大野果安おおのはたやす

生没年 不明
官 職 7世紀後半,壬申の乱じんしんのらん近江朝おうみちょう軍の武将。
家 系 大野東人あずまんどの父
経 歴
672年7月 大海人皇子おおあまのみこ天武天皇てんむてんのう)側の倭古京やまとこきょう将軍大伴吹負おおとものふけい乃楽山ならやま(奈良市北方の丘陵地帯)で交戦し,これを撃破。
さらに八口やくち(飛鳥の香具山付近か)に追い至ったが,飛鳥古京を見下ろすと街ごとに楯を立ててあったので,伏兵を恐れて引上げた。
続日本紀しょくにほんぎ」の東人の薨伝がでんには,その父果安を飛鳥朝廷糺職大夫直広肆とするから,壬申の乱後,果安は処罰を受けることはなかったらしい。
684年11月 大野君は朝臣あそんに改姓した。

大和の歴史

Ao's Homepage