T井の転職の歴史その10(43〜44歳)

みなさんこんにちは(^^)

ワシは、Mリックスビルの2FのC央電気保安協会の事務所に入っていった。
Mリックスの若社長(32歳、ボンボンで電気の資格は無い)もいた。
ここは、「Nちほ」以上のピンハネ大国であり、2年間勤めることになるが、
内部の事情はムチャクチャであった。

ワシは、既にNちほで管理技術者の認定を受けていたから、すぐに客を紹介された。
初めの月は17件、しかし、ゴミみたいな客ばかりで、ピンハネ後のワシの報酬は
たったの8万円、次の月は17万円、12月には25万円程度になった。

初めの話では、すぐに満点にするということだったが、なかなか満点にはならず、
半年もかからず、50万円にはなるという話も守られなかった。
図面を作成するも、報酬規定がなく、タダ働きとなり、緊急出動の料金や
年次定期点検の報酬規定も無かった。

だいたい、このC央電気保安協会というのは、(株)Mリックスが作ったダミーの
協会で、Mリックスの社員のK元と社長の知り合いのT村の2人に認定を受けさせて
2人とも客の保安をせずに名義貸をしており、協会業務は全部Mリックスの社員が
牛耳っていた。
面接をする担当者も、Mリックスとう会社は、歴史が浅く、社員の入れ替わりが激しい
ので、入社1年に満たない、事務系の社員が面接していたから、電験3種という言葉を
聞くのも初めてというような奴らであった。
リレー試験を出来る人間もいなかった。
ワシは、このピンハネ協会の立ち上げ初期の頃にいたから、内部事情には詳しい。

管理技術者は、測定機器を自前で所持せねばならないが、T村もK元も、Mリックスが
購入した機器を、「自分が購入した」とウソを通産に届けて認定を受けた。
また、管理技術者は他に仕事を持ってはいけないが、K元はMリックスの仕事で
地方に出張したりしていた。

Mリックスという会社は、若社長の親の土地に親がビルを建てて、社長の姉を経理に
して、社長の妻を、協会の事務にして、ピンハネしたゼニを同族で分配して、
高級車を乗り回していた。

ワシは、平成11年12月〜13年1月まで、1年以上も保安協会の休日夜間の電話の
転送を受けて、電話番をしていたので、内部事情には詳しい。

サポート24という漏電通報装置は、これはN本テクノのマネをしたものだが、これを
6年間のリースで客に借金をさせて売り、6年分の保安料金を先取りしているから、
客が逃げることはなく、客が倒産したらMリックスは儲かるシステムになっている。

保安を他の協会から変わるのに、客も借金をしたくないから、かなりの安値でないと
客を得ることは出来ず、どんぶり勘定というか、同じkVAでも、料金が大きく違う
ものがあり、160kVAで、K西保安協会が15800+税で保安していたものを、
9000+税でぶんどり、ワシには2730円をくれた。
関西空港の近くのタオル工場まで往復120kmを自分のガソリンで走っては
完全に赤字であった。

また、管理技術者の資格のない、O須賀という者に、K元やT村名義の客の
巡回をさせたり、M本という会員は、客の停電にも出動せずに、客から苦情が
来たりと、ムチャクチャであった。緊急時のマニュアルはなく、社長は、とにかく
サポート24を売ればいいのであり、ワシらはゴミのようなものであった。

自社の営業マンは、成績が悪いとすぐにクビになり、新しい営業マンは電気の
知識が無いから、また初めから同じことを教えて、キュービクルのドアも開けずに
契約をしてくるから、280kVAと聞いていて、ワシが点検に行ったら、520kVA
だったというのもあるが、断ろうにも、すでにサポート料金を6年分受けとっているから
断れないものであった。

客の保安を回っていると、電気工事が必要なことがよくわかるし、工事の仕事が
入ることがある。Nちほでは、工事業者から客を紹介してもらうので、工事はしないが
Mリックスは電気工事会社なので、工事をしてもよい。
平成12年2月、ある工場の客のOS(油開閉器)を外してLBSに交換して、
GRとSCとZCTも交換する工事を、ワシが客と話して受注して、設計して、
材料の価格も調査して、Mリックスのアホに伝えた。

