壬申の乱じんしんのらん 決戦前夜
大王崩御おおきみほうぎょ 671年(天智十年)十二月三日
 この日、天智大王てんじのおおきみが崩御した。この知らせは大津京を極秘に走り出た一人の使者により、その日のうちに吉野宮に隠匿する大海人皇子おおあまのみこのもとに知らされていた。
「あなた、父が、大王が亡くなられたそうです。」
「ああ、聞いた。こんなに早く逝ってしまわれるとは・・・」

 そう語る大海人皇子の表情は哀しみよりも、いよいよこの時が来たかと思わせるような決意がみなぎっていた。讃良皇女さららのひめみこは憎しみを持ち続けていた父ではあったが、いざ他界したと聞いた時は、またしても数少ない自分の身内がこの世から消えたという思いが心を支配したが、不思議と悲しみは沸いてこなかった。
「大津宮におればあなたがしのびごとを申し上げる立場でありますのに。」
 沈んだ声で語る讃良皇女さららのひめみこに大海人皇子が答えた。
「大王が吾を疎外しようとしなければそういうことになっていたであろう。しかし、今の吾の身では殯宮もがりのみやに赴けば近江朝の手によって囚われの身となることは明らかだ。吾らには、兄、大王の死を哀しんでいる暇は無い。」
 讃良皇女は悲しみも浮かばないままに大海人皇子の言葉にうなずいていた。
 大海人皇子の行動は早かった。天智大王の悲報を受けるや、翌日には吉野の国栖くず及び宇陀うだ郡の豪族の長たちを集めて天智天皇の死を祝うかのように宴を催した。しかし、食べ物も少ない吉野宮で催される宴は盛大な物ではない。それでも大海人皇子、讃良皇女らが誠意を持って宴を催し、くったくの無い大海人皇子の持て成しに招かれた客人たちは、大海人皇子という人物に心酔していった。
 大海人皇子が催した宴にの裏には今後の計画を進めるために、近隣の豪族を味方につけておくという周到な計画の一部であった。
 大海人皇子の手勢は舎人が十数人しかいない。その者たちだけの護衛では、讃良皇女や、草壁皇子くさかべのみこ忍壁皇子おさかべのみこ、更には女官や采女うねめらを伴っての吉野脱出は到底不可能なことであった。そこでまず国栖くず人や宇陀郡の豪族を手中に治めて吉野脱出を図ることが当面の課題であり、今後の近江朝との決戦に備えて兵力を確保することが目的であった。

672年(天武元年)五月
 五月に入ってから大津宮に残してきた十市皇女とおちのひめみこからの差し入れが滞り始めた。不審に思った大海人皇子は舎人に様子を窺わせたところ、大津京から飛鳥にいたる所々に監視の兵が配置され、菟道うじの橋守には大海人皇子の舎人が私用の食糧を運ぶのを阻止しているとのことであった。
 大津京からの食糧が滞ることも重大であったが、食料に隠して贈られてくる十市皇女の密書には、大津京の状況がつぶさに書かれていた。舎人からも大津京の状況は逐一受け取ってはいたが、大津宮の深部にまでは舎人の力では窺えるものではなかった。
 その十市皇女からの情報が途絶えたことが、大海人皇子にとっては一番の痛手であった。
 そのような状況中、大海人皇子のもとに朴井連雄君えのいのむらじおきみが血相を変えて駆け込んできた。
「皇子様、一大事でございます!」
 大海人皇子は妃の讃良皇女と現在の状況について語り合っていたが、突然の雄君の大声に緊張を走らせた。
「雄君か。美濃で何か動きがあったか。」
 旧暦の五月は、今でいえば初夏にあたる。走れば汗が浮かぶ頃である。しかも、急いでいたのと心理的な焦りとで朴井連雄君えのいのむらじおきみは頭から水を被ったように汗で濡れていた。その汗を袖で拭いながら雄君が語りだした。
「皇子様、近江朝がとうとう動き出しましたぞ。早々に出立の用意を!」
 大海人皇子は、雄君のただならぬ表情に何かを感じ取り、表情を引き締めて雄君に問い質そうとしたところを讃良皇女がにこやかに雄君に問い質した。
「雄君、そちはいつもそそかしいのお。最初からゆっくりと話をしてくれないと私たちには何のことだか分かりませぬ。」
 讃良皇女が笑顔で問い質したおかげで、朴井連雄君えのいのむらじおきみは少し落ち着きを取り戻した。
「これはこれは、やつかれとしたことが申し訳ございませぬ。実はやつかれが美濃国に着きましたら、美濃国司が民を徴発しておったのです。で、やつかれが何事かと徴発場で国司に尋ねてみましたところ・・・」
 にこやかに話を聞いていた讃良皇女の表情も、いつしか険しいものへと変わっていた。
「近江朝廷が前の大王の陵墓を造営するために民を徴発しているということでした。」
 近江朝廷という言葉に、大海人皇子と讃良皇女が揃って身を乗り出した。
「しかも、その民たちには家に槍や剣があれば携行して武装するようにと。槍や剣が無ければ鍬やくわでも良いから持ってまいれとの指示が出ておりました。」
 大海人皇子は神妙な顔付きをして腕組みをした。
「あなた、農民に槍や剣を持たせて父の陵墓を造るなんて、考えられませんわ。これは・・」
 讃良皇女の言葉を遮るように大海人皇子が声高に叫んだ。
「吾が大王を譲り遁世したのは、前の大王の病快復を祈願してのこと。しかし、その大王も崩御されてしまったとあっては、仏の道に身を委ねて吾の病を治し、天命をまっとうしようと思っていた。しかし、大津京が吾を攻めようとし、否応無く禍に巻き込もうとしている。このまま黙って身を滅ぼすことはできぬ。」
 未だに紛れ込んでいるであろう大津京の間者に、聞こえよとばかりに発した。
 大海人皇子が不敵な笑みを浮かべて笑い出した。讃良皇女と朴井連雄君えのいのむらじおきみが揃って怪訝な顔をして大海人皇子の顔を覗き込んだ。
 大海人皇子は声を落して静かに語った。
「この日のために、この吉野宮には美濃や三重出身の舎人たちを主に連れてきた。そしてそれぞれの者たちを国元に帰し、吾の言葉一つで挙兵できるように準備をさせていた。」
 大海人皇子はすくっと立ち上がると静かに吼えた。
「今こそ吾が言葉を発する時ぞ。」

672年(天武元年)六月二十二日
 大海人皇子の食封地が美濃の安八麿郡あはちまのこおりにあったため、大海人皇子に仕える舎人には美濃国の出身者が多かった。そこで大海人皇子は村国連男依むらくにむらじおより和珥部臣君手わにべのおみきみて身毛君広むげつきみひろといった美濃出身の若者を美濃と吉野の間の連絡兵として指名し、それぞれの地に派遣した。
 それぞれの連絡兵たちは郷土に向かい、大海人皇子が明後日に吉野宮を脱出することを、それぞれの郷土に知らせるために旅立っていったのであった。
 大海人皇子は、自分が吉野宮を脱出すれば即座に近江朝に察知されることを確信しており、吉野宮を出る前に機先を制して行動を起こしたのであった。
 しかし、村国連男依らが吉野宮を出たことは、間者の手によって逐一近江朝に伝えられていたのであった

吉野宮脱出 672年(天智天皇十一年)六月二十四日
 早暁。大海人皇子おおあまのみこ美濃みのに向けて出発しようとしたとき、舎人の長が大海人皇子の面前に平伏して述べた。
「皇子様、近江の群臣は謀略にたけております。間者の報告を受けて至る所に兵を忍ばせ、必ずや東国入りを妨害することでしょう。武器も兵も無く、丸腰で東国に向かうなどとはとても成就するとは思えませぬ。せめて馬でもあれば駆け抜けられるかも知れませぬが。」
 舎人の長の話を大海人皇子も真摯しんしに捉えていた。確かに決起を決めてからすでに一月近くが過ぎている。間者が大津京に報告していたならば、大海人皇子の東国入りを阻止すべく、兵を派遣している可能性は大きい。
「馬か・・・」
 大海人皇子はぽつりと呟くと大分君恵尺おおきだのきみえさか黄書造大伴きふみのみやつこおおとも逢臣志摩おうのおみしまを呼び寄せた。
「そちたちに頼みがある。吾らが東国に向かうについて、できれば馬が欲しい。倭古京の高坂王たかさかのおおきみのもとに行き、駅鈴を求めてもらいたい。」
 大分君恵尺が眉間に皺を寄せて大海人皇子に問い質した。
「高坂王が大津京に組みしたならば、その時点で皇子様の東国行きが大津京に露見しますが、それは如何に。」
「高坂王の意を知りたい。吾につくのか、大津京に組みするのか。」

 呼ばれた三人の額には脂汗が滲み出していた。もしも、高坂王が大津京に組みしていたならば、駅鈴を求めた我々をその場で捕縛するかも知れない。それと同時に大海人皇子の東国行きが大津京に報告され、大海人皇子の吉野宮脱出が困難となる。
 三人の焦りを感じ取ったのか、大海人皇子は笑みを浮かべながら述べた。
「心配はいらぬ。高坂王は必ずや駅鈴を授けてくれようぞ。」
 黄書造大伴きふみのみやつこおおともが不審な面持ちで大海人皇子に問うた。
「皇子様。何故、高坂王が駅鈴を授けるとお思いですか。高坂王が大津京に組みしていたならば、我等も捕縛され・・・」
 黄書造大伴の言葉を大海人皇子は遮った。
「心配はいらぬ。高坂王はその場の空気が読める男と聞いておる。そちたちを捕縛することはあるまい。」
「そのように皇子様が思われる根拠は?」

