離れない疑問だった。 ストア派の哲学者でローマ皇帝だったマルクス・アウレリウスは「沢山の香の粒が同じ祭壇の上に投げられる。或るものは先に落ち、或るものは後に落ちる。しかしそれはどうでもよいことだ。」というようなことを「自省録」に書き残している。 自らを強く律することに努めた人らしい潔い言葉だと思うし、「自省録」の彼の言葉には共感するところも多い。 しかし、この言葉で本当に納得できるのだろうか? 人の生と死には香の粒がたまたま下に落ちるか落ちないか程度の意味しか無いのだろうか? 少なくとも物質主義的・還元主義的な世界観からはこの疑問に対して「そのとおり、無意味だ」以外の答えを期待することはできないのではないかと思われる。
ブライアン・L・ワイスの「前世療法」は精神科医である著者が、ある難治性の神経症患者に退行催眠療法を試みた際に体験したことを長年思い悩んだ末に公表したものである。 退行催眠療法は、患者を催眠下で幼児期にまで遡らせ、過去の心的トラウマを思い出させ、再び意識に上らせることによって症状の軽減をはかる治療法であるが、彼の患者は、予想に反して遙か過去の人生にまで退行し、その時の体験を語り始めたのである。セッションを重ねるごとに彼女はさまざまな人生について語り、ある時は「マスター」と呼ばれる進化した魂からのメッセージを伝えたりもする。 彼女、あるいは彼らによれば、人の魂は不滅であり、自らの魂を高めるためにそれぞれ課題を決めてこの人生を選んで生まれてくるのだという。そうして転生を重ね、魂を浄化しつつ究極は神に近づいていくのだそうである。「我々は死も生も、空間も時間も超えた存在なのだ。我々は神であり、神は我々なのだ。」とマスターたちは語る。 この本だけであれば、神経症患者の潜在意識にある妄想と、信じやすい精神科医の夢物語と片づけることもできるだろう。 しかし、彼の続く著書の「前世療法2」や「魂の伴侶」には、同様のことを話す多くの被検者の例が記されており、さらにカナダの精神科医やアメリカの心理療法士、日本の退行催眠療法を行っている医師なども同じ内容の本を出版している。 これらの本に書かれている、退行催眠で過去生を想起した患者の語ることはみな驚くほど似ている。 彼らは異口同音に「他者への愛が大切であること」「この人生から学ぶべきこと」などを語り、彼らの日常の生活からは想像もできない深遠な思想を語るのである。 輪廻転生がはたして本当にあるのかどうかは誰にもわからないことだろうが、これだけの証言を集められると、少なくとも人間の意識下にはこうした共通の「集合無意識」のようなものが実在することは認めざるを得ないと思う。 そこから、輪廻転生を信じるか、何か「科学的な」説明を探そうとするかは、各個人の考え方によるのだろう。
「臨死体験」については週刊誌やテレビなどでもよく取り上げられていて
知っておられる方も多いと思うが、重病や事故などで死に瀕した人が臨死状態で
経験する一群の事象を呼ぶ言葉で、その中には「体から離れて上方に浮かび上がり、下の自分を見ている」「暗いトンネルの中を光に向かって上昇していく」「亡くなった親族に出会う」「光かがやく神のような存在に出会う」「人生が目の前で映画のようにフラッシュバックして、今までにしてきたことを反省する」「川や柵など何らかの境界に至り、おまえはまだ来るべきではないと諭されて引き返す」など興味深い共通性を持った要素体験とでも言うべきものが見られる。 臨死体験という言葉が広く知られるようになったのは、レイモンド・ムーディーというアメリカの精神科医が自ら経験した症例を集めて「かいま見た死後の世界」として出版して以後のことであるが、その後も小児科や心臓内科の医師など多くの医療関係者から同様の本が出版されている。 医療関係者必読の書の一つである「死ぬ瞬間」の著者エリザベス・キューブラー・ロスも最近の著書の中で、「当初、興味を持って臨死体験の症例を集めていたが、どの体験者も皆同じことを語るのでそのうち集めるのを止めてしまった。」というようなことを述べているほどである。 これらの著者たちは、死後の世界の実在を声高に主張するのではなく、この体験が実際に存在し、体験者のその後の人生をポジティブな方向に変化させる強い影響力を持っていると慎重に語るにとどめていることが多いが、エリザベス・キューブラー・ロスは最近、死後の生を信じる立場を明確にしているようである。 私自身、直接には一人の患者さんから、間接的には2〜3人の臨死体験と思われる体験談を聞いたことがある。 「臨死体験」についても、退行催眠による過去生想起と同様その体験自体の実在には疑問の余地はないと思う。 それを死後生存の証拠と見るか、あるいは脳内モルヒネ説など何らかの科学的説明を試みるかはやはり個人の考えによるもので、どちらかという答えはおそらく永久に得られないかも知れない。
ただ、非常に興味深いのは、これら臨死体験者が語る死後(正確には死んでいないが)の体験が、退行催眠中に想起される過去生での死とその後の体験に極めて似ていることである。 体外離脱や光の存在に出会うこと、フラッシュバックで人生を省みることなどが同様に語られる。 このことはどう説明されるのだろうか? 誰かに騙されているのだとすればおそらく世界的規模あるいは宇宙的規模での陰謀が存在するということになるのだろうが、こちらの方がよほど妄想的な考えであろう。 ユングの言う集合無意識のような概念を持ち出すとしても、ではその集合無意識とは?という問いには納得のいく答えは得られそうにない。 進化の過程でこのような特性を人類が獲得してきたのだとしたら、どのような淘汰がなされたのだろう? 臨死体験をして人格がポジティブに変化し、死を恐れなくなった個体はその後子孫を残すのに有利だったのだろうか? もっともシンプルな説明は「実際にあるから」だと考えたくなるのは私だけだろうか?
