壬申じんしんらん 近江朝おうみちょう
対応たいおう 672年(天武元年)五月
 天智天皇てんじてんのう崩御ほうぎょしてから半年近くがたとうとしていた。大王位を空白のままにしておくことは出来ない。歴史には記録されていないが,大友皇子おおとものみこは大津宮で即位していた。蘇我赤兄そがのあかえ大友皇子おおとものみこに進言した。
大王おおきみ,前の大王おおきみ中大兄なかのおおえ様の陵墓りょうぼをお造りするために美濃みの尾張おわりの民衆を徴収してよろしいでしょうか。」
 大友皇子おおとものみこは父の陵墓りょうぼを造るためであれば,即座に許可を出そうとしたが,ふと思うところがあった。
美濃みのといえば大海人皇子おおあまのみこ直轄地ちょっかつちではないのか。そのような土地から民を徴収できるのか。」
 蘇我赤兄そがのあかえの目が策ありげに怪しく輝いた。
大海人皇子おおあまのみこ様の直轄地ちょっかつちだからこそ,民を徴収するのです。それによって吉野に隠匿している大海人皇子おおあまのみこ様の戦意と戦力を削ぎます。」
「叔父上が吾にいくさをしかけると・・・?」
「その可能性は少なく無いでしょう。いや,こうしてる間にも大海人皇子おおあまのみこ様は吉野を出立しゅったつしておるやも知れませぬ。」
 大友皇子おおとものみこには,大王おおきみの座を捨ててまで父,天智天皇てんじてんのうの病状平癒祈願のために出家した大海人皇子おおあまのみこが,自分に戦をしかけるとは考えたくなかった。
 幼い頃より人と争うことを知らずに,何でも与えられて育てられた大友皇子おおとものみこは,この場においても大海人皇子おおあまのみこが自分につるぎを向けるとは考えることが出来なかった。
 大友皇子おおとものみこの考えの甘さに,蘇我赤兄そがのあかえは心の中でなげいた。
(この方はご自分の立場を理解しておられぬ。これから先が思いやられるであろう)
「分かった。美濃みの尾張おわりの民を徴収して父上の陵墓りょうぼを造らせよ。」
 蘇我赤兄そがのあかえは密かに胸を撫で下ろした。ここで却下されてはこれらか起こるであろう戦に勝ち目は無い。
「では,万が一のために徴収した民には武装をさせて陵墓りょうぼ建設に当たらせます。」
 大友皇子おおとものみこ蘇我赤兄そがのあかえの提案に不承ながらも頷いた。叔父である大海人皇子おおあまのみこと闘うことになるかも知れない。そうなれば,愛しい十市皇女とおちのひめみこの父と闘うことになる。それを思うと大友皇子おおとものみこは何も考えることが出来なくなっていた。
 蘇我赤兄そがのあかえ間髪かんぱつをいれずに美濃みの国と尾張おわり国の国司に使者を派遣した。名目は天智天皇てんじてんのう陵墓りょうぼ造成のためであったが,それぞれの民には槍や刀,それが無い者もにはすきやくわなど武器になりそうな物の携行が指示された。
 表向きは国に帰ると言いながらも,大海人皇子おおあまのみこより情報を収集する役目を負った朴井連雄君えのいのむらじおきみ美濃みの国を訪れた時,農民を徴発しているという話を耳にした。それで村の広場に設けられている徴発場を覗いてみた。そこでは天智天皇てんじてんのう陵墓りょうぼ造営の徴発と称されていたが,徴発を担当している国司は民の一人一人に言い伝えていた。
「家に槍もしくは剣があればそれを持参せよ。弓矢があればなおのこと良い。しかし,それらが無い者はすきやくわでも良い。」
 陵墓りょうぼを造営するだけならば,工具はその場で支給される。すきやくわなどを持って行くはずはない。しかも,槍とか剣,弓矢などはもってのほかである。
 民が徴収され,農兵として武器を持たされたという情報は,数日のうちに吉野宮に隠匿する大海人皇子おおあまのみこのもとに伝えられていたが,近江朝はその事実を掴んでいなかった。
 吉野宮では,朴井連雄君えのいのむらじおきみの報告により,民が農兵として徴発されたことを知った大海人皇子おおあまのみこは,近江朝が自分を討伐とうばつするために動き出したことを確信し,身の危険を感じて即座に行動を開始した

672年(天武元年)六月二十三日 正午
 大王おおきみ大友皇子おおとものみこを中心として,左大臣蘇我臣赤兄,右大臣中臣連金らの主だった臣下を集めての群臣会議は重い雰囲気に包まれていた。
 昨日の夕刻に吉野宮に放っていた間者かんじゃから,村国連男依むらくにのむらじおより和珥部臣君手わにべのおみきみて身毛君広むげつきみひろらが美濃みの国と吉野に走ったことを伝えてきていた。そして今日の正午頃には美濃みの国の間者かんじゃから美濃みのの住民が武器の手入れを始めるなどの不穏な動きがあることを知らせて来た。
「吉野宮を出た村国連男依むらくにのむらじおよりらが美濃みの国の住民に大海人皇子おおあまのみこの挙兵に呼応するようにと伝えたに違いない。」
 蘇我臣赤兄そがのおみあかえが重い口を開いた。それに答えるように中臣連金が口を開いた。
大海人皇子おおあまのみこはいずれ挙兵することは知れたこと。今更動ずることは無い。大海人皇子おおあまのみこはまだ吉野にいる。今のうちに兵を派遣して大海人皇子おおあまのみこを討てば良いだけのこと。」
 今にも兵を引き連れて吉野に向かおうとする中臣連金なかとみのむらじかねを,大友皇子おおとものみこが制した。
「見苦しいぞ,金。武器も兵も持たぬ者を討つのは容易なこと。しかし,それは大王おおきみとして恥ずべき行為じゃ。大海人皇子おおあまのみこが兵を集めているのであれば,その報告は即座に持たされるはず。未だにそのような知らせは聞いておらぬ。軽はずみな行動は許さぬ。」
 大友皇子おおとものみこの言葉に蘇我赤兄そがのあかえが食い下がった。
「されど大王おおきみ。先帝,中大兄皇子なかのおおえのみこ様は大海人皇子おおあまのみこ同様,吉野に隠匿した古人大兄皇子ふるひとおおえのみこを謀叛の疑いで成敗されましたぞ。」
 大友皇子おおとものみこ蘇我赤兄そがのあかえの言葉に苛立ちを感じ,赤兄あかえの顔を見据えると怒鳴りつけていた。
「古人大兄皇子は謀叛を犯したのか! 父,大王おおきみの勇みでは無かったのか。」
 蘇我赤兄そがのあかえ中臣金なかとみのかねは苦虫を噛んだような表情で大友皇子おおとものみこの顔を睨んでいた。
大海人皇子おおあまのみこがこれから兵を集めたとしても,どれほどの兵を集められるものか疑わしい。それまでに大海人皇子おおあまのみこが吉野宮を出たとしても,吾らはその間に全国に号令して十分な兵を集めて叩けば良い。今は畿内きないに使いを遣わせて心積もり命ずるだけでよい。」
 会議の席を立った中臣連金なかとみのむらじかね蘇我臣赤兄そがのおみあかえに毒づいた。
「何が帝王学ていおうがくじゃ。学問で戦ができるか! 大王おおきみは腰抜けなだけじゃ。」

 群臣会議の結果,即刻,山背やましろ大和やまと摂津せっつ河内かわちの諸国に兵力の動員令が出された。庚午年籍こうごねんじゃくに基づいて民衆から徴兵を行う最初の機会であり,一週間足らずで一万人以上の兵力を集めることは不可能ではなかった。しかし,集めた兵を組織・編成して訓練を施すまでには,まだしばらくの時間が必要であった。
 大友皇子おおとものみこは兵力で圧倒すれば戦には勝てると過信していたが,この時に至ってまでも大海人皇子おおあまのみこが挙兵することを疑っていた。できれば挙兵などはして欲しくないと思っていたが,現実は大友皇子おおとものみこの思うようには動かなかった。
 動員令による命令で集められた兵たちと,志願して集まった兵たちとは徹底的な差があることを,後に大友皇子おおとものみこは痛感するのであった。

672年(天武元年)六月二十四日 深夜
 一騎の騎馬が大津京の大門を駆け抜けて行った。倭古京やまとこきょう(飛鳥京)留守司の高坂王たかさかのおおきみが遣わした使者であった。この一騎の騎馬が,近江朝を震撼させた。
 使者は馬から飛び降りると宮に向かって駆け出した。その直後に,馬がどうと音を立てて倒れた。口から泡を吹き,脚が痙攣けいれんしている。馬は主を無事に送り届けたことを確認したかのように息を引き取った。使者は,その馬を振り返り,一瞬哀しげな表情を浮かべたかと思うときびすを返しておぼつかない足取りで宮に走り出した。舎人とねりが差し出した水を一息で飲み干すと肩で息をしながら忠信した。
「も,申し上げます。お,大海人皇子おおあまのみこ様が,本日早朝に,吉野宮を,吉野宮をお出になられて,東国へ・・・」
 ここまで語ると使者はその場に倒れ伏した。
 近江朝では,吉野宮大海人皇子おおあまのみこがいつか吉野を出て挙兵するであろうとの予測はしていたが,遂にその時が来たことを知り,群臣たちの顔色が一瞬にして蒼白となった。その中にあって,高市皇子たけちのみこだけは驚きを面にすることなく,妙に落ち着いていた。その落ち着き払った態度を,大友皇子おおとものみこは見逃してはいなかった。
 深夜ではあったが,大王おおきみ大友皇子おおとものみこの名で群臣会議が召集された。集まった面々は,左大臣蘇我赤兄そがのあかえ,右大臣中臣金なかとみのかねの二人を始めとして,近江朝廷の主だった群臣が顔を揃えていた。その中には高市皇子たけちのみこの姿もあった。

