木製の鳥形埴輪が出土   市尾墓山古墳(いちおはかやまこふん) (奈良県高取町(たかとりちょう))
■鳥形埴輪が出土

 2005年11月24日、奈良県高取町 市尾墓山古墳(6世紀前半)の周濠から鳥形など木製品十数点が出土したと町教育委員会が発表。見つかったのは木製の鳥形埴輪の胴体部分で、この木製品が見つかった周辺からは、棒も3本出土しました。
翼の木片と組み合わせ、棒を支柱にして、古墳の周囲に突き立てたとみられます。
 出土した木製品はコウヤマキの木でできており、頭、胴体、尾羽を表現。全長110センチ、胴の幅27センチ、尾羽の幅40センチ、翼の部分は見つかりませんでしたが、木製品の下面には翼をはめ込むための約30センチ幅のくぼみがあります。


■出土した鳥形木製品を見た時、脳裏に浮かんだ万葉集の歌


   鳥翔成 あり通ひつつ 見らめども
   つばさなす ありがよひつつ みらめども

             人こそ知らね 松は知るらむ
             ひとこそしらね まつはしるらむ

                           山上憶良
                           巻2 145


■原文と読み
 鳥翔成 有我欲比管 見良目杼母 人社不知 松者知良武
 つばさなす ありがよひつつ みらめども ひとこそしらね
 まつはしるらむ


■大意
 有間皇子のみ魂は鳥となって、常にこのあたりの空を通って見ているだろうが、人こそそれを知らなくても、結び松はよく知っている。

 憶良は死者の魂が鳥と成って飛翔し、黄泉の国と現世とを常に行き来していると考えていたようです。
有間皇子については、ご紹介しなければと思いますが、このページのピントがボケるため次の機会とします。


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 一書曰近江天皇聖躰不豫御病急時太后奉獻御歌一首

    青旗の 木旗の上を かよふとは
    あをはたの こはたのうへを かよふとは

             目には見れども 直に逢はぬかも
             めにはみれども  ただにあはぬかも

                                倭姫王
                        (やまとのひめみこ)
                             巻2 148


■原文と読み
 青旗乃 木旗能上乎 賀欲布跡羽 目尓者雖視
 あをはたの こはたのうへを かよふとは めにはみれども
 直尓不相香裳
 ただにあはぬかも


■通釈 (岩波書店 日本古典文学大系 万葉集一より)
 山科の木幡のあたりを御魂は通っておられると目には見えるけれど、もはや直接には天皇にお逢い出来ないことである。

○木幡ー京都府宇治市北方の地。集中に山科の木幡の山とある。天智天皇の陵は山科陵(京都市東山区)という。木(コ)は乙類ゆえ小旗の意でない。

 「 集中に山科の木幡の山とある 」 というのは万葉集巻11 2425の歌のことです。参考にご紹介しておきます。

   山科の 木幡の山を 馬はあれど
   やましなの こはたのやまを うまはあれど

            歩ゆわが来し 汝を思ひかね
            かちゆわがこし なをおもひかね

                              作者未詳
                            巻11 2425

 大意−山科の木幡の山を、馬があればいいでしょうけれど、
     歩いてやって来ました。あなたを思って耐えがたくて。

大半の万葉集関係の書は、この通釈とほぼ同じような意味を書いています。


■この通釈に持つ私の素朴な疑問
 題詞に「一書に曰はく、近江天皇(あふみのすめらみこと)、
聖躰(をんみ)不豫御病(みやまひ)急(には)かなる時、大后(おほきさき)の奉獻(たてまつ)る御歌一首」とあって、
この歌は近江宮か「近江の海」(琵琶湖)が見える場所で営まれたと推測される「殯宮」(もがりのみや)で詠われたはず、どうして京都府宇治市の地名「山科の木幡」がでてくるのでしょうか?
近江天皇とは天智天皇のこと。「殯宮」とは埋葬するまでの間、遺体を棺に入れたまま安置しておく仮の宮。
死の確認と鎮魂を行う儀式を殯(もがり)といい、この間、なお魂の復活がありうると信じられていました。

 私は「青旗」、「木旗」とは殯宮周辺に葬送儀礼用に立てられた「青色の旗」「木製の旗」のことではないかと考えています。
「青旗の 木旗の上を かよふとは」というのは青い旗や木製の旗が立ち並ぶ上を天皇の御魂が鳥となって飛翔する姿を詠っているのではないでしょうか。御魂が鳥となって飛び交っているのだから目にみえるのです。通釈の「御魂は通っておられると目には見えるけれど」というのは、おかしい。見えるはずがない!

岩波書店 日本古典文学大系 万葉集一のこの歌の注釈に
○死人の魂が天がけることは145(前のご紹介した歌)に見えていた。古代人はそう信じていたのである。単なる想像や譬喩(ひゆ)ととったのでは、この歌の真意はつかめない。
とも書いています。私もその通りだと思います。

 ただ、私が言いたいのは大后は目の前で起きている光景、そのままに歌に詠っているということです。


■私流の大意
 青い旗や木製の旗が立ち並ぶ上を天皇の御魂が鳥となって飛び交っている。そのお姿は目にはみえますが、もはや直接にはあなたにお逢い出来なくなってしまいました ・・・
■市尾墓山古墳の周濠から出土した木製の鳥形埴輪

                         2005年11月27日(日)
             市尾墓山古墳 現地見学会 公開写真より
                        高取町教育委員会提供



