君の帰る日

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その日、朝からロイ・マスタング大佐はそわそわと落ち着きがなかった。
いつも以上に仕事をやる気のない上司にハボックが声をかける。
「大佐」
「何だ」
「なんか動物園の熊か、分娩室の前の父親みたいっすよ」
「…ばかもの!」

西部のある街にエドワード・エルリックを派遣したのが3ヶ月前。それがやっと調査を終え、今日ようやく報告の為にセントラルに戻って来るのだ。
こんなに時間がかかるのなら別の人間を遣れば良かったと何度思ったか知れない。だいたいエドワードは一旦旅に出たら最後、ロクに連絡もよこさないのだ。

いつも定期的に連絡をしろと口を酸っぱくして言っているのに、まったくあいつときたらこっちの気持ちをまるで分かっていない。

だがまあいい。とにかく今日彼らは自分の元に帰ってくる。
小言はほどほどにして、まずは快く迎えてやろうではないか。このところ自分も大人げない態度をとりすぎていたかもしれない。

寛容な大人の役を務めることを誓って顔をあげた彼だったが、すぐにその表情は曇った。

それにしても随分遅いな。予定では午前中に着く筈なのに、もう正午になるじゃないか。まさか事故にでも遭ったのだろうか。

一度悪い考えが頭に浮かぶとそれは無意識のうちに根を張り、様々な感情を伴ってどんどん成長していった。

いつしか大佐の眉間にうっすらと皺が現れ始めていた。
「大佐」
「何だ」
「いや…その…サインお願いします」
上司の異変を敏感に感じ取った部下達はとばっちりを食わないことを祈りつつ、上司と目を合わせないよう手元の書類を必要以上に睨みつけた。

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当のエルリック兄弟は昼下がりになってようやくセントラルの土を踏んでいた。

「兄さん、だからよそうって言ったのに。もうこんな時間じゃないか。今から行ったんじゃ3時はまわっちゃうよ。」
弟が責めるような口調で口火を切る。
「ねぇ聞いてるの?兄さんってば!もう」

いつもはカバンひとつで移動する兄弟には珍しく、今日の2人はたくさんの紙袋を下げていた。実際には荷物の大部分は大柄な鎧の弟が持っていたのだが、並んで歩くと小柄な兄の方はまるで紙袋に埋もれているように見える。

「いいんだよ。慌てなくたって報告なんか今日中に済ませれば良いんだから」
「だって大佐、きっと待ちくたびれてるよ」
「あーあー、あいつの長ったらしーイヤミを聞かないで済むなら、いっそのこと夜まで待つかなー」
全く、本当は今すぐ大佐の前に飛んでいきたいくせに素直じゃないんだから、とため息をつく弟をよそにマイペースな兄。
元はと言えばこの大量の紙袋も、汽車に乗り遅れたのもこの兄が原因なのだ。

今朝出発ぎりぎりになってから突然みやげ物を買うと言い出した彼は自分が止めるのも聞かず、手当たり次第、猛然と買い物を始めた。
膨大な紙袋の山を築いた頃には乗る予定だった汽車はとっくに発車しており、次の汽車まで数時間待つ羽目になった。
そのくせ汽車に乗り込んでからの彼は無口になり、何かしらずっと考え込んでいた。

「全く…今日の兄さん絶対変だ」

兄の奇妙な行動に困惑しつつも、この調子でいったら本当に夜になりかねない。生真面目な弟は兄の尻を叩きつつ彼の上司の元へと急いだ。

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マスタング大佐の眉間の皺は今やくっきりとその存在を主張していた。

何の連絡もなしに遅れたエドワードがオフィスに現れたのは4時近くになってから。
しかも散々待たせておいて執務室に現れた彼は、事務的に報告だけを済ませるとさっさと出ていってしまった。

ドアの向こうからは兄弟と部下達の楽しそうな声が聞こえてくる。
断片的に聞こえてくる会話から兄弟はどっさり買い込んだみやげ物を気前良く配っているらしいことがわかる。明かに自分だけがつまはじきにあっているのだ。

面白くない。

先ほどの自分の態度は客観的に見ても思慮に富んだ大人として申し分なかったはずだ。
「遅れるのなら連絡は入れなさい」
ただ一言たしなめただけだ。

なのにエドワードときたら椅子にかけようとも目を合わせようともせず、早口でまくし立てると、近況を尋ねようとかけた声を無視して出ていった。
殆ど一日を期待と心配とその他諸々の感情をない交ぜにして過ごしたというのに、その報酬がこの無味乾燥な数分間なのか。