 逢臣志摩おうのおみしまが今にも泣き出しそうな顔で大海人皇子に詰め寄った。
「根拠とな。そのようなものは無い。吾の感じゃ。はっはっはっ」
 三人の不安を大海人皇子は笑いで吹き飛ばしてしまった。しかし、すぐに真顔に戻ると神妙に話を続けた。
「高坂王は独断では動けぬ小心者。必ずや大津京に指示を仰ぐであろう。そちたちをその場で捕縛するだけの度量は無いわ。よしんば、高坂王が大津京に組みし、駅鈴を渡さなかった場合には、大分君恵尺。そちは大津京に向かい、高市、大津に決起の旨を知らせに走れ。そして、黄書造大伴。そちは倭古京の大伴連馬来田、吹負の兄弟のもとに走り、蜂起を促せ。最後に逢臣志摩。そちは急ぎ、吾にことの首尾を報告せよ。分かったな。」
「はっ」

 三人は大海人皇子の前に平伏すと早々に倭古京の高坂王のもとに走った。

 大分君恵尺らを見送る大海人皇子に、後ろから讃良皇女が問うた。
「あなた。本当に高坂王は彼らを捕縛しないでしょうか。」
 三人の姿が見えなくなってから大海人皇子は讃良皇女に振り向くと、あっさりと答えた。
「それは分からぬ。」
 いとも簡単に言い捨てた大海人皇子に讃良皇女は驚いた。
「分からぬってあなた。それでは彼らを。」
「いや。確かに高坂王は己れ一人では動かぬ奴じゃ。それに、吾の予想が外れ、高坂王が彼らを捕縛するなら、その時点で吾の東国行きは無と化す。これは賭けじゃ。彼らが捕縛されれば、吾は死を決意せねばなるまい。」

 大海人皇子の並々ならぬ決意に、讃良皇女は更なる決意を固めていた。

 大分君恵尺おおきだのきみえさか達を送り出してから数時。吉野宮脱出の準備もすっかり整った大海人皇子は吉野川の流れに釣り糸を垂れてながら、逢臣志摩おうのおみしまの帰りを待っていた。
 逢臣志摩おうのおみしまの帰りを待ちわびた讃良皇女さららのひめみこは、落ち着き無く大海人皇子の周辺をうろうろと歩き回っていた。
「讃良、少しは落ち着いたらどうだ。」
 大海人皇子の言葉に立ち止まった讃良皇女は、いらいらした口調で大海人皇子に詰め寄った。
「あなたはよくもそれ程にまで落ち着いていられますね。もしや、大分達が高坂王に捕縛されていたら、すでに大津京から討伐隊が派遣されているやも知れぬのに。」
 食って掛かる讃良皇女に、大海人皇子は笑顔で答えた。
「心配するなと言ったであろう。間もなく逢臣志摩おうのおみしまが戻ってくる。」
「え? 何故戻ってくるのは志摩だけだと分かるのですか?」

 大分君恵尺おおきだのきみえさか達が駅鈴を手にすることが出来たのなら、官馬を伴って三人が帰ってくるはず。
「あなたはやはり、高坂王は駅鈴を渡さないと踏んでいたのでは・・・」
「高坂王とはそういう男だ。」
「それでは駅鈴など求めずに、早々に東国に出立したほうが良かったのではないのですか?」
「よし、釣れたぞ。これで五匹目じゃ。」

 大海人皇子は讃良皇女のいらつきを無視するかのようにやまめを釣り上げた。
「少ないが夕餉の足しにでもなろう。」
「ま、あなた。私の話を聞いているのですか?」

 讃良皇女がなおも反論しようとしたところに、早馬の蹄の音が聞こえてきた。
「来たぞ。讃良、出立の準備じゃ。」
 言うが早いか、大海人皇子は釣り上げたやまめを入れた魚篭びくと釣り竿を小脇に抱えると駆け出していた。
「あ、はい。」
 あまりにも素早い大海人皇子の身のこなしに、讃良皇女は返事をするだけが精一杯だった。

 宮にいると思っていた大海人皇子が、いきなり河原から姿を現したのを見て、逢臣志摩おうのおみしまが驚いて馬を止めると馬から飛び降りた。
志摩しま、よく戻った。疲れているところを悪いが、すぐに出立するぞ。」
 逢臣志摩おうのおみしまに声をかけると大海人皇子はそのまま逢臣志摩おうのおみしまの前を走り抜けると、「夕餉の足しにせよ。」と魚篭と釣り竿を舎人に渡すと宮に駆け込み、叫んだ。
「皆の者、出立するぞ。急げ。」
 呆気に取られている逢臣志摩おうのおみしまの前に、河原からようやく讃良皇女が息を切らせながら姿を現した。
「お、これは皇女様。遅くなりまして申し訳ありませぬ。」
 大海人皇子に挨拶をし損ねた逢臣志摩おうのおみしまは、代わりに讃良皇女に挨拶をした。
「はぁはぁ。それで、はぁ、首尾は、はぁ、どのように。馬は? はぁはぁ。」
「皇女様、息が切れておりますが、大丈夫ですか。」

 河原から宮まではかなりの落差があり、大海人皇子はそこを一気に駆け上がったが、讃良には一気にという訳には行かなかった。讃良は両膝に手をついて、中腰になって息を整えていたが、息切れを心配する逢臣志摩おうのおみしまに、顔だけを向けると一気に言った。
「私の息切れなど心配無用。それより、駅鈴は? はぁはぁ。」
 讃良皇女の剣幕に押された逢臣志摩おうのおみしまは、一息飲み込むとことの次第を話し出した。
「我等が高坂王の邸に訪れると、門前で舎人達と別々にされ、しかも剣も召し取られ・・・」
「そのような話はよい! 駅鈴は?」
「え 駅鈴は・・・」

 讃良皇女のあまりの剣幕に驚いた逢臣志摩おうのおみしまは、次の言葉が出せずにいた。そこに馬上の人となった大海人皇子が現れた。
「讃良、何をしておる。出立するぞ。早く馬に乗れ!」
「でも、あなた。報告を、駅鈴は。」
「志摩が一人で戻ったということは、高坂王は駅鈴を手渡さなかったということじゃ。馬は二頭のみ。急ぐぞ。」

 大海人皇子は逢臣志摩おうのおみしまが戻った時の蹄の音の少なさで、駅鈴の奪取が失敗に終わったことを理解していた。

 大海人皇子おおあまのみこ讃良皇女さららひめみこ草壁皇子くさかべのみこ忍壁皇子おさかべのみこらを伴って吉野宮を後にした。この他に大海人皇子達と行動を共にしたのは、朴井連雄君えのいのむらじおきみ県犬養連大伴あがたのいぬかいのむらじおおとも佐伯連大目さえきのむらじおおめ大伴連友国おおとものむらじともくに稚桜部臣五百瀬わかさくらべのおみいおせ書首根摩呂ふみのおびとねまろ書値智徳ふみのあたいちとこ山背部小田やましろべのおだ安斗連智徳あとのむらじちとこ調首淡海つきのおびとおうみ。それに十人余りの女官と采女達であった。
 大海人皇子の一行が甘羅村かんらむら(現在の大宇陀町)まで来たとき、大伴朴本連大国おおともえのもとのむらじおおくにが二十人余りの猟師たちを引き連れて、大海人皇子らが到着するのを待っていた。
「大国か、御苦労である。皆の者も、大儀であるぞ。」
 大海人皇子は一人一人の手を握って労をねぎらった。何気ないこの大海人皇子の仕草が民たちにとっては心をくすぐられるところである。上下の分け隔てなく声をかけ、身分差というものを相手に感じさせないのが大海人皇子に与えられた天性の武器であった。この大海人皇子の自然体が人心を掴み、労することなく人を集めることが出来たのであった。
 この宇陀郡ではすでに馬や武器も用意されていた。讃良皇女は幼い頃より乗馬が好きで、時間があれば野駆けに出かけ、気分の優れない事があれば馬に乗って鬱憤を晴らしていた。そのためか、讃良皇女に付き添う女官や采女たちは否応無しに乗馬することを余儀なくされ、常日頃から乗馬の特訓を受けていた。このたびの大津京脱出行においても、乗馬のできる女官や采女たちだけが随行を許されていた。
 宇陀郡から榛原はいばらにかけては騎馬による行軍であった。しかし、その速度は決して速いものではない。
「皆の者、急ぐことは無い。女人の中には早駆けが出来ぬ者もおる。その者に合わせればよい。」
 女官や采女たちが全員馬に乗れるといっても、皆が早駆けを出来た訳では無い。しかし、吉野を脱出したことはすでに近江朝には知られているであろう。少しでも先を急ぎたいのは山々ではあるが、大海人皇子はあえて急ごうとはしなかった。
 ゆっくりと進む大海人皇子に、不安になった讃良皇女が声をかけた。
「あなた、先を急がなくていいのですか? 近江朝の追っ手が迫っているのでは。ここは早駆けで一気に。駆けられぬ者は・・・」
 讃良皇女の言葉を遮って大海人皇子はゆっくりと答えた。
「讃良、心配するな。手は打ってある。これから行く先は味方しかおらぬ。それに、我々があまりにも早く到着しては土地の者たちの準備が出来ぬであろう。」
 大海人皇子の余裕たっぷりの態度に、讃良皇女の不安は消えないまでも、頼もしさを感じていた。