最近テレビや雑誌でよく見かける反オカルトのO教授に私は基本的には賛成の立場である。 あまりにもレベルの低いオカルト的な記事や番組が多く、また人々はそのようなまやかしを簡単に信じすぎる。 しかし、以前ある雑誌でO教授が臨死体験について批判した文章を読んだことがあるが、少なくとも先に述べたような基本的な書籍には目を通しておられないことがはっきりわかる文章であったように記憶している。「科学的」とはどういうことか? 現在の科学知識で説明できないことはすべてインチキとしてかたづけてしまって良いのか? たとえば中世キリスト教の時代に相対性理論や量子力学の話を持ち出せば、今、輪廻転生を語るよりもはるかに奇怪な話ととられるだろう。 現に最新の物理理論では、我々の存在するこの3次元空間(4次元時空)が実は11次元で、知覚できない残りの7つの次元はプランク距離という極微小の距離に畳み込まれているのだという。 これがどんなことを意味するのか理解できる人はどれくらいいるのだろう? 科学にも時代の制約があるのは当然であり、その時説明できないからと言って否定し去ることはできない。 私には、肯定否定にかかわらず合理的説明ができない間は事実を謙虚に受け止め、判断を保留してデータを集めていくというのがより科学的な態度のように思える。
輪廻転生や死後生が実在するか否かは別として、この問題は今の日本の医療にも関わりがあると思うので少し付言しておきたい。 最近インフォームドコンセントなどという言葉が氾濫しているように、癌の病名告知もかなり行われるようになってきている。 ただ、日本のほとんどの病院では、アメリカなどとは異なり、その後の心のケアをするカウンセラーなどはいず、主治医も多忙のため告知後の心理面のケアはほとんどなされていないのが現状であろう。 キリスト教の影響が強い欧米と異なり、神の存在や生まれ変わりを信じている宗教的な日本人は極めて少数と思われ、大多数の癌患者は、自分自身で死の恐怖と直面しなければならない。 私自身は、これらの本を読んで、死後生や生まれ変わりについて「そんなこともあるかも知れない」と思う程度の受け取り方をしているが、それだけでも死や人生に対する考え方が少し変わったようにも感じる。 あくまで個人個人が自分の心の中で解決すべき問題であり、他人がとやかく言うことではないと思うが、本当のことを言えば、病棟の図書室などにこの種の本をそっと置いておき、興味のある患者さんが手に取ってみられるようにしてあげたら良いのではないかと思っている。(医師という立場上どうかという気持ちもあって実際にはしていないが...。) 極論すれば、真実かどうかということは大きな問題では無いように思われる。 信じることによってその人がその後の人生を有意義に送れたと思うならば、それに優ることはないと思う。 誰にも答えはわからないのだから。
この分野の本には怪しげなものが多く、読むに値すると思える本は少数だが、私の知る範囲でそのいくつかを以下に列挙する。(残念ながら現在入手できる本は少ない) 「臨死体験」については、救急医学雑誌に論文が掲載されたりもしているようで、比較的科学的な態度で書かれているものが多い。 立花隆の「臨死体験 上・下」はこれまでの研究を手際よくまとめており、この分野の全体像をつかむことができる。 「輪廻転生」に関しては退行催眠療法以外に、前世を記憶すると主張する子供の症例を長年にわたって調査しているバージニア大学精神科教授のイアン・スティーブンスン(彼は退行催眠に批判的である)の著書も加えた。
参考文献
「臨死体験」関連
1.「臨死体験 上・下」 立花隆著 文春文庫
2.「光の彼方に」 レイモンド・A・ムーディー・Jr.著 笠原敏雄ほか訳
TBSブリタニカ
3.「臨死体験 光の世界へ」 メルヴィン・モース著 立花隆監修
TBSブリタニカ
4.「あの世からの帰還 臨死体験の医学的研究」 マイクル・B・セイボム著
笠原敏雄訳 日本教文社
5.「人は死ぬ時何を見るのか 臨死体験1000人の証言」
カーリス・オシスほか著 笠原敏雄訳 日本教文社
6.「臨死体験 生と死の境界で人はなにを見るのか」
ブルース・グレイソンほか著 笠原敏雄訳 春秋社
「輪廻転生」関連
1.「前世療法」 ブライアン・L・ワイス著 山川紘矢ほか訳 PHP研究所
2.「魂の伴侶」 ブライアン・L・ワイス著 山川紘矢ほか訳 PHP研究所
3.「輪廻転生 驚くべき現代の神話」 J・L・ホイットンほか著
片桐すみ子訳 人文書院
4.「生きる意味の探求」 グレン・ウィリストンほか著 飯田史彦翻訳・編集
徳間書店
5.「生きがいの催眠療法」 飯田史彦・奥山輝実著 PHP研究所
6.「死後の世界が教える「人生はなんのためにあるのか」」
マイケル・ニュートン著 澤西康史訳 VOICE
7.「前世を記憶する子どもたち」 イアン・スティーブンソン著 笠原敏雄訳
日本教文社
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