いつまでも二人で


TONO























二人で生きていこうと決めた。

いつまでも生きていこうと決めた。

つなぎ合う手が

決して離れないように、

決して離されないように。

二人は共に生きていこうと決めた。


















その日の朝、アスカはシンジの隣で目覚めた。

随分と長い間眠っていたらしい。体の節々が少々重かった。

二人が眠っていたの四畳半の部屋に置かれた小さいベッド。二人で寝るには少しきびしい代物だった。

だが、アスカは無理にそれを買おうと、ベッドを買おうかと悩んでいたシンジに言った。「このベッドじゃ狭いよ」と言うシンジをよそに「シンジとくっつけるから」という理由だけでシンジを押し切り、このベッドを買ったのである。

「シンジ…朝よ…」

「う、うん…」

シンジは寝返りを打ってアスカの方を向いた。そのシンジの顔を見たアスカが微笑む。

「おはよ、シンジ」

「おはよう。アスカ」

二人は挨拶をして起き上がり、大きく伸びをする。

「寝坊しちゃったな。さ、朝ごはんを作らなきゃ」

シンジはベッドの上にある目覚し時計を見て欠伸をする。

「別にいいじゃない。寝坊くらいしたって」

アスカの言葉に「そうだね」と答えると、シンジはベッドから降りる。そして衣服を整えて台所に向かった。

アスカは蒲団の中から微笑んだままその姿を見つめていた。







二人は半年前から二人で暮らしている。

もう五年になるだろうか、あのサードインパクトという惨劇が起きたのは。

そして、シンジとアスカは生きて砂浜で再会した。

過去様々な事があったにせよ、二人は砂浜の上でお互いを見つけた。

見つかりようもない心や記憶。

自分を助けられる者の存在。

自分に一番近い存在。

シンジの頬を滑るアスカの手が自分達の心を余す事なく表していた。

側にいて欲しい。

自分を知る人間に側にいて欲しい。

自分を求める人間に側にいて欲しい。

咽び泣きながらアスカの体を抱き起こすシンジの体温が、自分達の気持ちを余す事なく表していた。


砂浜には波の音だけが静かに同じリズムで響き続けていた。





その惨劇からの二年、アスカとシンジは「施設」と呼ばれた場所に入れられ、その中で暮らす事になった。

二人はその施設の中で過去からの解離と癒しを続けていた。

アスカとシンジは一時も側を離れようとせず、強引に引き離されようものなら例え銃を持つ兵士にも食って掛かった。


「アタシとシンジを離してみなさい、ここで舌噛んで死んでやるから」

「僕とアスカを引き離したら、僕はここで死にます」


二人の激しい決意の行動に施設の職員達が折れたのは言うまでもない。

二人は特別な部屋を用意され、そこで暮らした。



二年後、二人は16歳になり、ようやくそこから解放され、葛城ミサトのマンションに戻る事ができた。

戻った二人を見るなりミサトは泣き喚きながら二人を抱きしめた。「許して」と言い続けながら。

そして三人は時間をかけてゆっくりと話し合った。今まで起きた様々な事を論議し、言い合い、納得した。

それがネルフという組織から解放され、ただの一個人となった三人の過去からの解離と癒しであった。



二人は19歳になったと同時にミサトのマンションを出て、このアパートで暮らし始めた。

今の所シンジが働く収入だけなので決して裕福とはいえない二人の生活だったが、二人にとってはまさに安住の地であった。


シンジはあの頃と変わらずに台所に立ち、フライパンをコンロにかける。

「アスカ、スクランブルエッグとトーストでいいね」

「いいわよ。あ、コーヒーも入れといて」

「うん」

いつもと変わらない日常は、二人にとって五年経った今でも新鮮に思える。

それだけあのエヴァと使徒との戦いは常軌を逸していたに違いなかった。

だから二人は普通の生活を楽しんでいた。お互いのいる生活を、誰にも邪魔されない生活を。



(忘れましょ、シンジ。あんなバカげた時の事は。今必要なのはシンジとアタシ、二人の時間だけなんだからさ。これからはお互いを見るようにしようよ、ね?)