 日が暮れるに連れて道のりは伊賀の深い山中へと続いていた。木々はますます深くなり、空はまだほの明るさを残していたが道のりは暗く、足元も見えないほどであった。
 先鋒を行く舎人の一人が戻ってきて陳情した。
「皇子様、この先に小さな集落がございます。そこの家を取り壊して松明を作りたいと思います。」
「うむ。しかし、民の家を壊すのはならぬ。垣根などの住むに困らぬものを松明とせよ。民と思って気を許すでないぞ。」

 大海人皇子はこの周辺の民に苦労を強いることで恨みを買うようなことは極力避けたいと思っていた。
 舎人は叩頭すると先に向かって駆け出した。舎人たちが前方で民家の垣根を破壊する音が聞こえ始め、それからしばらくして松明の灯りが一つ二つと灯りだした。
 一行の前後と列中に松明を持った舎人たちを配し、闇の中で一行の周辺だけがほの明るく浮かび上がっていた。松明は、一行の後を追う近江朝の間者たちに居場所を示す格好の目標になると思われるが、前に進めなければ意味が無い。吉野宮を出たからには、留まることも、戻ることも許されない。大海人皇子がすべきことは、ひたらに前に進むことだけであった。

 夜半になって一行は隠評なばりこおり(三重県名張市)に入った。隠評にはかなり大きな集落があったが、夜中ということもあり、人の気配は無かった。それにしても国栖くずの者たちと大伴朴本連大国おおとものえのもとのむらじおおくにが率いてきた猟師たちを入れると50人を超える人数になっていた。それだけの人が集落に入れば気がつかないはずがない。
「大国、小休止を取る。隠駅家なばりのうまやを焼いて伊賀の豪族たちに参軍を呼びかけてみよ。」
 ここで大海人皇子は賭けに出た。ここ伊賀の地は大友皇子が養育された地であり、大友皇子おおとものみこを慕う豪族によっては大友皇子に加勢してもおかしくは無い。近江朝廷が逸早くこの地に大海人皇子攻撃を命令していたとすれば、待ち伏せを受けていたであろう。しかし、集落は静まり返っている。攻撃をしかけてくるどころか、どの家もしっかりと戸締りをし、息を潜めているかのように見える。
大王おおきみ大海人様の到着であるぞ。大海人大王の軍臣として参軍する者はおらぬか。」
 大伴朴本連大国が数度に渡って大声で呼ばわったが、誰一人として姿を現さず、物音一つ聞こえてはこなかった。大国が今一度呼ばわろうとしたとき、大海人皇子がそれを制した。
「大国、もうよい。大友皇子を養育した地の民じゃ。おいそれと吾らに組するには、それ相当の覚悟が必要であろう。先を急ぐとしようぞ。」
 大伴朴本連大国おおとものえのもとのむらじおおくには、無言の家々を恨めしく見つめると肩を落とした。大友皇子を養育した地の民が参軍すれば、これほど心強いことは無い。しかし、民の反応は無い。参軍することも無く、歯向かうこともない。追われる者の身とすれば、何の反応も示さない民の態度が非常に不気味なものであった。
 小休止を終えると一行は早々にその場を後にした。この伊賀の地を抜けるまでは、いつどこから奇襲を受けるか分からない。そういう思いが一行の足を速めた。しかし、その中でも大海人皇子は逆に馬の歩みを緩めて一行の歩みを遅らせていた。ともすれば讃良皇女の馬が前に出ることもしばしばであった。
「あなた。もう少し・・・」
 讃良皇女は馬を止めると、大海人皇子が追いつくのを待ち、たまりかねて大海人皇子に声をかけたが、大海人皇子は讃良皇女の馬をそばにつけさせるとそっと囁いた。
「今は皆の心が恐怖の淵にある。今ここで吾が駆け出せばどうなる。浮き足立った者たちの収拾がつかなくなる。吾らをつけ狙っている近江朝の間者にとっては好機となろう。吾らの堂々とした態度を見せ付けてやるのじゃ。大王は吾であるぞ。」
 大伴朴本連大国が大海人皇子を大王と呼ばわった時に、大海人皇子は、もはや自分は皇子ではなく、大王として行動することを自覚していた。それがここまで付き従ってきてくれた舎人たちへの態度であり、これから自分が歩むべき態度であると確信していた。
 それ以来、讃良皇女の馬は大海人皇子の馬の歩みに合わせて自分の馬を歩ませるようになった。時には大海人皇子と和やかな会話をし、笑い声さえ上げていた。讃良皇女の穏やかな笑い声は、付き従う者たちの心を和ませ、一行の落ち着きを取り戻させる役目を十分に果たした。
 しかし、この時には讃良皇女の容態は変調を訴えていた。それでも讃良皇女はそれを誰にも気づかれまいと、賢明に笑顔でひたかくしていた。

 夏の早い朝が空を明るく染め始めた頃、一行は横河(名張川)に到着した。それまで木々で遮られていた空が一気に開けた。
「おぉ あの雲を見よ。黒雲が天を二つに分けているぞ。」
 舎人の一人が天を指差して叫んだ。その声に呼応して一行の中にどよめきが起こった。幅十丈余りの黒雲が空を東西に分け、緩やかに東端から西へと移動していた。
 大海人皇子は空を眺めると、馬の歩みを止めてゆっくりと荷袋の中からちく(陰陽道で吉凶を占う道具)を取り出して占い始めた。
 一行の目はすべて大海人皇子の式に集中していた。誰一人として声を発する者はいない。やがて大海人皇子が静かに語りだした。
「この黒雲は天下が二つに分かれて内乱が起きる前兆を示している。されど、東の空が黒雲を西へと追いやるであろう。占いでは大津京の東より吾らが西の近江朝を亡ぼして天下を治めることを示しておる。」
 一行の中から歓声が沸き起こった。黒雲は東から西に移動し、一行が見守るうちに西の端で消えてしまった。この占いを基に、一行の心は完全に静まり、それまでの平静さを完全に取り戻していた。
 星の動き、天候などの観測を常としていた大海人皇子にとっては、黒雲が消え入ることは事前に読めていたことかも知れない。しかし、予言の如く黒雲が消え去った場面に直面した者たちにとっては、これ以上に神秘的な出来事は無く、まさに神の思し召しと取る以外には無かった。

 大海人皇子の一行は横河を後にして先を進み、伊賀評に入って伊賀駅家に放火したが、ここでも民からは何の反応も受けなかった。やがて中山(上野市南部)というところで一行を数百にものぼる一団が待ち受けていた。
 一団の姿を認めた一行は歩みを止めて様子を窺ったが、攻撃を仕掛けてくる様子も無く整然としていた。大海人皇子は数名の舎人に一団のもとに行って誰何すいかさせた。舎人たちは恐るおそる一団に近き、しばらく会話を交わしていたかと思うと、おもむろに手を握り合うのが見えた。笑顔を見せながら戻る舎人たちが言うのには、一団は大海人皇子への参軍を申し出ているとのことであった。一行の中から安堵の溜息と喜びの歓声が同時に沸きあがっていた。
 大海人皇子の表情にも笑みが浮かび、この伊賀の地において援軍を迎え入れることが出来たのはこの上ない朗報であった。この数百の援軍は伊賀の地を代表した者たちであり、大友皇子を養育した地が自分の手中に収めることができたことを示していた。そして、伊賀の民が大海人皇子に味方したということは、伊賀の民が大友皇子を大王として迎えることに何等かの反発を抱いていたのではないかと思わせるのであった。
 それでも大海人皇子は伊賀の者たちに気を許してはいなかった。大伴朴本連大国を呼び寄せると囁いた。
「あの者たちから目を離すでないぞ。吾らに参軍したとはいえ、二百といえば今の吾らにとっては大軍じゃ。今ここで寝返られてはひとたまりも無い。」
「心得ております。我らに参軍したということは、大友皇子様への裏切り行為と同じこと。いつ我らに剣を向けるかも分かりませぬゆえ、一行に交えさせることなく道案内と称して先を行かせませしょう。」

再開 672年(天智天皇十一年)六月二十五日
 大海人皇子の一行は三重県の積殖山口つむえやまぐちに到着した。
 ここで大海人皇子を出迎えたのは高市皇子たけちのみこであった。背後には高市皇子と共に大津京を後にしてきた民直大火たみのあたいおおひ赤染造徳足あかそめのみやつことこたり大蔵直広隅おおくらあたいひろすみ坂上直国麻呂さかのうえのあたいくにまろ古市黒麻呂ふるいちくろまろ竹田大徳たけだのだいとく胆香瓦臣安倍いかごのおみあへといった舎人たちが馬上で控えていた。
「父上、お待ちしておりました。ご無事で何よりです。」
「おぉ 高市。そちも無事に大津京を脱出できたのか。良かった、良かった」

