磯城島の 大和の国に 人ふたり ありとし思はば 何か嘆かむ


2009年2月22日  磯城島の大和の国(奈良県桜井市大字高家)


磯城島の 大和の国に 人さはに 満ちてあれども
しきしまの やまとのくにに ひとさはに みちてあれども

藤波の 思ひまつはり 若草の 思ひつきにし
ふぢなみの おもひまつはり わかくさの おもひつきにし

君が目に 恋ひや明かさむ 長きこの夜を
きみがめに こひやあかさむ ながきこのよを

                           作者未詳
                           巻13 3248

反歌

磯城島の 大和の国に 人ふたり
しきしまの やまとのくにに ひとふたり

            ありとし思はば 何か嘆かむ
            ありとしおもはば なにかなげかむ

                           作者未詳
                           巻13 3249


■原文と読み

式嶋之  山跡之土丹  人多  満而雖有
しきしまの  やまとのくにに  ひとさはに  みちてはあれども
藤浪乃  思纒  若草乃  思就西
ふぢなみの  おもひまつはり  わかくさの  おもひつきにし
君目二  戀八将明  長此夜乎  
きみがめに  こひやあかさむ  ながきこのよを  
 巻13 3248
反歌
式嶋乃  山跡乃土丹  人二
しきしまの  やまとのくにに  ひとふたり
有年念者  難可将嗟  
ありとしおもはば  なにかなげかむ  
 巻13 3249


■大意
 大和の国に人は多く満ちているけれど、私の心がまつわり付いてはなれない、美しいあなたの目を恋しく思って、この長い夜を明かすことでしょうか。(3248)
 この大和の国の中に私の恋しい人が二人あると思うのだったら、どうして嘆くことがありましょう。(3249)


■枕詞「しきしま」について
 「磯城島(しきしま)」はヤマトにかかる枕詞で、三輪山の山麓にある奈良県桜井市大字金屋付近の地名です。
崇神天皇はこの地に都を遷しました。「瑞籬宮」(みつかきのみや)と謂(い)います。
三輪山周辺には欽明天皇の「磯城島金刺宮」(しきしまのかなさしのみや)や景行天皇の纒向日代宮(まきむくのひしろのみや)、垂仁天皇の「纒向珠城宮」(まきむくのたまきのみや)、古墳では箸墓古墳やホケノ山古墳、崇神天皇陵、景行天皇陵、垂仁天皇陵など前方後円墳群が点在しています。
今、話題になっている纒向遺跡も三輪山の近くです。


磯城瑞籬宮・・・奈良県桜井市大字金屋付近に比定。
磯城島金刺宮・・・奈良県桜井市大字金屋付近に比定。
纒向日代宮・・・奈良県桜井市大字穴師付近に比定。
纒向珠城宮・・・奈良県桜井市大字穴師付近に比定。

『日本書紀』 崇神天皇三年秋九月の条
三年秋九月。遷都於磯城。是謂瑞籬宮。

崇神天皇が磯城に都を置いてから「磯城島」はヤマトにかかる枕詞となり、やがて日本の国号の別名と位置づけられるようになったと考えられます。
他、ヤマトにかかる枕詞としては「蜻嶋」(あきづしま)と「虚見津」(そらみつ)があります。


■崇神天皇磯城瑞籬宮跡
 (すじんてんのう しきのみつかきのみやあと)
                           2008年12月30日
            志貴御縣坐神社(奈良県桜井市大字金屋)



■枕詞「しきしまの」の表記

天平元年(729)己巳冬十二月歌一首
礒城嶋能  日本國乃  石上  振里尓 ・・・ 奈良県を指す。
「石上振里」は地名で、奈良県天理市布留町。
しきしまの  やまとのくにの  いそのかみ  ふるのさとに
   笠金村歌集 巻9 1787

