大伴吹負
おおとものふけい

生没年 ?〜683(天武12年)
官 職 壬申の乱の功臣
家 系 大伴咋(くい)の子。馬来田(まぐた)の弟。
牛養の父。
男吹負・小吹負
経 歴
  吹負は兄の馬来田とともに,病と称して近江から倭の家に退き,時節を待っていた。
672年6月大海人皇子(天武天皇)が吉野宮から東国へ脱出したとの報を受けると,同族の大伴安麻呂や倭漢氏らと協力して倭京を占拠。三輪氏や鴨氏を配下に収め,大海人皇子から倭京将軍に任命された。乃楽山の闘いで近江の将大野果安に敗れた。しかし東道将軍紀阿閇麻呂の別働隊置始菟(おきそめのうさぎ)の救援をえて陣容を立て直し,当麻衢(たいまのちまた)や上・中・下三道での闘いで近江軍を破った。ついで難波に至って小郡に留まり,以西の諸国司に命じて官鑰(かぎ)・駅鈴・伝印(つたいのしるし)を進上させ,不破宮に向かった。
壬申の乱後の経歴はさだかでない。
683年8月没した。壬申年の功により,大錦中を授けられた。

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