 自分は追われる身ではあるものの、すでに吉野宮を後にしているため、刺客しかくにさえ気をつければ問題は無かった。しかし、大津京に残してきた高市皇子と大津皇子おおつのみこは、敵の懐深くから脱出しなければならないため、かなりの危険が伴う。大海人皇子にとってはこの二人が気掛かりであった。
 今、気掛かりのうちの一人であった高市皇子の元気な顔を見て、大海人皇子は我が事のように喜んだ。
「大友皇子の言により、騎馬隊による追撃は中止させられたのですが、群臣会議が門衛に伝わるまでに父上を追撃すると称して騎馬隊を率いて強行に大津京を出て参りました。」
「そうか、して、大津の消息は掴んでおらぬか。」
「はい、私は大津の脱出を目にしておりませぬので、何とも言えませぬが、大分君恵尺おおきだのきみえさかと打ち合わせて同日には大津京を脱出しているかと思われます。」

 高市皇子の顔が曇った。
「そうか。大分が着いておるのなら、無事に脱出してくれることであろう。」
「そうだと良いのですが。」

 高市皇子は大津皇子が脱出したのを確認できなかったのが心残りであった。
 大海人皇子と高市皇子は馬首を並べてこれまでのお互いの状況を語り合いながら歩を進めた。
「して、山前やまざきからここまでの道中はいかに。」
「はい。倉歴道くらふのみちから鹿深かふかを抜けて、鈴鹿峠を越えてまいりました。」

 大海人皇子は遥か前方に目を向けていた。その脳裏では高市皇子が通ってきた道程を検証していた。湖東から朝明にかけて、近江朝の警備が出ていなかった。ということは、近江朝は自分が吉野宮を脱出したことを察知はしたが、まだ周辺地域に警備の兵も出していないということであった。しかし、近江朝は高市皇子が通った道が伊勢までの最短距離であり、その道に軍を派遣することは明らかである。布陣の際には鹿深かふかから鈴鹿峠に至る道を押える必要があろうと判断していた。

 大海人皇子が吉野宮を出たという報は、翌日には近江朝に伝わっていた。その報はその日のうちに大津京に広まり、大津京は騒然となっていた。大津京では明日にでも大海人皇子が大軍を引き連れて大津に攻め込んでくるとの噂が立ち上り、早々と大津京を後にする人々でごった返した。
 中臣連金なかとみのむらじかねらは、この事態を収拾しようとして警護の者たちの数を倍にして大津京を出る人々を止めさせたが、その警護の者たちでさえ浮き足だっていため、警護の者たちでさえ人々と共に大津京を出る者が後を絶たなかった。
 このような事態の中で、しかも、高市皇子が騎馬の大軍を率いて大海人軍の下に走ったとの噂も広まり、さらに混乱を拡大させていた。このような状況で、大津皇子が舎人の子どもの姿になり、大分君恵尺とともに大津京を後にするのは苦も無いことであった。
 大津皇子は、高市皇子の後を追うように大海人皇子の元へと走っていた。

 高市皇子らを加えた大海人皇子の一行は大山(加太越え)を越え、伊勢の鈴鹿評すずかのこおり(三重県鈴鹿郡)に入ると評家の前に一行を待ち受ける一団があった。先頭の舎人が問い質してみると、伊勢の国宰くにのみこともちの長官・三宅連石床みやけのむらじいわとこと次官の三輪君子首みわのきみこおびと、それに湯沐邑ゆのむらを管理する役所の長である田中臣足麻呂たなかのおみたりまろと美濃国首稲しゅとう高田首新家たかたのおびとにいのみらであった。
 周辺の地理に明るい彼らを援軍として向かえることは、大海人皇子たちにとっては非常に心強いことであった。早速、彼らを交えて作戦会議が開かれた。
「吾らが鈴鹿まで来ていることは、近江朝廷の知るところであろう。さすれば、近江朝はいかなる行動に出るのか。それに対して吾らは何をすべきなのか、地理に明るい者たちの意見を聞かせて欲しい。」
 大海人皇子が三宅連石床らに問うた。
 三宅連石床がそばに落ちていた木切れを拾うと、鈴鹿周辺の地図を地面に描き出した。そして、一つの提案を出した。
「それにはまず、鈴鹿道を塞ぐことが先決ではないかと思われます。」
「鈴鹿道を塞ぐということは・・・」
「鈴鹿道は北を鈴鹿山地、南を布引ぬのびき山地に挟まれており、しかも東側と西側はそれぞれ小野川と鈴鹿川の断崖になっております。南北の山に挟まれた道の間隔は狭くて大軍が一度に通過することは出来ませぬ。守るに易く、攻めるに難い天然の要害となりえます。近江朝が伊勢に攻め入ろうすると、この鈴鹿道を通る以外に道はありませぬ。」
「守るに易く、攻めるに難いか。とすれば少数の兵でも近江朝の大軍を食い止めることが可能か。」

 高市皇子が地面に描かれた地図を眺めながら呟いた。高市皇子の呟きを聞いて三宅連石床が幾分、胸を張りながら言った。
「さようでございます。兵が三百もあれば千の敵を足止めすることは出来ます。」
 三宅連石床の提案で鈴鹿道を塞ぐことが決定された。この決定に関しては、提案者である三宅連石床が責任を持って引き受けることとなった。
 三宅連石床が即刻募兵を行うと、集まった兵は五百人に達した。大海人皇子は三宅連石床が集めた兵士五百人をそのまま三宅連石床に託して鈴鹿道の封鎖に充てた。
 この時期にはまだ鈴鹿関すずかのせきは設けられておらず、この壬申の乱を契機に鈴鹿関が東西の重要拠点として認知され、後に不破関と同様に畿内と東国との連絡を遮断する関が設けられたのであった。

 三宅連石床の軍を鈴鹿峠に派遣すると、大海人皇子の一行は先を急いだ。この地は、高市皇子が馬で大津京より一日足らずで到着できる距離にある。大友皇子おおとものみこは騎馬軍の出兵を却下したらしいが、蘇我臣赤兄そがのおみあかえ中臣連金なかとみのむらじかねが高市皇子を追うと称して騎馬軍を編成しているかも知れない。
 すでに自分達の勢力範囲の地であるといえども、まだまだ満足のいく兵力に達していない。鈴鹿峠は封鎖したとしても大軍に襲われればいつまで持ちこたえられるかは分からない。それに、東国へのもう一つの道である不破関ふわのせきもいまだに封鎖は出来ていない。讃良皇女さららのひめみこ草壁皇子くさかべのみこ、それに女官や采女たちを従えたままの大海人皇子の一行に、鈴鹿峠を破り、不破関から近江朝軍がなだれ込めばひとたまりもない。ここは一刻も早く大海人皇子が養育された桑名に向かうことが最優先であった。
 桑名は尾張宿禰大隈おわりのすくねおおすみが尾張一帯を勢力に治めていた。尾張大隈は大海人皇子が吉野宮に隠匿して以来、多大なる援助を行ってきていた。
 尾張大隈は、大海人皇子が蜂起した際には自分が大勢力を保持する桑名を拠点とすることを約束していた。その時、尾張大隈は吉野宮まで軍を派遣して迎えに行くことを提案していたが、大海人皇子はそれを辞退していた。
 大海人皇子が吉野宮を出る時は、急を要する時であり、尾張大隈の軍を待っている余裕は無いと判断したためであった。それに、大軍で移動するより、少数で移動するほうが迅速に動けることもあった。
 目指す先は尾張大隈が支配する桑名。今は逃避行であるが、桑名に入れば本格的に近江朝に対抗する準備を整えることができる。

672年(天智天皇十一年)六月二十五日 夜
 大海人皇子の一行が川曲かわわの坂本(鈴鹿市山辺付近か)に至った時、日没となった。
 それまで気丈に馬に跨っていた讃良皇女が突然前のめりになり、馬から落ちそうになった。それに気づいた大海人皇子が寸前のところで讃良皇女の体を受け止めた。
「讃良、大丈夫か。」
 荒い呼吸をしながらも讃良皇女は、微かな声で「大丈夫」と答えた。
 大海人皇子は讃良皇女を馬から降ろすと、一行に小休止をすると命じ、急いで舎人たちに輿を作らせた。その間にも天候が崩れ始め、星々が厚い雲に急速に覆われていった。
 夜であり、鈴鹿平原の真っ只中ということもあって、ここで雨に降られては逃れる場所も無い。大海人皇子は讃良皇女を輿に乗せると先を急いだ。
 輿は横になるほどの大きさが無く、輿の上にうずくまる讃良皇女に大海人皇子が毛皮をかけた。讃良皇女は苦痛に耐えながらも大海人皇子に言った。
「あなた、ごめんなさい。足手まといになって。」
「馬鹿なことを言うな。ここまで来れたのもお前のお陰だ。吾こそお前に無理を押し付けて申し訳無いと思っておる。」

