かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の  2007年5月17日  磐媛陵(奈良県奈良市)

■ご紹介したい万葉集の歌


   かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の
   かくばかり こひつつあらずは たかやまの

              磐根し枕きて 死なましものを
              いはねしまきて しなましものを

                              磐姫皇后
                     いはのひめのおほきさき
                               巻2 86



■原文と読み
 如此許 戀乍不有者 高山之 磐根四巻手 死奈麻死物呼
 かくばかり こひつつあらずは たかやまの いはねしまきて
 しなましものを


■大意
 こんなにも恋し慕っていずに、高い山の磐を枕にして死んでしまえばよかったものを !


 「磐姫皇后、天皇(すめらみこと)を思(しの)ひたてまつる御作歌(みうた)四首」という題詞のついた歌のなかの一首。
磐姫は大和朝廷を支えた大豪族葛城氏の出身で仁徳天皇の奥さんになった人です。
とにかく、たいへんなやきもち焼きで嫉妬深い女性として有名です。
古事記はこう語っています。

 天皇のほかの妃(みめ)たちは、皇后のたいへなやきもちのために宮中に入ることができません。
他の妃が、普通と違ったそぶりでもしょうものなら、皇后は地団駄(じだんだ)ふむばかりに嫉妬したといいます。
 こういうこともありました。天皇は、吉備の海部(あまべ)の直(あたへ)のむすめで黒ひめという人が容姿端正だとお聞きになってお召し寄せになったけれども、黒ひめはその皇后の嫉(そね)みを畏れて郷里へ逃げかえってしまったという。


■皇后の御綱葉(みつなかしは)海上投棄事件

日本書紀、仁徳三十年秋九月の条に
 三十年の秋九月の乙卯(きのとのう)の朔(ついたち)乙丑(このとのうしのひ)に、皇后、紀国(きのくに)に遊行(い)でまして、熊野岬(くまののみさき)に到りて、即(すなは)ち其の処の御綱葉(みつなかしは)を取りて還(かへ)りませり。
是(ここ)に、天皇、皇后の不在(ましまさぬとき)を伺(うかが)ひて、八田皇女(やたのひめみこ)を娶(め)して、宮(おほみや)の中(うち)に納(めしい)れたまふ。
時に皇后、難波濟(なにはのわたり)に到りて、天皇、八田皇女を合(め)しつと聞(きこ)しめして、大(おほ)きに恨(うら)みたまふ。則(すなは)ち其の採(と)れる御綱葉(みつなかしは)を海に投(なげい)れて、とまりたまはず。・・・略・・・
湲(ここ)に天皇、皇后の忿(いか)りてとまりたまはぬことを知(しろ)めさず。
皇后の船(みふね)を待(ま)ちたまふ。・・・略・・・
宮室(おほとの)を筒城岡(つつきのをか)の南に興(つく)りて居(ま)します。・・・略・・・
乗輿(すめらみこと)、筒城宮に詣(いた)りて、皇后(きさき)を喚(め)したまふ。皇后、参見(まゐあ)ひたまはず。・・・略・・
時に皇后、奏(まう)さしめたまひて言(まう)したまはく、
「 陛下(きみ)、八田皇女(やたのひめみこ)を納(めしい)れて妃(みめ)としたまふ。其(そ)れ皇女(ひめみこ)に副(そ)ひて后(きさき)たらまく欲(ほり)せじ 」
とまうしたまひて、遂(つひ)に奉見(まゐあ)ひたまはず。
乃(すなは)ち車駕(すめらみこと)、宮(おほみや)に還(かへ)りたまふ。・・・略・・・
三十五年の夏六月に、皇后(きさき)磐之媛命(いはのひめのみこと)、筒城宮に薨(かむさ)りましぬ。
三十七年の冬十一月の甲戌(きのえいぬ)の朔乙酉(きのとのとりのひ)に、皇后を乃羅山(ならのやま)に葬(はぶ)りまつる。

皇后はわざわざ紀の国の熊野の岬までいって御綱葉を取ってきたのに、皇后の留守中に夫の仁徳が八田皇女を娶しつと聞き、
たいへん恨んで、採ってきた御綱葉を海に投げ入れてしまいました。
そして宮中には戻らず、ならの山を越えて、山背国(やましろのくに)、今の京都府田辺町あたりに筒城宮(つつきのみや)を造って住んだといます。
夫の仁徳が皇后のもとへ迎えに行ったけれども二度と宮中には戻ることなく、皇后はこの筒城宮で亡くなりました。
ここでご紹介しました万葉歌はこの筒城宮で詠われたのでしょうか。
愛する夫が迎えにきても、意地を張って宮中に戻らなかった磐姫(いはのひめ)。
それでいて死ぬまで夫である仁徳を愛した女性。
平城宮跡の北のなだらかな平城山(ならやま)。
その平城山の佐紀丘陵にある磐媛陵(いわのひめのみささぎ)に磐姫皇后は静かに眠っています。

 最後に皇后が那羅山(ならのやま)を越えて、葛城(かづらき)を望(のぞ)んだ時、作った歌をご紹介します。


  つぎねふ  山背河を  宮泝り  我が泝れば
  つぎねふ やましろがはを みやのぼり わがのぼれば

  青丹よし  那羅を過ぎ  小盾  倭を過ぎ
  あおによし ならをすぎ をだて やまとをすぎ

  我が見が欲し国は  葛城高宮  我家のあたり
  わがみがほしくには かづらきたかみや わぎへのあたり

                              磐姫皇后
                        日本書紀 歌謡55

 難波の宮を通りすぎて、山背河を溯ると、奈良を過ぎ、倭を過ぎ、私の見たいと思う国は、葛城の高宮の、我が家のあたりです。

■かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の
                            2007年5月17日
                   磐媛陵(いわのひめのみささぎ)
                             奈良県奈良市




■秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞


  秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞
  あきのたの ほのへにきらふ あさがすみ

             何處邊の方に わが恋ひ止まむ
             いづへのかたに わがこひやまむ

                              磐姫皇后
                               巻2 88


 秋の田の穂の上に立ちこめている朝霧がやがて消えて行くように、どちらの方に私の恋は消えて行くのだろうか。思いは凝って、晴れることがない。

                            2006年10月13日
                             奈良県葛城市




■御綱葉(みつなかしは)
                          串本町指定文化財
 記紀にいう御綱葉は「16代仁徳天皇の皇后磐之媛が豊楽(とよのあかり)(宮中での酒宴)をなさろとして熊野岬へ御綱葉を採りにこられた」とあります。
古代のロマンを秘めて幾星霜を温存されてきた植物であり、当地ではこの「マルバチシヤの木」を御綱葉と言い伝えてきました。

                           2007年10月15日
                潮御崎神社(和歌山県串本町潮岬)

 


 素朴な疑問
 磐姫皇后はどうしてわざわざ熊野岬まで御綱葉を採りに行かれたのでしょうか?
ただの豊楽(とよのあかり)のために・・・


■アクセス
 磐媛陵へはJR近鉄奈良駅から自衛隊行バスで約12分。終点下車。


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