| 経 歴 |
| 658年 | 10月,斉明天皇の紀温湯行幸に際し,留守司となる。 11月,斉明天皇の失政3か条をあげて有馬皇子に近づき,皇子に謀叛の心があるとして,兵を起こして皇子を捕らえ,紀温湯に護送した。 |
| 669年 | 1月,筑紫率。 |
| 671年 | 1月,左大臣となる。 11月,天智天皇の病がいよいよ重くなった時,内裏西殿の織仏像の前で,太政大臣大友皇子・右大臣中臣金らと天皇の詔に違わざることを誓約。 |
| 672年 | 8月,壬申の乱に敗れ,子孫らと共に配流され,同年中に死亡したか。 なお娘の常陸娘は天智天皇の嬪となって山部皇女を,石川大ぬ娘は天武天皇の夫人となり,穂積皇子・紀皇女・田形皇女らを生んだ。 |
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