 草壁皇子が不安気な顔で母の顔を覗き込んでいた。輿を担ぐ舎人たちは、讃良皇女に苦痛を与えまいとして、極力揺らさないように歩みを進めていたが、無常にも空は泣き出し、雷鳴を轟かせると同時に瞬く間に豪雨となって一行を襲った。夏といえども冷たい夜の雨はいやがうえにも体温を吸い取っていく。誰もが寒さに震えながら黙々と前に進んだ。
 一行はようやく一里(約四キロ)先の三重評家(三重県四日市采女町付近)に至り、評家の建物の一つに火をつけ、それで暖をとった。讃良皇子は建物の一つに入って横になることができた。
 この頃には雨も小雨となり、舎人の多くは燃え盛る評家の炎で暖をむさぼっていた。大海人皇子と高市皇子、そして主な舎人が評家の一つに集まっていた。
「皇后の容態はいかがですか。」
 讃良皇女の容態を気遣う高市皇子が大海人皇子に尋ねた。
「顔色もかなり戻ってきた。もう少し休めば動けると本人は言っておるが・・・」
 大海人皇子の表情にも不安の色は隠せない。
「皇后の容態が快復するまで、しばらくここで留まりましょう。」
 二人が讃良皇女の容態を心配する中に、鈴鹿峠を封鎖する三宅連石床みやけのむらじいわとこの舎人が駆け込んできた。

 大津京を無事に脱出することが出来た大津皇子大分君恵尺おおきだのきみえさかの一行が東進して、大海人皇子がいる伊勢を目指してようやく鈴鹿峠までたどり着いた。
「大津皇子様、この鈴鹿の峠を越えれば伊勢です。お父上と再会できる時も近いですぞ。」
 近江朝の追っ手にも捕らわれず、ようやくここまで無事にたどり着いたことに大分君恵尺は少々安堵していた。これから先は大海人皇子が舎人たちを使って事前に手を打っておいた大海人軍の傘下である。しかし、鈴鹿峠を押えているのは近江朝廷軍なのか、それとも大海人軍なのかは定かでは無かった。
 前方に見える鈴鹿峠が、平時なら真っ暗なはずだが、今は灯火が見える。大分君恵尺は鈴鹿峠を近江軍か大海人軍のいずれかが封鎖したのだと直感した。そして先頭を行く舎人に命じた。
「大津皇子様の名前は出すでないぞ。もしも近江朝の兵であれば捕縛されてしまうからの。」
 命じられた舎人が困惑して答えた。
「では、素性を問われましたら何と答えましょう。」
 大分君恵尺はしばらく考えるとある人物を思い出した。
「山部王と石川王の一行であると答え、峠に布陣する将の名前を問え。」
 咄嗟とっさに思い浮かんだ二人の王は、未だ近江朝にも大海人皇子にも加担していない王たちであった。故に、峠を封鎖している者たちがどちらの兵であろうと、参軍すると言えば難を逃れることができるであろうと判断した。

 三宅連石床はその日の夕方には鈴鹿道に関を設けて完全に封鎖した。その夜、関に近づく一団があった。見張りに立っていた兵が呼び止めて素性を問うた。
「止まれ。何者か?」
 兵の声には近江朝の軍がもう攻めてきたのかという恐怖感が先に出て声が上ずっていた。
 闇の中から舎人が答えた。
「我々は大津京からやってきた山部王と石川王の一行である。鈴鹿の峠を封鎖している将はどなたか。」
 大津皇子の舎人は堂々と答えた。その態度に兵士が緊張した。
「は、大海人皇子の命を受けた、三宅連石床様です。」
 大海人皇子の軍と聞いて、舎人は安堵の表情を浮かべた。
「しばらくお待ちください。大海人皇子様に急ぎ連絡を取ります。」
 そう言い残すと兵は他の兵に見張りを申し付けると、馬にまたがって大海人皇子の元へと駆け出した。
 大津皇子の一行は自分たちの素性を明かす間もなく、大津皇子と大分君恵尺は鈴鹿峠に建てられた仮小屋に通され、そこででしばらく待たざるを得なかった。

「なに、山部王と石川王が鈴鹿峠に現れた? 軍勢はいかほどじゃ。」
「それが、二十名に満たぬほどで、弓矢は持っておりますが甲冑などは着用しておらず、戦を仕掛けるような素振りは見られませんでした。」

 兵の報告に高市皇子がいぶかしんだ。
「この時に王二人が兵装もしない二十名足らずで、しかも夜に峠を越えようとは怪しいですね。」
 高市皇子の意見に大海人皇子も同感だった。
「確かに。王の名を語る近江朝の密偵やも知れぬ。路直益人みちのますひとよ、二十名ほど連れて様子を見てまいれ。」
 大海人皇子は側にいた高市皇子の舎人に命じた。路直益人は騎馬兵二十騎を従えて、鈴鹿峠へと向かった。
 しばらく休養することが出来た讃良皇女は、幾分体調を取り戻すことが出来た。大海人皇子は朝まで休養するように勧めたが、讃良皇女は自ら出発を促した。

672年(天智天皇十一年)六月二十六日 朝
 積殖山口つむえやまぐちで高市皇子の一行を加えた大海人皇子たちは、翌日には鈴鹿峠を越えて迹太とほ川(今の三重県の朝明あさけ川)の近くまで来た。ここからは東から南方の眺望が開けており、伊勢湾を一望に望むことができた。
 これまで深い山中を行軍してきた一行は、ここに来てようやく海を望むことができた。その眺望の素晴らしさに、一行は足を止めてしばし眺望の素晴らしさを堪能していた。その美しさに舎人や采女の中には涙する者さえいたほどであった。
「伊勢の海だ。彼方の伊勢神宮が望めないのが残念だ。よし、ここで小休止をして朝餉あさげにしよう。」
 大海人皇子の言葉に、舎人たちは焚き火用の薪を集め、采女たちは朝餉の用意にとせわしなく動き始めた。安斗連智徳あとのむらじちとこは自分の馬に水を飲ませようとして川べりに連れて行った時、先に来ていた同僚に声をかけられた。
「知徳よ、あれは大海人皇子様ではないか。何をしておられるのだろう。」
 同僚が指差す川べりの突端を安斗連智徳が見ると、そこには確かに大海人皇子が跪いて南方を遥拝していた。その方角には天照大神を祀る伊勢神宮がある。伊勢神宮を遥拝する大海人皇子の姿を認めた舎人たちはしばし、呆然とその姿を見つめていたが、誰ともなく大海人皇子に習って伊勢神宮を遥拝していた。神に願う舎人たちの思いは、誰もが無事に国元に帰れることであったことは、間違いなかった。

 遥拝を終えた大海人皇子の元に、路直益人みちのますひとが鈴鹿峠より戻ってきた。
「益人か、ご苦労であった。」
 大海人皇子は路直益人をねぎらった。
「大王、鈴鹿峠に現れたのは山部王と石川王ではございませんでした。」
「何、王たちではなかったと。では・・・」

 大海人皇子が問い返そうとしたとき、後方よりまだ幼いと思われる者の声が聞こえた。
「父上!」
 大海人皇子が振り向くと、そこには大分君恵尺おおきだのきみえさかと共に、大津皇子おおつのみこが馬上から元気に手を振っていた。その背後には難波吉三綱なにわのきしみつな駒田勝忍人こまだのすぐりおしひと山辺君安麻呂やまべのきみやすまろ小墾田猪手おわりだのいて泥部胝枳はつかしべのしき大分君稚臣おおきだのきみわかみ根連金身ねのむらじかねみ漆部友背ぬりべのともせといった舎人たちが控えていた。
「大津、大津か。そちも無事であったか。」
 大海人皇子は満面に笑みを浮かべながら大津皇子の名を呼ばわっていた。
 馬を下りて駆け寄る大津皇子を、大海人皇子はひしとその手に抱き締めた。まだ九歳の大津皇子の小さな体は、大海人皇子の腕の中にすっぽりと吸い込まれた。
 着替える暇も無かったのか、着替えるべく衣装も持たずに宮を後にしたのか、大津皇子は舎人の子供の衣装のままであった。大王の皇子にしては、あまりにも粗末な装いであった。その姿が大海人皇子にとっては、まだ幼い大津皇子に大津京脱出という苦難を強いたことに不憫を感じていた。
 視線を巡らせば遥かに伊勢神宮を拝するこの場所で、それまで気掛かりであった二人の皇子と合間見えることが出来たことに、大海人皇子にとっては伊勢神宮の思し召しであるかのように思われてならなかった。
 大海人皇子は、大津皇子の手を取ると、迹太とほ川のほとりに跪き、南の彼方にある伊勢神宮を今一度遥拝した。
「伊勢の神宮にまします神よ、神のお膝元であるこの伊勢の地で、高市、大津の皇子たちと合わせくだりましたことを感謝いたします。そして、この度の吾らが命運を賭けた戦に、勝利することを祈願いたしまする。」
 親子は再会の祝福もそこそこに、朝明評家(三重県三重郡朝日町縄生付近か)に向かおうとしたとき、一騎の馬が疾駆してきた。
 舎人が静止するのも聞かず、馬上の男は大海人皇子の五丈(約20m)手前で馬から飛び降りると手を振りながら大海人皇子のもとに駆け寄った。
「皇子様! 男依おより、ただいま戻りました。」
 男は六月二十二日に吉野宮から美濃に連絡兵として派遣した、村国連男依むらくにのむらじおよりであった。男依は大海人皇子の前に跪くと叩頭した。その表情には笑顔が満ち溢れている。
「おぉ、男依か。よくぞ無事で戻った。何やら良い知らせを持って来てくれたようじゃな。」
 男依は顔を上げると、喜びの表情を惜しげも無く振りまきながら報告した。
「美濃において募兵したところ、たちどころに三千もの兵が集まり、その者たちを率いて不破に布陣し、我らの手によって不破関を完全に手中に治めました。」
 男依の報告を聞いた者たちの間にどよめきが起こった。鈴鹿峠に続いて不破関をも封鎖することができた。これで近江朝軍は東国に踏み入ることが事実上不可能となった。
 近江朝が東国に行けなくなったということは、東国の兵力を徴兵することが出来なくなったことを意味している。
 大海人皇子の一行は朝明評家に入ると、今後の作戦会議が開かれた。
「高市、吾に代って不破に赴き、軍を督励せよ。」
「承知いたしました。この高市が命に替えても不破関ふわのせきを守ります。」

