モンブランへの登高  1995年7月1日 〜 16日

出発前に安奈から「ママをヨーロッパに連れていかないで!」という言葉が頭から離れない。当然といえば当然だが僕の頭には無事にモンブランへ登って降りてくること。それがなによりも大切なことだった。もし、嫁さんに何かが起こり自分だけが日本に帰ることは考えられなかった。もし、何かが起これば一緒の覚悟で臨んだモンブランだった。結婚して10年。ネパールのトレッキングも子供たちと一緒に行けたし、やっぱり、結婚したときに胸の内に納めていた「モンブランぐらい一緒に登りたい。」という夢を実現したかったのだ。高嶋君たちとは「7月2日にシャモニーのロジェールキャンプ場で!」という簡単な約束で僕たち夫婦はシンガポール航空でチューリッヒ空港へ。そして、列車の旅を楽しんでジュネーブへ。夫婦2人で旅行するのは以前に行った冬の八ヶ岳以来だ。いつも、家族連れか山の友人たちと一緒に出かけている。ジュネーブではレマン湖畔を散策してからは結局タクシーでシャモニーへ入ることになった。今日のシャモニー行きのバスチケットが買えなかったので、ジュネーブ駅でロンドンから来る高嶋君たちを待ち受けたが会えなかったので、フランスの国鉄で入ろうと思い駅まで行ったが出発は夕方まで無かったのであっさりとタクシーとなった。250スイスフランなので約2万円。ロジェールのキャンプ場で受付を済ませ、多少の買い出しをして夕食を済ませたがまだ来ないので寝ていると、ようやく夜の10時すぎに高嶋君と橋川君が来た。彼らはフランスの国鉄で来たみたいだ。どうやら、日曜日にはバスは運行していないみたいだ。翌日は雨のため、食料の買い出し、装備の買い足し、情報の収集などでシャモニーの街並みをぶらつく。次の朝は雨が上がったので赤い針峰群のランデックス南東稜へ行くことにする。ロープウェイとリフトを乗り継ぐが雪が多いのにビックリ。取り付きまで登山靴にアイゼンを付け雪壁を登る。30分ほどで取り付きでラバーソールに履き替える。いきなり、ジェードルから始まるが、支点もほとんどなく緊張感が高まる。ザックに登山靴・アイゼン・ピッケルを担ぎなかなか大変だ。プロフィのようにかっこよくいかない。フレンズでプロテクションをとりながら進む。バックには雲の切れ目からシャモニーの街並みそしてグランドジョラスの北壁が垣間見られる。雰囲気は剣岳のチンネ左稜線ににているが4Pの2時間で終了。下降はいきなり空中懸垂で45mでコルに降り立つ。そこから、クロワールの向こうの尾根を下ることにする。尾根から雪面に出たところで嫁さんがいきなり滑落。出だしに「アンザイレンしようか。」と言ったが「大丈夫!」と言ったがこの有様だ。たまたま下は傾斜が緩くなっていたので安心したがこれから先が思いやられる。明日はいよいよモンブランにアタックすることにする。

シャモニーからバスに乗りレズーシュへ行き、そこからロープウェイでベルビューに上がり登山電車に乗り換えるが小雨混じりの天気。20分ほどで終点のルニデーグルに着く。標高が2372mなのでグーテ小屋まで約1500mの登りだ。雪渓の道をジグザグに登っていくが途中、だんだん風雨が強くなり雨具を付ける。テートルース小屋よりしばらく行くとクロワールのトラバース。ワイヤーロープがかかっておりそれを頼りに駆け抜ける。ここからグーテ小屋までは岩稜が続く。岩と雪のミックスとなり、おまけに雪が降りコンディションとしては最悪だ。しかも、3300mを過ぎたあたりから高度障害が出てきてしんどい。それに、グーテ小屋の予約をしたのだが満員なので断られたのでテント・食料などもあり約15kgの荷物だ。ようやく4時すぎにグーテ小屋に着いたがテントを張れるスペースを探すが無い。他のパーティは尾根上にブロックを積み上げて張っているがあまりスペースがないので小屋に泊まることにする。結局、廊下ならokということで素泊まりにする。橋川君は高山病が一番きつく寝たままだ。高嶋君もかなり苦しいようだ。嫁さんが一番元気なので食事の用意をしてもらう。橋川君はほとんど口にせず、高嶋君も少量を口にしただけだった。夜になって3人分のベッドが空いたので4人でそこに移る。天候が悪いのでキャンセルが出たのだろう。気分が悪いので早々に寝るが、脈拍がかなり早い。天気が悪いので心配だが明日は3時出発とする。