安太人の 魚梁うち渡す(あだひとの やなうちわたす)   奈良県五條市南阿田町(ごじょうし みなみあだちょう)

■ご紹介したい万葉集の歌


   安太人の 魚梁うち渡す 瀬を速み
   あだひとの やなうちわたす せをはやみ

             心は思へど 直に逢はぬかも
             こころはもへど ただにあはぬかも

                               作者不詳
                             巻11 2699


■原文と読み
 安太人乃 八名打度 瀬速 意者雖念 直不相鴨
 あだひとの やなうちわたす せをはやみ こころはもへど
 ただにあはぬかも


■大意
 安太人の魚梁(やな)を打つ瀬の流れが激しいように、周りの事情がきびしく、心に思っておりますが直接にお逢いすることができません。


 「安太人」は安太(あだ)に住んでいる人の意で、魚梁(やな)を打つことで知られていたようです。日本書紀にも阿太の鵜飼の祖先が、梁を打って魚を取っていたと記録されています。
安太は、いま東阿田・西阿田・南阿田として地名が残っていますが、万葉集に詠われている安太はもっと広く、下市町から五條市に至る吉野川沿いの地だと考えられます。
近鉄吉野線下市口駅から国道370号線を和歌山方面へ、吉野川の瀬に沿うて、2つ目の橋「梁瀬橋」を渡って右へ、そこから山沿いに2kmほど行くと源竜寺(げんりゅうじ)というお寺があります。南阿田の「流し雛」の看板がありますのですぐわかります。この辺りが南阿田町です。

 この歌は、周囲の事情を激しい瀬の流れに喩えています。「魚梁うち渡す 瀬を速み」というあたり、実感がこもっていて、作者はたぶん梁漁に従事したことがある男性でしょう。油断すれば足を取られそうな急な流れに、二人を取り巻く事情の厳しさを喩えています・・・どうも二人の関係は回りに祝福されていないようです。


 梁漁(やなりょう)とは漁法のひとつで、川に杭を打ちならべて水をせき止め、一部分をあけ、そこに竹を並べた大きな簀(す)を掛け、ここに落ちてくる水をこして簀の上に残る魚を捕らえるしかけのことで、杭を打つのでヤナヲウツといいます。


 日本書紀 神武天皇 即位前紀八月の条

 水(かは(吉野川))に縁(そ)ひて西(にしのかた)に行きたまふに及(およ)びて、亦梁(やな)を作(う)ちて取魚(すなどり)する者(もの)有り。
梁、此をば揶(や)奈(な)と云ふ。
天皇(すめらみこと)問ひたまふ。對へて曰さく、「臣(やつかれ)は是(これ)苞苴擔(にへもつ)が子なり」とまうす。
苞苴擔、此をば珥(に)倍(へ)毛(も)菟(つ)と云ふ。
此ち阿太(あだ)の養鵜部(うかひら)が始祖(はじめのおや)なり。



■南阿田の「流し雛」
 毎年4月の第1日曜日に行われる春の風物詩。
晴れ着姿の女の子たちが川原で、「 流し雛さま、私たち今までの罪汚れを吉野川の流れの上に、おとき下さいまして、清く、正しく、明るく健やかに育ちますようにお願い致します。どうか私達の切なる願いをおききどけ下さいませ。 」
と願いの文を読み上げたあと、川辺にかがんで、千代紙で作った手作りの雛人形を竹の皮の舟に乗せ、願い事を書いた短冊を添えて吉野川に流し、手を合わせます。
 「 流し雛 」 の古い記録は、源氏物語須磨の巻に光源氏が巳の日に小竹に雛を乗せて流したとあります。
女の子の病封じを願うだけでなく、いにしえより伝わる「みそぎ」の行事でもあります。


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■吉野川
                        奈良県五條市南阿田町
                            2006年4月23日



■やな魚(やなりょう)  期間 9月上旬〜10月下旬
 秋口に産卵のために川を下る鮎の習性を利用した漁獲量の多い漁法。川幅を少し狭くして、両岸にまたがるようにやぐらを組み、その上に竹や葦(あし)をひもで編んだ、「やな」というすだれのようなものを置いて、川の流れと共にやなの上に自然に落ちる鮎を生け採るというものです。
                      奈良県五條市大川橋の下
                         2006年9月24日(日)



■南阿田の「流し雛」
                        奈良県五條市南阿田町
                              2006年4月2日