 高市皇子たけちのみこの顔が最前線の守備を任されたことで紅潮している。
「頼んだぞ。今の兵力だが、近江朝軍と闘うにはまだ不足している。近江朝は庚午年籍こうごねんじゃくを基に徴兵を行えば、畿内だけでも二万の兵力に達するであろう。それに比べて吾が方は未だに一万に達していない。」
「では、まだ近江朝が徴兵を行っていない東海、東山で募兵を行いましょう。」

 村国男依むらくにのおよりの提案により、東海方面には山背部小田やましろのべおだ安斗阿加布あとのあかふの二名。そして東山方面には稚桜部五百瀬わかさくらべのいおせ土師馬手はじのうまての二名を、それぞれ募兵のために派遣することを決定した。
 不破関に向かう高市皇子と村国男依、東海方面に向かう山背部小田と安斗阿加布。そして東山方面に向かう稚桜部五百瀬と土師馬手の六名を見送ると大海人皇子は一息ついた。そして朝明評家で休養している讃良皇女のもとに向かった。

 臥所ふしどで半身を起こしていた讃良皇女の目に、喜びの涙が浮かんでいた。
「讃良、よくぞここまで耐えてくれた。もう先を急ぐ必要は無くなった。桑名まで、ゆるりと参ろう。」
「あなた、おめでとうございます。でも、これでようやく最初の一歩が踏み出せました。これからが本当の闘いです。私は大丈夫です。急ぎ、桑名に行きましょう。」

 気丈な讃良皇女の言葉に、大海人皇子は讃良皇女には皇后という意識より、共にこの戦を闘い抜いていく戦友という意識が、心の底に深く根付いていくのを感じていた。そして大海人皇子のこの感情が、将来において讃良皇女の心を寂しい物にしていくとは、誰も想像することは出来なかった。
 こうして近江朝軍と闘うための布陣を完了し、大海人皇子の一行はゆっくりとした足取りで桑名に入った。

決戦前夜672年(天智天皇十一年)六月二十六日 夕刻
 尾張の国に入った大海人皇子の一行を、尾張大隈おわりのおおすみが迎えた。
「大王、ようこそ我が尾張へ。大王が尾張におられる限り、この大隈が命に替えても大王と皇后様そして草壁皇子様をお守りいたします。」
 そう言うと大隈は輿に乗った讃良皇女の顔を見て驚いた。二日間の強行軍に讃良皇女は憔悴しょうすいしきっており、顔色がほとんど無い状態だった。それでも讃良皇女は苦痛に耐え、肩で息をしながらも輿の上に端座していた。
「皇后様はかなりお加減が悪いご様子。ご休息に我の私邸をお使いくださりませ。」
「ありがとう、大隈。恩にきます。」

 讃良皇女は礼を言うだけが精一杯であった。尾張大隈は、早速大海人皇子親子を私邸に案内すると讃良皇女のために部屋を用意し、薬師くすしを呼んだ。大海人皇子は讃良皇女に付添い、そのまま尾張大隈低を本陣とした。
 その夜、高市皇子が布陣した不破関に、近江朝が東国に募兵しようと派遣した使者を捕縛した。その知らせを桑名の本陣にいる大海人皇子に報告しようとしたが、不破から桑名までは、六里強(約24km)。馬を早駆けを続けさせても四半刻(約30分)はかかる。大海人皇子の命令を持ち帰るまでには一刻(約1時間)もかかってしまう。平時ならともかく、戦時の急な対応を要求される最中では、とても間に合わない。
「名張評家までの往復に半刻(約1時間)。名張評家で作戦会議となると一刻(約2時間)もかかってしまう。これでは戦況がすでに決してしまっている。大王には不破の近くに布陣してもらおう。」
 高市皇子は今後のことを思い、名張評家を本陣としている大海人皇子に不破の最前線に近い野上のがみ(不破郡関ヶ原町野上)まで出御してもらうよう要請した。

672年(天智天皇十一年)六月二十七日
 高市皇子の要請を受けて大海人皇子は不破に赴くことにした。不破に向かうことを讃良皇女に伝えるために、大海人皇子は讃良皇女の臥所を訪ねた。女官からの報告も無く、突然に大海人皇子が臥所に現れたので、讃良皇女は急ぎ起き上がろうとしたが、それを大海人皇子は制した。
「讃良、伏したままで良い。吾はこれから大隈と共に不破に向かう。ここは前線から離れすぎておるため、高市から出て来いと言われたわ。高市も立派になったものよ。吾に命令しよったわ。」
 大海人皇子は高らかに笑った。しかし、讃良皇女は大海人皇子が出立するという言葉に背中を押される思いがした。
「では、私も・・・」
 讃良皇女がまたもや起き上がろうとしたが、大海人皇子は今度は讃良皇女の両方を押えて無理やりに寝かしつけた。
「お前はここで養生するのじゃ。戦が終るまで帰っては来れぬやも知れぬ。しかし、吾は必ずこの戦に勝ってお前の元に帰ってくる。そして吾は名実共に大王となる。そうなればお前は皇后じゃ。」
 大海人皇子の言葉も今となっては夢では無い。大王となるために兵を集め、近江朝に打ち勝つための準備が着々と進められている。大海人皇子の表情にも今は余裕さえ感じられる。その表情に讃良皇女は安心していた。
「あなた、お気をつけて。あなたのそばでお力になれぬのが心残りですが、ご武運をお祈り申し上げております。」
「お前が祈っていてくれれば、これ以上心強いことは無い。吾が戻るのを待っていてくれ。それまでに元気になっていてくれ。」
「父上、ご武運を。」

 讃良皇女の臥所に控えていた草壁皇子が讃良皇女の言葉を繰り返した。
「草壁、母上を頼んだぞ。」
 大海人皇子の言葉に草壁皇子が頷いた。その時、傍らにいた大津皇子がすっくと立ち上がった。
「父上、私もご一緒させてください。私も父上、兄上と共に闘いとうございます。」
 大津皇子の言葉に驚いた讃良皇女が思わず半身を起こした。
「大津・・・」
 大海人皇子は静かに讃良皇女を寝かせると、大津皇子に言った。
「お前はまだ幼い。お前には讃良と草壁を守るという役目を担ってもらわねばならない。」
「しかし、私は父上と共に闘うために、命を賭けて大津京を脱出してきたのです。」

 大津皇子の双肩に手をかざすと大海人皇子は涼しげな顔して言った。
「大津よ。お前が成人しておれば、吾はまごうことなく吾の片腕として戦場に連れて行ったであろう。しかし、お前はまだ体もできておらぬほど幼い。将来、お前には大きな役目を負ってもらわねばならぬ。そのためにも今は自重しろ。分かるな。」
 大海人皇子の言葉に大津皇子は涙を浮かべた。声を出して泣き出さないのは、王家の血筋であろう。大津皇子の言葉にもっとも衝撃を受けたのは讃良皇女であった。
(草壁、何故あなたも闘うと言わないの。)
 讃良皇女は草壁皇子の顔を見つめたが、その表情には何も浮かんでいない。大津皇子が言った言葉に何も反応していないのだ。
 大海人皇子は臥所を後にした。大津皇子は父と一緒に闘えない悔しさに涙をこらえていた。草壁皇子は何の心配もせずに、父の後姿を見送っていた。
 讃良皇女は二人の皇子の相反する態度に、複雑な感情が渦巻いていた。大海人皇子が言った、大津皇子に対する大きな役目とは何なのか。大海人皇子は大津皇子に何を期待しているのか。それに、大津皇子に比べて草壁皇子がいかに幼いことか。こんなことで大海人皇子の跡を継ぐことが出来るのだろうか。様々な思いが脳裏を駆け巡るうちに、いつしか疲れ果てて深い眠り落ちていった。
 大津皇子を桑名に残したことが、後に大津皇子にとって最悪の状況に追い込むことになろうとは、大海人皇子には想像することが出来なかった。