アホに、「ワシの報酬はいくらか?」と聞いたら、「時間給が1000円」とか、
バカにしたようなことを言うし、ワシが、「机の前に向かって、材料の調査をしたり
時間もかかっている」と言ったが、「お前はあさましい、これはMリックスの客の
工事であり、工事はMリックスがするのであり、お前は社員ではない。」と
抜かすので、「それなら、今後はアンタが全部やれ」と言ってやった。

事務系で電気の知識も、工事の実務経験も無いアホに出来るはずもなく、
そのアホは、後日ワシに電話してきて、「T井さん、例の工事は27万円で
受注したから、材料の手配や客との工事日の打ち合わせをしてくれ」と
言ったきた。
ワシは耳を疑った、27万円では儲けがないばかりか赤字である。
ワシの報酬の部分の説明が無い。
ワシは、「その工事は全部アンタが責任を持ってするんだろ、ワシは関係ない」
と言って、電話を切ってやった。

そのアホは、とても困って、Mリックスの工事社員60歳に電話して、材料の
用意とかをしろと指示した。
しかし、工事社員は困った。当たり前である、どんな工事をするのか、客と
どんな話になっているのかは、ワシしか知らないのだから。
工事社員は困ってワシに電話してきて、「T井さん、材料のリストを下さい」
と言ったが、ワシは「あさましい」とか罵られてまで、なんでタダで技術や
ノウハウをくれてやらないかんの?という気持ちだった。
電話で、「アンタも工事をしている人間なら、あのアホの言動が頭に来ることが
分かるやろ」と言った。

そんなことがったから、その後の工事は、客と直接取引きをして、安値でやっても
かなりの儲けを得ることが出来たし、顧客と折衝する能力が養われたことは、今後
にプラスになるわ。

平成12年7月に、全然客が増えないし、大阪市の1件を、無資格のジイサンに
回したので、ワシは辞めると、Mリックスのアホ社員に言った。
すると、関西空港の近所に16件あるからと、それを回してくれた。
これらは、下請けの代理店が超格安値でとってきたものだった。
8月に16件、9月に19件の客を得て、合計85件になり、そのうち19件は
K元やT村の名義であった。
収入は、保安料金が37万円、定期点検等が6万円、電話転送が4万円の
47万円程度だった。あと無断工事が、月に10〜15万円の利益を出した。
最高の月は、70万円近い収入があった。

嫌なことがあった。
それは、平成12年4月から、100kVA以上でも、漏電通報装置が50mAの
精度だと通産に認められたら、隔月点検が可能になり、0.6ポイントなら
0.36ポイントになるのだが、Mリックスのサポート24は認可されていないのに
隔月点検だと、超安く客をとってきて、ワシの名義で毎月点検で登録して、
ポイントは食うわ、事故でもあればパーであった。
違法行為を強制されたことは、技術者にとっては、耐えがたいことである。

年次定期点検で、試験機等を運ぶのに、Mリックスの車を借りると、日曜日には
カギがかかっていて、ワシにはカギを預けてくれないので、金曜日に借り出して
月曜日に戻さないといけないので、面倒だから、荷物の積めるワゴン車に買い換えた
以前の、2400ccセダンは4年半しか乗っていないのに、下取りは20万円。
200万円もの出費になった。

平成13年1月、新人が来たので、ワシの客を8件譲ったが、新しく2件しか
紹介されず、電話転送もクビになり、収入は減っていった。
2月には、客を1件N本テクノに奪われて、1件が倒産した。
ワシの収入は減ったが、Mリックスは、6年分のリース料金を貰っていたから
儲かったのだ。

Nちほのマネをして、新会員募集の説明会をして、大量の新人が入ってきて
他人名義の客を返せと言われた。
ワシは、「早く通産に漏電通報装置を認可させて、正規に隔月点検で登録すれば
ポイントが下がるから、K元やT村名義の客をワシ名義で登録出来る」と言ったが
全く通じなかった。