 しばしの休息を与えられた使者に詳細な報告が求められた。使者は長旅の疲れを色濃く残していたが息遣いは落ち着いていた。深く叩頭すると静かに語りだした。
「一昨日まで我らの間者かんじゃが土地の者たちの妨害を受けて,吉野宮の様子を窺うことが出来ませんでした。それが今朝になって急に宮付近にまで接近することが出来ました。いつもなら舎人とねり采女うねめたちが立ち働く姿を認めることが出来たのですが,その朝には一人の姿をも認めることが出来なかったとか。」
 ここまで一気に喋ると使者は一息ついて,先を続けた。群臣たちは固唾を飲んで使者の話に聞き入っていた。
間者かんじゃが宮に入ってみたところ,もはや,もぬけのから。食糧も残されていなかったところを見ますと,東国に出立しゅったつしたのではないかと・・・」
 使者は話を終えて深く叩頭こうとうすると席を外した。しばしの間,群臣たちから言葉は発せられなかった。最初に口を切ったのが高市皇子たけちのみこであった。
大海人皇子おおあまのみこの一行は今朝,吉野宮を発ったばかりである。これより騎馬軍を出して追撃すれば東国に達するまでに討ち取ることが可能かと思われます。」
 大海人皇子おおあまのみこの第一皇子である高市皇子たけちのみこの発言であるため,中臣連金なかとみのむらじかね怪訝けげんな表情を見せた。大友皇子おおとものみこは表情一つ変えることなく,高市皇子たけちのみこの様子を窺っていた。大きく表情を変えた金だけに気を取られた高市皇子たけちのみこは金を納得させるべく,さらに話を続けた。
「吉野宮では馬を養っていないため,大海人皇子おおあまのみこの一行は徒歩で宮を出るしかありません。徒歩での移動となると一日ではそれほども進むことができませぬ。ましてや女官にょかん采女うねめを携えてのこと。騎馬なら追いつくことも容易たやすいことです。」
 一同の者が高市皇子たけちのみこの意見に納得し,中臣連金なかとみのむらじかねでさえ腕組みをして高市皇子たけちのみこの意見を真剣に考え始めていた。その場の決議が騎馬軍を出すことに決まりかけた。高市皇子たけちのみこが騎馬軍を指揮すると言いつつ,大海人皇子おおあまのみこの元に走るのではないかと直感した大友皇子おおとものみこは一括した。
「すでに手遅れであろう。」
 皆から言葉が消え,一斉に顔を大友皇子おおとものみこに向けた。
大海人皇子おおあまのみこが何の策も無しに吉野宮を出ると思うか。大海人皇子おおあまのみこが向かった先は東国である。東国には大海人皇子おおあまのみこが養育された美濃みの国がある。美濃みのの者たちが大海人皇子おおあまのみこが脱出するのを手をこまねいて見ているはずがない。馬を用意して脱出を手助けしているであろう。」
 大友皇子おおとものみこの言葉にも一理ある。智謀にすぐれた大海人皇子おおあまのみこが才気溢れる讃良皇女さららのひめみこと吉野宮を出たのである。何の策も無く突然に宮を出たとはとても考えられない。事実,大海人皇子おおあまのみこは十分過ぎるほどの策を施してから吉野宮を出たのであった。大友皇子おおとものみこの一言で騎馬軍の派遣は却下された。
(やはり大友皇子おおとものみこは騙せなかったか。)
 高市皇子たけちのみこの元にはこの日の夕刻には大海人皇子おおあまのみこが吉野宮を出るという知らせが届いていたのであった。そのため,高市皇子たけちのみこは大津宮を出る手はずを考えていたが,騎馬軍を組織して出るという手はずが大友皇子おおとものみこの一括によって阻止そしされてしまった。
 自分を見つめる冷ややかな視線を感じた高市皇子たけちのみこが視線の方角に目をやると,そこには大友皇子おおとものみこが不敵な笑みを浮かべて高市皇子たけちのみこを見ていた。大友皇子おおとものみこと視線を合わせた高市皇子たけちのみこは,暫く視線を合わせていたが,表情一つ変えることなく何事も無かったかのように視線を外した。
 高市皇子たけちのみこの騎馬による出撃を阻止したことで勝ち誇った気分になっていた大友皇子おおとものみこは,高市皇子たけちのみこの狼狽する顔が望めるものと思っていた。しかし,大友皇子おおとものみこの思いとは裏腹に高市皇子たけちのみこからは何事もなかったかのような態度を見せ付けられ,逆に大友皇子おおとものみこのほうが困惑した。
(高市め,まだ何か策を講じておるな。)

 群臣たちの策は振り出しに戻った。
「騎馬軍も間に合わないとなると,どうしたものか・・・」
大海人皇子おおあまのみこを東国に向かわせてしまったとあらば,近々に美濃みの,三重国の軍を率いて攻めてくるのは必定ひつじょう。しかし,我らは畿内きないの兵は徴発したものの,まだ兵団としての訓練も出来ていない状態である。このままでは闘うことも出来ぬ。」
「それでは諸国に使いを遣わして兵を増援させ,兵力で圧倒してはいかがなものか。」
 群議の結果,韋那公磐鍬いなのきみいわすき書直薬ふみのあたいくすり忍坂直大麿侶おしさかのあたいおおまろの三名が東国に,穂積臣百足ほづみのおみももたり五百枝いおえ兄弟,物部首日向もののべおびとひむか倭古京やまとこきょうに,佐伯連男さえきむらじおとこが筑紫に,樟使主磐手くすのおみいわてが吉備に,それぞれ遣わされることになった。
 中臣連金が佐伯連男さえきむらじおとこと樟使主磐手の二人に別命を与えていた。
筑紫大宰つくしだざい栗隈王くりくまおう吉備大宰きびだざい当麻公広嶋たいまのきみひろしまはかねてより大海人皇子おおあまのみこと親交が深い。素直に我らの命に従わぬ場合は切り捨てよ。」
 この群議が決定した時には,六月二十五日の朝が明けようとしていた。

 二十騎ほどの騎馬隊が大津京の朱雀門を駆け出ようとしたのを,門衛が止めて問い質した。
高市皇子たけちのみこ様,何処へ。」
「騎馬隊を率いて大海人皇子おおあまのみこを討ちに出る。たった今軍議で決定したのじゃ。急がねばならぬ。道を開けよ!」
 高市皇子たけちのみこの行動は素早かった。大海人皇子おおあまのみこから吉野宮脱出の報を受けると即座に,信頼のおける騎馬隊に出撃準備をさせ,群臣会議の決定に関わらず,終了とともに大津京を出ると申し合わせていた。
 門衛までには群臣会議の決定はまだ知らされてはいない。高市皇子たけちのみこの恫喝に門衛は叩頭して騎馬隊を見送った。
 高市皇子たけちのみこ出撃の報は即座に大友皇子おおとものみこの元に知らされたが,大友皇子おおとものみこは驚くことは無かった。
「高市め,強攻策に出よったか。」
「追いますか。」
 蘇我臣赤兄の言葉に大友皇子おおとものみこは首を横に振った。
「捨ておけ。二十騎程度の騎馬隊で何ができる。」

接触672年(天武元年)六月二十六日
 六月二十四日の夜に群臣会議が開かれ,翌二十五日の朝には韋那公磐すき(いなのきみいわすき),書直薬(ふみのあたいくすり),忍坂直大麿侶(おしさかのあたいおおまろ)の三名が募兵のために東国に向かった。
 高市皇子たけちのみこは群臣会議終了直後に大津京を出奔し,その日の午後には伊勢にまで達し,大海人皇子おおあまのみこの一行と合流していた。それより数時間後に出発した韋那公磐すき,書直薬,忍坂直大麿侶らは,遅くともその日の昼には不破関ふわのせきを通過していてもおかくしくはなかった。しかし,彼らの歩みは遅く,いまだに不破関ふわのせきにも至ってはいなかった。
 三人の使者は,六名の舎人とねりを連れて勢い良く大津京の門を出て行ったが,不破関ふわのせきが近づくに連れてその歩みは確実に遅くなっていった。使者の気持ちには,既に不破関ふわのせき大海人皇子おおあまのみこ軍によって封鎖されているのではないかという,恐れが支配していた。そのため,周りを警戒するあまり,自然と歩みが遅くなっていったのであった。
 二十五日の朝に大津京を出たにも関わらず,不破関ふわのせきに至ったのは翌日の夜になっていた。
 大海人皇子おおあまのみこ軍の兵に見つかることを恐れた使者たちは,松明を焚くこともせず,夜道を進んでいた。夜陰に紛れて韋那公磐すき(いなのきみいわすき)の歩みが徐々に遅れだし,書直薬(ふみのあたいくすり),忍坂直大麿侶(おしさかのあたいおおまろ)との距離が大きく開いていた。闇のなかでは先を行く二人の姿は見えない。遅れを心配した舎人とねりの一人が韋那公磐すきに言った。
「磐すき様,先のお二方との距離が相当開いてしまいました。もう少し急ぎませぬと追いつきませぬ。」
「良い。共に歩んでおれば,もしも不破の関が大海人皇子おおあまのみこの手に落ちていたとしたら,一網打尽となる。」
 韋那公磐すきは何食わぬ顔で答えた。
「それでは先のお二方を斥候役に。」
「全員が捕縛されれば,誰が皇子様にお伝えするのじゃ。」
 韋那公磐すきに付いた二人の舎人とねりは,韋那公磐すき大友皇子おおとものみこへの忠節を疑る反面,自分達が大海人皇子おおあまのみこ軍に捕縛されないという安心感を感じながらも,大友皇子おおとものみこへの連絡役ということで,自らの使命を納得させていた。
 その直後,前方の二人が歩むあたりが急に明るくなり,怒声が轟いた。
「止まれ! 何者か。」
 韋那公磐すき舎人とねりは咄嗟に道端の繁みに飛び込んでいた。
「不破の関は大王おおきみ大海人様の命により封鎖している。所属と名を名乗れ!」
 韋那公磐すきは松明を見つめながら呟いた。
「やはり,不破の関は敵の手に落ちていたか。」
 剣を鞘から抜く音が聞こえたかと思うと,前方の松明が揺れた。剣を交える金属音が数度聞こえ,すぐさま肉を切る重い音と同時に悲鳴が聞こえてきた。どちらかの兵が斬られたのであろう。それきり怒声は静まり,会話は聞き取れなくなった。
 恐らく書直薬と忍坂直大麿侶の二人が降伏したのであろう。松明が揺れながら不破の関に向かって消えて行った。
 松明が見えなくなるのを待って,忍坂直大麿侶たちは今来た道を全速で駆け戻っていた。
 韋那公磐すき,書直薬,忍坂直大麿侶らが大津京を出たのが二十四日の早朝である。順調に進んでいればその日の夕刻には不破関ふわのせきを通過していたであろう。しかし,大海人皇子おおあまのみこ軍を恐れるあまりに行軍を遅らせていた一行は,不破関ふわのせきを封鎖した直後の大海人皇子おおあまのみこ軍の兵によって捕縛されたのであった。
 彼らが無事に不破関ふわのせきを突破しておれば,大友皇子おおとものみこの使者として東国からの募兵を行い,大海人皇子おおあまのみこの背後を討つ可能性もあったが,その望みも消えてしまった。

 大津京に逃げ帰った韋那公磐すきは,直ちに大友皇子おおとものみこ不破関ふわのせき大海人皇子おおあまのみこ軍によって封鎖されていることを報告した。大友皇子おおとものみこの表情は硬かった。
不破関ふわのせきは敵の手に落ちておったか。二日もたっておれば無理もあるまい。」
 韋那公磐すきはただ叩頭するばかりであった。その額には汗が滲み出ていた。二日をかけて不破関ふわのせきに至った韋那公磐すきらの行動に大友皇子おおとものみこは納得が行かなかった。また,東国からの援軍にも期待していなかった。高市皇子たけちのみこが大津京を逐電した直後に出発した韋那公磐すきらが,高市皇子たけちのみこを追い越す訳が無く,東国に向かった大海人皇子おおあまのみこが,すでに東国に蜂起ほうきの要請をしているのは間違いが無い。韋那公磐すきらには何ら咎めは無かった。
 大友皇子おおとものみこは宮から鏡のように穏やかな湖面を見せる琵琶湖を眺めながら思った。
(吾の臣には吾に忠を尽くす者がおらぬ。それに比べて大海人皇子おおあまのみこには・・・)

