| 671年(天智十年)十二月三日 この日、 「あなた、父が、大王が亡くなられたそうです。」 「ああ、聞いた。こんなに早く逝ってしまわれるとは・・・」 そう語る大海人皇子の表情は哀しみよりも、いよいよこの時が来たかと思わせるような決意がみなぎっていた。 「大津宮におればあなたが 沈んだ声で語る 「大王が吾を疎外しようとしなければそういうことになっていたであろう。しかし、今の吾の身では 讃良皇女は悲しみも浮かばないままに大海人皇子の言葉にうなずいていた。 大海人皇子の行動は早かった。天智大王の悲報を受けるや、翌日には吉野の 大海人皇子が催した宴にの裏には今後の計画を進めるために、近隣の豪族を味方につけておくという周到な計画の一部であった。 大海人皇子の手勢は舎人が十数人しかいない。その者たちだけの護衛では、讃良皇女や、
672年(天武元年)五月
672年(天武元年)六月二十二日 |
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| 吉野宮脱出 |
672年(天智天皇十一年)六月二十四日 早暁。 「皇子様、近江の群臣は謀略にたけております。間者の報告を受けて至る所に兵を忍ばせ、必ずや東国入りを妨害することでしょう。武器も兵も無く、丸腰で東国に向かうなどとはとても成就するとは思えませぬ。せめて馬でもあれば駆け抜けられるかも知れませぬが。」 舎人の長の話を大海人皇子も 「馬か・・・」 大海人皇子はぽつりと呟くと 「そちたちに頼みがある。吾らが東国に向かうについて、できれば馬が欲しい。倭古京の 大分君恵尺が眉間に皺を寄せて大海人皇子に問い質した。 「高坂王が大津京に組みしたならば、その時点で皇子様の東国行きが大津京に露見しますが、それは如何に。」 「高坂王の意を知りたい。吾につくのか、大津京に組みするのか。」 呼ばれた三人の額には脂汗が滲み出していた。もしも、高坂王が大津京に組みしていたならば、駅鈴を求めた我々をその場で捕縛するかも知れない。それと同時に大海人皇子の東国行きが大津京に報告され、大海人皇子の吉野宮脱出が困難となる。 三人の焦りを感じ取ったのか、大海人皇子は笑みを浮かべながら述べた。 「心配はいらぬ。高坂王は必ずや駅鈴を授けてくれようぞ。」 「皇子様。何故、高坂王が駅鈴を授けるとお思いですか。高坂王が大津京に組みしていたならば、我等も捕縛され・・・」 黄書造大伴の言葉を大海人皇子は遮った。 「心配はいらぬ。高坂王はその場の空気が読める男と聞いておる。そちたちを捕縛することはあるまい。」 「そのように皇子様が思われる根拠は?」 「根拠とな。そのようなものは無い。吾の感じゃ。はっはっはっ」 三人の不安を大海人皇子は笑いで吹き飛ばしてしまった。しかし、すぐに真顔に戻ると神妙に話を続けた。 「高坂王は独断では動けぬ小心者。必ずや大津京に指示を仰ぐであろう。そちたちをその場で捕縛するだけの度量は無いわ。よしんば、高坂王が大津京に組みし、駅鈴を渡さなかった場合には、大分君恵尺。そちは大津京に向かい、高市、大津に決起の旨を知らせに走れ。そして、黄書造大伴。そちは倭古京の大伴連馬来田、吹負の兄弟のもとに走り、蜂起を促せ。最後に逢臣志摩。そちは急ぎ、吾にことの首尾を報告せよ。分かったな。」 「はっ」 三人は大海人皇子の前に平伏すと早々に倭古京の高坂王のもとに走った。
大分君恵尺らを見送る大海人皇子に、後ろから讃良皇女が問うた。
宮にいると思っていた大海人皇子が、いきなり河原から姿を現したのを見て、
日が暮れるに連れて道のりは伊賀の深い山中へと続いていた。木々はますます深くなり、空はまだほの明るさを残していたが道のりは暗く、足元も見えないほどであった。
夜半になって一行は
夏の早い朝が空を明るく染め始めた頃、一行は横河(名張川)に到着した。それまで木々で遮られていた空が一気に開けた。
大海人皇子の一行は横河を後にして先を進み、伊賀評に入って伊賀駅家に放火したが、ここでも民からは何の反応も受けなかった。やがて中山(上野市南部)というところで一行を数百にものぼる一団が待ち受けていた。 |
| 再開 |
