媚薬
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「うえー、眠い………ったく好き放題やりやがって……っくしっ!」 豪快なくしゃみをするとエドワードは鏡を覗きこんだ。 セントラル、ロイ・マスタング邸の午前5時――――こんないささか早過ぎると思われる時間に彼が身支度を始めねばならないのには訳があった。
この家の主マスタング大佐の身支度はとんでもなく時間が掛かる。一度鏡の前に立ったら1時間はてこでも動かないのだ。 ―――こう言ってしまうとどうも間が抜けて聞こえるがエドワードにとってはこれでも結構深刻な問題なのだ。 青年が洗面台を使っている間は歯ブラシの1本も持たせて貰えない。そのくせ青年は自分の支度が終わるとさっさと出かけようとするから、性質が悪い。こっちは5分で済むんだからちょっとは譲れよな。
ロイと一緒に司令部に顔を出していくつか手続きを済ませてから、弟のアルフォンスと午前10時にセントラル駅で落ち合う予定のエドワードは何としてもロイが起き出す前に身支度を済ませねばならなかった。
「だいたい男のクセに見てくれを気にし過ぎなんだよなーー」 鼻をぐすぐす言わせながら悪態をつく。 実際ロイは己の外見に対してかなり気を使っていた。プレスの効いた服など目に付く所は言うに及ばず、一見して見えないところにも神経を行き渡らせている。
実の所、知り合った当初はそんなに外見に手をかけていようとは気づかなかった。エドワードから見れば髪だってぼさぼさだし、服などその他もろもろも普通の範疇を超えなかった。(エドワードにとっては大佐の尊大な態度の方がずっと大きな問題だったのだ)
だから付き合いが深くなるにつれ知ったロイの実態にエドワードは目を丸くしたものだ。
ちょっとした合間に鏡を取り出しては軍服をチェックしているし、街のウインドーなど、何かに自分の姿が映っているのに気づくと(無意識なのだろう)髪を直している。 不意に彼専用の執務室を訪れると、仕事以上に熱心に爪先を磨いている青年に出くわす事もしばしばだった。
その中でも極めつけはこの洗面室だ。
その念入り過ぎる身繕いの為にバスルームとは別に設けられており、大きな洗面台が設置されている。決して水が潤沢だと言い難いこの土地ではいわゆるユニットバスが普通で、かなりの高級ホテルでもない限りこうした設備にお目にかかることはまずない。
さらに洗面台の横には化粧品専用の棚が据えられていて、中には高価な香水や化粧品がぎっしりと並べられているし、バスルームの中もシャンプーやボディソープが数種類ずつ置かれていた。 どうしてアフターシェイブだけで5本も必要なのかと呆れるエドワードにロイは涼しい顔をして「当たり前の身だしなみだよ」とだけ答えた。
だが、日頃口汚く毒づいていながら、エドワードはロイの良く手入れされた指先に触れられることや、抱きしめられた時に鼻先をくすぐるかすかな香りをひそかに気に入っていた。くやしいから絶対に言うつもりはないが。
「今までこれで何人の女をだまくらかしてたんだろ」 意地悪い台詞を吐きながら小さなビンを弄くっていたが視線を鏡に移して彼は仰天した。
「!!あいつ…!こんな目立つトコに痕つけやがって!!」 首筋にくっきりついた紅い痕を見つけて思わず鏡のフチに手を掛けた拍子に香水の小ビンを落としてしまった。 床に転がった小ビンが立てた高い音に、怒りを削がれてため息をつく。 「……ったく」 ビンを拾い上げてもとの場所に戻そうとして、エドワードは不意に好奇心に駆られた。
「あれってどの香水なんだろ」
昨日ロイがつけていた香り―――実はエドワードはその香りが一番好きだった―――をこのビンの森の中から見つけるという考えはたちまち少年を魅了した。
手始めに戻しかけた小ビンの蓋をとって噴出し口部分を嗅いでみる。 「?なんだ?」 どうもおかしい。何の匂いもしない。 確かに香水といってもロイのつけ方は微かに香ってくるだけで、とても香水を使っているとは思えないくらいだ。しかし…それにしたってビンから何の匂いもしないはずはない。 「やっぱ密閉状態だからダメなのかな」 それではと、アトマイザーを一吹き。
こんどはちゃんと匂いがわかる―――随分控え目な香りだ。ロイの物にしては意外な気もしたが――だがこれは目的の香りとは違う。 エドワードは鼻をぐずぐずいわせながら、ヤケに香りの薄い香水を戻すと次の小ビンを手に取った。
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青年はまだ深い眠りの中に居た。 彼の小さな恋人との別れを惜しむあまり、彼が眠りについたのは殆ど明け方になってからだった。 なんだかだるいからもう寝かせろと抗議する恋人を説き伏せて何度も愛を交わし―――その幸せの残滓と心地よい疲れに彩られた眠りを、安らかな顔で貪っている。
