蘇我赤兄そがのあかえ

生没年 623(推古1年)〜672(天武1年)
官 職 斉明さいめい天智てんむ朝の官僚
家 系 蘇我馬子そがのうまこの孫。倉麻呂の子。蘇我常陸娘・石川大ぬ娘の父
経 歴
658年 10月,斉明天皇さいめいてんのう紀温湯行幸きのゆみゆきに際し,留守司るすつかさとなる。
11月,斉明天皇さいめいてんのうの失政3か条をあげて有馬皇子に近づき,皇子に謀叛の心があるとして,兵を起こして皇子を捕らえ,紀温湯きのゆに護送した。
669年 1月,筑紫率つくしのそち
671年1月,左大臣となる。
11月,天智天皇てんじてんのうの病がいよいよ重くなった時,内裏西殿の織仏像の前で,太政大臣大友皇子おおとものみこ・右大臣中臣金なかとみのかねらと天皇のみことのりたがわざることを誓約。
672年 8月,壬申の乱じんしんのらんに敗れ,子孫らと共に配流され,同年中に死亡したか。
なお娘の常陸娘ひたちのいらつめ天智天皇ひんとなって山部皇女やまべのひめみこを,石川大ぬ娘は天武天皇てんむてんのうの夫人となり,穂積皇子ほづみのみこ紀皇女きのひめみこ・田形皇女らを生んだ。

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