たまきはる 宇智の大野に 馬並めて   奈良県五條市北宇智

■ご紹介したい万葉集の歌



    たまきはる 宇智の大野に 馬並めて
    たまきはる うちのおほのに うまなめて

                朝踏ますらむ その草深野
                あさふますらむ そのくさふかの

                                中皇命
                       (なかつすめらみこと)
                               巻1  4


■原文と読み

 玉剋春 内乃大野尓 馬數而 朝布麻須等六 其草深野
 たまきはる うちのおほのに うまなめて あさふますらむ
 そのくさふかの


■大意
 宇智の大きい野に馬をならべて、今ごろは朝の猟をしておいでであろう。その露の一杯おいた草深い野よ。

 奈良県五條市、JR北宇智駅西方の高原地帯から吉野川畔まで広がる金剛山のすそ野は古代の狩猟地、宇智の大野です。
 夜明けのすがすがしい、朝露のいっぱい置いた宇智の大野に、舒明天皇(じょめいてんのう)とお供の人たちは馬に乗り、この草深い宇智野に踏みわけ獲物を追っている。
作者 中皇命は飛鳥の都に居て、天皇が遊猟を楽しんでいるさまに思いを馳せ詠っています。


■「宇智(うち)=内(うち)」について、
 古代人は人間が息をすることで生きているという素朴な経験から、息をすることで人間の体の内を満たして生きている。
生命もまた体の内に宿り、そして生まれてくる。
体の内の内(ウチ)とは命そのものを指す言葉です。
この歌では宇智と内は同音だから用いたのでしょう。


■枕詞 「 たまきはる 」 について
 ネットで調べると、「 たまきはる 」 は「ウチ(内)」「イノチ(命)」「ヨ(代)」等にかかる枕詞で、「 たま 」は「魂」、「きはる」は「極まる」「刻む」の意とか・・・いまいち意味が判らない。

■宇智の大野
                         2006年9月24日(日)
                   奈良県五條市小和町(おわちょう)




■朝踏ますらむ その草深野
                         2006年10月14日(土)
                  奈良県五條市北宇智小学校付近

岩波書店 日本古典文学大系「万葉集一」ではイノチ、ウチにかかる枕詞で語義未詳となっています。
 私は「たまきはる」という枕詞について、
「たま」はやはり「魂」、「生命」のこと。
「きはる」は小さな虫や植物や動物たちの「気」が大気に満ちあふれている意で、
それを空気と一緒に吸い込こんだり、食べたりして体内に「気」を取り込むことで元気になる。

「たまきはる」とは魂(たま)が元気になるという意味ではなかと考えています。
「きはる」は現代の「気張る(きばる)」ではないでしょうか。「気張る」は やはり「張り切る」とか「元気を出す」とかいう意味です。
  「そう気張ると、あとがもたないぞ」
などと使っています。


■反対の意味を持つ「たまかぎる」
 万葉歌にはこの「たまきはる」と反対の意味を持つと、私が考えている言葉があります。
「たまかぎる」です。

    朝影に わが身はなりぬ 玉かぎる
    あさかげに わがみはなりぬ たまかぎる

           ほのかに見えて 去にし子ゆゑに
           ほのかにみえて いにしこゆゑに

                            作者未詳
                            巻11 2394


 朝影のように私の体は痩せてしまった。ほのかに見えただけでいなくなってしまった子なのに。

 「 朝影に わが身はなりぬ 」 日の出すぐの光を受けて、細く長くのびる自分の影のように痩せ細ってしまったこと。
子とはいかなる人かわかりませんが、何か幼子を亡くしたような、作者の深い深い悲しみが伝わってきます。
「たまかぎる」とは玉(=魂)の微妙な光を放つ意から「夕」、「日」、「ほのか」、「ただひとめ」などにかかる枕詞です。
消えてしまいそうな「魂(たま)」のことです。


■この二つの言葉に持つイメージ
 「たまきはる」は日の出のように、これから光輝く太陽のような元気な命。
 「たまかぎる」は山の端に沈む夕日のように、
ほのかな最後の光を発して命が消えていくイメージを持っています。


■この歌の作者はいったい誰 ? 
 この歌の前の長歌の題詞に

  「 天皇(すめらみこと)、宇智の野に遊猟(みかり)したまふ時、
    中皇命(なかつすめらみこと)の間人連老(はしひとのむらじおゆ)をして献(たてまつ)らしめたまふ歌 」

とあって、中皇命が作った歌を間人連老を通じてた献上したものなか、
それとも、中皇命の気持ちを間人連老が代作して献上したものなのか、どちらともわかりません。
この歌の作者については諸説があって、いちおう私は中皇命としました。
作者が間人連老であっても中皇命のお気持ちを詠っているからです。
ただ、この題詞で引っかかる点が 「 献らしめたまふ歌 」 と表現しているところです。

普通、中皇命がお作りになられた場合は
 「 献らしめたまふ御歌 」 と表現するはずが「御」が抜けています。
ただの誤記なのか、それとも作者が間人連老であることを示しているのか。

  比較検討

巻1の9番の歌の題詞は
 「 紀の温泉(ゆ)の幸(いでま)しし時、額田王の作る歌 」
と表現し「御」がありません。

巻1の10、11、12番の歌の題詞は
 「 中皇命(なかつすめらのみこと)、紀の温泉(ゆ)に往(いでま)しし時の御歌 」
と表現し「御」があります。

天皇自らの作の場合は巻1の1番や2番の題詞のように
 「天皇の御製歌(おほみうた)」 1番
 「天皇、香久山(かぐやま)の登りて望国(くにみ)したまふ時の御製歌 」 2番
と表現しています。

 天皇の場合は 「 御製歌 」
 次に偉い人は 「 御歌 」
 それ以外の人たちはただの 「 歌 」

というように、作者をランクづけしているように思えます。
するとこの歌の作者は間人連老で、中皇命のお気持ちを代作したことになります。
しかし、歌を詠んでみますと、
夜明けのすがすがしい朝や天皇が猟をする姿がありありと思い浮かぶし、馬の吐く息さえ想像させます。
たぶん遊猟に同行した間人連老が目の前の実景をそのままに詠ったからでしょう。
そして遊猟に出かける前に中皇命から自分の気持ちを歌に詠って献上するようにいわれていたので、
朝踏ますらむ その草深野 」 とその場で詠み代えたように思えます。
それでいて、飛鳥の都に居て天皇のことを思っている中皇命のお気持ちも伝わってくるという・・・驚きです。


■アクセス
 大阪からはJR大阪阿部野橋から近鉄南大阪線(橿原神宮前)・近鉄吉野線に乗り、
吉野口駅でJR和歌山線に乗り換えてJR北宇智駅で下車。所要時間は約2時間。
京都からは近鉄京都線に乗り、近鉄橿原線橿原神宮前で乗り換え吉野線吉野口駅まで、
そこでJR和歌山線に乗り換えてJR北宇智駅で下車。所要時間は約2時間です。


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