| 経 歴 |
| | 吹負は兄の馬来田とともに,病と称して近江から倭の家に退き,時節を待っていた。 |
| 672年6月 | 大海人皇子(天武天皇)が吉野宮から東国へ脱出したとの報を受けると,同族の大伴安麻呂や倭漢氏らと協力して倭京を占拠。三輪氏や鴨氏を配下に収め,大海人皇子から倭京将軍に任命された。乃楽山の闘いで近江の将大野果安に敗れた。しかし東道将軍紀阿閇麻呂の別働隊置始菟(おきそめのうさぎ)の救援をえて陣容を立て直し,当麻衢(たいまのちまた)や上・中・下三道での闘いで近江軍を破った。ついで難波に至って小郡に留まり,以西の諸国司に命じて官鑰(かぎ)・駅鈴・伝印(つたいのしるし)を進上させ,不破宮に向かった。 壬申の乱後の経歴はさだかでない。 |
| 683年8月 | 没した。壬申年の功により,大錦中を授けられた。 |
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