シンジが再会の直後、あの戦いでアスカを傷つけてしまったと責任を感じ、塞ぎ込んでしまった時期があった。

アスカは、最初はそんなシンジを叱咤していたが、最後には溜息をついてこの言葉を言ったのだ。

シンジにとってその言葉がどれだけの救いになったか、周囲の人間は知る由も無かった。

それからシンジはアスカの助けを受けながら少しずつ回復し、以前のシンジに戻る事ができたのだ。




トーストが香ばしい香りを放ちながらトースターから跳ね上がる。アスカはベッドから降り、洗面台で少し長めの洗顔を終えるとテーブルについた。

「どうぞ。熱いから気をつけて」

「うん」

アスカはコーヒーを飲み、トーストをかじる。シンジもそれを見ながらゆっくりと食事を始めた。

穏やかさと静寂に包まれた朝食が終わると、二人は二杯目のコーヒーを飲みながら静かに話し始める。

「シンジ、今日は日曜日でしょ?」

「うん、そうだね」

「じゃあ少しゆっくりと話そうよ。どうせお金もないんだし、夕方の買い物まで暇なんだしさ」

「うん…そうだね」

午前中の優しく穏やかな日溜りの中で二人は身を寄せ合っていた。

アスカはいつものようにシンジの左に座り、頭を肩に乗せ、体をシンジの腕と体に委ねて目を閉じシンジの息遣いを感じていた。

シンジも目を閉じアスカの存在とその温もりを感じていた。

二人はそのあまりにも甘美な時間をゆっくりと味わう。この形がお互いに一番落ち着ける格好だった。

「いい気持ち。何もかもがすごく穏やかになっていくみたい」

「そうだね。すごく落ち着く…。どうしてだろう」

「シンジがいるからよ」

「アスカがいるからだよ」

二人は微笑みながら「そうね」「そうだね」と呟くように言い合う。二人の間を流れる時間は、そんな二人を見守っているかのように緩やかに流れていた。

アスカは目を開けて窓から見える復興途上の第三新東京の姿を見る。シンジも何かあるのかと思いそれにつられて外を見た。

「ようやく普通の街らしくなってきたわね。どれだけあの頃が異常だったか…今考えるととても怖くなるわ」

「そうだね。僕もあの頃は辛い思い出しかなかったんだ。でも、今は違う。ようやく普通に暮らせるようになったんだよ。何も心配する事のない、使徒やエヴァの事を心配する必要もないんだ」
 
シンジはアスカを見ながら言う。

「なんかさ、変よね。あの時アタシ達はあんな事をしていたのに、今はただの一般市民になってる。刑罰も受ける事もなくて…ただ捨てられたみたいに自由になった。最初はこういう生活に戸惑ったけど、それにもいつの間にか慣れちゃった。穏やか過ぎる時間と、シンジがいてくれる安心感。虚勢を張らなくていい世界。幻を追わなくてもいい丁度いい忙しさ。あれからもう五年も経つのに、アタシはまだ夢を見てんじゃないかって思う」

「本当だね。静か過ぎるんだ。でも…このまま続いて欲しい。アスカとこのままでいたいから。アスカと生きていたいから」

シンジの声が静かに風と混ざりながらアスカの耳に入る。

「アタシもよ。この世界の誰一人アタシ達の苦しみの分かる人間はいないんだから。アタシの苦しみを分かるのはシンジしかいないの。シンジの苦しみを分かってあげられるのはアタシしか居ないのよ」

アスカがそう言い終わらないうちに再びシンジはアスカに近付く。 そしてアスカをしっかりと抱きしめた。

「シンジ。そうしていて。絶対離しちゃダメだからね」

「うん。分かってるよ」

二人の言葉はそこで途切れる。開けられた窓から流れる風だけが二人の空間を埋めていた。

二人は目を閉じ、互いの体温を感じながらしばらくの時間を過ごす。

「シンジ…アタシを見てる?」

「見ているよ。ずっと前からアスカだけを見てる」

アスカはゆっくりと微笑みながらシンジの左肩の上で頷く。

「守っていかなきゃと思う。アスカの為にも、僕の為にも。今の生活を守らなきゃ、またあの時みたいに離れてしまうかも知れない。僕はそれがとても怖いんだ。アスカがまた苦しみと虚構の世界で壊れていってしまうんじゃないかって…」

