壬申の乱 決戦
(じんしんのらん)

進撃開始 672年(天武元年)七月一日
 後方の桑名では健康を取り戻した讃良皇女さららのひめみこの指揮の下,大量に赤い布が染め上げられていた。それらの赤い布は数万の鉢巻はちまきと,数百ののぼりに加工されて早朝に関ヶ原の高市皇子たけちのみこの元に送り届けられた。
「やっと終ったわね。皆,御苦労でした。」
 讃良皇女が額の汗を拭いながら女官,采女うねめたちをねぎらった。
「皇后様,お体は大丈夫ですか。」
 女官の一人が病み上がりの讃良皇女の体を気遣って声をかけると讃良皇女は笑みを浮かべて答えた。
「ありがとう。大海人皇子おおあまのみこ高市皇子たけちのみこらが闘いを目前にしているのに,私だけがいつまでも臥している訳ににはいきませぬ。」
 直接の戦には参加しないまでも,少しでも大海人皇子の力になれたという満足感が,讃良皇女の心を穏やかなものにしていた。
「ほんとに,大変な作業でございました。桑名の地から赤の染料が無くなってしまいましたわ。」
 大海人皇子が関ヶ原で軍事訓練を閲兵中に,あることをふと思いついた。大津方も大海人方も兵装にはそれほどの違いが見られない。当時の鎧は挂甲けいこうという鉄の小さな札を革紐などで繋ぎ合わせたものであり,挂甲を着用していたのは主に豪族クラスであり,それ以下の者たちは短甲たんこうであり,農兵たちは皮甲がほとんどである。それすら無いものは板をぶらさげていただけである。
 敵味方が入り乱れての乱戦になると判別がつかず,同士討ちになる可能性もある。それを防ぐために大海人皇子は,自分の軍には赤布を体のどこかに着用するよう命じたのである。その赤布の作成を後方の桑名評くわなこおりに命じていたのであった。

 この日,大伴吹負おおとものふけいが率いる倭古京やまとこきょう制圧軍は,乃楽ならに向かって進軍を開始していた。

672年(天武元年)七月二日
 関ヶ原に集結した大海人皇子の全軍は,補給部隊を含めると二万を悠に越えていた。その各部隊が赤いのぼりを高々と掲げ,兵の誰もが赤い布を体のいずこかに巻きつけていた。広大な関ヶ原の平原が赤く染め抜かれたように見える。
 高市皇子の号令に,二万の軍勢は二手に分かれて整然と行進を開始した。村国連男依むらくにのむらじおよりらが率いる一隊は西に進み,琵琶湖東岸を南下する大津京攻略部隊。紀臣阿閇麻呂きのおみあへまろらが率いる一隊は南下して倭古京に向かう。
 二万の兵馬が砂塵を巻き上げ,砂嵐のように真夏の太陽を覆った。軍勢が遠のくにつれて砂塵はおさまり,関ヶ原は静寂を取り戻し,誰もいなくなった平原を一陣の風が吹き抜けて中空に漂う砂塵を吹き飛ばしていった。
野上のがみ天皇すめらみことに報告せよ。全軍の出陣を完了したと。」
 高市皇子たけちのみこは軍勢が向かった方向を見つめながら舎人とねりに命じた。

 倭古京に向かった軍は,鈴鹿山脈を右に見ながら南下を続けた。亀山に入ると進路を西に変え,伊賀道と甲賀道が交わる関に出た。紀臣阿閇麻呂きのおみあへまろが率いる本体は北と南からの敵を防ぐため,田中臣足麻呂たなかのおみたりまろの部隊,五百をここに残し,さらに南を目指した。
 伊賀のた萩野たらの(三重県上野市荒木付近か)に至ると,多品治おおのほむちに兵千を与えて駐屯させた。置始兎おきそめのうさぎはここから騎馬隊を率いて倭古京に向けて道を急いだ。守備兵の少ない大伴吹負おおとものふけいの部隊に急いで合流するためであった。紀臣阿閇麻呂の本体は置始兎の後を追うように倭古京へと向かった。

 野上のがみにある大海人皇子の本陣では,大海人皇子を始めとして高市皇子たけちのみこ,本陣を守る群臣らによる作戦会議が開かれていた。大友皇子おおとものみこの軍が大津京を進発したという報告も受けていた。
「近江朝軍が大津京を出撃したということは,湖東を北上してくるのは必定。必ずや村国男依むらくにのおよりの隊によって殲滅せんめつされるでしょう。」
 高市皇子たけちのみこが自信有り気に語った。本陣の誰もが隊を進発させたことに一息ついていた。今後の行動は倭古京に差し向けた紀阿閇麻呂きのあへまろの隊が倭古京を完全に制圧することにかかっている。しかし,大海人皇子の心には一抹の不安が首をもたげていた。
「吾が大友皇子ならば,隊をすべて出した今,手薄となった本陣を急襲するであろう。」
「しかし,男依およりの隊が湖東を制したとあれば,近江朝の兵が湖北に至ることは不可能では。」

 高市皇子が大海人皇子の作戦を否定した。
「湖北に至るには湖東を通る以外にも,湖西を迂回することも可能であろう。」
「しかし,それでは日数がかかり過ぎます。多数の兵を大津京から湖西周りで湖北に移動させるには,少なくとも二日,兵の数が多ければ三日は要します。その頃の近江朝ではまだ募兵をしている段階でした。そのような早期に兵を出せる状態にあったとはとても思えませぬ。また,そのような報告もありませぬ。」

