T井の転職の歴史その7(32〜36歳)
みなさんこんにちは(^^)
電気工事は面白く、富田林警察署の新築工事だったが、やりがいも
あった。今までは、運転手にしても、工場の工員にしても、生活のため
ゼニのために、嫌々仕事をしていたが、初めてやりがいを持って出来る
仕事であった。
昭和63年の10月に工場閉鎖で退職して、2ヵ月後の12月には、工場の
ボーナスが30万円ほど出たし、失業保険と電気工事のアルバイト(←時効)の
両方の収入があったので、12月には100万円ほど持っていた。
12月には、翌年の電験3種と第2種電気工事士の受験を決意して参考書を
買った。
平成元年2月には、またバイクに乗りたくなって、125ccのオフロードの新車を
買ってしまった。6月には、古いウインドエアコンが故障したので、セパレートタイプの
エアコンを2台買って、自分で取り付けた。
6月に2電工筆記受験して合格、8月に2電工技能試験受験合格、電験3種受験して
合格した。平成元年は、バブルの好景気で仕事が忙しく、電験2種の参考書を買うも
難しくて理解出来なかった。
仕事で、工具や材料を積んで距離を走るので、ポンコツカペラは10年近くを経過
していたから、日産カリホルニア1700ccディーゼルワゴンに買い換えた。
当時は、軽油がガソリンよりかなり安かったし、排気ガス規制も対象外だった。
10月に買ったら、貯金が0になってしまった。
12月に義兄がボーナスをくれたし、平成2年からは大阪短大の工事もあり順調であった。
平成3年に、バブルが崩壊して不景気になるが、電気工事は好景気の時に受注した
仕事があるので、景気の波は1年ほど遅れるから、平成3年末くらいまでは仕事が
多くあった。平成3年5月に、電験2種の願書を出したが、仕事が忙しく、勉強は
せずに受験した。結果は惨憺たるものであった。
この平成3年は、鶴橋駅南側のパチンコ屋のビルの工事の責任者であった。
材料の発注から顧客との折衝まで全部任されていて、ワシは義兄にかなり
儲けさせた。義兄は、「臨時ボーナスだ」と80万円をくれた。
平成3年12月、ついに貯金が目標額に達したので、都市銀行のローンを
全部一括返済したら、貯金は70万円になってしまった。
これで、家は名実共にワシの物であり、以後はローンの返済も家賃もない。
平成4年1月、バブル崩壊の不況が電気工事にも及びだした。
仕事が減りはじめた。
電気工事は、面白くやりがいもあったが、キツイ、キタナイ、キケンの3Kで、
景気の波に左右されるし、社会保険もなく、老後の年金や、体力が落ちた時の
ことも考えるし、電験3種があるのだし、現場の作業員より、技術者としての
仕事をしたかった。
仕事でケガをしても、元請に遠慮して、労災を使わずに、国民健康保険にする
ことが慣習となっていたのも、嫌なことであった。
平成4年は、絶対に電験2種に合格しようと、1月から勉強を始めた。
理解出来ない問題は、理解出来るまで何回もやったら、理解出来た。
解答の丸暗記ではダメだ、何故そうなのかを理解しようと勤めた。
3種の時は、いっきに合格出来たし、勉強は楽だったが、2種の時は
かなりツラいことがあった。
7月末の平日2日間の試験だが、6月と7月はヒマだったので、ワシは
仕事を減らしてもらった。
バルセロナオリンピックのTVを見ながら、朝から自宅で勉強した。
7月の受験後、当時は「新電気」と「電気と工事」しか購読していなかったし
ネット検索も無いので、「OHM」の販売日まで待って、書店で立ち読み
したが、まだ模範解答が掲載されていなかった。この時は、「電気計算」の
存在を知らなかったのだが、「電気計算」には2種のみ掲載されていた。
9月に、書店で「電気計算」を見つけて、模範解答を見たら、かなり正解して
いたので、合格しているような気がして、「電気計算」の購読を決めて、
11月の口述試験の準備を始めた。
10月に、書留郵便で口述試験の招待状を受け取った。
当時の電験は、不合格の場合は通知が無かったので、もし郵便の手違いで
口述の通知が届かないと、本人は不合格になったと思って、口述試験を欠席
してしまうと、あとで裁判やトラブルになるから、確実に通知するために書留郵便
で通知されるのだろう。
11月に大阪通産局で行われた口述試験にも合格して、12月には免状が
交付された。
平成5年1月、義兄の電気工事店は、かなりヒマになり、親戚とはいえ、
仕事が無いのに、ここにいては迷惑をかけるし、将来のことも考えて、
電気技術者としての仕事をしたかったし、転職を考えた。
結婚していたし、専業主婦のカミさんを建設国民健康保険の扶養家族に
入れていると、保険料が高くなるし、カミさんの国民年金も払っていた。
会社員になれば、社会保険の健保は、扶養家族の数に関係なく収入に
応じて決定するし、厚生年金の3号被保険者にすれば、カミさんの年金も
不用になるし、会社員は税金が高いが、それは独身時代のことであり
扶養家族がいれば、税金なんて、それほど高くはないし、11月には子供が
生まれて、さらに扶養家族も増えるし。
それに、電気工事は給料制ではなく、自営業としてやっていたから、税金は
あまり払っていない(←時効)が、所得証明の年収が低くなり、家を買うために
ローンを組む時や、交通事故の被害者になって賠償金を貰う場合に不利になる。
平成5年7月、電験1種の受験にカミさん手作りの弁当を持って受験したが不合格。
独身時代の受験は、コンビニ弁当を買って持って行き、試験場で食べたし、
仕事の昼飯は、現場近くの食堂で食べたり、夜は外食とかで、食費は独身時代
の方が、結婚していた時より高かった。
平成5年7月、新聞広告に「電検2種、勤務:堺市公立大学変電所」という
ビル管理会社の募集をみつけて応募したら採用された。
5年間勤めた義兄の電気工事店を辞めて、8月から会社員として
77kV受電の公立大学変電所に勤務した。
続きは磁界に。
ではまた(^^)ノ
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