しかし、その安寧な眠りは突然断たれた。
「ローイー起きろよぉ!こらぁ!」 この無遠慮な声と――――もっと異様な何かに青年は目を開ける。
「エド…っくしっ!」 「おい、なんだ風邪かぁ?だらしないなぁ」 「……………」 「何だよ」 「…臭い」 「はぁ?てめ朝イチからケンカ売って…」 「ちょっと来い!」
いきなり首根っこを掴まれ、少年はバスルームに連行された。そしてせっかく着替えた服を剥ぎ取られる。
「うわ、何すんだよ!朝から盛ってんじゃねぇ!!」 「やかましい!お前何やった!」 「なにもしてねぇよ!」 「嘘をつけ!何だこの匂いは!!」
鮮やかな手つきであっという間に全裸にされた少年はバスタブに放りこまれ、今度はごしごしと乱暴に洗われた。視界はたちまちせっけんの泡で真っ白くなる。
「ちょ…痛いっ痛いってば!」 「私の香水で何をしていた!ごほごほ」
「ちょっと匂い嗅いでみただけだよ!」 「ちょっとなものか!ごほっ。こんな匂いさせてよく平気で居られるな、ごほ」
数十種類の香水が混じった凶悪な悪臭にむせながら、じたばたと往生際の悪い子供を問いただす。
「なんだよ。匂いなんて殆どしないだろ!!……っくしっ!」 豪快なくしゃみの後、鼻をすすりあげた少年に合点がいった。
そうかこれか。起き抜けの匂いのインパクトで気がつかなかったが、エドワードの声は随分鼻に掛かっている。そういえば昨日の夜もだるいとかさんざん言っていたな。 鼻が利かなくなってることくらい自分で判りそうなものなのにと呆れつつロイは質問をした。
「エドワード、お前どれだけ試した?」 「洗面台の棚のやつ全部だけど?」
ということは洗面台付近も相当な危険地帯と化しているに違いない。せめて今日中に匂いがとれればいいが… 返事を聞いて青年は憂鬱になった。
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数時間泡だるまになった後、エドワードは熱を出した。
起き抜けには軽い鼻詰まりだったはずが、すっかり立派な風邪に進化してしまった。 そして不真面目な風邪引き患者は、昨日―――つい数時間前まで熱く愛を語り合ったベッドの上に憮然と横たわっていた。
「自業自得だ。今日は大人しくしてるんだな」 「ちぇっ冷てーの」 「どこが冷たいものか。バカな子供の後始末の為に仕事を休んで付き合ってやってるのに」 「へいへい、ガキで悪うごさんしたね!…あっ、アル!」 「大丈夫だ。ちゃんと連絡を入れておいた。今日もハボックのところに泊まるそうだ」 弟は相当あきれていたぞ、と言いかけて青年は口をつぐんだ。あまりいじめるのも可哀相か、とも思ったし少年の訴えも聞かず思うまま彼を貪った負い目もあった。
思いなおしてから彼は再び口を開いた。
「それにしても、お前、香水嫌いじゃなかったのか」 「んー、昨日あんたがつけてたやつ」 「?」 「あれだったらつけてみてもいいかなーって。でも棚の中にはなかった」 「…エドワード」 「悪かったよ。もういたずらしない」
「いや…それもなんだが」 「なんだよ、まだなんかあんのかよ」
「昨日はなにもつけてなかったんだがね」 「へ……?」 しばらく目を丸くした後、熱で赤い少年の顔がさらに真っ赤に染まっていった。
エドワードは昨日のロイの香りが一番好きだった。だから名前を知りたかった。名前を知っていれば、その香りを手に入れられれば、彼と離れている時でも彼を近くに感じられると思ったから。
しかし、ロイは香水は使っていないと言う――――ということはエドワードが好きだと思った香りは香水のそれではなく……
「どうしたんだね?」 「わわわ、なんでもないっ」 ロイの目が笑っている。バレた。バレた!確定だ!勘の良いロイは自分の隠れた本心まで気づいているに違いない。
こんな恥ずかしいこと絶対知られたくなかったのに!!
「エドワード」 真っ赤になって目を逸らしてしまった少年のほおにやさしいキスが落とされる。ふわりとあの香りが彼を包み込んだ。 意地悪くからかわれるとばかり思っていたのに青年はそれきりあっさり身体を離した。
「なにか食べるものを作ってこよう。大人しくしているんだぞ」 遠ざかって行く足音を聞きながら青年の匂いの染み付いた枕を抱え、少年は深く息を吸い込んだ。
彼にとってそれはたったひとつの媚薬―――
余談:これをUpした日のアニメ44話。エドが香水嫌いをぶち上げてました。まぁなんて良いタイミング!!(号泣)いいんだ!元々ドリームだもの!平気だ!!(号泣) |