T井の転職の歴史その1(18〜19歳)
みなさんこんにちは(^^)
昭和32年6月生のワシは、昭和51年3月に、ある大阪府立高校普通科を
卒業したんだけど、進学校で就職する奴なんかいなかったけど、ワシは両親を
亡くしていて、兄と一緒に住んでいたんだが、国立大学は受験して落ちて、
私立は合格したが、理科系の授業料が高く払えないので、自宅浪人していた。
もうすぐ兄が結婚するから出て行けというものだから、何か仕事を始めないと
いけなくなったが、工業高校卒とは違い、普通科に仕事は無かった。
高校時代に、電線工場でアルバイトをしたことがあったが、販売なんかより
工場の方がワシの性格に合っていたようだ。
営業・販売の会社に面接に行くも、[アンタは普通免許が無いから」という
理由で断られた。高校時代に原付と自動二輪を取得していたが、進学校の
ワシの学校でバイク免許なんかを取得する奴はいなかった。
工業や商業の高校なら、高校3年の時に教習所に通うのが普通だが、
ワシの高校では、大学受験の予備校みたいなもんだから、誰も普通免許
なんか持ってはいないし、バイク免許を持つワシも、ゼニが無いので普通免許は
取得していなかった。
バイク免許があったので、新聞配達のバイトでもしようかと思ったが、
バイクに乗せずに自転車でやれと言われて、2日でやめた。
6月から、機械工具の町工場でアルバイトを始めたが、時給が400円
だったので、14日でやめて、メッキ工場で、日給3800円で、社員として
勤めた。10代で初めて持つ、社会保険の厚生年金手帳。
昭和51年の高卒初任給は、79000円暗いだが、ワシは24日ほど
働いて、交通費や諸手当込みで、95000円暗いから社会保険や税金を
差し引かれて、手取りは、82000円暗いだった。
7月のボーナスは貰えず、12月のボーナスが3万円(手取り27000円)しかなく
アホらしくなり、12月でやめた。
通勤のために買った中古の125ccバイクも売却して、半年間で貯金を30万円
ほどして、失業保険の手続きをとり、兄の家で2回目の大学受験の勉強をした。
これでも落ちたら、もう諦めるしかないし、52年4月には兄が結婚するから、
この家を出ねばならなかった。
でも、浪人とはいえ、働いていたから勉強する時間はあまり無いし、
受験結果は現役の時と同じであった。
仕方なく、現役では受験していなかった、公立大学の夜間部機械科に入学した。
昭和52年4月、兄の家を出て、高校時代の友人の親が経営するガス会社の
3階の洋間を家賃15000円で借りて、引越しをした。
あとで言うけど、この52年は、ワシが20歳になる年だが、4月、8月、10月と
3回も引越しをするハメとなる。
友人とはいえ、権利金を10万円もとるし、引越しの費用やらで貯金が消えた
ので、4月の入学式の前からアルバイトを見つける必要があった。
もう、工場で油まみれになるのが嫌だったので、販売員のアルバイトに
行ったが、そこは、「5割引セールをやるから」と、商品の値札を高いものと
つけかえる作業をアルバイトにさせたり、店に立っていても売れないし、
嫌になって1日でやめた。
やはり工場しかないし、失業保険を需給していたから、社員はダメなので
メッキ工場でアルバイトをした。時間給550円。
ここで2ヶ月アルバイトをして、保険の切れた6月に、派遣労働者として、
ある工場に勤めた、日給4700円。
夜間大学とは、働きながら学ぶ勤労青年かというと、その当時でも、
偏差値は低く、社会的評価も低く、大手企業に就職も出来なかったし、
中退率も高かった。
学生の8割が、フリーアルバイターで、正社員は2割暗いであった。
親元から通う奴は裕福で、小遣い銭をかせぎにアルバイトをしている者が
多く、親にゼニを出してもらって教習所に行っている者も多かった。
しかし、ワシは自分の収入で家賃も払うのだから苦しかった。
近所の散髪屋のオヤジから7年前の250ccのバイクを3万円で買って、
それで通勤した。夜学の友人は、もっと新しいバイクに乗っている者も
多かった。
高校時代の友人の親の会社に間借りしていたが、その3階に2部屋あって、
もう1部屋は、その友人の遠縁にあたる、鳥取の人間(ワシと同年)が
入っていて、そいつはK畿大学の夜間部に行っていたのだが、
どうしょうもないアホで、親が呉服商らしいが、当時でも月8万円もの
仕送りを受けていて、アルバイトはせずに昼まで寝ていて、
毎日、深夜まで、じゃない、朝まで徹夜マージャンをしていた。
たまにアルバイトに行っても、いつも3日と続かなかった。
そこは、2階を学習塾に貸しており、電気の個別メーターが無いので、
親メーターに出た料金を、ワシと、そのアホが折半だったので、
学習塾が使う電気や、子供が便所で使う水もワシらが払ったんだ。
ある日、学習塾のアルバイト講師が、3時間も早く出てきて、
台所の大型テレビをつけていたので、「ワシがテレビを消せ」と、
言ったら、そのアホ講師が、塾の責任者を連れて来て、
「うちは大家にゼニを払っているのに、何で下宿人に言われな
アカンのや」と文句を言いやがった。
ワシが大家に電話して、状況を説明して、塾のアホ責任者も、
講師に、「君は時間ちょうどに来い、テレビはつけるな」と指示したので
ワシは引き下がった、テレビは大家が後日撤去した。
6月に20歳の誕生日で、17歳で取得した自動二輪免許の期限が切れる
ので、更新した。
派遣労働者として、ある工場に勤めた、日給4700円と、上に書いたが、
耕運機の部品の加工をする鉄工所に派遣されて、全身真っ黒になり
作業をした。7月からは夜学が夏休みになるので残業もした。
8月には、派遣会社が宿舎として借りていた、オンボロアパートに
引っ越した。これで、友人の親の3階から出れるし、権利金が8万円
戻ってくるので、教習所代にしようと思った。
部屋代は5千円必要だが、アパートの家賃は1万円だから、2人で
1部屋らしい。でも、すいていたし、ワシは荷物が多いので、
1人で1部屋にしてもらった。
光熱費は、いくら使っても無料(会社負担)であった。
もちろん、権利金も不要であった。
ワシの20歳の人生は、軌道に乗ったかのように見えた。
でも、この8月の引越しが大間違いで、たったの2ヵ月後の10月に
仕事を失って、また引っ越すハメになるとは、この時は夢にも
思わなかった。
続きは磁界に。
ではまた(^^)ノ
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