式嶋之 山跡之土丹 人多 満而雖有 ・・・ 桜井市金屋付近を指す。
海石榴市(つばいち)の雑踏を連想させます。
しきしまの やまとのくにに ひとさはに みちてあれども
   作者未詳 巻13 3248

式嶋乃 山跡乃土丹 人二 有年念者 ・・・ 桜井市金屋付近を指す。
海石榴市(つばいち)の雑踏を連想させます。
しきしまの やまとのくにに ひとふたり ありとしおもはば
   作者未詳 巻13 3249

志貴嶋 倭國者 事霊之 所佐國叙 ・・・ 唐に対する日本国を指す。
しきしまの やまとのくには ことだまの たすくるくにぞ
   柿本人麻呂歌集 巻13 3254

礒城嶋之 日本國尓 何方 御念食可 ・・・ 挽歌。日本国を指す。
しきしまの やまとのくにに いかさまに おもほしめせか
   作者未詳 巻13 3326

廿七日林王宅餞之但馬按察使橘奈良麻呂朝臣宴歌三首
立別 君我伊麻左婆 之奇嶋能 人者和礼自久 ・・・ 但馬国に対する大和国。
たちわかれ きみがいまさば しきしまの ひとはわれじく
   大伴黒麻呂 巻19 4280
日本紀』天平勝宝四年(752)十一月乙巳の条
参議従四位上橘朝臣奈良麻呂為但馬因幡按察使。兼令検校伯耆。出雲。石見等国非違事。

喩族歌一首 天平勝宝8年(754)6月17日
之奇志麻乃 夜末等能久尓々 安伎良氣伎 名尓於布等毛能乎 ・・・ 神代より連綿と続く大和の国を指す。
しきしまの やまとのくにに あきらけき なにおふとものを
   大伴家持 巻20 4466



■ヤマトの表記
 万葉仮名におけるヤマトの表記は下表のとおりで、古事記・日本書紀・万葉集には「大和」という漢字表記は一つもありません。
『続日本紀』では和銅五年九月の条に「大和」と見えるのが最初です。
『続日本紀』和銅五年(712)九月の条
九月己巳。詔曰。故左大臣正二位多治比真人嶋之妻家原音那。贈右大臣従二位大伴宿禰御行之妻紀朝臣音那。並以夫存之日。相勧為国之道。夫亡之後。固守同墳之意。朕思彼貞節。感歎之深。宜此二人各賜邑五十戸。其家原音那加賜連姓。」又詔曰。朕聞。旧老相伝云。子年者穀実不宜。而天地垂祐。今茲大稔。古賢王有言。祥瑞之美、無以加豊年。況復、伊賀国司阿直敬等所献黒狐。即合上瑞。其文云。王者治、致太平。則見。思与衆庶共此歓慶。宜大赦天下。其強窃二盗、常赦所不免者。並不在赦限。但私鋳銭者。降罪一等。其伊賀国司目已上。進位一階。出瑞郡免庸。獲瑞人戸給復三年。又天下諸国今年田租。并大和。河内。山背三国調。並原免之。


■ヤマトの各巻の分布表
(巻) 山跡 日本 山常 夜麻登 夜麻等 夜萬登 夜末等 八間跡 也麻等 (計)
1 6 1 3 1         1   12
2 1 1                 2
3 2 2 5               9
4   2                 2
5 2                   2
6 3   3               6
7   3 1               4
8                     0
9   1 1               2
10   2                 2
11     1               1
12 1                   1
13 4 2 2               8
14         2           2
15         1 1       1 3
16                     0
17                     0
18                     0
19   3                 3
20         1   1 1     3
(計) 19 17 16 1 4 1 1 1 1 1 62


