蘇我果安
そがのはたやす
生没年
?〜672(
天武
てんむ
元年)
官 職
天智朝
てんじちょう
の官僚
経 歴
671年1月
巨勢人・
紀大人
きのうし
らと共に御史大夫となる。
671年11月
天智天皇
てんじてんのう
の病がいよいよ重くなった時,内裏西殿の織仏像の前で,太政大臣
大友皇子
おおとものみこ
・左大臣
蘇我赤兄
そがのあかえ
・右大臣
中臣金
なかとみのかね
らと共に天皇の
詔
みことのり
に違わないことを誓った。
672年6月
壬申の乱
じんしんのらん
勃発
ぼっぱつ
。
672年7月
山部王
やまべおう
・
巨勢人
こせのひと
らと
不破宮
ふわのみや
を襲おうとして,
犬上川
いぬかみがわ
のほとりに出陣したが,内訌を生じ,山部王を殺害。犬上川から大津京に戻り,自殺。
乱後,果安の子は
流罪
るざい
に処せられた。
大和の歴史