 その頃,吉備に使者として派遣された樟磐手は大宰の当麻公広嶋たいまのきみひろしまと会っていた。
「広嶋殿,この磐手が大友皇子おおとものみこの使者として参った。理由は言わずとも分かっておられると思うが。」
 当麻広嶋は,無謀にも樟磐手が引き連れた兵に対して一人で接見していた。当麻広嶋は胸を反らして磐手に述べた。
「我が大友皇子おおとものみこに手を貸す謂れはござらぬ。即刻お引取り願おう。」
 中臣金より,当麻広嶋は斬り捨てよと命じられている樟磐手は,当麻広嶋の言葉には微塵にも同ずること無く,剣の束に手をかけた。咄嗟に当麻広嶋も応戦すべく剣を手に取ったが,その剣を抜くより早く,樟磐手の兵が当麻広嶋の胸に槍を突き立てていた。
 広嶋は槍を抜こうと抵抗したが,兵は更に深く穂先を突き刺した。その場に倒れ伏してもがく当麻広嶋に樟磐手が留めを刺した。

 それより僅か後に,同じく大友皇子おおとものみこの命を受けた佐伯男は筑紫大宰つくしだざい栗隈王くりくまおうの元を訪れていた。栗隈王くりくまおうは当麻広嶋とは異なり,佐伯男と接見するに当って,武家王と三野王の二人の息子を武装させて傍らに控えさせいた。その他にも物陰に多数の舎人とねりを忍ばせている気配が漂っている。
栗隈王くりくまおう殿。大友皇子おおとものみこの命をお伝えに参りました。この度の戦に伴い,筑紫から兵を出していただきたい。」
 佐伯男の進言に栗隈王くりくまおうは一括した。
筑紫大宰つくしだざいの任務は外敵の侵入からこの国を守ることにある。内乱に乗じて外敵が攻めて来ないとは限らぬ。故に,我がここを動くことはまかり成らぬ。兵が無くては守ることも出来ぬ故,一兵たりとも割くことも出来ぬ。」
 佐伯男は溜息をついた。中臣金から栗隈王くりくまおうを斬れと命じられているが,二人の息子と多数の舎人とねりに守られているため,斬りかかる隙さえも窺えない。佐伯男は黙って帰るしかなかった。
 吉備は当麻広嶋を斬り捨てたことによって,兵を集めることは出来たものの,筑紫から佐伯男は早々に引き返した。

672年(天武元年)六月二十七日 夕刻
 美濃みの国に放っていた間者かんじゃが近江朝に戻ってきた。着衣はいたるところで破れ,表情はやつれ果てていた。不破関ふわのせき大海人皇子おおあまのみこの軍によって封鎖されていたため,山を越え,河を渡り,道無き道を通って来たが,それでも要所要所で大海人皇子おおあまのみこ軍の斥候に危うく捕縛されそうになり,ほうほうの体でようやく大津まで戻ってきた。その間者かんじゃが伝えた内容は,大友皇子おおとものみこにとって最悪のものであった。
「申し上げます。美濃みの国で募兵をしておりました小子部さ鉤(ちいさこべのさひち)殿が,募兵した二万の兵と共に大海人皇子おおあまのみこ様の手に落ちました。」
 大友皇子おおとものみこ間者かんじゃの報告に怪訝な表情をして,中臣連金に問うた。
「二万の兵とな。小子部さ鉤は美濃みの国で吾が父の墓陵を建設するための民を徴発していたのでは無かったのか。」
 金は大友皇子おおとものみこには見られないように忌々しい顔をみせた。
(この皇子はこの時になってもまだ墓陵を造る気でおるのか)
 即座に真顔に戻った金は大友皇子おおとものみこに答えた。
「さようでございます大王おおきみ。ただ,民たちにはこの時期のことでもあり,大津までの道中に危険があるやも知れませぬので,すきやくわを持たせ,自分の身は自分で守るよう指示しておりました。それを大海人皇子おおあまのみこの軍の者たちが武装兵と思い込み,襲ったのでございましょう。」
 金が天智天皇てんじてんのうの墓陵を作るためと称して美濃みの国から民を集めたのでは無いと,大友皇子おおとものみこは察していた。時がときだけに,集められた民は兵として使用されることは明らかである。しかし,大友皇子おおとものみこは,その民を徴発した行為が大海人皇子おおあまのみこを動かしたとは思いもよらなかった。
 大友皇子おおとものみこは表情を変えずに金に言った。
「二万の兵とは惜しいことをしたな。しかし,美濃みの国から徴発した兵であれば戦力にはなるまい。」
「は? と言いますと。」
 大友皇子おおとものみこが悲しげな顔をして金を見つめた。
大海人皇子おおあまのみこを養った国の民じゃ。大海人皇子おおあまのみこに槍を向けると思うか。二万の兵に内応されれば勝てる戦も勝てぬ。そうは思わぬか,金。」
 中臣金は大友皇子おおとものみこに返す言葉を失っていた。
 大友皇子おおとものみこは一人で楼に上がると夕闇が迫りつつある湖面を見つめた。大友皇子おおとものみこの目は湖面よりも,その遥か彼方にいる大海人皇子おおあまのみこを見ていたのかも知れない。
「大海人殿,あなたの力は偉大だ。恐らく,二万の民も一滴の血も流さずに手中に収められたのであろう。誰からも好かれるあなたの天性の性分によって。それに比べて吾は直臣の心はおろか,十市の心すらつかめない。」
 大友皇子おおとものみこの頬を一筋の涙がつたい落ちた。
「例え数十万の兵を得たとしても,吾はあなたには勝てぬやも知れぬ。あなたに傷一つ負わせることも出来ないかも知れぬ。それでも吾はあなたと闘わなければならない。もはや闘わなければならないところまで来てしまった。しかし,吾は勝つ。必ずやこの戦には勝つ。正当な皇位継承者として吾は勝たなければならぬ。あなたに勝つことで吾はすべてを手に入れることが出来る。大王おおきみとしての地位を。そして,十市の心を。」
 大友皇子おおとものみこはその場で泣き崩れていた。夜の闇が静かに湖を覆い,大友皇子おおとものみこの姿を闇の中に沈めていった。

672年(天武元年)六月二十八日
 大友皇子おおとものみこは大津京に集められた兵たちの軍事訓練を閲兵していた。しかし,兵たちの動きにはどことなく緊迫感が無く,これから戦に向かう兵としての心構えが見られない。大友皇子おおとものみこは隣にいた蘇我意美赤兄に言った。
「兵たちに覇気が見られぬ。」
 しかし,蘇我赤兄そがのあかえは自身万々で答えた。
「ご心配には及びません。大海人が攻めて来るまでには立派な兵としての根性を叩き込んでやります。」
 大友皇子おおとものみこは,そんなことでは間に合わないと思ったが,それ以上に大海人皇子おおあまのみこを呼び捨てにした赤兄あかえに苛立ちを感じた。
「例え敵の将といえども呼び捨てはならぬ。礼を尽くせ。」
 そう言い残すと大友皇子おおとものみこは閲見を打ち切ってさっさと宮中に入ってしまった。蘇我赤兄そがのあかえは叩頭しながら苦虫を噛んだような顔をしていた。その一部始終を見ていた中臣金が蘇我赤兄そがのあかえに近づき,赤兄あかえの肩をぽんと叩いた。
「我慢しろ。大海人を倒して大友皇子おおとものみこ大王おおきみにすれば我らが政権を握る。それまでの辛抱じゃ。」
 大友皇子おおとものみこの消えた方向を見つめながら蘇我赤兄そがのあかえが呟いた。
「皇子は本当に大海人と闘うつもりがあるのだろうか。兵たちの意気込みも見えぬが,皇子の意気込みも見えぬ。」
 中臣金も大友皇子おおとものみこが消えた方向を見つめながら呟いた。
「確かに。帝王学とやらがどこまで戦に役立つかは知らぬが,あの落ち着きと思慮の深さは理解できぬところがある。」
 この時,近江朝では大海人皇子おおあまのみこ軍が動き出すのは七月半ば以降と踏んでいたが,翌日には近江朝を震撼させる出来事が起ころうとは夢想だにしなかった。

672年(天武元年)六月二十九日
 早朝,大伴吹負おおとものふけいが指揮する騎馬隊が倭古京やまとこきょうの飛鳥寺西の広場に集結していた近江朝の軍に奇襲攻撃を敢行。守備隊長の穂積百足は斬殺され,大友皇子おおとものみこ軍は全員捕縛されてしまった。大和やまとの豪族たちが続々と大海人皇子おおあまのみこ軍への参軍を申し入れ,倭古京やまとこきょう大海人皇子おおあまのみこ軍の手に落ちたのであった。
 飛鳥寺を抜け出すことに成功した穂積百足の兵は,運良く近江朝の間者かんじゃと接触することが出来た。知らせを聞いた間者かんじゃは即刻,馬を飛ばして近江朝に向かった。
 間者かんじゃの報告に近江朝は直ちに群臣会議を開いた。しかし,その場は沈鬱な空気に包まれていた。
「穂積百足が斬られたか。」
「弟の五百枝を始め,全員が捕縛。しかも,大和やまとの豪族どもが大海人軍に雪崩れ込んでいるとか。」
「だからわしは倭古京やまとこきょうには大軍を派遣せねばならぬと申しておったのじゃ。」
 紀臣大人(きのおみうし)が髭をしごきながら忌々しそうに言った。その場にいた者たちが一斉に紀大人に顔を向けた。全軍の配備は群臣会議の結果,大友皇子おおとものみこが決定を下した。この度の布陣は大友皇子おおとものみこの決定と言っても間違いは無い。その決定に紀大人がケチをつけたことになる。
 皆の視線に気付いた紀大人は気まずそうに頭をうな垂れるとぼやくように呟いた。
「倭は国のまほろば。倭を押えぬ限り,民の心も押えられぬわ。」
 この言葉は大友皇子おおとものみこの心に深く突き刺さった。
(民の心・・・か)
「金,河内国の将軍は誰か。」
壱岐韓国いきのからくににございます。」
「韓国に命じて西から倭古京やまとこきょうを攻めさせよ。河内国には守備兵だけを残して全軍を倭古京やまとこきょう奪還に向けても構わぬ。また,大野果安おおのはたやすに大軍を授けて北方より倭古京やまとこきょうに向かわせよ。」
 中臣金は驚いた。河内国の壱岐韓国いきのからくにの軍だけでもかなりの兵力である。にも関わらず大野果安おおのはたやすにも大軍を授けて倭古京やまとこきょうに向けるという。中臣金は大友皇子おおとものみこに問い質した。
「果安の軍も差し向けるのですか。」
 大友皇子おおとものみこは金の顔に視線を向けるとゆっくりと言った。
「吾は畿内の民に動員令を出したはずじゃ。勿論,大和やまとにも。そして畿内の動員は完了したとの報告を受けた。しかるに,大和やまとの豪族たちが大海人皇子おおあまのみこ軍に参軍を申し出たとはいかなることじゃ。吾が軍に動員されたのであれば,大海人皇子おおあまのみこの元に降る兵はおらぬはず。」
「それは大王おおきみ・・・」
 蘇我赤兄そがのあかえが口を挟もうとするのを大友皇子おおとものみこは制した。
「吾の元に届けられている報告には偽りがあるようじゃ。」
 蘇我赤兄そがのあかえは額に汗を浮かばせながら大友皇子おおとものみこの表情を窺っていた。
「大津京の全軍を二分し,北と西からの挟撃を敢行する。一隊は蘇我果安そがのはたやすを将として不破の大海人皇子おおあまのみこに正面攻撃をかける。もう一隊は大野果安おおのはたやすを将として倭古京やまとこきょうを北から攻撃。壱岐韓国いきのからくにの隊は大野果安おおのはたやすと呼応して倭古京やまとこきょうの西から攻撃して一気に倭古京やまとこきょうを奪還する。倭古京やまとこきょうを奪還せねばこの大津京が南と東から攻められることになる。大海人皇子おおあまのみこが不破を出ぬうちに,何としても倭古京やまとこきょうを奪還するのじゃ。倭古京やまとこきょう奪還後には,そのまま軍を東に向け,不破の大海人皇子おおあまのみこを前後から挟撃する。直ちにそれぞれの将に出撃命令を出せ。」
 群臣会議は大友皇子おおとものみこの決定で閉会した。蘇我赤兄そがのあかえは直ちに蘇我果安そがのはたやす大野果安おおのはたやす壱岐韓国いきのからくにに出撃の命令を下した。