672年(天智天皇十一年)六月二十五日 大海人皇子の一行は三重県の ここで大海人皇子を出迎えたのは 「父上、お待ちしておりました。ご無事で何よりです。」 「おぉ 高市。そちも無事に大津京を脱出できたのか。良かった、良かった」 自分は追われる身ではあるものの、すでに吉野宮を後にしているため、 今、気掛かりのうちの一人であった高市皇子の元気な顔を見て、大海人皇子は我が事のように喜んだ。 「大友皇子の言により、騎馬隊による追撃は中止させられたのですが、群臣会議が門衛に伝わるまでに父上を追撃すると称して騎馬隊を率いて強行に大津京を出て参りました。」 「そうか、して、大津の消息は掴んでおらぬか。」 「はい、私は大津の脱出を目にしておりませぬので、何とも言えませぬが、 高市皇子の顔が曇った。 「そうか。大分が着いておるのなら、無事に脱出してくれることであろう。」 「そうだと良いのですが。」 高市皇子は大津皇子が脱出したのを確認できなかったのが心残りであった。 大海人皇子と高市皇子は馬首を並べてこれまでのお互いの状況を語り合いながら歩を進めた。 「して、 「はい。 大海人皇子は遥か前方に目を向けていた。その脳裏では高市皇子が通ってきた道程を検証していた。湖東から朝明にかけて、近江朝の警備が出ていなかった。ということは、近江朝は自分が吉野宮を脱出したことを察知はしたが、まだ周辺地域に警備の兵も出していないということであった。しかし、近江朝は高市皇子が通った道が伊勢までの最短距離であり、その道に軍を派遣することは明らかである。布陣の際には
大海人皇子が吉野宮を出たという報は、翌日には近江朝に伝わっていた。その報はその日のうちに大津京に広まり、大津京は騒然となっていた。大津京では明日にでも大海人皇子が大軍を引き連れて大津に攻め込んでくるとの噂が立ち上り、早々と大津京を後にする人々でごった返した。
高市皇子らを加えた大海人皇子の一行は大山(加太越え)を越え、伊勢の
三宅連石床の軍を鈴鹿峠に派遣すると、大海人皇子の一行は先を急いだ。この地は、高市皇子が馬で大津京より一日足らずで到着できる距離にある。
672年(天智天皇十一年)六月二十五日 夜
大津京を無事に脱出することが出来た大津皇子と
三宅連石床はその日の夕方には鈴鹿道に関を設けて完全に封鎖した。その夜、関に近づく一団があった。見張りに立っていた兵が呼び止めて素性を問うた。
「なに、山部王と石川王が鈴鹿峠に現れた? 軍勢はいかほどじゃ。」
672年(天智天皇十一年)六月二十六日 朝
遥拝を終えた大海人皇子の元に、
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| 決戦前夜 | 672年(天智天皇十一年)六月二十六日 夕刻 尾張の国に入った大海人皇子の一行を、 「大王、ようこそ我が尾張へ。大王が尾張におられる限り、この大隈が命に替えても大王と皇后様そして草壁皇子様をお守りいたします。」 そう言うと大隈は輿に乗った讃良皇女の顔を見て驚いた。二日間の強行軍に讃良皇女は 「皇后様はかなりお加減が悪いご様子。ご休息に我の私邸をお使いくださりませ。」 「ありがとう、大隈。恩にきます。」 讃良皇女は礼を言うだけが精一杯であった。尾張大隈は、早速大海人皇子親子を私邸に案内すると讃良皇女のために部屋を用意し、 その夜、高市皇子が布陣した不破関に、近江朝が東国に募兵しようと派遣した使者を捕縛した。その知らせを桑名の本陣にいる大海人皇子に報告しようとしたが、不破から桑名までは、六里強(約24km)。馬を早駆けを続けさせても四半刻(約30分)はかかる。大海人皇子の命令を持ち帰るまでには一刻(約1時間)もかかってしまう。平時ならともかく、戦時の急な対応を要求される最中では、とても間に合わない。 「名張評家までの往復に半刻(約1時間)。名張評家で作戦会議となると一刻(約2時間)もかかってしまう。これでは戦況がすでに決してしまっている。大王には不破の近くに布陣してもらおう。」 高市皇子は今後のことを思い、名張評家を本陣としている大海人皇子に不破の最前線に近い
672年(天智天皇十一年)六月二十七日
大海人皇子が |