■古事記歌謡
 ヤマトの表記はすべて「夜麻登」である。
K016 夜麻登能 やまとの
K031 夜麻登波 やまとは
K031 夜麻登志宇流波斯 やまとしうるはし
K056 夜麻登弊邇 やまとへに
K057 夜麻登弊邇 やまとへに
K059 夜麻登袁須疑 やまとをすぎ
K072 夜麻登能久邇爾 やまとのくにに
K073 夜麻登能久邇爾 やまとのくにに
K098 夜麻登能久爾袁 やまとのくにを
K102 夜麻登能 やまとの
■日本書紀歌謡

N015 椰磨等那殊 やまとなす
N022 夜摩苔波 やまとは
N022 夜摩苔之 やまとし
N054 夜莽苔烏輸疑 やまとをすぎ
N062 揶莽等能區珥々 やまとのくにに
N063 椰莽等能倶珥々 やまとのくにに
N075 野麼等能 やまとの
N075 婀岐豆斯麻野麻登 あきづしまやまと
N075 野磨等能矩爾嗚 やまとのくにを
N084 野麻登陛爾 やまとへに
N100 耶魔等陛武岐底 やまとへむきて
N106 野麻騰能 やまとの


■ヤマトの抽出データ
 @「倭」 19例
番号 原文 読み 作者 題詞や左注等
29 倭乎置而 やまとをおきて 柿本人麻呂 過近江荒都時柿本朝臣人麻呂作歌。
35 倭尓四手者 やまとにしては 阿閇皇女 越勢能山時阿閇皇女御作歌。
64 倭之所念 やまとしおもほゆ 志貴皇子 慶雲三年(706)丙午幸于難波宮時。志貴皇子御作歌。
70 倭尓者 やまとには 高市黒人 太上天皇幸于吉野宮時高市連黒人作歌。
71 倭戀 やまとこひ 忍坂部乙麻呂 大行天皇幸于難波宮時歌。
73 倭有 やまとなる 長皇子 大行天皇幸于難波宮時歌。
105 倭邊遣登 やまとへやると 大伯皇女 藤原宮御宇天皇代。
天皇謚曰持統天皇元年(687)丁亥十一年(697)譲位軽太子尊号曰太上天皇也。
255 倭嶋所見 やまとしまみゆ 柿本人麻呂 柿本朝臣人麻呂覊旅歌八首。
280 倭部早 やまとへはやく 高市黒人 高市連黒人歌二首。
894 倭國者 やまとのくには 山上憶良 好去好来歌一首。反歌二首。
天平五年三月一日良宅對面獻三日 山上憶良謹上 大唐大使卿記室。(天平5年(733)3月1日)
894 やまとの 山上憶良 好去好来歌一首
944 倭邊上 やまとへのぼる 山部赤人 過辛荷嶋時山部宿祢赤人作歌一首[并短歌]。反歌三首
954 倭部越 やまとへこゆる 膳王 膳王歌一首
966 倭道者 やまとぢは 児島 冬十二月大宰帥大伴卿上京時娘子作歌二首。(天平2年(730)12月)
3128 倭路 やまとぢの 柿本人麻呂歌集  
3236 倭國 やまとのくに 作者未詳  
3250 倭之國者 やまとのくには 作者未詳  
3254 倭國者 やまとのくには 柿本人麻呂歌集  
3333 倭雄過而 やまとをすぎて 作者未詳  