これはあまりに理不尽ではないか。

だが、今日の自分は寛容な大人なのだ。多少腹が立とうとも、このくらいの子供のわがままには目を瞑ってやろうではないか。何をむくれているのかは知らないが、きちんと話せばこのぎこちない状態はすぐに解決するだろう。

意を決して彼等のいるオフィスへ通じるドアを開け、努めて穏やかにエドワードに声をかける。
「鋼の」
こちらに背を向けていたエドワードの肩がピクンと跳ね上がる。
「久しぶりに戻ったんだから、どうだ、夕食でも…」
「あっ、あのオレまだ行かなきゃならないトコあるから!」
そそくさと逃げ出すエドワード。
「えっ、兄さんちょっと!大佐ごめんなさい!」
兄を追って弟も慌てて出ていった。

決定的な一撃を食らってしまった。
残された大人達の間に気まずい空気が流れる。
呆然としたロイが見まわすと部下達はそれぞれが両手にみやげ物の包みを抱えていた。
不幸にもロイと目の合ってしまったハボックが引きつりながら菓子の箱を差し出す。
「あ…あは…大佐…あの…これ…大将に貰ったんすけど良かったらひとつ」
「いや、それはお前がもらったものだろう。遠慮しておくよ。」
にこやかに返答するロイの目は鋭い光りを放っていた。

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夕闇が深く星が輝き出す頃、マスタング大佐の長い1日が終わった。

部下達に当り散らしたもののどうにも腹の虫は収まりそうにない。いやそれ以上に情けない気持ちでいっぱいだった。3ヶ月ぶりだというのにエドワードは自分を避けまくっていた。しかもそんな仕打ちを受ける原因がこれっぽっちも思い当たらない。

膨らみ切っていた期待が裏切られなまじそれが大きかったものだから後の空虚感も生半ではなかった。

ふらふらとした足取りで歩く彼は、門の外に居た小さな影が声を掛けてきたのに気づかず通り過ぎてしまった。
「遅かったじゃん」
「………」
「おい、無視すんなよ!」

コートの端を掴まれて振りかえると、正直言って今日はもう見たくないと思った顔がそこにあった。
「………何の用だね?」
元寛容な大人がため息をつく。

「あの…その…今朝さ、駅のホームでカップルをみかけたんだ。」
「?」
「彼氏らしい男が迎えに来てた彼女に何か渡してさ。彼女すっげうれしそうにしてたんだ。そしたら大佐の顔思い出して…」
うつむいてぼそぼそと話すエドワードの話はどうも歯切れが悪い。
「エドワード、何が言いたいのかね?」
「だから…その…オレがおみやげ」
「…言っている意味がよくわからないのだが」

もじもじと少年は言葉を続けた。

「だってオレあんたの喜びそうなモノよくわかんなくて、色々買ってみたけど選べなくて、だからあんたには渡せなくて…だからオレ…その…」

言い淀んでいたエドワードが思い切ったよう叫んだ。
「だからおみやげの代わりに、これからロイのして欲しい事してやることにした!」
そしておずおずと真っ赤に染まった顔を上げる。
「ダメ…?」

つまりエドワードは自分の為に汽車を遅らせてみやげ物を買ってみたものの、気に入ってもらえる自信がなかったものだから結局何一つ渡せず、ばつが悪くて逃げまわっていたのだ。

そんなかわいらしいことを考えていたなんて…。

「ダメなものか。最高のおみやげだよ。」

ロイは満面の笑みを浮かべるとエドワードを力一杯抱きしめた。
「ちょ…ロイこんなとこで」
すっぽりと腕の中に納まった小さな存在がもぞもぞと抵抗を試みる。
「いいじゃないか。何でもしてくれるって言っただろう?」

さっきまでロイの中にぽっかり開いていた空洞には満ち足りた幸せが入り切らないで溢れていた。今日一日の暗い気分と交換してもお釣りの方がはるかに多い。
いやもうそんなことはどうでもいい。これからこの小さな恋人と過ごせるのだから。今までのことは全てきれいさっぱり消してしまってこれからの時間だけを上から書き直してしまおう。
そしてこの幸せだけを綴じ込めてしまうのだ。

「家に帰ろうか」
2人はたくさんの明かりが灯る街へと歩き出した。

彼らの一日はこれから始まる。