 大海人皇子尾張連大隈おわりのむらじおおすみと数名の舎人だけで不破評家に向けて出発した。
「大王、勢力圏内といえども何処に刺客が潜んでいるか分かりませぬ。舎人の数を増やされては。」
 不破評家までの六里を僅かな舎人で護衛するには、あまりにも遠すぎる。心配になった大隈が大海人皇子に提案した。
「大丈夫じゃ。吾を護衛するために桑名から兵を裂くことは出来ぬ。刺客に襲われる前に不破に着けば良い。急ぐぞ。」
 そう言うと大海人皇子は馬を駆けさせた。大隈は不満を浮かべながらも、大海人皇子の度胸の良さに感嘆していた。
「皆も遅れを取るな。それっ。!」
 馬に鞭をくれると、少数の騎馬団が疾駆した。
 不破評家が視界に入った時、前方をこそこそと逃げるように道の端に隠れた男の姿が見えた。その男の姿を認めた大隈が、すかさず二名の舎人に命じた。
「あの者をひっ捕らえいっ!」
 舎人も男の姿を認めていたのか、大隈の声が終る前に一団の前に走り出していた。二人の舎人は瞬時に男の元に走り寄り、馬から飛び降りると道端から男を引きずり出した。大海人皇子は、猟犬の如く機敏に動く舎人たちを見て満足した。
「二人の動きは一糸乱れぬ見事なものじゃ。よほど訓練を積んだものと見える。」
 尾張連大隈は自慢気に幾分胸を反らせながら答えた。
「ここに来ておる者たちは、誰一人をとってみても、一騎当千のつわものばかりですぞ。大王にもしものことがあっては、この大隈の恥ですからな。」
「頼りにしておるぞ。」

 大海人皇子はくったくのない笑みを尾張連大隈に向けていた。その間にも二人の舎人は男を大海人皇子の前に引き連れて来て跪かせた。男を大隈が尋問した。
「そちはいずれの配下の者じゃ。」
 男は地面に額を擦りつけんばかりに叩頭し、振る声で答えた。
「は はい。や やつかれは、お 尾張の・・・」
「えーい はっきり申せ!」

 気の短い大隈が怒鳴りつけた。
「大隈よ、焦るでない。」
 憤る大隈を抑えて大海人皇子自ら男に問い質した。
「吾らはそちを斬り捨てたりはせぬ。そちはどこの者じゃ。」
 大海人皇子の優しい語り掛けに、男も安心したのか、深く叩頭するとゆっくりながら喋りだした。
「やつかれは、尾張国宰くにのみこともち長官、小子部さ鉤ちいさこべのさひち様の使者でございます。」
「で、尾張国宰の使者が、このようなところで何をしておった。」
「はい。小子部さ鉤様が尾張国で徴発した民を護送中で、まもなくここを通過いたします。やつかれは、前方警備に当っておりました。」

 大海人皇子と尾張連大隈は顔を見合わせた。近江朝が天智大王の陵墓を建設するために集められた民であることを直感した。庚午年籍こうごねんじゃくを基に集められた民ならば、半端な数では無いはず。尾張一帯を勢力範囲としている尾張大隈にとっては、自分の土地の民が連れて行かれることは、どうしても阻止したかった。
 また、近江朝の手によって集められた民を大海人皇子軍に加えることが出来れば、多大なる兵力となることは確かだ。それはまた、近江朝にとっては大きな損害となるであろう。
「小子部さ鉤を不破評家に連れて参れ。」
 大海人皇子と尾張大隈が不破評家に入ると間もなく、小子部さ鉤が舎人に連れられて評家に入って来た。
 小子部さ鉤は尾張大隈の顔を見ると叩頭した。尾張国宰長官である小子部さ鉤が尾張大隈を知らないはずがない。大隈が小子部さ鉤に語りかけた。
「さ鉤よ、近江朝の命令で民を徴発したのであろうが、我の地の民を、我の許しもなく連れ行くことは許さぬ。」
 小子部さ鉤は地に額が着くほどに叩頭した。大隈は話を続けた。
「小子部さ鉤、ここにおわす大王の軍に参軍せぬか。」
 大隈が言った"大王"という言葉に、さ鉤が顔を上げた。そこには大海人皇子の穏やかな顔があった。
「小子部さ鉤よ。吾のために民の徴発、御苦労であった。吾と共に闘おうぞ。」
 小子部さ鉤は、まだ大海人皇子軍に参軍するとは言っていない。しかし、大海人皇子はすでに小子部さ鉤が自分のために働いていると仮定して話をしている。天性の大海人皇子の人柄に加えて、上下の分け隔ての無い話し方に、大抵の者は心酔してしまう。
「承知いたしました。」
 小子部さ鉤は、それだけを言うのが精一杯だった。それからの大海人皇子の行動も早かった。二万もの民を兵と化し、たちどころに不破関、鈴鹿峠それに倭古京、東山道へと分散して配備させた。
「さて、野上に参ろう。高市が待っておるぞ。」
 大海人皇子と尾張連大隈は野上方面に向かうと高市皇子が迎えに来ていた。

天皇672年(天智天皇十一年)六月二十七日 午後
 高市皇子大海人皇子の前で馬を降りると肩膝を付いて叩頭した。
「大王のご到着が遅うございますので、お迎えに上がりました。」
「すまぬの高市。思わぬ援軍に出会うて、喜びの余りに時を費やしてしもうたわ。」
「思わぬ援軍・・・ですか。」

 大海人皇子は高市皇子に、小子部さ鉤から二万の増援を受けた旨をはなした。
「不破にも増援したゆえ、心強いというものじゃ。」
 大海人皇子の表情は、すこぶる満足気であった。
「それはありがたいことです。三千の兵といえども、大軍に攻められれば苦戦を強いられると覚悟しておりましたが、増援をいただければ不破関は安泰です。ところで昨夜のことですが・・・」
 高市皇子は昨夜の出来事を大海人皇子に報告した。
「近江朝が東国への募兵に派遣した書直薬ふみのあたいくすり忍坂直大麿侶おしさかのあたいおおまろの二人を捕縛いたしましたが、もう一人、韋那公磐鍬いなのきみいわすきがいたようですが、これは取り逃がしました。」
「近江朝は畿内の兵だけでは不足と判断して遠国おんごくにまで募兵を開始したか。不破と鈴鹿を封鎖した今となっては、近江朝も不破以東の増援は望めまい。しかし、韋那公磐鍬を逃がしたということは、近江朝には不破の関が吾らの手に落ちたと知れたであろう。これから本格的な攻撃軍を差し向けてくることは必定。」
「臨むところです。大友軍が攻めて来る前に、こちらから討って出ましょう。」

 戦にはやる高市皇子を大海人皇子が制した。
「高市よ、はやる気持ちを抑えよ。戦というものはそう急いでも勝てるものでは無い。一軍が突出しても補給路を絶たれればその軍は死んだも同然じゃ。全軍が一糸乱れぬ行動を起こさなければ戦には勝てぬ。心得ておけ。」
 大海人皇子の言葉に高市皇子は叩頭した。
「分かりました。以後は全軍の動きを把握したうえで、適切な行動を取りまする。」
 大海人皇子と高市皇子の会話を聞いていた調連淡海つきのむらじおうみが、高市皇子の背後に見慣れる装束をまとった異国人数名がいることに気が付き、彼らのことを高市皇子に問うた。
「高市皇子様、あの異国の服を着た何者はどなたですかな。」
 高市皇子が振り返り、異国人を見ながら答えた。
「彼らは唐の捕虜たちのようです。不破の周辺に強制的に住まわされていたのを連れて来ました。」
 唐の捕虜と聞いて大海人皇子が興味を示した。
「唐の国は戦が多いと聞く。その唐の国にいた者であれば、戦の必勝法というものを知っているやもしれぬ。話を聞くことは出来ぬか。」
 鈴鹿峠と不破関を押えたものの、兵力でいけば近江朝とは互角程度と思われるが、守備範囲が広範囲に及んでいるため、力で押し進めるほどの兵力は無い。できれば奇策によって近江朝の兵力を削いでしまいたいと思っていた。
 大海人皇子の舎人の中に、唐語が話せる者がいたのでその者を訳語おさ(通訳)として話を聞くことにした。しかし、唐国の捕虜たちの話は要領を得ない。通訳の言葉が通じていない訳ではない。普通の会話は問題なく交わされているが、肝心の戦法の話となると、唐国の捕虜たちは互いに顔を見合わせて首をかしげあい、返ってきた答えはごく平凡な戦法か、敵の三倍もの兵力を投入するといった、とてつもない物であった。
 唐国の者たちは戦を司る武官ではなく、文書などを扱う文官では無いかと思われた。
 大海人皇子は、大きく溜息をつくと唐国の者たちに、下がるように命じた。大海人皇子の落胆した表情を見た高市皇子がすっくと立ち上がり、もろ肌脱ぎになると剣を握り締めて叫んだ。
「近江朝には有能な軍臣が大勢います。しかし、彼らが束になってかかってきても大王の霊威に逆らうことはできません。我が軍には大王お一人しかおられませぬが、この高市が天地の神々の霊に助けを受け、大王の命により諸将を率いて近江朝の兵を討ちましょう。敵は、我が軍を防ぐことなどできますまい。」
 高市皇子の決意を聞いた大海人皇子の感動は一通りのものではなかった。大海人皇子は立ち上がると高市皇子を抱き締め、背を撫でながら双の目に涙を浮かべて高市皇子を褒め称えていた。
「高市よ、吾はそちの心を見せてもらったぞ。たった今より、そちが吾が全軍の指揮を執るがよい。その証として吾の鞍馬をそちに授けようぞ。」
「ありがとうございます。この高市、お父上に成り代わりましてこの度の戦を勝利に導くことをお約束します。」