672年(天武元年)七月二日
 大友皇子おおとものみこの命を受けた蘇我果安そがのはたやすは,山部王,巨勢臣人こせのおみひとと共に一万数千の兵を率いて琵琶湖の東岸を北上していた。そこに大海人皇子おおあまのみこの本陣に放っていた間者かんじゃからの知らせがもたらされた。蘇我果安そがのはたやすはその報告を馬上で聞き,巨勢臣人を呼ぶと並んで馬を歩ませた。
大海人皇子おおあまのみこの軍が本日早朝に出陣したと間者かんじゃが報告してきた。その報告では全軍を二つに分け,一隊は西に。一隊は南に移動したらしい。」
「では,今大海人皇子おおあまのみこの本陣は手薄な状態ということじゃな。」
「さよう。しかも高市皇子たけちのみこの隊は不破におる。高市皇子たけちのみこの隊が戻るまでに大海人皇子おおあまのみこの首を取ってしまえばこの戦も終りじゃ。」
 二人はこの機会を逃がすわけには行かないと判断した。
「では直ちに全軍で大海人皇子おおあまのみこ討つか。」
 巨勢臣人の提案を蘇我果安そがのはたやすが制した。
「いや,全軍を動かしたのでは敵に気づかれる。ここは少数精鋭を持って西に向かった敵の隊と入れ違いに大海人皇子おおあまのみこの本陣を叩く。」
 百名ほどの精鋭部隊が組織されると,大海人皇子おおあまのみこの本陣を目掛けて出陣して行った。この部隊は湖東を北上し,湖東へと西進している村国男依隊の鼻先をかすめて北に出ると,そこから東に進路を変えると一気に不破へ突入した。

内応  蘇我果安そがのはたやすの隊は,犬上川(滋賀県犬上郡)のほとりに陣取った。ここは大海人皇子おおあまのみこの本陣まで五里(約20km)の地点である。ここからでは一刻(約2時間)ほどで大海人皇子おおあまのみこの本陣を突ける位置にある。大海人皇子おおあまのみこ軍の村国連男依むらくにのむらじおよりらが率いる一隊は琵琶湖東岸に布陣したとの報告も届いていた。  蘇我果安そがのはたやす軍は作戦会議を開いた。主立つ面々は蘇我果安そがのはたやすを始めとして山部王,巨勢臣人こせのおみひと羽田公矢国はたのきみやくにらであった。この作戦会議が,蘇我果安そがのはたやす軍に思わぬ事態を招くことになった。
「手勢をすべて出陣させた大海人皇子おおあまのみこを討つには絶好の機会である。今を置いて大海人皇子おおあまのみこの首を取る機会は無いぞ。」
 蘇我果安そがのはたやすの意見に,群臣の誰もが同じ意見であった。
大海人皇子おおあまのみこの本陣に奇襲をかけた騎馬隊からの報告はまだ来ないのか。」
 騎馬隊の奇襲攻撃が成功していれば,村国男依の隊に動揺が走り,何等かの動きが見られるはず。しかし,そのような動きは見れず,騎馬隊も帰還しない。
「男依の本陣も整然としており,騎馬隊からの報告も無い。奇襲は失敗したと思ってよいであろう。」
 当初より騎馬隊による奇襲攻撃は失敗すると主張していた山部王は,当然と言わんばかりに髭をしごきながら言った。
 大海人皇子おおあまのみこの本陣を奇襲した騎馬隊は,玉倉部邑たまくらべむらを守備する出雲狛いずものこまの奮戦により,大海人皇子おおあまのみこの本陣への突入に失敗していた。攻撃中に村国男依の隊が湖東に布陣したため,退路を断たれた騎馬隊は,山中を彷徨し,蘇我果安そがのはたやすの本隊への連絡もままならない状態にあった。
「大海人軍はすでに奇襲攻撃にによって防禦を固めていることであろう。もはや奇襲攻撃は通用しない。ここは全軍を攻め込ませて一気に殲滅するしか手はあるまい。」
 気の短い巨勢臣人が全軍の出陣を督促した。逸る巨勢臣人を山部王が制した。
「人殿,もしも全軍を投入して負けたら大海人皇子おおあまのみこの軍が一気に大津京まで雪崩れ込みますぞ。」
大王おおきみ大友様の軍が負けるとは何事か。今攻めずして何とする!」
 山部王の弱気な発言に巨勢臣人が声を上げた。二人のいさかいをなだめるように蘇我果安そがのはたやすが一つの作戦を提案した。
「本隊を二手に分けて一隊が男依の軍を牽制する。その間にもう一隊が男依の軍をすり抜けて大海人皇子おおあまのみこの本陣を突く。五千の兵が一気に大海人皇子おおあまのみこの本陣に攻め入れば,いかに大海人皇子おおあまのみこであろうと防ぐことは出来まい。」
「しかし,五千の兵で男依の一万を牽制するのは大変じゃぞ。」
 山部王は蘇我果安そがのはたやすの作戦にもけちを着けた。
「男依の軍とはまともに闘うのではない。大海人皇子おおあまのみこの本陣を突くまで牽制するだけじゃ。」
「もしも,その牽制隊が全滅すれば,本陣突入隊が男依の隊に背後から突かれることになる。」
 山部王の何事にも否定的な意見に業を煮やした巨勢臣人がやおら立ち上がり,山部王に詰め寄った。
「山部王,今まで聞いておれば負けるだの,全滅するだのと。それほど大王おおきみ大友様の軍が弱いと申すのか。」
 巨勢臣人の怒声にひるむことなく山部王は整然と答えた。
「吾は可能性を述べているだけのこと。最善の策を講じて行動に移すことこそ,大王おおきみ大友様への御ためと心得ておる。」
「では,その最善の策とやらを申してみよ。」
 巨勢臣人が山部王の面前にまで詰め寄って問い質した。
「ここは倭古京やまとこきょう奪還に向かった大野果安おおのはたやす殿の隊の状況に合わせて行動を起こすのが良いのではないか。倭古京やまとこきょうを奪還した大野果安おおのはたやす殿の隊と同調して大海人皇子おおあまのみこの本陣を挟撃することこそ,大王おおきみ大友様のご作戦ではなかったか。」
 大友皇子おおとものみこの作戦と言われて巨勢臣人は苦虫を噛んだような顔をした。確かに,出撃前に大友皇子おおとものみこは,湖東軍と倭古京やまとこきょう軍による両面作戦を提案していた。
「ではここでじっと待っておれと言うのか。」
「さよう。おっつけ倭古京やまとこきょうからの連絡も入ろう。」
「しかし,今でも大海人軍は募兵を行い,大海人の本陣は続々と兵力を増強しつつある。時がたてばたつほど戦況は不利になる。」
 激した巨勢臣人は大海人皇子おおあまのみこを呼び捨てにした。これを山部王は聞き捨てにしなかった。
「例え敵将であろうと呼び捨てにするとは何事か!」
 これまでに,山部王は大海人皇子おおあまのみこに内応しているとの噂が立っていたが,この言葉を聞いてそれまで自重していた蘇我果安そがのはたやすは山部王の内応を確信した。
「山部王,軍を批判したり,動きを止めようとするおぬしの言葉。とても我が軍の将とは思えぬ。おぬしは大海人皇子おおあまのみこに内応しておるのか。」
 内応と疑われたことに山部王が反論した。
「内応とは聞き捨てならぬ。そちらのような浅はかな者どもが立てた作戦にはまるような大海人皇子おおあまのみこではない申しておるだけじゃ。」
「おのれぇ,山部王。あくまでも我らを愚弄するか!」
 巨勢臣人が剣の束に手をかけた。山部王は咄嗟に剣を取ろうと手を伸ばしたが,剣を手にする前に巨勢臣人の剣の切っ先が山部王の額を割っていた。悲鳴を上げて逃げる山部王の背中を蘇我果安そがのはたやすの剣が貫いていた。
 羽田公矢国はたのきみやくには,陣幕内のいきさつの一部始終を見届けると,静かに陣幕じんまくを出た。

 山部王の悲鳴を聞きつけた兵達が,陣幕の周りに集まっていた。戸板に乗せられて陣幕から運び出される山部王の遺骸を見て,兵達は口々に囁きあった。
「山部王が斬られたのか。」
「内乱の内乱か?」
 兵達の話し声を耳にした巨勢臣人が陣幕からゆっくりと姿を現し,不安げな兵達の顔を見ながら言った。
「皆の者,心配することは無い。山部王の大海人皇子おおあまのみこへの内応が露見したゆえ,斬り捨てたまでのこと。我らは予定通り,大海人皇子おおあまのみこの本陣に向かう。」
 しかし,蘇我果安そがのはたやすの軍は犬川に留まったまま,一向に動く気配は無かった。山部王が斬られた直後に,羽田公矢国(はたのきみやくに)が息子の大人(うし)と密かに話をしている姿が目撃されていた。その夜に羽田公矢国親子とその手勢が,夜陰に紛れて姿を消したのが翌朝になってから確認された。