「あの時は本当にアタシを見てくれる人なんて居なかった。シンジもミサトも、加持さんも。誰も見てくれない、傷ついたアタシを助けてくれない、抱きしめてもくれないと思ってた。でも、それは錯覚だった。全部アタシが自分の心で作り上げた虚像だったのよ。いろんな人達がアタシを見てくれていたのに、アタシのプライドが、アタシの心がそれを認めようとはしなかった。だからあの時壊れたのよ…アタシの全てが」

「アスカ…」

アスカはシンジから離れた。だが、両手だけはシンジの両肩に置かれたままだ。

「結局、何も分かってなかったのはアタシだけだったのよ」

「違うよ。何も分かってなかったのは僕だって同じだよ。アスカ以上に何も考えずに、ただエヴァに乗って使徒と戦う事しかできなかったんだ。最後なんか…ただ無気力になって臆病になって、アスカが一人で戦っているのを何もしないでただ見ていただけなんだ。そして…アスカを…見殺しに…」

「バカ。アンタまだ拘ってんの?だからアンタはバカシンジなのよ。もう終わった事だと言ったのはアンタでしょ?なんでアタシ以上にグジグジ考えてんのよ」

「だって…僕はアスカを見殺しにしようとしたんだ!大切な人を見殺しにしようとしたんだ!そんな僕がまたこうやって…アスカといられるなんて思いもしなかったんだよ。アスカと住む前に、僕はアスカに対して罪を償わなくちゃいけなかった筈なんだ」

アスカは呆れた顔をして両手をシンジの肩から頬に持っていく。そしてその綺麗な細い指で左右ににゅっと引っ張る。

「い、痛いよ、アスカ」

「この口?そんなバカげた事をグズグズ言ってるのは。いい加減にしなさいよね。このアタシがいいって言っているの。それ以上バカな事を言うと…頬にある手が首に行くわよ?」

アスカの凄みのある声がシンジを凍らせる。アスカはそれを心の中で楽しみながら、しかし目は凄んだままシンジを見続けている。

「もうそんな事は言わない?」

シンジが首を縦に振る。

「本当にもう言わない?」

再びシンジの首が縦に振られる。アスカはゆっくりと頬から両手を離し、また両肩へと戻す。

とたんにシンジの顔が緊張と恐怖から解放された。

「…ごめん」

「謝るのもやめなさいよ。気持ち悪いったらないわ」

「でも…」

「でもじゃないっ!!」

アスカの怒声が飛ぶ。シンジは慌てて沈黙する。

「…アンタ、アタシに悪い事した?謝るような事したの?」

「だって…僕がアスカに嫌な事を言ったから…」

「そうねぇ、確かに嫌な事よね。でも、蒸し返して何になるのよ。蒸し返して、過去が変わるの?アタシの腕の傷が消えるの?シンジの罪の意識が消えるの?…変わらないわ。何も変わらないわよ。アンタもアタシも過去を消す事なんてできないのよ。なら、未来に向かって考えるべきじゃないの?だいたい見殺しにしたとか、アタシに罪を償うだとか…アンタバカァ?そんな事はね、もっと前に言うべきものじゃないの?」

「そうだよね…」

「そうよ。今更言ったって始まらないのよ」

アスカはつんとした顔でシンジに言う。シンジはそれとは対照的にアスカから視線を外して暗い表情でいた。

アスカはそんなシンジを見て、突然の閃きが走る。

「ね、そんなにアタシに罪滅ぼししたい?」

「え…う、うん。できるだけの事はするつもりでいるんだ。アスカの為に」

「そう?じゃ、何をしてもらおっかなぁ。いろいろあるのよねぇ…」

「あ、あの…できれば、出来る範囲で…」

アスカは勿論聞いてはいない。こういう時のアスカはシンジが何を言っても聞こうとはしないのが常なのだ。

「どっか連れて行ってくれてもいいし、何か買って貰うのもいいなぁ。迷うわねぇ…」

「ア、アスカ?」

「あ、取敢えずコーヒーが冷めたから、替えてきてよ」

アスカの微笑みにあっと言う間に撃沈されたシンジは、すごすごとカップを持ち、台所に向かった。

アスカはそれを見送ると、立ち上がって伸びをしながら外を見た。

鳥が午前中の暖かい、柔らかな日差しを受けて舞い飛ぶ。勿論その日差しはアスカの体へも降り注いでいた。

「本当にいい天気ね。このまま部屋にいるのは勿体無いかな…?折角の休みだもんねぇ…」

(でも、いいや。取敢えずはシンジといられるんだし、誰にも邪魔されないし)