 高市皇子は叩頭すると、大海人皇子の鞍馬に乗って前線へと戻って行った。大海人皇子と尾張連大隈の一行は野上へと向かった。野上までの道すがら、尾張連大隈が大海人皇子に不信な面持ちで尋ねた。
「大王、高市皇子様に全軍の指揮権を与えられたということは、世間ではこの戦を高市皇子様と大友皇子様の闘いと受け取るでしょう。」
 大海人皇子は馬に揺られながら悠然と答えた。
「卑腹の皇子を相手に吾が対等に立ち向かったとあらば、乱後に民達への聞こえが悪いであろう。大友皇子に対するのは高市皇子で十分じゃ。」
 中大兄皇子なかのおおえのみこ采女うねめ宅子娘やかこのいらつめとの間に生まれた大友皇子に皇位継承権は無い。高市皇子もまた、大海人皇子と采女の尼子娘あまこのいらつめの間に生まれたため、皇位継承権は無かった。大海人皇子は、皇位継承権の無い皇子を相手に、正当な皇位継承者である自分が対等に闘ったと歴史に記録されることを拒んだ結果であった。
「しかし大王、高市皇子様がこの戦に勝利された場合、舎人達が高市皇子様を大王の位に着くことを望みまするぞ。」
「はっはっはっ そうじゃのお。じゃが、高市は将軍になる資格は持っておるが、大王にはなれぬ。」
「と、申しますと。」
「高市が中大兄皇太の子である大友皇子を倒せば大王となる資格を手にするであろう。しかし、高市は己が大王になれぬことは百も承知しておる。今の高市には近江朝を滅ぼすことしか頭に無い。吾はその高市の気持ちを汲み取り、高市に命を下すのみ。そして吾は大王の上の位。天のみこになる。天皇すめらみことじゃ。」

 尾張連大隈は、初めて聞く言葉に戸惑いを感じた。
 後に大海人皇子は大王という言葉を廃して天皇とした。この構想は大海人皇子が東宮(皇太子)になった時から温めてきたものだったが、全軍の指揮権を高市皇子に与えた時に実現すべく決意していた。

 この日から、大海人皇子は自らを天皇すめらみことと呼び、天皇大海人皇子の名は、大海人軍の全軍に伝えらることになった。『天皇』という言葉は、この時から使われるようになった。

 野上に入った大海人皇子は行宮あんぐうを設けて、最前線に近い野上を本陣とした。その夜、野上一帯の空を黒雲が覆い隠したかと思うと雷鳴が轟き渡った。同時に雨が降り出し、雨を避けようと走る兵士たちをあざ笑うかのように、その頭上から大量の雨を叩きつけた。
 行宮に逃げ込んできた重臣たちは一様にずぶ濡れになっていた。冷たい雨は夏といえども急激に体温を吸い取り、兵士たちは皆震えていた。その雨は止むどころか、ますますその激しさを増していた。
 大海人皇子は行宮の縁に立ち、空を眺めていた。胸の前で手を合わせると静かに目を閉じ、祝詞を称えていた。雨の飛沫が大海人皇子の衣服を濡らしていく。
「天皇、濡れては体に毒ですぞ。」
 尾張連大隈が心配になり、大海人皇子を中へ入れようとした。その時、大海人皇子の目がかっと開かれ、空を睨んだ。稲光が大海人皇子の体を照らし出し、その場にいた者たちは、大海人皇子の体を宿として、光背を受けた神が降り立ったかのように見えた。直後に凄まじい雷鳴が響き渡り、者たちの意識は一気に現実に引き戻された。大海人皇子が静かに語り出した。
「天神地祇のご加護が吾の上にある。この雷雨は直ちに止むであろう。」
 重臣たちには大海人皇子の言葉を疑った。相変わらず雨は滝のごとく地面に落ち続けている。この雨がすぐに止むとは、とても信じられない。大海人皇子は再び目を閉じて瞑想している。穏やかな大海人皇子の横顔に大隈の視線は釘付けになっていたが、一人の臣の言葉に我にかえった。
「おおっ 雨が・・・」
 それまで滝のように降り続いていた雨が、みるみるうちに小降りとなり、ついには降るのをぴたりと止めてしまった。雷も遥か山の彼方で遠雷として響いているだけになり、雲が切れ初めて星が瞬き出した。
 その場にいた者たちが一様に語り出した。
天皇すめらみことには神がついておられる。この戦は絶対に負けぬぞ。」
「天皇と共におる限り、我らにも神のご加護があるぞ。」

 ただ一人、大海人皇子の横顔を見た尾張連大隈だけは思いが違っていた。
(この方に神がつかれたのではない。この方が、神なのだ)

672年(天智天皇十一年)六月二十八日
 この日、大海人皇子は高市皇子が布陣する関ヶ原に足を運び、高市皇子の司令のもとに行われている軍事訓練を検閲した。天皇すめらみことの検閲とあり、各指揮官も兵士たちも緊張したが、その動きはきびきびとしており、広大な関ヶ原を背景に見事な軍事行動を展開していた。
 軍事訓練の様子に満足した大海人皇子は訓練を、いや、高市皇子の指揮振りを微笑ましく眺めていたが、やがて日没になって今日の訓練も終りとなった。大海人皇子は高市皇子に一言声をかけると野上のがみへと帰っていった。
 大海人皇子が関ヶ原で軍事訓練を見守る中でも、各地から戦闘準備の完了報告やら、兵の募兵状況などが届いていた。その報告の中に、大伴吹負おおとものふけいから倭古京やまとこきょうにおける状況を知らせるものがあった。その知らせには、明日にでも飛鳥寺に陣を張る穂積臣五百枝ほづみのおみいおえの軍に奇襲をかけるとあった。しかし、大伴吹負は大海人皇子の信頼する将であり、その奇襲作戦も大海人皇子の知るところであった。ただ大伴吹負は私兵しか伴っていないため、兵力は僅かなものであった。奇襲攻撃が成功しても倭古京を守り通すだけの兵力は無い。
 大海人皇子は紀臣阿閇麻呂きのおみあへまろ多臣品治おおのおみほむち三輪君小首みわのきみこびと置始連兎おきそめのむらじうさぎらに数万の軍を与えて倭古京の守備に向かうよう命じた。また、村国連男依むらくにのむらじおより書首根麿呂ふみのおびとねまろ和珥部臣君手わにべのおみきみて胆香瓦臣安倍いかごのおみあへにも数万の軍を授け、琵琶湖の東岸を南下して大津京を直撃するよう命じた。
「準備が整い次第、出撃を開始する。ただし、倭古京守備隊の動きを見て大津京攻略部隊は行動するのじゃ。倭古京を完全に制圧できなければ、大津京攻略部隊が南からの敵に挟撃される恐れがある。決して功を焦るではないぞ。」
 野上の行宮あんぐうに集められた各部隊の将に、大海人皇子から最後の命が伝えられた。倭古京に向かう命を受けた軍の兵たちは奮い立った。自分たちの軍を率いるのが大海人皇子や高市皇子の舎人ではなく、直属の長官がそれぞれの将として指名されたからである。また、大津京攻略部隊には信頼のおける若い舎人たちを将として団結を図らせた。
 この配備に村国男依が舌を巻いた。
「見事な采配ですな。大津京攻略部隊は官人かんじんに気を遣わなくて良い。また、倭古京に向かう軍も舎人とねりに気を遣わずに闘うことができる。」
 大海人皇子はただ微笑みを浮かべるだけで、双の軍が善戦することを祈っていた。

672年(天智天皇十一年)六月二十九日 夕刻
 大海人皇子は昨日に引き続き、関ヶ原における軍事訓練を閲兵していた。日も西に傾き、訓練も終わりを告げようとする頃、大伴連安麻呂、坂上直老、佐味君少麻呂の三名が大海人皇子の元に到着した。
「天皇様にご報告いたしまする。大伴連吹負おおとものむらじふけい殿の軍により、倭古京の穂積百足ほづみももたりを斬り、倭古京を手中に治めました。以後も、大和の豪族たちが続々と参軍を申し入れております。」
 みるみるうちに大海人皇子の表情が緩んでいった。
「吹負が倭古京を奪還してくれたか。でかしたぞ。倭古京といえばいにしえよりこの国の中心を司る地である。そこが吾の手に落ちたとあれば、もはやこの戦は勝ったも同然じゃ。しかも、大和の豪族たちが加勢しているとは二重の喜び。この吉報を直ちに全軍に知らせよ。」
 大海人皇子は童心に返ったかのように喜びを全身で表し、この吉報を直ちに全軍に伝えさせた。倭古京を制圧したという報告は広大な関ヶ原の地に展開した全軍に広まり、それと同時にざわめきが波紋のように広がっていく。
 立ち上がった大海人皇子を見た兵の中から万歳の声が聞こえた。その声は声を呼び、歓呼の声が関ヶ原一帯に広まった。大海人皇子が両手を天空に向かって差し出すと、歓呼の声が止み、一瞬にして静寂が訪れた。その静寂の中で大海人皇子が吼えた。
「皆の者、長い訓練の日々は終わりを告げようとしている。出撃の日は近いぞ。」
 大海人皇子の言葉が終ると同時に、再び大歓声が空気を振るわせた。夕闇に包まれようとしている関ヶ原に歓喜の雄叫びがいつまでも響いていた。
 この年の六月は小の月であり、二十九日までしかない。翌七月には遂に決戦の火蓋が切って落とされるのであった

 この日、壬申の乱で最初の闘いは倭古京やまとこきょう(飛鳥)大伴連吹負おおとものむらじふけいの手によって引き起こされた。