分裂ぶんれつ672年(天武元年)七月三日
 昨夜遅くになってようやく騎馬隊の一部が帰還し,奇襲攻撃の失敗を告げた。半数が攻撃時に討ち取られ,残りの半数が帰還時に敵に見つかって斬殺,あるいは捕縛されたか逃亡したかは不明である。騎馬隊の将の報告を神妙な面持ちで聞いていた蘇我果安そがのはたやすは,将に休むように命じた。将は蹲って叩頭すると陣幕を後にした。ただ一人,蘇我果安そがのはたやすは陣幕内で床几に腰をかけて腕組みをし,時折深い溜息をつきながら朝を迎えた。
 夜明けと同時に蘇我果安そがのはたやすは自分の馬を引き出すと跨った。馬上の人となった果安を見つけた巨勢臣人が慌てて駆け寄った。
「果安殿,どこに行かれる。」
「大津宮に戻り,大王おおきみ大友様にご報告してまいる。後のことはよろしく頼む。」
 巨勢臣人を振り返ると一言答えただけであった。その表情は何かを思い詰めている様であった。
「頼むと言われても,将軍は果安殿であるぞ。」
 巨勢臣人の言葉には答えることなく,蘇我果安そがのはたやすは馬を進めた。その姿を見て,蘇我果安そがのはたやす舎人とねり達が慌てて馬で後を追ったが,果安は二名の追従だけを許して,後は陣に追い返した。
 隊の将軍である蘇我果安そがのはたやすが陣を去ってしまったため,蘇我果安そがのはたやすの軍は完全に動きを停止してしまった。

 大津宮に戻った蘇我果安そがのはたやすは,早速大友皇子おおとものみこに閲見を願い出た。大友皇子おおとものみこから大津宮の西殿で待つようにと指示があった。そこは天智天皇てんじてんのうが危篤の折,大友皇子おおとものみこ蘇我赤兄そがのあかえ中臣金らと盟いを立てたところである。ここで大友皇子おおとものみこを待つうちに,蘇我果安そがのはたやすには盟約の場面が,つい昨日のように思い出され,目頭が熱くなるのを覚えた。
蘇我果安そがのはたやす,そちのみ陣から戻るとは何事ぞ。」
 西殿に入った大友皇子おおとものみこは,単刀直入に問うた。蘇我果安そがのはたやすは蹲り,叩頭したままでゆっくりと話し始めた。
大王おおきみ大友様。やつかれを将軍の任からお解き下され。」
 その声は涙声であり,両方が小刻みに震えている。
「犬川の陣で何があったのか,申してみよ。」
 大友皇子おおとものみこ蘇我果安そがのはたやすの態度に,陣内で良からぬ事態が発生したことを感じ取った。蘇我果安そがのはたやすは昨日の奇襲失敗,山部王の内応そして,羽田公矢国はたのきみやくに親子とその一族の失踪を,涙ながらに伝えた。
「よく分かった。しかし,そちを将軍の任から解く訳にはいかぬ。巨勢人に大軍を任せるには荷が重過ぎる。急ぎ犬川に戻って陣を指揮せよ。」
 大友皇子おおとものみこは冷たく言い放つと座を立った。残された蘇我果安そがのはたやすはうなだれたまましばらくの間,西殿にたたずんでいたが,ゆっくりと腰を上げると力なく西殿を後にし,大津宮を出た。
 蘇我果安そがのはたやすは犬川の陣に戻ることなく,そのまま自邸に戻り,人払いをすると部屋にこもってしまった。不審に思った舎人とねりが扉の前で聞き耳を立てていると,中から嗚咽が聞こえてきた。舎人とねりは,扉を開けてよいものかどうか,迷っているうちに嗚咽は呻き声に変わり,物が倒れるような音が聞こえてきた。
 慌てた舎人とねりは急いで扉を開けたが,そこには刀子(とうす)を頸部に突き刺し,絶命している蘇我果安そがのはたやすが横たわっていた。

 蘇我果安そがのはたやすの軍が犬川に留まらず,そのまま大海人皇子おおあまのみこの本陣に突入していれば,大海人皇子おおあまのみこ軍に大打撃を与えたであろうことは間違い無かったと言われている。しかも,倭古京やまとこきょうに向けて大軍を派遣した大友皇子おおとものみこは,兵力の上でも圧倒的に大海人皇子おおあまのみこ軍を凌駕していた。正しく,大友皇子おおとものみこが立てた作戦どおりに,大海人皇子おおあまのみこは西と南から挟撃されるかに見えたが,その歯車は僅かずつ狂い始めていた。

 同じ日の朝,倭古京やまとこきょう奪還の命を受けた壱岐韓国いきのからくにが大軍を率いて東進を開始していた。
 壱岐韓国いきのからくには軍を二手に分け,大津道(大阪府堺市と藤井寺市に至る道)と丹比道(堺市から羽曳野市古市に至る道)の二道から倭古京やまとこきょうに向けて進軍を開始した。大津道を行く隊は大津京から南下して来る大野果安おおのはたやすの隊と合流して倭古京やまとこきょうを北から攻め,丹比道を行く隊にはそのまま倭古京やまとこきょうを西から直撃するように命じていた。後に,この大軍を二手に分けたことが裏目に出ようとは,壱岐韓国いきのからくにには予想できなかった。

 大津道を行く先頭の兵が壱岐韓国いきのからくにのもとに駆けてきて報告した。
高安城たかやすのしろに多数ののぼりが見えます。敵が高安山に布陣しているものと思われます。」
 壱岐韓国いきのからくにがいる地点からは高安城は見えない。しかし,壱岐韓国いきのからくには高安山の方角を見やるとぽつりと言った。
のぼりはどのようなものじゃ。」
「はっ それが,赤い幟の他に白い物やらふんどしのような物までが立てられております。」
ふんどし・・・?」
 壱岐韓国いきのからくにはにやりと笑うと騎馬兵に言った。
「敵は少数じゃ。捨ておけ。倭古京やまとこきょうに向けて進軍させよ。」
 騎馬兵は叩頭すると隊の先頭に戻って行くと,倭古京やまとこきょうに向けて隊を進めた。隊が生駒山系に近づくと,生駒山系の尾根付近で土煙が上がるのが見られた。
「ふん。敵の奴ら,慌てて高安山から降りてきよるわ。あの砂塵の量からすると,百ほどか。」
 壱岐韓国いきのからくには舞い上がる砂塵の量で敵の兵力を冷静に判断していた。予想どおり敵の兵力は気にするほどでは無いと踏んだ。生駒山系に入ると道が急に狭くなり,大軍を展開することが不可能となった。しかし,先頭の隊だけでも充分に敵を蹴散らすだけの兵力であるため,壱岐韓国いきのからくには安心していた。
 衛我河えががわ(大阪府柏原市)に至ったところで敵が隊の先頭に攻撃をかけてきた。その数は二百程。勇猛な敵の攻撃により,数では勝っているはずの隊がじりじりと押され始め,遂には総崩れとなって後退を始めた。その時,後方にいた来目臣塩籠くめのおみしおこの兵までもが,満足な闘いもせずに後退を始めたのであった。
来目臣塩籠くめのおみしおこは何をしておる。闘わぬか!」
 壱岐韓国いきのからくに来目臣塩籠くめのおみしおこに激を飛ばしたが,来目臣塩籠くめのおみしおこは従うことなく後退を続けた。先鋒が倒れても,壱岐韓国いきのからくにの隊には二百程度の敵を蹴散らすだけの兵力がある。次々と兵を繰り出すうちに敵は劣勢となり,遂には撤退して山野に逃走した。
 壱岐韓国いきのからくには全軍の進行を止めて,隊をまとめ直すとともに,来目臣塩籠くめのおみしおこを陣幕に召喚しょうかんした。
来目臣塩籠くめのおみしおこ,このたびの闘いでそちの隊は満足な闘いもせずに後退したのは何故じゃ。」
 壱岐韓国いきのからくにの前にひざまづ来目臣塩籠くめのおみしおこは,額に汗を浮かべながら答えた。
「はっ 敵の攻撃があまりにも熾烈しれつでありましたので,我が兵達が恐れをなして・・・」
 来目臣塩籠くめのおみしおこの返答はしどろもどろであった。
「先鋒の兵からは,後方にあるそちの隊からも攻撃を受けたとの話も聞いておるが,それは誠か。」
滅相めっそうもありませぬ。何故に我が隊が味方を攻撃することがありましょうや。」
 来目臣塩籠くめのおみしおこの額の汗が滴となって落ちている。
「我も見ておったが,そちの兵達は敵と闘おうともせずに後退しておったぞ。あれはそちの命令か!」
 壱岐韓国いきのからくには声を荒げて来目臣塩籠くめのおみしおこに詰め寄った。
「やつかれがそのような命令など・・・」
「兵達がそちの声を聞いておるぞ。先鋒の隊と共に引けという命令をな。」
 来目臣塩籠くめのおみしおこは両の拳を握り締めてうち震えていたが,やがて腰の剣に手をかけると一気に引き抜いた。
来目臣塩籠くめのおみしおこ,謀叛を起こす気か!」
 壱岐韓国いきのからくにの声と同時に群臣達が剣を抜いた。しかし,来目臣塩籠くめのおみしおこは引き抜いた剣を逆手に持つと己が腹に突き立てて絶命した。
来目臣塩籠くめのおみしおこめ,やはり大海人皇子おおあまのみこに内応しておったな。言い逃れ出来ぬと知って自害しおったわ。」
 来目臣塩籠くめのおみしおこが自害したとの話は,瞬く間に隊の間に広まり,兵達の間には隣にいる兵が信用できないという不安感が渦巻いた。壱岐韓国いきのからくにはこの事態を収拾するためにも,隊をこれ以上進めることが出来なくなり,進軍は衛我河えががわで停止してしまった。

 奇しくも同日,不破を直撃すべく琵琶湖東岸を北上していた蘇我果安そがのはたやすの隊と,倭古京やまとこきょうを奪還すべく西進していた壱岐韓国いきのからくに(いきのからくに)の隊が同時に進撃を停止してしまった。その間に,大海人皇子おおあまのみこが派遣した村国連男依むらくにのむらじおよりは,琵琶湖の湖東に陣を張り終えていた。置始兎おきそめのうさぎ倭古京やまとこきょうへと騎馬隊を走らせ,その後を追うように紀臣阿閇麻呂きのおみあへまろが走っていた。田中臣足麻呂たなかのおみたりまろは,伊賀道に陣を張り終え,多品治おおのほむちものた萩野たらの(三重県上野市荒木付近か)に陣を張り終えていた。
 大友皇子おおとものみこ軍は寸暇を惜しむこの時期に,内応により貴重な時間を大海人皇子おおあまのみこに与えてしまった。これも大海人皇子おおあまのみこの作戦であったのか,近江朝への疑惑が生んだ自然発生的な現象だったのかは,定かではない。