結局、5月からは他人名義を全部返して、6月からはワシの名義も、遠方は数件
返したから、60件程度になり、収入も27万円程度になった。
このまま、ピンハネ協会に一生いても、決定権もなく、Mリックスの社長の一声で
条件が変わってしまう。
社会保険も無いのだから、年に800万円暗い貰っても少ない暗いだと思うんだが。

そんな折、このホームページに書いたMリックスの悪口が社長にバレた。
http://www1.kcn.ne.jp/~tanii/kanri/kaisetu-t/kougeki-1.htm
平成13年6月16日に、「T井さん、社長が話があるから来て」というので
言ったら、アホ社長は、「お前は出ていけ」と怒鳴った。
ワシも、ウソを書いたのならともかく、本当のことを書かれて怒るというのは、
自分がやましいことをしているからだと思う。

そんなことを書いたら、新人会員の募集に誰も応募しなくなるから募集広告費
が無駄になる、というが、最初にオイシイ話をして、実際にやってみたら、
いかにバカバカしいか分かったら辞めて行くから同じことやわ。

C央電気保安協会の地方支部を作っているが、支部長を募集しているし、
四国支部も福井支部も出来た。支部長はMリックスに500万円を払うと、
電気の知識は無くても支部長になって、地元のジイサンの技術者を雇って
その保安料金をピンハネするボスになるシステムらしい。

社長の親まで出てきて、ワシを「お前」よばわりし、そのアホ親父は、
C央電気保安協会の会長になったらしい、(以前の会長は名義貸で仕事
をしないT村)が、もちろん、電気の知識はない。
ワシは、アホ親父に、「漏電通報装置の不正をしやがって」と文句を言ったら、
アホ親父は、「それはお前の責任やろ、通産で言いたければ言えや、お前が
処分されるだけや、ワシは関係ない。嫌なら引き受けなかったらええやんけ」と
抜かしやがった。

もうアタマに来たワシは、6月末で辞めるから、「全部の客から通産に出す解除届
の印を貰ってくれ」もし今月中に解除出来ない客があれば、料金を払えと言った。

平成13年6月29日、近畿経済産業局に、全部の客の解除届が提出されて、
6月30日付の退会届が7月3日には受理された。
ワシは、2年間勤めたピンハネ協会を辞めた。

でも、落ち込んではいないぜ。
この2年間で、得たものは大きかった。
リレー試験や耐圧試験の実務経験
通産や電力会社への書類の申請のノウハウ
顧客との折衝や、料金交渉、見積書や請求書の発行、集金から、
工事の材料の手配や、リレーの結線
名刺の数も増えて、電気関係の知り合いも増えた。

つまり、2年間やったことは、決して無駄ではなく、これからの人生に有益な
ことだと、プラス思考に考えている。
義兄の電気工事の5年も、ビル管理の主任技術者の5年も、有益な期間だった。
しかし、運転手時代の5年間と下水処理場の1年間は、全く意味のない無駄な
時間だったし、履歴書に傷として残ってしまう。

転職は悪いことではないさ。
チリ紙交換やら、数十種類の仕事をしたワシだが、44歳の今になって思うことは
よい人生を送れるかどうかは、ゼニは大切だが、ゼニがすべてではない。
仕事の内容も、自分が納得できるもの、やってよかったと思えるものが大切である。
60歳になって、人生を振り返った時に、「こんな人生で終わったのか」と悔やんでも
もうやり直しは効かないし、まあ60歳からでもピンハネ協会なら入れるし、70歳で
協会に来たジイサンもいるし、ビル管理に来たジイサンもいたわな。
でも、40代からピンハネ協会にいて、60歳になったら、とても後悔するわな。

今回で、転職の歴史は、一応終わるけど、ワシが生きている限り、ワシの悪い性格と
よけいな一言のために、転職の歴史は永遠に続くかんネ。
また、解雇されたり、トラブルで転職したらカキコするかんネ。

ではまた(^^)ノ


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