1時過ぎからまわりが起き出したので目が覚める。脈拍は正常に戻っている。これなら大丈夫だ。天気も満点の星空だ。絶好のアタック日和なので胸が騒ぐ。食事を作り腹に流し込む。我ら以外に唯一の日本人の女性がガイドと一緒に出ていった。たぶん、ガイドを頼んだら10万円ぐらいらしい。僕らは自分たちの力だけで来られることがうれしい。出発は3時30分ぐらいになった。ヘッドランプを付けてハーネスを付け、嫁さんとアンザイレンする。先に登っていった人たちのヘッドランプの光がずっと続く。数珠つなぎでゆっくりと進んでいく。高嶋君の調子が悪いみたいで遅れてくる。めずらしいことだ。雪面はトレースが付いているもののアイスバーンとなっていて緊張しながら進む。頭の中はいつスリップされても止める手だてばかりを考えている。そして、下降のことだけで頭の中は一杯だ。バロの避難小屋付近で夜が明けた。すばらしい夜明けだった。ここで初めて腰を下ろして休憩する。小屋を出たのは最後の方だったが先頭までもう少しだ。ヨーロッパのガイドはゆっくりとした歩調で確実に登っていく。1人のガイドに3.4人の客をつれてアンザイレンをして引っ張っている。最後は細い雪稜となり、ようやくモンブランの頂上についた。ちょうど8時だった。風が強くて、しかも昨日の雨混じりの雪でザックやウェアなどはバリバリに凍っている。感動で胸が熱くなった。そして、思わず涙が出てしまった。人に連れてきてもらったりしたのではなく、自分たちの力で、しかも夫婦でここまで来られたことに深く感謝している。こんな感動をしたのは久しぶりだ。思い返しても、以前に鹿島槍の北壁を登った時ぐらいだ。橋川君より記念撮影をしょうと言われ気持ちを取り戻す。高嶋君は「頭が痛いのですぐ下降したい。」と言うので先に降りてもらう。僕たちは慎重に下らなければならない。正直言って自信がなかった。この長い山稜をノースリップで嫁さんが下ってくれること。そして、スリップして僕が完全に止められるという自信が、朝のアイスバーンの状態ではなかった。しかし、いくら時間がかかっても無事にグーテ小屋に戻らなければ安奈や有加に会うことができないのだ。「絶対に安全に下りきるのだ。」と自分の全神経を嫁さんに注ぐ。幸いにも、気温が上昇して雪が緩んできたので安心した。これなら大丈夫だ。登頂の余韻に浸りながらヨーロッパアルプスでの登山を満喫しながらの下降となった。しかし、延々と続く長い下りでしかも雪も重くなるし、頭もボーツとしている。12時過ぎにグーテ小屋に到着する。高嶋君と橋川君は早く着いたみたいだった。早速、「先に降りたい。」と言うので橋川君に付き添ってもらう。グーテ小屋からの下降は岩稜なのでやばい。おまけに雪が緩み、ダンゴになりスリップしやすいからだ。我々も少し休憩をして降り出す。ここからも、もちろんアンザイレンして、場合によってはスタカットで降りる。しかし、登ってくるパーティがあり、なかなか順番待ちで降りられない。確か最終列車が4時ぐらいだったような気もするがスピードが上がらない。結局クロワールを過ぎるまでアンザイレンしたままだった。ここからは、安心して降りられたが最終電車の時間には間に合わなかった。仕方が無く線路を歩いて下ることにする。“スタンド・バイ・ミー”の映画のシーンを思い浮かべる。食料も飲み物もなく喉がからからだ。嫁さんもさすがに疲れてきたようでしんどそうだ。しかし、歩いて下らなければどうしょうもない。「せめて、ベルビューに行けばロープウェーが動いていて飲み物も売っているだろう」というかすかな希望をもって歩く。他の外国人パーティーも仕方なく歩いている。残念ながらロープウェーも動いておらず店も閉まっていた。一緒に降りてきた外国人パーティーは登山電車駅で、翌日の始発までビバークするらしい。我々は水も食料もないため下降することにする。しかし、下るにしてもルート探しからだ。スキー場らしきところから森林地帯の中に道を見つける。足を引きずりながらの下降となるが、今日一日で雪の地帯から緑の樹林帯そして草原地帯と下ってきた。レズーシュのバス停に暗くなる寸前に着く。21時。結局、今日は16時間行動だった。標高の3800mから4805mまで約1000m登り、標高1050mのシャモニーまで一日にして3800mの下降をすることになったが、このモンブラン山行をよりドラマチックで感動的なものになった。