やすみしし 我が大君の 隠ります 天の八十蔭 出で立たす 御空を見れば


2010年9月19日  石舞台古墳(奈良県高市郡明日香村大字島庄)


推古天皇二十年(612)春(はる)正月(むつき)の辛巳(かのとのみ)の朔(ついたち)丁亥(ひのとのゐのひ)(7日)に、
置酒(おほみきをめ)して群卿(まへつきみたち)に宴(とよのあかり)す。
是の日に、大臣(おほおみ)、上寿(おほみさかづきたてまつ)りて歌(うた)ひて曰(まう)さく、


やすみしし 我が大君も 隠ります 天の八十蔭
やすみしし わがおほきみの かくります あまのやそかげ

出で立たす 御空を見れば 萬代に 斯くしもがも 千代にも 斯くしもがも
いでたたす みそらをみれば よろづよに かくしもがも ちよにも かくしもがも

みて 仕へ奉らむ 拝みて 仕へまつらむ 歌獻きまつる
かしこみて つかへまつらむ をろがみて つかへまつらむ うたづきまつる

                                       蘇我馬子
                                 日本書紀歌謡102


天皇(すめらみこと)、和(こた)へて曰(のたま)はく、


眞蘇我よ 蘇我の子らは 馬ならば 日向の駒 太刀ならば 呉の眞刀
まそがよ そがのこらは うまならば ひむかのこま たちならば くれのまさひ

諾しかも 蘇我の子らを 大君の 使はすらしき
うべしかも そがのこらを おほきみの つかはすらしき

                                       推古天皇
                                 日本書紀歌謡103


■原文
推古天皇二十年春正月の条
二十年春正月辛巳朔丁亥。置酒宴群卿。是日。大臣上寿。歌曰。
夜須瀰志斯  和餓於朋耆瀰能  訶勾理摩須  阿摩能椰蘇訶礙  異泥多多須  瀰蘇羅烏瀰禮麼
やすみしし  わがおほきみの  かくります  あまのやそかげ  いでたたす  みそらをみれば
予呂豆余珥  訶勾志茂餓茂  知余珥茂  訶勾志茂餓茂    
よろづよに  かくしもがも  ちよにも  かくしもがも    
訶之胡瀰弖  菟伽倍摩都羅武  烏呂餓瀰弖  菟伽倍摩都羅武  宇多豆紀摩都流  
かしこみて  つかへまつらむ  をろがみて  つかへまつらむ  うたづきまつる  
天皇和曰。
摩蘇餓予  蘇餓能古羅破  宇摩奈羅麼  譬武伽能古摩  多智奈羅麼  勾禮能摩差比
まそがよ  そがのこらは  うまならば  ひむかのこま  たちならば  くれのまさひ
宇倍之訶茂  蘇餓能古羅烏  於朋枳瀰能  菟伽破須羅志枳    
うべしかも  そがのこらを  おほきみの  つかはすらしき    


■大意
 わが大君の入られる広大な御殿、出て立たれる御殿を見ると、まことに立派である。
千代、万代に、こういう有様であって欲しい。
そうすれば、その御殿に畏み拝みながらお仕えしよう。
今私は慶祝の歌を献上します。(102)

蘇我の人よ。蘇我の人よ。お前は、馬ならばあの有名な日向の国の馬。
太刀ならばあの有名な呉国の真刀である。
そんなにすぐれた人物だから、蘇我の人を大君がお使いになるのも、もっともなことだ。






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