T井の転職の歴史その3(22〜23歳)
みなさんこんにちは(^^)
昭和54年2月から、金物問屋の配送運転手として務め出した。
釘やアルミ建材の、建設金物の卸の会社であった。
ここには、翌55年5月まで、1年3ヶ月間勤めることになる。
仕事の内容は、前年の紙問屋の運転手に似ていた。給料は少し安かった。
働き初めて3ヶ月で、仕事で嫌なことがあり辞めたくなったが、会社の部長から
慰留されて、続けることにした。
前年に大型特殊1種免許を取得していたし、この会社にいる中で、仕事とは
全然関係のない資格だが、けん引1種免許を取得した。
会社の2トントラックで配送中に、通行禁の違反でつかまり2点となった。
ワシは、昭和52年にバイクの32km超過で免停30日(29日短縮)になって
いて、その後、バイクの通行禁2点、紙問屋のトラックの17km超過1点で
停止回数1回の累積3点であった。
停止回数1回は、4点から免停になるので、もう後がない。
紙問屋の違反が53年6月だから、そこから1年間無事故無違反だと、
停止回数0回、累積点数0点に戻る。
あと1ヶ月で達成という、昭和54年の5月につかまり、そのために8月に
免停60日(30日短縮)となった。
会社に話して、倉庫作業に変えてもらい、1ヶ月の免停が終わったあとに
また運転手に戻った。
停止回数2回の累積点数0点だから、今度は2点から免停で、5点で
取り消しになるし、当時は25km以上超過は全部6点の時代だったので、
大型バイクの免許も、全部失ってしまうことになる。
そこで、250ccバイクには乗らずに、会社のトラックだけに乗った。
昭和54年末、ボーナスは13万5千円(勤続10ヶ月)で、初めての10万円を
超えたものだった。
昭和55年5月、些細なことから社長と喧嘩して、会社を飛び出すように辞めた。
1年と3ヶ月間働いて、貯金は80万円に達していて、中古車なら買えたが、
8月まで我慢して、免許停止回数0回、累積点数0点に戻ってから買うことにした。
運送屋でプロの運転手になろうと、大型免許取得のために、教習所ではなく、
試験場に飛び込み受験した。大特もけん引も飛び込みだから。
6月に合格して、第1種免許は全部取得した。
失業保険を90日間もらうので、まだ就職は出来ないから、内緒でアルバイトを
した(もう時効)。派遣会社から金属会社の倉庫作業に派遣された、日給6000円。
残業もあったし、月に18万円暗いにはなった。あと保険もあるから、貯金は増えた。
8月に免許の点数が戻ったので、中古車を買った。23歳にして初めてのマイカー
であった。貯金はかなり減って、20万円程度になった。
9月に保険が切れたので、倉庫の作業が嫌だったので、運送会社に就職しようかと
思ったが、12月になれば第2種免許の受験資格が出来るので、とりあえず、運送の
アルバイトをしようと、2トントラックのアルバイト運転手を、10月から始めた。
日給は6500円だったが、倉庫作業とは違い残業も無いので手取りは少なかった。
初めての青ナンバーの運転であった。
11月のある日の夕方、空荷で阿倍野を走っていたら、ワシの前の材木屋の1トントラック
の前に、アホ学生の運転する車が割り込んで停車したので、材木屋が急停車して、
ワシは材木屋のトラックに追突して大破した。
材木屋の50歳暗いは、かなり紳士的な人間だが、事故の時は、追突したワシではなく
アホ学生に怒鳴っていた。
阿倍野警察では、ケガ人がいない物損事故は、お前らで話し合えとなったので、
ワシは会社に、アホ学生に請求しろと言ったが、会社は、「お前が追突したから
お前が払え」というので、アホらしくなり辞めた。
今から思えば、この件は裁判をすれば勝ち目はあったと思うし、材木屋も証言して
くれる。まあ、材木屋は関係者だから、証言力は低いが。
しかし、会社は裁判をせずに、普通の運送屋は任意保険には加入していないが、
ここは小さな会社だったので加入していたから、保険で処理した。
免責の6万円がいるからと、ワシの最後の給料の5万5千円は払ってもらえなかった。
12月に、第2種免許取得のために、試験場に通った。
翌56年2月に、第2種免許を全部取得したので、ある運送会社に行ったが、
そこはモグリ業者で、青ナンバーは別の運送屋の借り物で、社会保険も無かった。
まともな運送会社には採用されないような、刺青をしたのやら、変な奴がいた。
3日で辞めたくなったら、会社の方から「辞めろ」と言われた。
3日分の給料が12000円しかもらえなかった。
同じ2月から、重量運送会社に就職、4トンと11トンがあり、初めての雪道、
初めての11トン大型トラック、初めての長距離運送であった。
仕事はキツイが、社会保険もあり、給料は運行により違うが、手取りで、
22〜28万円、平均で24万円程度。
長距離の外食や、パチンコでゼニがいったが、それでも7月に辞めるまでの
5ヶ月間で、貯金を60万円もした。
6月で24歳となり、7月で辞めたが、重量運送は、古い人間がエラそうにして
いるし、免許の無い人間が横に乗っていても、ワシより高い給料をとって
いるし、大型は近距離しか乗せず、(経験が浅いから)、ベテラン運転手の横に
乗せられて、使いパシリや、付き人のような修行をさせられるのが嫌だったので
たった5ヶ月働いた、56年7月に辞めてしまった。
そして、56年8月に、別の運送会社に就職するのだが、これがワシの人生で
大きな間違いになるとは、この時は思いもよらなかった。
続きは磁界に。
ではまた(^^)ノ
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