大野果安おおのはたやす672年(天武元年)七月四日
 倭古京やまとこきょう奪回の命を受けた大野果安おおのはたやすは,兵一万余りを従えて木津川きづがわに沿って南下をしていた。木津川を越えると山城やましろから大和やまとに入る。木津の平原から道は徐々に上り坂となり,乃楽山ならやま丘陵に至る。乃楽山ならやまを越えると,現在の奈良市内に入る。奈良市内から飛鳥までは20kmほど。目指す倭古京やまとこきょうは目と鼻の先となる。
 木津平原を越えて乃楽山ならやまの登り坂にさしかかったとき,大野果安おおのはたやすは丘陵の頂き付近にたむろする人々の姿を見つけた。しかも,その人々は軍装し,槍や弓を携えている。最前線を南下している大野果安おおのはたやす軍の前にいるのは大海人皇子おおあまのみこ軍しかありえない。参軍を求める軍勢ならば,とっくに使者を送りつけているはずである。
「全軍,戦闘用意。 丘陵の敵を蹴散らせ!」
 大野果安おおのはたやすは叫んでいた。戦闘用意の言葉とともに,弓矢隊が前列に集合し,その後ろに槍隊が整列。その後ろには剣を手にした白兵戦はくへいせんに備えた兵達が並んだ。木津平原を背景にして大軍が横一列に並んだ光景は壮観なものであった。さしもの大伴吹負おおとものふけいも,この陣容に言葉を失っていた。
 その隊形のままで間合いを詰め,矢が届く距離になると弓矢隊が一斉に矢を放った。空が黒くなるほどの矢が丘陵の頂きを目掛けて飛んで行く。その大部分の矢は矢楯やだてによって遮られるが,無数の矢は矢楯やだての隙間を縫って降り注ぎ,大伴吹負おおとものふけいの兵達を片っ端からなぎ倒していった。大伴吹負おおとものふけい軍からも矢は放たれるが,その数は大野果安おおのはたやす軍に比べると明らかに見劣りする。効果も目に見えるほどのものでは無かった。大伴吹負おおとものふけい軍が放った矢によって倒れる兵もいたが,あまりもの大軍のために確認することも困難であった。弓矢で応戦する間も,両軍の間合いは徐々に詰められていく。
「進め!」
 大野果安おおのはたやすの掛け声と共に,槍隊が突撃を開始した。その後ろからは白兵戦の兵達が続く。大軍の槍隊はまさに槍襖という様相で丘陵の坂を駆け上がってくる。果安軍の槍隊が進軍する間も吹負の軍からは矢が射掛けられ,槍隊の先鋒を次々となぎ倒していたが,果安軍の槍隊は,あっという間に坂を上り詰めて吹負の軍に肉薄した。
 大伴吹負おおとものふけいの軍は兵数が少ないために,槍隊を組織するまでに至らず,矢楯やだてから槍を突き出すのが精一杯であった。怒涛の如く突き進む果安の槍隊は,矢楯やだてを蹴倒して吹負軍の前線に襲い掛かった。
 吹負軍の槍隊は瞬時に壊滅していた。後ろに詰めていた兵が剣で果安の槍隊に向かって行ったが,槍の長さには勝てなかった。しかし,吹負軍は次々と果安軍に襲い掛かって遂には槍隊を撃破したが,槍隊の後ろに控える圧倒的な数の兵達には歯が立たなかった。
 一人で三人以上の敵を相手にしていた吹負軍の兵達は,善戦をしてはいたが多勢に無勢。徐々に後退を続けて遂には総崩れとなり敗走してしまった。
 大野果安おおのはたやすは後方で兵達の活躍ぶりを満足げに視察していたが,将の一人に命を伝えた。
乃楽山ならやまを守る敵将は大伴吹負おおとものふけいである。吹負を捕らえよ。」
 大野果安おおのはたやすの側近を務める舎人とねりが馬を前線に走らせたが,しばらくして戻ってきた舎人とねりは報告した。
「敵陣には大伴吹負おおとものふけい殿の姿は見えませんでした。前線の兵の言によれば,二騎ほどを従えた吹負殿と思われる将が南に向けて逃走したとのことです。」
 兵達が勝ち鬨を上げている丘陵を見上げながら大野果安おおのはたやすは呟いた。
「ふん。吹負め,逃げよったか。」
 大野果安おおのはたやすは全軍を整列させると損害を確認させたが,その報告に少なからずの驚きを見せた。
「吹負軍は弱小でありながらもかなりの被害を被った。敵は侮れぬぞ。」
 これは大野果安おおのはたやすの正直な思いであった。窮鼠猫を噛むの諺どおり,必死になった敵は予想外の力を引き出していた。数を頼りにしていた大野果安おおのはたやすは,今後の闘いに一抹の不安を抱いていた。しかし,ここで留まる訳には行かない。自分には倭古京やまとこきょうを奪還する使命を帯びている。倭古京やまとこきょうに向かえば西から壱岐韓国いきのからくにの隊と合流するはず。そうすれば今の闘いの損失は補える。例え,戦意では大海人軍に劣っていようとも,兵力では圧倒的に勝っている。力で押せば必ずや倭古京やまとこきょうを奪還できる。大野果安おおのはたやすは,そう信じていた。

「皆の者,この勢いに乗じて一気に倭古京やまとこきょうに攻め入る。」
 大野果安おおのはたやすは戦勝気分が薄れないうちに進軍を開始した。乃楽山ならやまを越えた大野果安おおのはたやすの隊は,中つ道を南下し続けた。倭古京やまとこきょうに近づくにつれて,川に掛かっているはずの橋が壊されているのが発見された。先を急ぐことを優先した大野果安おおのはたやすは,橋を架けずに渡河することを命令した。兵達は土手を下り,水に浸かって次々と川を越えて行った。
 水を含んだ兵達の着衣は重さを増し,川を越えるたびに進軍速度は目に見えて落ちていた。進軍速度の落ちたことに苛立った大野果安おおのはたやすは,倭古京やまとこきょうの状況を早期につかんでおこうと思い,斥候せっこうを放った。斥候を仰せ付けられた舎人とねりが,馬を南に向けて走らせた。
 大伴吹負おおとものふけいの防戦と,橋を壊したために大野果安おおのはたやす軍の進軍速度が落ちたことにより,荒田尾直赤麻呂あらたおのあたいあかまろは橋材を使った矢楯やだて倭古京やまとこきょうをすっかり取り巻くことを完了していた。その直後に大野果安おおのはたやすが放った斥候がその有様を目撃し,大野果安おおのはたやすに報告するために,急いで本隊に引き返した。
 大野果安おおのはたやすの隊が香具山かぐやま近くの八口あたりまで到達したところで斥候が戻り,倭古京やまとこきょうの状況を報告をした。
倭古京やまとこきょうに至る辻々には隙間なくたてが立てかけられております。」
「敵の兵力は確認出来たか。」
「いえ。物陰に潜んでいるものと思われ,敵兵の姿は認められませんでした。」
 この報告に大野果安おおのはたやすは惑わされた。倭古京やまとこきょうを取り囲むほどの楯を並べながらも敵兵の姿が見えない。歩哨ほしょうくらいは立てていてもおかしくはないはず。大野果安おおのはたやすは自分の目で状況を確認したくなり,倭古京やまとこきょうが望まれる香具山の高台に足を運んだ。
 遠目に見える倭古京やまとこきょうには確かに無数の楯が立てかけられ,倭古京やまとこきょうを囲むかのように配置されていた。しかし,敵兵の姿はおろか,民の姿すら望むことが出来なかった。
「怪しいな。これだけの楯を並べるとあらば,かなりの数の兵を控えさせているはず。しかも,倭古京やまとこきょうの民達にも動揺が見られない。手薄と見せかけて我らを引き寄せて包囲する作戦か。」
 西から壱岐韓国いきのからくにが率いる近江朝軍が倭古京やまとこきょうに攻め込んでいるはず。だとすれば,倭古京やまとこきょうの民達は戦乱に巻き込まれまいとして郊外に逃げ出しているはず。しかし,ここに至るまでにも逃げ出している民には一人として出会わなかった。
 乃楽山ならやま大伴吹負おおとものふけいの隊と交戦し,兵を失ったとは言うものの依然として大軍を従えているに違いない。大野果安おおのはたやす倭古京やまとこきょうに突入することに不安を覚えた。
壱岐韓国いきのからくに殿の隊は何をしておる。」
 当初の作戦では壱岐韓国いきのからくにの隊と協力しあい,西と北からの両面同時攻撃によって倭古京やまとこきょうに攻め入る手筈てはずであった。しかし,その壱岐韓国いきのからくにの隊からの連絡も無く,姿を見せる気配すら無い。
たから殿の隊は,昨日の衛我河えががわの闘いを終えてから未だに動いたという報告が届いておりませぬ。」
 大野果安おおのはたやすは迷った。孤軍こぐん倭古京やまとこきょうに突入すべきか,壱岐韓国いきのからくにの隊が到着するのを待つか。壱岐韓国いきのからくにの隊を待つとしても,まだここは大海人皇子おおあまのみこ軍の勢力圏内である。いつどこから敵が攻撃を仕掛けてくるか分からない。野営でもしようものなら,夜襲を受けて大打撃を被りかねない。しかも倭古京やまとこきょうを守備する将軍である大伴吹負おおとものふけいが,あれだけの兵力しか保持していないとは考えられない。
 この時点で大野果安おおのはたやすは大きな勘違いをしていた。大海人皇子おおあまのみこ軍の勢力を過大評価していたのである。聖地である倭古京やまとこきょうを守備する兵力は,己が指揮する兵力と同等か,それ以上と判断していた。故に,乃楽山ならやまに布陣した大伴吹負おおとものふけいの隊を先遣隊せんけんたいと思い,本隊は倭古京やまとこきょう内に陣を張っているものと思い込んでいた。
 実際には倭古京やまとこきょうには大軍を潜ませているどころか,敵の大軍が目の前にまで迫り,息を殺して潜むしか無かったというのが事実であったが,不安感と恐怖感が先走った大野果安おおのはたやすには,そこまで判断する余裕が無かった。
 大野果安おおのはたやす倭古京やまとこきょうに至るまでにかなりの闘いを予想していた。しかし,たいした抵抗を受けることもなく,難なく倭古京やまとこきょうの目前にまで到達してしまった。あまりにも簡単にここまで来れたことに,大野果安おおのはたやすは逆に不安を感じていたのであった。
 大野果安おおのはたやすの隊は,その場で一刻(約2時間)ほど停止して様子を窺っていたが,倭古京やまとこきょうからは攻撃されることもなく,戦時とは思えないほどにのどかで静かな時が流れていた。その静かさがかえって不気味でもあった。
「韓国殿の隊は衛我河えががわの闘いで大打撃を受けたのやも知れぬ。さもなくば,伝令を遣わせてもよさそうなものじゃ。」
 この果安の想像がますます自らの不安感を増大させた。壱岐韓国いきのからくにの隊を行動不能に陥れるまでの大軍が昨日,壱岐韓国いきのからくにの隊を襲ったとすれば,今日には倭古京やまとこきょうに戻って布陣していてもおかしくはない。とすれば,無闇に倭古京やまとこきょうに突入すれば敵の思う壺にはまってしまう。敵の詳細な情報が入手出来なかったことに加えて,味方相互の連絡が行き届いていなかったことが,近江朝軍にとって最大の敵となっていた。
 一万近くもの兵達が,倭古京やまとこきょうを目前にしながらも,まんじりともせずに時がたつのを待っていた。その間も,どこから敵が攻めてくるか分からない恐怖に,誰もが周囲に目を凝らしていた。
「引くぞ。」
 大野果安おおのはたやすは一言告げると馬に乗り,馬首を北に向けて歩ませ始めた。
「果安殿,倭古京やまとこきょうを奪取せずに戻るのでありますか。」
 血気盛んな若い舎人とねり大野果安おおのはたやすに問うた。
「ここで敵に討たれるよりも,大海人皇子おおあまのみこの本陣に闘いを挑んで大海人皇子おおあまのみこの首を狙うほうが確実じゃ。」
 大野果安おおのはたやすの隊は,倭古京やまとこきょうを目前にして倭古京やまとこきょう奪還の絶好の機会を自ら喪失してしまった。もしも,壱岐韓国いきのからくにが隊を停止せずに倭古京やまとこきょうに向けて進軍を続けていたなら,間違い無く大野果安おおのはたやすの隊と共同して倭古京やまとこきょうを奪還していたのは間違いなかった。それ以上に,大野果安おおのはたやすが迷うことなく倭古京やまとこきょうに突入していれば,守備兵の少ない倭古京やまとこきょうは陥落していたであろう。ここでも大海人皇子おおあまのみこ軍は,闘うことなく奇跡の勝利を手にしていた。
 大野果安おおのはたやすが撤退したことによって,倭古京やまとこきょう奪回が事実上の失敗と終り,壬申の乱全体の分岐点となったことは間違い無い。乱後に天武朝において大野果安おおのはたやすが糺職大夫の地位についたことが,この時の撤退により大海人皇子おおあまのみこに内通したためとの見方もあるが,確かなことは明らかではない。