 A「山跡」 17例
1 山跡乃國者 やまとのくには 雄略天皇 雜歌。 泊瀬朝倉宮御宇天皇代。大泊瀬稚武天皇。天皇御製歌。
91 山跡有 やまとなる 天智天皇 近江大津宮御宇天皇代。天命開別天皇 謚曰天智天皇。天皇賜鏡王女御歌一首。
303 山跡嶋根者 やまとしまねは 柿本人麻呂 柿本朝臣人麻呂下筑紫國時海路作歌二首。
319 山跡國乃 やまとのくにの 高橋虫麻呂 詠不盡山歌一首。并短歌。
551 山跡道之 やまとぢの 石川足人 五年戊辰大宰少貳石川足人朝臣遷任餞于筑前國蘆城驛家歌三首。(神亀5年(728))
570 山跡邊 やまとへに 麻田陽春 大宰帥大伴卿被任大納言臨入京之時府官人等餞卿筑前國蘆城驛家歌四首。(天平2年(730)12月)
1219 山跡之所念 やまとしおもほゆ 藤原房前 覊旅作。
1221 自山跡 やまとより 藤原房前 覊旅作。
1376 山跡之 やまとの 作者未詳 寄赤土。
1677 山跡庭 やまとには 作者未詳 大寳元年(701)辛丑冬十月太上天皇大行天皇幸紀伊國時歌十三首。
1956 山跡庭 やまとには 作者未詳 詠鳥。
2128 山跡部越 やまとへこゆる 作者未詳 詠鴈。
3248 山跡之土丹 やまとのくにに 作者未詳 相聞。
3249 山跡乃土丹 やまとのくにに 作者未詳 相聞。反歌。
4245 山跡乃國 やまとのくに 作者未詳 天平五年(733)贈入唐使歌一首。
4254 山跡國乎 やまとのくにを 大伴家持 向京路上依興預作侍宴應詔歌一首。(天平勝宝3年8月5日)。
4264 山跡乃國波 やまとのくには 孝謙天皇 勅従四位上高麗朝臣福信遣於難波賜酒肴入唐使藤原朝臣清河等御歌一首。(天平勝宝4年(752)閏3月)

 B「日本」 16例
44 日本能不所見 やまとのみえぬ 石上麻呂 (幸于伊勢國時)石上大臣従駕作歌。
右日本紀曰。朱鳥六年(692)壬辰春三月丙寅朔戊辰浄<廣>肆廣瀬王等為留守官。
於是中納言三輪朝臣高市麻呂脱其冠位■上於朝。
52 日本乃 やまとの 作者未詳 藤原宮御井歌。
63 早日本邊 はやくやまとへ 山上憶良 山上臣憶良在大唐時憶本郷作歌。
359 日本師所念 やまとしおもほゆ 山部赤人 山部宿祢赤人歌六首。
366 日本嶋根乎 やまとしまねを 笠金村 角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首。并短歌。
367 日本思櫃 やまとしのひつ 笠金村 角鹿津乗船時笠朝臣金村作歌一首。并短歌。
389 日本戀久 やまとこほしく 作者未詳 羈旅歌一首。并短歌。反歌。右歌若宮年魚麻呂誦之。但未審作者。
475 大日本 おほやまと 大伴家持 十六年甲申春二月安積皇子薨之時内舎人大伴宿祢家持作歌六首。(天平16年(744))
956 日本毛此間毛 やまともここも 大伴旅人 帥大伴卿和歌一首。
967 日本道乃 やまとぢの 大伴旅人 大納言大伴卿和歌二首。
1047 日本國者 やまとのくには 田辺福麻呂歌集 悲寧樂故郷作歌一首。并短歌。
1175 日本之所念 やまとしおもほゆ 作者未詳 覊旅作。
1787 日本國乃 やまとのくにの 笠金村歌集 天平元年(729)己巳冬十二月歌一首。并短歌。
2834 日本之 やまとの 作者未詳 譬喩。
3295 日本之 やまとの 作者未詳  
3326 日本國尓 やまとのくにに 作者未詳  