■奈良県橿原市四条遺跡の古墳周濠から出土した木製品の樹立状況復元イメージ図

                  奈良県立橿原考古学研究所提供

 四条遺跡第27次調査では鳥形木製品1点、笠形木製品4点、棒状木製品1点、柱状木製品1点、不明木製品2点の木製品が出土しました。鳥形木製品は胴部中央の横長の穴に翼部分が差し込まれた状態で出土し、笠形木製品は4点出土のうち3点が柄とセットを示すように出土。特に東端の笠形木製品は笠に柄が装着されたままの状態で出土しました。上の図はその樹立状況を復原したイメージ図です。


■国史跡 市尾墓山古墳
 案内板によると
 『 一名、官司塚古墳ともよばれる西向きの前方後円墳で、周濠と外堤をそなえている。墳丘は長さ約66メートル、後円部の径約38メートル、同高さ約9メートル、前方部の幅約48メートル同高さ約9メートルで二段に築成され、南側のくびれ部には造り出しがみられる。 墳丘の周囲には、幅6〜10メートルの空濠がめぐらされ、その外側を幅7.5〜12メートル、高さ約3メートルの外堤がとりかこんでいる。 墳丘には葺石・埴輪がある。1978年に後円部の横穴式石室が調査され、玄室は長さ5.9メートル、幅2.6メートルの細長い右片袖式石室である。石室内には、凝灰岩製の刳り貫きの家形石棺があった。 出土品は、土器と角角装の鉄刀片や馬具・玉類など多く出土した。 前方後円墳の形や出土遺物から6世紀初頭の古墳である。 この古墳は南大和の古代豪族巨勢氏と関係するものと考えられている。 周濠・外堤をそなえた数少ない典型的な後期の前方後円墳として貴重なので1981年に国の史跡に指定された。
                          高取町教育委員会 』



■市尾墓山古墳 石室


■アクセス
 市尾墓山古墳は近鉄吉野線市尾駅から徒歩約10分です。

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  大后の御歌一首

    鯨魚取り 淡海の海を 
    いさなとり あふみのうみを

    沖放けて 漕ぎ来る船 辺つきて 漕ぎ来る船
    おきさけて こぎくるふね へつきて こぎくるふね

    沖つ櫂 いたくな撥ねそ 辺つ櫂 いたくな撥ねそ
    おきつかい いたくなはねそ へつかい いたくなはねそ

    若草の 夫の 思ふ 鳥立つ
    わかくさの つまの おもふ とりたつ

                                    倭姫王
                            (やまとのひめみこ)
                                  巻2 153


■原文と読み
 鯨魚取 淡海乃海乎 奥放而 榜来船 邊附而 榜来船
 いさなとり あふみのうみを おきさけて こぎくるふね へつきて こぎくるふね
 奥津加伊 痛勿波祢曽 邊津加伊 痛莫波祢曽 若草乃 嬬之 念鳥立
 おきつかい いたくなはねそ へつかい いたくなはねそ わかくさの つまの おもふとりたつ


■大意
 淡海の海を 遠くの沖から漕ぎ来る船 岸辺に沿って漕ぎ来る船 
 沖の櫂よ ひどく水を撥ねないでおくれ
 岸辺の櫂よ ひどく水を撥ねないでおくれ
 夫の・・・ 思っている鳥が・・・ 飛び立つから・・・


 この歌は「天皇の大殯(おほあらき)の時の歌二首」と題した額田王・舎人吉年の歌の後に
「大后の御歌一首」として載っている歌です。

日本書紀によると
天智10年(671)9月に、天皇寝疾不豫(みやまひ)したまふ。
冬10月7日天皇、疾病(みやまひ)彌留(おも)し。
12月3日天皇、近江宮(あふみのみや)に崩(かむあが)りましぬ。11日に新宮に殯(もがり)す。
とあるから、これは12月11日以降に詠われたのでしょう。

初句の「鯨魚取り」は海にかかる枕詞。広い淡海の海を連想させます。
「沖放けて 漕ぎ来る船」 と 「辺つきて 漕ぎ来る船」は対句で、
「沖つ櫂 いたくな撥ねそ」 と 「辺つ櫂 いたくな撥ねそ」の対句でうけています。
言い換えと繰り返しによって云いたい事を強調しています。
「若草の」は「つま」にかかる枕詞。若草のやわらかくしなやかなのを「つま」にたとえています。
「な撥ねそ」の 「な・・・そ」 は倭姫王の優しい気持ちが表現されてて、音声そのままを聞いているようで、
つづく 「若草の・・・ 夫の・・・ 思ふ・・・ 鳥立つ」と、途切れ途切れに、つぶやくように言っているあたり、
倭姫王のどうしょうもない嘆き、別れの悲しみが伝わってきます。呆然として淡海の海を眺める姿さえ浮かんできます。


■この歌に持つ私の幻想

 淡海の海 岸辺に佇み涙する皇后 倭姫王(やまとのひめみこ)

 広い淡海の海
 沖はるかから漕ぎ寄ってくる船 岸に沿って漕ぎ寄ってくる船
 この船はただの船ではない 黄泉の国から夫を連れ去りに来た船 
 波ひとつなく静まり返る湖面 漕ぎ近づく櫂だけが水を撥ねる
 沖つ櫂よ いたくな撥ねそ お願いだから
 辺つ櫂よ いたくな撥ねそ お願いだから
 いたくな撥ねそ・・・ 夫の・・・ 愛している鳥・・・ 鳥となった夫の御魂が・・・ 驚いて・・・ 飛び立ってしまうから・・・黄泉の国へと


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