合言葉あいことば672年(天武元年)七月五日
 夕闇が迫る中,倉歴くらふに陣を張る田中臣足麻呂たなかたりまろの隊に,密かに迫り来る一団があった。田辺小隅たなべのおすみを将とする近江朝が放った別働隊である。その兵力は三百余りと,決して大きな戦力では無かった。しかし,この隊は大海人皇子おおあまのみこ軍が監視する網の目を掻い潜って田中足麻呂の陣に接近していた。田辺小隅たなべのおすみが放っていた斥候が,田中足麻呂の陣の様子を確認し,小声でその旨を報告した。
「敵の陣は我らの接近に気づいておらず,軍装を解いております。」
 その報告を聞いた田辺小隅たなべのおすみは,この位置からは見えない敵陣の方角を見つめた。
「よし。今夜,攻撃を開始する。皆に伝えよ。幟を巻いて敵に見つからぬように,敵の本陣目前まで接近する。」
 斥候の口から兵達に命令が順次伝えられていった。幟は目立たぬように巻かれ,馬にはばいを噛ませていななきを押えてさせて進軍した。田辺小隅たなべのおすみの隊は,田中足麻呂の陣が見渡せる位置まで接近すると,そこで夜が来るのを待った。誰一人として声を発する者はいない。
 田辺小隅たなべのおすみの隊が目前にまで迫っていることに,田中足麻呂の隊は誰も気付くことなく七月五日の日は暮れていった。

 日はとっぷりと暮れ,田中足麻呂の兵達は歩哨を残すと皆が深い眠りに落ちていた。闇の中で田辺小隅たなべのおすみの手が声も無く頭上に上げられ真っ直ぐに前に倒された。その合図と共に数名の兵が音も無く動き出した。兵達は刀子を抜き放つと歩哨に立っている兵の背後に忍び寄って行った。
 一人の兵が背後から左手で歩哨の口を押えると,すぐさま右手に持っていた刀子で喉を掻き切った。それをきっかけに歩哨に立っていた兵の背後に近づいていた兵達が目標の歩哨を殺害した。
 かがり火を背に,歩哨が倒されていくのを確認した田辺小隅たなべのおすみは再び手を上げると前に振り下ろした。馬を押える兵を残した全軍が足音を殺しながら田中足麻呂の陣に忍び寄って行く。
 深い眠りに落ちている兵に近づくと,口を押えて次々と喉を掻き切っていった。それでも口を押えられた瞬間に目を覚まし,声をあげた兵もいた。異変に気付いた兵が声を上げた。
「敵襲! 敵の夜襲だあ!」
 その声にほとんどの兵達が目覚め,誰が敵なのか判断がつかなくなった。乱戦となったときのために,田辺小隅たなべのおすみの兵達の間には合言葉が決められていた。
「水」と言う言葉に「水」と答えれば味方である。「水」と答えない者はすべて敵であるので殺せと命じられていた。
 田辺小隅たなべのおすみの兵達は,暗闇の中で誰かと出会うと必ず「水」と言葉を発していた。そして,何も答えずに呆然としている相手には,迷うことなく斬り付けていった。
 この合言葉も敵に知れてしまったのか,「水」と発するといきなり斬りかかってくる者が現れた。また,「水」と返事をして安心したところを斬りかかられたりした。それでも,この時点で勝敗はほぼ決していた。田中足麻呂の兵達は奇襲によって大半が殺され,合言葉が判明するまでに更に多くの兵達が殺害されていた。三百余りもいた兵達のほとんどを討ち取っていた。
 田辺小隅たなべのおすみが田中足麻呂の陣に立った時は,そこに立っているのは小隅の兵達しかいなかった。田辺小隅たなべのおすみが殺戮した兵達を調べさせたが,そこには田中足麻呂の姿は確認できなかった。
「足麻呂め,合言葉に気付いて逃げよったか。」
 田辺小隅たなべのおすみは忌々しそうに呟いていた。この夜,殺害された兵は二百余り。田中足麻呂の隊は逃走した兵を含めると,壊滅したと言っていいだろう。
「この先には多品治の陣がある。明晩はそこに夜襲をかける。」
 この夜の戦果に気をよくした田辺小隅たなべのおすみは,合言葉を使った夜襲が効果的であったことに味をしめて,連日の夜襲を計画した。

672年(天武元年)七月六日
 田辺小隅たなべのおすみの隊は,夜陰に紛れてた萩野に接近していた。昨夜の戦果に気をよくしていた田辺小隅たなべのおすみとその兵達は,今夜は多品治の陣を壊滅させて,一気に大海人皇子おおあまのみこの本陣を撹乱させ,あわよくば攻め落とすことまでを夢に見ていた。
「小隅殿。合言葉を変えたほうがよろしいのでは。」
 忠信する舎人とねり田辺小隅たなべのおすみは一笑すると答えた。
「昨夜の大勝を招き入れた験の良い合言葉じゃ。変えずとも良い。」
「しかし,逃亡した敵の兵が合言葉を見破り,多品治に報告しているやも知れませぬ。」
 田辺小隅たなべのおすみは一瞬躊躇したが,それを否定した。
「短い合言葉じゃ。水という言葉は唐の陰陽五行思想から取った言葉で,大海人皇子おおあまのみこが赤色を旗印としたことは,火を象徴したものであり,火に勝るもの水であるという縁起の良い言葉じゃ。これほど縁起の良い言葉を変える必要は無い。」
 当時の支配者層には陰陽思想の五行・五徳の説に強い関心を持っており,それによって王朝の命運が左右されているものと信じていた。
 この時,合言葉を変えなかったことよりも,合言葉を使った闘いを繰り返そうとした田辺小隅たなべのおすみの作戦そのものに大きなミスがあった。
 た萩野を守備する多品治の陣の目前にまで接近した田辺小隅たなべのおすみは,昨夜の如くに息を潜めて日が暮れるのを待った。その間も多品治の陣の様子を探らせていたが,襲撃に備えるような気配は無く,兵達は普段と変わりなく弓や剣の手入れをしたり,夕餉の仕度をしていた。
 日が落ちてあたりが深い闇に包まると,夕餉を終えた兵達はそれぞれの寝床に入って行った。明かりは陣の周辺に焚かれたかがり火だけとなり,要所,要所に歩哨が立っているだけとなった。
「行くぞ。」
 田辺小隅たなべのおすみが密かに囁くと,歩哨を倒すために数名の兵が多品治の陣に向かって散っていった。歩哨を倒すと同時に陣に雪崩れ込もうとする本隊が続く。
「ぐわっ」
 歩哨の一人を倒したらしく,呻きとも叫びとも言えぬ声が闇に響いた。声を立てずに歩哨を倒すことに失敗したらしい。
「ちっ。声を立てられたか。」
 闇に響いた歩哨の絶命時に発した声によって田辺小隅たなべのおすみは,敵に夜襲が気付かれたと思ったが,ここまで来て後に引く訳にも行かず,一気に突入することとした。
「斬り込め!」
 田辺小隅たなべのおすみの全軍は声を立てずに陣内へと駆け込んで行った。それと同時に多品治の陣内からも兵達が次々と現れると,すぐさま乱戦となった。
 暗闇の中で兵同士が出くわすとそこかしこで言葉が飛び交った。
「水!」
「水」と声を掛けられた兵は,いきなりその兵を斬り倒した。
 味方が斬られるのを目撃した兵は,それから合言葉を発することが出来なくなった。合言葉が言えなくなった田辺小隅たなべのおすみの兵達は,目の前に現れた人影が敵か味方を確認することができずに,ただ闇雲に斬り掛かって行った。
 中には多品治の兵達が使っている合言葉を見破り,それを逆手に利用する兵もいた。
「天」
 闇の中から現れた人影が合言葉を発した。
「地」
 と答えると相手は安心したかのように無防備で近づいて来た。兵は,味方の振りをして近づくと「天」と言った兵の喉笛を斬り裂いた。喉を斬られた兵は,「何故?」と言わんばかりの表情をしながら,声を発することもなく絶命した。
 しかし,敵の合言葉を逆手に利用する戦法も長続きはしなかった。「天」「地」と交し合う言葉が周りに満ち始め,「地」と答えてから斬り付けても周辺には敵しかおらず,斬り掛かった方は必然的に敵とみなされる。
 勝ち目が無いと判断した兵は,各個に逃走を図りだした。「地」と答えてから斬り掛かることなく,「天」と言った兵から静かに遠のくと闇の中に姿を消していった。
 田辺小隅たなべのおすみの周辺には「天」「地」と発する兵しかいなくなった。しかも,味方の兵までが「地」と答えていては,どれが本当の味方なのか区別も出来ない。
「これまでか。引くぞ。」
 田辺小隅たなべのおすみが短く叫ぶと兵達は,次々とその姿を闇の中に沈めて行った。田辺小隅たなべのおすみ自身が逃走することで精一杯であり,何人の兵が無事に逃走できたのか,確認することも出来なかった。