 高市皇子は大海人皇子の意見を次々と否定していく。高市皇子の的確な状況判断に,大海人皇子は満足していた。ここまでの作戦は,大海人皇子自身も不可能であろうと踏んでいた。高市皇子がどのような判断を下すかを楽しんでいるようでもあった。そして最後に,大海人皇子自身が最も気にしている作戦を述べた。
「では,少数精鋭の騎馬兵ならば湖東を一気に北上し,男依が陣を張る前に湖北に至ることも可能ではないか。」
 この作戦にはさすがに高市皇子も否定することが出来なかった。
「奇襲,ですか。」
 高市皇子も少数精鋭の騎馬隊ならば,奇襲の可能性も有りえると思った。
紀臣阿閇麻呂きのおみあへまろの隊が南下し,村国男依の隊が西進。その男依の隊の鼻先をかすめて湖北に至った近江朝の兵が不破を突くとすれば。」
 周辺地図を見つめていた大海人皇子が,地図に描かれた一本の道を指差して言った。
「長浜より不破に北から入る道。ここしかあるまい。」
 そこには出雲狛いずものこま玉倉部邑たまくらべむら(岐阜県不破郡関ヶ原町玉)の守備に当っていた。
「では,直ちに出雲狛いずものこまに増援軍を差し向けましょう。」
 高市皇子の行動は早かった。大海人皇子の本陣を守る精鋭部隊だけを残すと,残りの兵をすべて引き連れ,不破の兵も合わせて二百の特別部隊を編成して玉倉部邑に急派した。

奇襲 672年(天武元年)七月二日 午後
 玉倉部邑たまくらべむらの陣幕内にいた
出雲狛いずものこまが,外の騒ぎを聞きつけて飛び出した。
「何事か!」
「近江朝騎馬軍の奇襲です!」
「陣を立て直せ! 絶対にここを突破させてはならぬ。天皇すめらみことのもとに使者を走らせよ!」

 近江朝の騎馬隊は縦横無尽に陣内を走り回り,次々とこまの兵達をなぎ倒していた。騎馬隊の先頭を行く敵の将が声高に叫んだ。
「蹴散らせ! 大海人皇子の本陣は目と鼻の先。大海人皇子の首を取るのじゃ!」
 玉倉部邑たまくらべむらを守備する兵は百名足らず。数の上でも近江朝軍に圧倒されており,しかも奇襲を受けたとあってはひとたまりも無かった。浮き足立った狛の兵達は,ただただ逃げ惑うばかりであった。
「弓を持っている者たちをここに集めよ。」
 即座に数名の弓を持った者が狛のもとに馳せ参じた。
「馬を射よ。敵の足を止めるのじゃ。」
 放たれた弓矢が次々と騎馬隊が乗る馬に突き刺ささると,騎馬隊の動きが僅かにひるんだ。その隙に狛は兵をまとめて陣を整えた。
「槍隊を前に。一騎たりともここを通すでないぞ。」
 狛の兵は,楯の隙間から槍を突き出し,その背後から弓隊が間断なく矢を射掛ける。しかし,敵は騎馬の精兵。馬を全速で走らせながらも巧みに弓矢を放ってくる。その矢に,次々と兵が倒されていく。ついには騎馬隊によって包囲され,周囲から矢を射掛けられて立っている兵の数がみるみるうちに少なくなっていった。その中でも出雲狛いずものこまは果敢に命令を下していた。
「最後の一兵になるまで頑張るのじゃ。天皇への使者は出したか。」
「はい。今頃は本陣に到着しているかと思われます。」

 大海人皇子に敵の攻撃を知らせることが出来ただけでも出雲狛は満足であった。
「そうか。本陣の戦闘態勢が整うまで時間を稼げれば良い。」
 出雲狛はここで敵の足止めを行い,少しでも長く時間を稼げるのなら本望と思っていた。その時,傍らにいた兵が声を上げた。
「狛殿,赤いのぼりが! 味方です。援軍が来ました!」
 兵の声に出雲狛は耳を疑った。使者が本陣にたどり着き,援軍を派遣したとしてはあまりにも早すぎる。兵が指差す方向を眺めると,そこには確かに無数の赤い幟が揺れている。全速で走る騎馬兵の背中に立てられた幟が風にはためき,その後ろには赤い鉢巻をした兵の大群が駆けていた。総勢二百の兵が上げる掛け声は,怒涛どとうのごとく玉倉部邑たまくらべむら周辺に木霊した。
 出雲狛たちの奮戦により,近江朝騎馬隊も半数近くまでその数を減らしていた。騎馬隊の将は,奇襲攻撃の失敗を悟った。
「ちっ 奇襲攻撃は失敗じゃ。皆の者,引くぞ!」
 近江朝の騎馬隊は馬首を巡らせると,玉倉部邑たまくらべむらから撤退して行った。どこからともなく,出雲狛の陣内から勝ちどきが上がった。
「狛殿,ご無事でしたか。」
 特別隊を率いる将が狛に声を掛けた。
「もはやここまでと思うておったが,助けられたわ。しかし,何故こんなに早くに援軍が来れたのじゃ。」
「天皇が敵の奇襲を予見されました。奇襲を受けるとすれば玉倉部邑たまくらべむらだと。それで使者が来る前に援軍を差し向けられたのです。」

 出雲狛は,改めて大海人皇子の洞察力に感服した。
「まさしくあの天皇は神じゃ。」