| 天皇 | 672年(天智天皇十一年)六月二十七日 午後 高市皇子は大海人皇子の前で馬を降りると肩膝を付いて叩頭した。 「大王のご到着が遅うございますので、お迎えに上がりました。」 「すまぬの高市。思わぬ援軍に出会うて、喜びの余りに時を費やしてしもうたわ。」 「思わぬ援軍・・・ですか。」 大海人皇子は高市皇子に、小子部さ鉤から二万の増援を受けた旨をはなした。 「不破にも増援したゆえ、心強いというものじゃ。」 大海人皇子の表情は、すこぶる満足気であった。 「それはありがたいことです。三千の兵といえども、大軍に攻められれば苦戦を強いられると覚悟しておりましたが、増援をいただければ不破関は安泰です。ところで昨夜のことですが・・・」 高市皇子は昨夜の出来事を大海人皇子に報告した。 「近江朝が東国への募兵に派遣した 「近江朝は畿内の兵だけでは不足と判断して 「臨むところです。大友軍が攻めて来る前に、こちらから討って出ましょう。」 戦にはやる高市皇子を大海人皇子が制した。 「高市よ、はやる気持ちを抑えよ。戦というものはそう急いでも勝てるものでは無い。一軍が突出しても補給路を絶たれればその軍は死んだも同然じゃ。全軍が一糸乱れぬ行動を起こさなければ戦には勝てぬ。心得ておけ。」 大海人皇子の言葉に高市皇子は叩頭した。 「分かりました。以後は全軍の動きを把握したうえで、適切な行動を取りまする。」 大海人皇子と高市皇子の会話を聞いていた 「高市皇子様、あの異国の服を着た何者はどなたですかな。」 高市皇子が振り返り、異国人を見ながら答えた。 「彼らは唐の捕虜たちのようです。不破の周辺に強制的に住まわされていたのを連れて来ました。」 唐の捕虜と聞いて大海人皇子が興味を示した。 「唐の国は戦が多いと聞く。その唐の国にいた者であれば、戦の必勝法というものを知っているやもしれぬ。話を聞くことは出来ぬか。」 鈴鹿峠と不破関を押えたものの、兵力でいけば近江朝とは互角程度と思われるが、守備範囲が広範囲に及んでいるため、力で押し進めるほどの兵力は無い。できれば奇策によって近江朝の兵力を削いでしまいたいと思っていた。 大海人皇子の舎人の中に、唐語が話せる者がいたのでその者を 唐国の者たちは戦を司る武官ではなく、文書などを扱う文官では無いかと思われた。 大海人皇子は、大きく溜息をつくと唐国の者たちに、下がるように命じた。大海人皇子の落胆した表情を見た高市皇子がすっくと立ち上がり、もろ肌脱ぎになると剣を握り締めて叫んだ。 「近江朝には有能な軍臣が大勢います。しかし、彼らが束になってかかってきても大王の霊威に逆らうことはできません。我が軍には大王お一人しかおられませぬが、この高市が天地の神々の霊に助けを受け、大王の命により諸将を率いて近江朝の兵を討ちましょう。敵は、我が軍を防ぐことなどできますまい。」 高市皇子の決意を聞いた大海人皇子の感動は一通りのものではなかった。大海人皇子は立ち上がると高市皇子を抱き締め、背を撫でながら双の目に涙を浮かべて高市皇子を褒め称えていた。 「高市よ、吾はそちの心を見せてもらったぞ。たった今より、そちが吾が全軍の指揮を執るがよい。その証として吾の鞍馬をそちに授けようぞ。」 「ありがとうございます。この高市、お父上に成り代わりましてこの度の戦を勝利に導くことをお約束します。」 高市皇子は叩頭すると、大海人皇子の鞍馬に乗って前線へと戻って行った。大海人皇子と尾張連大隈の一行は野上へと向かった。野上までの道すがら、尾張連大隈が大海人皇子に不信な面持ちで尋ねた。 「大王、高市皇子様に全軍の指揮権を与えられたということは、世間ではこの戦を高市皇子様と大友皇子様の闘いと受け取るでしょう。」 大海人皇子は馬に揺られながら悠然と答えた。 「卑腹の皇子を相手に吾が対等に立ち向かったとあらば、乱後に民達への聞こえが悪いであろう。大友皇子に対するのは高市皇子で十分じゃ。」 「しかし大王、高市皇子様がこの戦に勝利された場合、舎人達が高市皇子様を大王の位に着くことを望みまするぞ。」 「はっはっはっ そうじゃのお。じゃが、高市は将軍になる資格は持っておるが、大王にはなれぬ。」 「と、申しますと。」 「高市が中大兄皇太の子である大友皇子を倒せば大王となる資格を手にするであろう。しかし、高市は己が大王になれぬことは百も承知しておる。今の高市には近江朝を滅ぼすことしか頭に無い。吾はその高市の気持ちを汲み取り、高市に命を下すのみ。そして吾は大王の上の位。天の 尾張連大隈は、初めて聞く言葉に戸惑いを感じた。 後に大海人皇子は大王という言葉を廃して天皇とした。この構想は大海人皇子が東宮(皇太子)になった時から温めてきたものだったが、全軍の指揮権を高市皇子に与えた時に実現すべく決意していた。
この日から、大海人皇子は自らを
野上に入った大海人皇子は
672年(天智天皇十一年)六月二十八日
672年(天智天皇十一年)六月二十九日 夕刻
この日、壬申の乱で最初の闘いは |