電験第1種受験体験談

私が電験1種を受験しようと思ったのは、電験2種に合格した平成4年の暮でした。
当時はもうバブルが崩壊していて義兄の電気工事店もヒマになり、将来の不安を感じて
いましたし、このまま電験2種のままで終わりたくなかったですし、工事現場の仕事は
やはり、キツイ、キタナイ、キケンの3K労働ですし、これから体力も衰えていくと考えた
からです。

平成5年、過去問題を中心に勉強を始めました。しかし当時は旧制度であり、合格者数は
わずか20人程です。問題数が少ないから、ヤマが外れればそれまでです。

平成5年は不合格となり、その平成5年8月に、5年間勤めた義兄の電気工事店を退職して
ビル管理会社に入社して、77000V受電の大阪府立大学特高変電所に派遣されました。
資格を生かした仕事ではありますが、自社設備ではないために、大学のやる事に口は
出せず、その意味では技術を生かすことは出来ませんでした。

しかしヒマな現場ですから、勉強時間には恵まれました。
平成6年は、理論・機械は出来たのに発変電が出来ずに不合格でした。

平成7年からは新制度になり、1次試験の結果は機械のみ不合格でした。
機械は電動機計算は得意なのですが、自動制御と電子計算機は苦手で、最初から諦めて
いる状態でした。

平成8年、機械のみ受験するも不合格、平成9年、最後の受験で得意な電動機の問題が
出題されて1次試験に合格しました。

12月の2次試験は、電力・管理は6問中4問選択だから、どうしても出来そうにない2問を
除いて残りを選択しました。そこそこ普通に出来ました。送電の4端子定数の問題は正解
だったし、計算問題の正解は確実に満点をゲットできます。ただ、旧制度では2時間で3問
だったのに、新制度では2時間で4問だから時間的には厳しくなっています。

機械・制御では4問中2問選択ですから、確実に得点出来る計算問題を選択しました。
しかし簡単に解けると思った誘導電動機の滑りを求める問題は、予想外に複雑であり
大幅に時間をオーバーして、やっと正解の3.00%が出たのは40分経過後でした。

残り20分で変圧器の分担電流を求める問題を解かねばなりません。しかし焦れば焦る
ほど計算に失敗してしまい、時間だけが過ぎていきました。残り時間5分の時点でまだ
答えがで出ません。心臓の鼓動が高鳴り、冷や汗が出てきて、正に死刑台の雰囲気でし
た。焦るものだから、計算する度に違う答えが出る始末でした。残り30秒、もう仕方ない
から適当な電流値を記入して終了しました。当然それが正解のはずはありません。

帰宅後、家で計算したら、15分で正解が出ました。何でもない問題だったのです。
しかし家で出来ても試験会場で出来なければ何の意味もありません。
これは不合格だから、平成10年に2次試験だけ受験しよう、と思っていた時に合格通知
を受け取りました。嬉しかった反面、私のような者がこのような権威のある資格を所持
していていいのか、と思います。1種合格とはいっても、真の実力は2種程度だと思い
ます。合格してからが、本当の勉強の始まりであり、資格に恥じないように、これからも
勉強を続けていくつもりです。

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