高円の 野辺の秋萩 いたづらに    2008年10月4日掲載   白毫寺(びゃくごうじ)(奈良県奈良市)

■ご紹介したい万葉集の歌


 霊龜元年(715年)歳次乙卯の秋九月、
 志貴親王(しきのみこ)の薨(かむあが)りましし時の歌一首
 并に短歌

  梓弓 手に取り持ちて ますらをの さつ矢手挟み
  あづさゆみ てにとりもちて ますらをの さつやたばさみ

  立ち向ふ 高円山に 春野焼く 野火と見るまで
  たちむかふ たかまとやまに はるのやく のびとみるまで

  燃ゆる火を 何かと問へば
  もゆるひを なにかととへば

  玉鉾の 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば
  たまほこの みちくるひとの なくなみた こさめにふれば

  白栲の 衣ひづちて 立ち留まり 我れに語らく
  しろたへの ころもひづちて たちとまり われにかたらく

  なにしかも もとなとぶらふ
  なにしかも もとなとぶらふ

  聞けば 哭のみし泣かゆ 語れば 心ぞ痛き
  きけば ねのみしなかゆ かたれば こころぞいたき

  天皇の 神の御子の いでましの 手火の光りぞ
  すめろきの かみのみこの いでましの たひのひかりぞ

  ここだ照りたる
  ここだてりたる

                              笠金村
                              巻2 230


   高円の 野辺の秋萩 いたづらに
   たかまとの のへのあきはぎ いたづらに

              咲きか散るらむ 見る人なしに
              さきかちるらむ みるひとなしに

                              笠金村
                              巻2 231



■原文と読み

 ■は私のパソコンでは表示できない漢字
梓弓  手取持而  大夫之  得物矢手挾
あづさゆみ  てにとりもちて  ますらをの  さつやたばさみ
立向  高圓山尓  春野焼  野火登見左右
たちむかふ  たかまとやまに  はるのやく  のびとみるまで
燎火乎  何如問者    
もゆるひを  なにかととへば    
玉桙之  道来人乃  泣涙  ■■尓落者
たまほこの  みちくるひとの  なくなみた  こさめにふれば
白妙之  衣■漬而  立留  吾尓語久
しろたへの  ころもひづちて  たちとまり  われにかたらく
何鴨  本名■    
なにしかも  もとなとぶらふ    
聞者  泣耳師所哭  語者  心曽痛
きけば  ねのみしなかゆ  かたれば  こころぞいたき
天皇之  神之御子之  御駕之  手火之光曽
すめろきの  かみのみこの  いでましの  たひのひかりぞ
幾許照而有      
ここだてりたる   (巻2 230)    


高圓之  野邊秋芽子  徒
たかまとの  のへのあきはぎ  いたづらに
開香将散  見人無尓  
さきかちるらむ  みるひとなしに  (巻2 231)

■高円の 野辺の秋萩 いたづらに
                            2008年9月26日
                        白毫寺(奈良県奈良市)



                            2008年9月22日
                        白毫寺(奈良県奈良市)



■白毫寺
 白毫寺は、奈良市東部の山なみ、若草山・春日山に続いて南に連なる高円山のふもとにあります。
この高円の野に天智天皇の第七皇子、志貴皇子の離宮があり、その山荘を寺としたと伝えられています。
                            2008年9月22日
                        白毫寺(奈良県奈良市)


■大意
 高円山に、春の野を焼く野火であろうと見るほど、たくさん燃えている火を、
「あれはどういう火か」とたずねると、
道を歩いて来た人は、
泣き悲しむ涙が 雨のように落ちて、白妙の着物を 泥によごして、立ち留って自分に語っていうには、
「どうしてお前は よしなくも そんな事をたずねるのか。
それを聞くと、声をあげて泣かれ、話をすれば胸が痛む。
あれこそは天皇の御子様の御葬列の人々の手に持つ松明(たいまつ)の光なのだ、
あのようにたくさん照っているのは。」 (巻2 230)


 高円の野辺の秋萩は、空しく咲いては散っていることであろうか。
ご覧あそばす皇子(みこ)様も、もはや いらっしゃらないで。 (巻2 231)



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