アスカは外を見ながら先程のシンジに言った言葉を心の中で反芻する。

(罪滅ぼし。そんなの要らないのに。アタシはシンジといられれば今の所不満なんてないのにな。相変わらず鈍感よね、シンジって)

「はい、入れ替えたよ」

「ありがと」

アスカは礼を言ってコーヒーを飲む。温かくて、本当に香りの良いコーヒーだった。アスカはコーヒーを飲んで突然に思い付いた。

シンジに罪滅ぼしに何をさせるかを。

「シンジ。決まったわよ」

「え?で…何をすればいいの?」

アスカはカップをテーブルに置き、シンジをじっと見つめる。

「ア、アスカ?」

「いい、シンジ。アタシがアンタに望む罪滅ぼしはね…」

アスカがシンジの側に寄り、体を寄せる。

「アタシとアンタ、いつまでも二人でいるって…約束する事よ」

「…も、勿論。絶対一緒にいるよ。何があっても離さない」

「約束できる?」

「約束する。アスカを絶対に離さない」

「態度で示しなさいよ」

アスカの体がシンジの腕によってシンジの胸へと引き寄せられる。アスカはその胸の中で少し溜息をつく。

「約束よ。何があっても離さないでよ…。もう一人で生きて行くにはちょっと傷つき過ぎたの。お願い…シンジ…」

「アスカこそ僕から離れないでよ。アスカは綺麗だから…いろんな人にいろんな事を言われるだろうけど、それには応えないで欲しい」

「バカね。アンタがちゃんといい男になればアタシが離れる事はないわよ」

「頑張るよ」

アスカはシンジの胸の中でゆっくりと頷く。

「ちゃんと罪滅ぼしするのよ」

「うん。だから離れないで。僕の前から消えないでよ、アスカ」

「バカ。そんな事あるわけないでしょ」

「…そうだよね」

「そうよ。シンジがいつまでもそうしてくれれば」

シンジはアスカを抱き続ける。

「シンジ、いつまでも二人一緒よね?」

「そうだよ。いつまでも一緒だよ」

シンジは珍しく自ら行動に出た。アスカの両肩を持ち、顔を覗き込む。

「アスカ…」

「何よ」

「あ、あの…キス、してもいいかな?」

「何よいきなり」

「駄目?」

「駄目って言ったら?」

「何度でもお願いするよ」

アスカは少し笑って目を閉じる。シンジがアスカに顔を寄せた。

「今日は特別よ、バカシンジ」

唇が触れる瞬間にアスカが呟く。シンジは苦笑いをしてその言葉を噛み締めると、アスカに唇を重ねた。

やけに時間がゆっくりと流れる。

二人にはまだまだ癒しと過去からの解離の時間が足らないようだった。

二人はその時間を満喫するようにいつまでもそのままでいた。

二人がいつまでもこのままでいられるように。

いつまでもこの幸せがあり続けるようにと祈りながら。













Fin









どうもTONOでございます。

本文だけでなく、挨拶まで読んでいただけるとは…感激です。
本愚作は以前お世話になっていた「LAS学校」に初投稿したSSです。

今回は山鴉さんのご厚意により再掲載をさせてもらいました。
再掲載という事で初期(LAS学校掲載時)の文に多少直しを入れています。
初期の文はとても見れたもんじゃなく、ほとほと過去の自分がぬるい考えで書いていたなぁと反省するばかりです。
とりあえず、今の器量で直せる部分は直してみましたが、やっぱりダメダメみたいです。
またまだ精進が足りないようです…。
では、また。TONOでした。