T井の転職の歴史その8(37〜40歳)
みなさんこんにちは(^^)
平成5年7月、新聞広告に「電検2種、勤務:堺市公立大学変電所」という
ビル管理会社の募集をみつけて応募したら採用された。
5年間勤めた義兄の電気工事店を辞めて、8月から会社員として
77kV受電の公立大学変電所に勤務した。
当時は結婚していたから税金も安く、扶養手当もあり、給料は総支給36万円、
手取りでも30万円、あとボーナスが年に45万円ほど、年収にして450万円暗い
であった。
仕事は、24時間勤務がが月に12回程度と、あと主任技術者に選任されていた
ある市立小学校の電気設備の点検に1回行った。
給料も安いし、昇給の可能性や退職金が不明だし、将来性がないので、
入社した8月に辞めたくなった。
公共職安の技術者人材バンクに登録して自分の求職広告を掲載したら、
S友倉庫の跡地に建設されたS友興産ビルの自社ビル管理の会社から
面接したいと通知があり、ビル管理会社は嫌だったが面接に行くと、
「ウチは水道のバルブの交換から作業も必要だが、ボーナスは昨年の
実績で120万円、年収は550万円程度で、退職金は10年で160万円、
20年で360万円」と、とても細かく条件が示された。
ワシが「お願いします。」と言ったら、断られてしまった。
あと、大手都市銀行のD和銀行が電験3種の庶務行員を募集していて
応募したが不採用であった。
仕方なく、今の会社にしばらくいることにした。
大学の現場は、公共設備だから、役人がエラそうにしていることさえ我慢
すれば、とても楽であった。
作業は無く、点検だけして、あとは休憩室でテレビを見ていた。
冷蔵庫にはビールを冷やしておいて、休憩室には私物のビデオを
持ち込んで、仮眠時間は、4時間と決められていたが、毎日、22時から
朝の7時まで熟睡、じゃない、仮眠していた。
たまに、深夜の2時でも、「停電した」と学生が守衛に言うと、守衛から
電話でたたき起こされることがあったが、全停電になる大事故は平成7年に
1回あっただけである。
たまに、役人(大学職員)が変電所に入ってくるので、2階の休憩室でテレビを
見ていると、格好が悪いので、玄関の扉を開けると2階でチャイムが鳴る装置
を取り付けた。
ワシが現場の責任者で、あとはジイサンや、アホみたいなのが多かった。
ある55歳暗いは、建物の玄関のカギを開けることも出来なかった。
どうみても鍵穴に入らない大きな鍵を差し込もうとしたり、一度試して入らなかった
鍵を、また差し込もうとしたり、5分経過しても開けることが出来ないサル以下である。
漏電調査も、計測器の名称も、何も知らなかった。
会社の面接担当者は、事務系で電気の知識がないので、その人間の技術力を
判断することは出来なかったのである。
平成6年、2回目の1種受験も沈没して、平成7年の新制度の1種一次を受験した。
結果は、機械のみ不合格であった。回転機械は得意だが、自動制御と情報処理は
苦手で、初めから諦めていたようなものだった。
とにかく、パソコンでも買えば、情報が好きになるかと、カシオワープロしか持って
いなかったので、ワシはタイ米、じゃない、大枚をはたいて、NECのPC-98を買った。
Win3.1で、HDD0.8GB、メモリ8MB、CPU75MHzという、今では考えられない
ようなマシンだったが、買ってもゲーム程度にしか使わず、Win95にUPするも、
ホコリをかぶっていった。
平成8年、離婚したワシは、自動車を買い替えた。Tヨタの2400cc、初めての
3ナンバー車、ABS、SRSエアバッグ。
その頃の楽しみは、たまに娘に会って遊園地に連れていって写真を撮ることだった。
平成8年、1種一次機械のみを受験するも沈没して、18000円のゼニと1年の時間が
ムダに消えて行った。平成7年と8年の二次は受験出来なかったが、電気計算に
掲載された問題を見たら、解けそうな問題が多く、選択出来るから、もし二次を受験
出来ていれば、合格したかも知れなかった。(とらぬT井の皮算用)
平成9年、最後の一次である、もし不合格なら来年は4科目から受験せねばならない。
機械は、得意な回転機械が出題されて、自己採点は出来ないが、おそらく合格したと
感じたので、二次試験の準備にかかろうとした、平成9年9月9日、ミニバイクで転倒して
鎖骨を骨折して、全治3ヶ月で入院してしまった。
40歳にして初めての入院、ワシは免歴23年で750ccバイクでも無事故だったが、
50ccでエラい目にあった。
10月に退院して、仕事が楽だから、出勤することにした。左手は上がらないが、
オートマチック車の運転は右だけで出来るし、右ききだから文字も書けるし、変電所の
方が、勉強しやすかった。
12月の二次試験、電力・管理は出来たが、機械・制御は危ないようだった。
この12月に、勤続20年の3種の副主任が定年退職して、他にも1人辞めたので
新人が2人来た。
何かとワシに反抗的な60歳(ズル電工1種)と、あまり喋らないが、何も出来ない
役人あがりの70歳(ズル電検2種)であった。
この現場は、77kVだが、主任技術者は大学職員であり、ビル管理会社の主任は
2種の資格を持った者を派遣する契約であった。
副主任は3種でいいが、会社には3種の人間は他の現場にもいるから移動させる
ことが可能だが、2種はワシしかいなかったのだ、そのズル2種のジイサンが来る
までは。
平成10年1月、平成5年から勤めたワシは、勤続5年近くの、この現場の古株に
なっていた。侵入、じゃない、新入社員の70歳(ズル電検2種)を連れて、
ある変電室に入って、そのジイサンの技術力を試そうと、ワシは断路器を指差して
「あれは何ですか?」と質問したら、ジイサンは、「分かりません」と答えた。
ワシは、「アンタ、本当に主任技術者をやっていたんですか」と言ってしまった。
ジイサンは、翌日は出勤しなかった。会社から電話があり、「T井、明日本社に来い」
と呼び出されたのであった。
続きは磁界に。
ではまた(^^)ノ
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