この日,衛我河えががわの闘いで行動を停止していた壱岐韓国いきのからくにの隊がついに大倭古京やまとこきょうに向けて進撃を再開した。

殲滅せんめつ672年(天武元年)七月七日
 来目臣塩籠くめのおみしおこの内応発覚によって,一時は騒然となった壱岐韓国いきのからくにの隊であったが,ようやく隊を収拾することが出来た。しかし,ここまでに丸二日という貴重な時間を費やしてしまった。その間に,大野果安おおのはたやすが率いる大倭古京やまとこきょう攻略軍との歩調を合わせることが出来ず,大野果安おおのはたやす軍は撤退してしまっていた。
 大野果安おおのはたやすが撤退したことを壱岐韓国いきのからくには知らない。壱岐韓国いきのからくには自軍が停止したことを大野果安おおのはたやすに伝えることをしなかった。また,大野果安おおのはたやすも撤退することを壱岐韓国いきのからくにに伝えることは無かった。これほどまでに近江朝の軍間の連絡網はずさんであった。
「思わぬ伏兵に時間を取られてしもうたわ。大野果安おおのはたやす殿も痺れを切らせていることであろう。今日こそ大倭古京やまとこきょうを奪還するぞ。」
 大倭古京やまとこきょう奪還に,壱岐韓国いきのからくにの意気は上がっていたが,必ずしも全軍の意気が上がっていた訳では無い。来目臣塩籠くめのおみしおこの内応は未だに兵達の心の中にわだかまりを残していた。
 壱岐韓国いきのからくにの隊は,大軍といえども,大半が河内周辺で農業を営む民の寄せ集めであった。調庸ちょうようなどの税を納めるのが精一杯の生活であり,戦などしている暇は無い。しかし,近江朝の徴兵とあれば出兵しない訳にはいかない。断ればその時点で土地を追われて生活が破綻してしまう。その戦意は明らかに低いと言っていいだろう。

 壱岐韓国いきのからくにの隊が当麻に入り,葦池のほとりにまで至った時,前方に大伴吹負おおとものふけいが率いる隊が行く手を塞いだ。
「吹負か。乃楽山ならやまで敗北した将じゃ。恐れるに足りぬわ。弓矢隊を前へ。」
 正攻法で攻めようとした壱岐韓国いきのからくには,弓矢隊の整列を命じた。戦意の無い兵達の動きはすこぶる緩慢であった。弓矢を持った兵達が恐る恐る隊の全面に集まり始めた。その時,大伴吹負おおとものふけいの隊から来目と名乗る一人の兵が,大音声を発して槍を振り回しながら壱岐韓国いきのからくにの先鋒に躍り掛かって来た。
「何事じゃ。」
「敵の方から一人走って来るぞ。」
 この時点では,壱岐韓国いきのからくにの兵達には闘いの順序として,まず弓矢の射掛けあいから始まるものとの思い込んでいた。その思い込みにより,状況が飲み込めないままに兵が斬り込むのを許してしまった。
 来目の斬り込みに弓矢隊は混乱した。弓矢を投げ捨てて逃げ去る者。弓に矢をつがえようとしたが間に合わず,そのまま逃げ去る者。弓矢を剣に持ち替えて闘おうとする者。個々の対応は見せたが,指揮官からの命令は無かった。一人の兵の斬り込みによって,指揮系統までもが混乱を起こしていた。
 来目に続いて大伴吹負おおとものふけいの兵達が雪崩れ込んで来た。前面にいた弓矢隊が各個に弓を射だしたが,弓矢は一斉に射掛けてこそ威力が発揮される。散発に射られた矢は剣で叩き落とされるにすぎない。
 一人の兵が作り出した間隙に,他の兵達が続くと間隙は更に広がった。先鋒の弓矢隊が逃げ出すと,その後方で待機していた槍隊までがずるずると後退を始めた。そこに大伴吹負おおとものふけいの騎馬隊が叫びながら駆け込んできた。
 騎馬隊が轟かす蹄の音と叫び声に,壱岐韓国いきのからくにの兵達は青ざめた。轟々と響く蹄の音に叫び声が入り混じり,兵達には魔物の声のように聞こえた。騎馬隊が突入した個所の兵はもちろんのこと,それを見ていた周辺の兵達もが後ずさりを始めた。しかも,戦意の無い兵達は,騎馬隊の姿を見るまでも無く。蹄の音と叫び声を聞いただけで腰が引けていた。
 一人の兵が逃げ出すと,それが連鎖反応を引き起こして次から次へと逃げ出す者が続出する。逃げ出す先鋒に押し戻されるのと,前に進もうとする後方部隊に押さるのとで,大部隊の中間では大混乱が巻き起こっていた。
 前にも進めず,後ろにも引けない群衆の中で,大伴吹負おおとものふけいの兵達による殺戮が始まった。壱岐韓国いきのからくにの兵達は,逃げ惑うばかりでそのほとんどが背後から斬り付けられるか,馬の蹄にかかって続々と倒れて行った。壱岐韓国いきのからくにの大部隊が僅か一握りの兵達によって分断されてしまった。
 阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられる中,ついに大伴吹負おおとものふけいの本隊が動き出した。三千にも満たない大伴吹負おおとものふけいの隊が,恐怖にかられた壱岐韓国いきのからくにの兵達には数万もの大軍のように見えていた。
 整然と揃えられた槍の穂先は太陽の光を受けて,冷たく鋭く輝いていた。その輝きが脅えた兵達を更に萎縮させた。
「きぇーっ!」
 動転した兵の一人が奇声と共に槍の穂先に向かって斬り掛かって行ったが,その兵は,敵に一太刀を浴びせることも無く,数本の槍によって串刺しにされ,血まみれになってその場に倒れた。
 その中,大伴吹負おおとものふけいの言葉が戦場に響いた。
「我が吹負の兵に告ぐ。我等の敵は敵の将のみ。民を殺すことでは無い。逃げる者は討つな。歯向かう者だけを討て。」
 その言葉が,壱岐韓国いきのからくにの兵達を逃走へとかきたてた。歯向かえば殺される。しかし,逃れれば命が助かる。郷里に無事に帰ることだけを願っていた農兵達は先を争って戦場を離脱しだした。
「逃げるな! 敵に迎え。逃げる者は斬るぞ!」
 小隊を司る兵が叫んでも,兵達は逃げることを止めようとはしなし。兵はついに農兵の一人を斬り殺してしまった。しかし,周辺にいた農兵達が,その兵をなぶり殺しにしてしまった。もはや,誰も逃げ出す兵達を止めることは出来なかった。
 壱岐韓国いきのからくにの前面にいた雲霞の如くの兵達が,蜘蛛の子を散らすかのように四散した。気が付けば壱岐韓国いきのからくにの前面には兵がおらず,大伴吹負おおとものふけいの騎馬隊が迫っていた。
 壱岐韓国いきのからくにを守る側近達までもが後ずさりを始めた。
「うぬら,どこに行く! 留まれっ!」
 壱岐韓国いきのからくにの叫びにも,誰も答える者がいなかった。壱岐韓国いきのからくにの目前には敵の将である大伴吹負おおとものふけいが迫っていた。
「くそ。もはやこれまでか。大倭古京やまとこきょうは目前だというのに。」
 悔しげに一言吐くと壱岐韓国いきのからくには馬首を巡らせて後退を始めた。その馬首の目前を一人の兵が横切ろうとした。壱岐韓国いきのからくには馬を止めずに踏み殺そうと思ったが,体が思いとは裏腹に咄嗟に手綱を引いていた。
 手綱を引かれた馬がいななきを上げて立ち止まった瞬間,何かが顔の横を通り過ぎると地面に突き刺さった。矢が頬をかすめて皮を斬り裂いていた。
 思わず振り向いた壱岐韓国いきのからくには,遥か彼方に大伴吹負おおとものふけいの姿を認め,その横で二の矢をつがえようとしている来目の姿を見た。
「これだけの距離があるのに正確に矢を射るとは,恐るべき奴。」
 壱岐韓国いきのからくには全身から血の気が引くのを感じ,思わず馬に鞭をくれていた。

倭古京やまとこきょう
最後の闘い
672年(天武元年)七月八日
 壱岐韓国いきのからくにの隊が来目の活躍によって撃退された翌日,近江朝は新たな攻略軍を大倭古京やまとこきょうに差し向けていた。近江朝は三隊の兵を北から大倭古京やまとこきょうに向かう三道,上つ道,中つ道,下つ道を南下させると,中つ道に兵力を集中して東西から包囲殲滅する作戦であった。
 中つ道を進撃する隊を指揮する犬養連五十君いぬかいむらじのいそきみ(いぬかいのむらじいきみ)は,前日に壱岐韓国いきのからくにの隊が農兵の離散によって敗北したという情報を得ていたので,農兵を前面に出しての正攻法では勝算が少ないことを意識していた。
 犬養五十君いぬかいいそきみは村屋(奈良県磯城郡田原本町蔵堂)に本陣を構えると作戦会議を開いた。
「昨日,壱岐韓国いきのからくに殿の隊が敗退した最大の原因は農兵達に戦闘意欲が無いためであった。」
 壱岐韓国いきのからくにの隊が敗退したいきさつを検証すると,農兵達が戦場離脱をはかったことが最大の敗因であったことは,誰もが認めていた。犬養五十君いぬかいいそきみが話を続けた。
「そこで,この度の闘いでは農兵達を頼りとせず,精兵による奇襲攻撃によって敵を撹乱した後,全軍を突入させ,一気に大倭古京やまとこきょうへの道を開きたいと思うがいかがな。」
 犬養五十君いぬかいいそきみが将達に意見を求めると,誰よりも負けん気の強い廬井造鯨いおいのみやつこくじらが飛びついて来た。
「確かに。農兵達は朝廷によって徴兵されただけの兵達である。戦意を高騰させようとするのが所詮無理な話であろう。我に二百の兵を賜れば敵を撹乱してご覧にいれようぞ。」
くじら殿ならば将としての名も高い。くじら殿が奇襲攻撃隊の指揮を執っていただければ心強い。」
 廬井鯨いおいのくじらの自薦により,奇襲攻撃の将が決定した。しかし,犬養五十君いぬかいいそきみ廬井鯨いおいのくじらに与えた兵は,二百に満たなかった。
「五十君め,二百に満たぬ兵しか与えぬか。我を見込んでいるのか,愚弄ぐろうしておるのか分からぬわ。」
 犬養五十君いぬかいいそきみ廬井鯨いおいのくじらの力を信頼していたか,充てにしていなかったは定かではない。しかし,廬井鯨いおいのくじらは与えられた兵数で奇襲攻撃を敢行することを決し,犬養五十君いぬかいいそきみを見返してやろうと思っていた。

 村屋における作戦会議が終了した頃,上つ道ではすでに戦線が開かれていた。