謎の石造物 「 猿石 」 (さるいし)   吉備姫王墓内(奈良県明日香村)  2008年4月18日更新
■猿石たちの再会
 飛鳥には、いつ、誰が、何のために造られたのかわからない謎の石造物が数多くあります。
 右写真の5体の石造物もその一つで、一見猿に似ていることから「猿石」と呼ばれています。
 江戸時代・元禄15年に欽明天皇陵(きんめいてんのうりょう)の南の田んぼから掘り出され、
うち4体は現在の吉備姫王墓に、もう1体は高取城(たかとりじょう)跡へ運ばれました。
  『今昔物語』に「軽寺南方の天皇陵の堤にあった石の鬼形」として載っており、猿石はもともと欽明天皇陵の堤に置かれていたようです。
 右に掲載した写真の背景はこの「天皇陵の堤」から撮影した欽明天皇陵に掘り出された5体の猿石を並べてみました。
高取の猿石にとっては久しぶりに兄弟との再会です。
写真の中だけですけど・・・


■吉備姫王墓
 (きびつひめのおほきみのはか)
 近鉄飛鳥駅から国道を渡って飛鳥周遊歩道を左へ歩くと、欽明天皇陵の森が見えてきます。
吉備姫王墓は天皇陵のすぐ隣の小さな森で、池の傍にある 「 案内猿 」 に従って左の小道を通り森を回りこむと、鉄柵のはまった鳥居があります。
目当ての猿石はこの鳥居のむこうにあります。


■案内猿





■雪降る吉備姫王墓



■猿石の面々
 吉備姫王墓内、向かって左に並んでいる猿石




 向かって右に並んでいる猿石




 高取城跡の猿石



笑っている顔、ムッとしているような顔・・・
男性のモノを見せて誇らしげにうずくまる姿、
左端の猿石は 「 ヨウ ! ヨウ ! ! ヨウ ! ! ! 、何見てんだよ! 」って言っているような・・・口が裂けていて雰囲気がコワイ。
2番目はオカマっぽく、
3番目は体育座りをするお山の大将って感じです。
右端の猿石なんかは 「お客様に手揉みしている商人(あきんど)」
見れば見るほどに奇妙でユーモラス。
そして、それぞれに原始的な力強さを感じます。
日本人の造形とはかなり異質な感じがして、やはりこの桧隈の地に多く移り住んでいた東漢氏(やまとのあやうじ)など、帰化人の石工の手によるものでしょうか。
 「猿石」と呼ばれていますが表情は人間と言ったほうがよいような、それぞれにユーモラスな表情をして私たちに何か言いたげにそこに佇んでいます。




■吉備姫王墓について
 欽明天皇陵の南に隣接する丘の上に直径8メートルほどの古墳が吉備姫王墓といわれ、墳丘の形や築造年代、構造などの詳細はわかっていません。
 「日本書紀」によると、
吉備姫王は欽明天皇の孫、皇極天皇(こうぎょくてんのう)の母で、皇極天皇2年(643年)9月に亡くなり、真弓の丘に葬られたとあります。


■ 素朴な疑問
 ○吉備姫王は真弓の丘に葬られたと記載されているのに、
   なぜお墓 が 「桧隈 」 の地にあるのか。
 ○皇極天皇の母親であるにもかかわらず、
   何でこんなにお墓が小さいのか。
 ○欽明天皇陵に近すぎる。

 思うに、この吉備姫王墓と伝える古墳は欽明天皇の陪塚(ばいちょう)ではないでしょうか。
それに右の写真を見て気がついたのですが、左下の「陪塚?」とかいた丸い丘と天皇陵の堤、そして吉備姫王墓は一直線に並んでいるように見えます。


■吉備姫王墓の周辺



■日本書紀の気になる記述

 推古28年(620) 冬10月の条
砂礫(さざれし)を以(も)て、檜隈陵(ひのくまのみさぎ)の上(うへ)に葺(し)く。
即(すなは)ち域外(めぐり)に土を積みて山を成(な)す。仍(よ)りて氏毎(うぢごと)に科(おほ)せて、大柱(おほはしら)を土の山の上に建(た)てしむ。
時(とき)に倭漢坂上直(やまとのあやのさかのうへのあたひ)が樹(た)てたる柱、勝(すぐ)れて太(はなは)だ高(たか)し。
故(かれ)、時の人號(なづ)けて、大柱直(おほはしらのあたい)と日(い)ふ。

砂礫 ・・・小石
檜隈陵・・・欽明天皇陵


■ 吉備姫王の死亡記事

 日本書紀 皇極天皇2年9月の条
 9月(ながつき)の丁亥(ひのとのゐのひ)(11日)に、吉備嶋皇祖母命(きびのしまのすめみやのみこと)薨(かむさ)りましぬ。
癸巳(みづのとみのひ)(17日)に、土師娑婆連猪手(はじのさばのむらじゐて)に詔(みことのり)して、皇祖母命の喪(みも)を視(み)しむ。
天皇(すめらみこと)、皇祖母命の臥病(みやまひ)したまひしより、喪(みも)を發(おこ)すに至る及(まで)に、床(みもと)の側(からはら)を避(さ)りたまはずして、視養(とりみをさめ)たてまつりたまふこと捲(おこた)ること無(な)し。
乙未(きのとひつじのひ)(19日)に、皇祖母命(すめみおやのみこと)を壇弓岡(まゆみのをか)に葬(はぶ)りまつる。
是(こ)の日(ひ)に、大雨(ひさめ)ふりて雹(あられ)ふる。
丙午(ひのえうまのひ)(30日)に、皇祖母命の墓造(みはかつく)る役(えだち)をやめしむ。
仍(なほ)、臣(おみ)・連(むらじ)・伴造(とものみやつこ)に帛布(きぬ)を賜(たま)ふこと、各(おのおの)差(しな)有(あ)り。

吉備嶋皇祖母命    ・・・ 吉備姫王のことで、「嶋」に住んでいたのでしょう。
                  嶋は石舞台古墳の近くで現在の「島の庄」あたりといわれています。
墓造る役をやめしむ  ・・・ 墓が出来たので、その労役をやめさせた。


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