 C「山常」 1例
   2 山常庭 やまとには 舒明天皇 高市岡本宮御宇天皇代。息長足日廣額天皇。天皇登香具山望國之時御製歌。

 D一字一音
3363 夜麻登敝夜利弖 やまとへやりて 作者未詳 右十二首相模國歌。
3457 夜麻登女乃 やまとめの 作者未詳 (東歌)
3648 夜麻登思麻見無 やまとしまみむ 作者未詳 佐婆海中忽遭逆風漲浪漂流經宿而後幸得順風到著豊前國下毛郡分間浦。
於是追怛艱難悽惆作八首。(天平8年(736))
4487 夜麻登之麻祢波 やまとしまねは 藤原仲麻呂 天平寶字元年(757)十一月十八日於内裏肆宴歌二首。
2 八間跡能國者 やまとのくには 舒明天皇 高市岡本宮御宇天皇代。息長足日廣額天皇。天皇登香具山望國之時御製歌。
3608 夜麻等思麻見由 やまとしまみゆ 柿本人麻呂 當所誦詠古歌。(天平8年(736))
3688 也麻等乎毛 やまとをも 作者未詳 到壹岐嶋雪連宅満忽遇鬼病死去之時作歌一首。并短歌。(天平8年(736))
4465 夜萬登能久尓乃 やまとのくにの 大伴家持 喩族歌一首。并短歌。
右縁淡海真人三船讒言出雲守大伴古慈斐宿祢解任。是以家持作此歌也。
以前歌六首六月十七日大伴宿祢家持作。(天平勝宝8年(756)6月17日)
4466 夜末等能久尓〃 やまとのくにに 大伴家持 喩族歌一首。并短歌。


■ヤマトにかかる枕詞「あきづしま」と「そらみつ」。その由来。

『日本書紀』神武天皇31年4月の条
三十有一年夏四月乙酉朔。皇輿巡幸。因登腋上 間丘。而廻望国状曰。妍哉乎国之獲矣。妍哉・・・此云鞅奈珥夜。
雖内木錦之真■国。猶如蜻蛉之臀 焉。由是始有秋津洲之号也。
昔伊弉諾尊目此国曰。日本者浦安国。細戈千足国。磯輪上秀真国。秀真国・・・此云袍図莽句爾。
復大己貴大神目之曰。玉牆内国。
及至饒速日命乗天磐船。而翔行太虚也。睨是郷而降之。故因目之曰虚空見日本国矣。

読み下し文
三十有一年の夏四月(うづき)の乙酉(きのとのとり)の朔(ついたちのひ)に、皇(すめらみこと)輿巡(めぐ)り幸(いでま)す。
因りて腋上(わきがみ)のほほまの丘(をか)に登(のぼ)りまして、国(くに)の状(かたち)を廻(めぐ)らし望(のぞ)みて曰(のたま)はく、
「 妍哉乎(あなにや)、国(くに)を獲(え)つること。妍哉・・・此をば鞅奈珥夜(あなにや)と云ふ。
内木錦(うつゆふ)の真■国(まさきくに)と雖(いへど)も、蜻蛉(あきづ)の臀(と)なめの如(ごと)くにあるかな 」とのたまふ。
是(これ)に由(よ)りて、始(はじ)めて秋津洲(あきづしま)の号(な)有り。
昔(むかし)、伊弉諾尊(いざなきのみこと)、此の国を目(なづ)けて曰(のたま)はく、
「 日本(やまと)は浦安(うらやす)の国、細戈(くはしほこ)の千足(ちだ)る国、磯輪上(しわかみ)の秀真国(ほつまくに)。
秀真国・・・此をば袍図莽句爾(ほつまくに)と云ふ 」とのたまひき。
復(また)大己貴大神(おほあなむちのおほかみ)、目(なづ)けて曰(のたま)はく、「 玉牆(たまがき)の内(うち)つ国 」とのたまひき。
饒速日命(にぎはやひのみこと)、天磐船(あめのいはふね)に乗(の)りて、太虚(おほぞら)を翔行(めぐりゆ)きて、是(こ)の郷(くに)を睨(おほ)りて降(あまくだ)りたまふに及至(いた)りて、故(かれ)、因りて目(なづ)けて、「 虚空見(そらみ)つ日本(やまと)の国(くに) 」と曰(い)ふ。

天磐船(あめのいはふね)に乗(の)りて・・・天磐船はUFO?。なんともSFめいた不思議な記述です。



HOME